トイムコ:Тымко
アレクサンドル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大将。連邦国境警備機関第1副長官・警備軍参謀総長をつとめる。97年12月、ニコラエフ連邦国境警備局長官の解任を受けて、同局長官代行に就任。98年1月26日、同局長官代行から解任。


トゥイノフ:Туинов
エヴゲニー、В.
生年月日 1954.01.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。「法律新聞」サンクトペテルブルグ法律情報部長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議地政学委員会委員。


トゥーモフ:Тумов
ムハマディン、М.
生年月日 1938.09.10
性別
国籍 カバルヂニア人
学歴 大学卒
考察 57〜60年ソ連航空防衛隊国境支隊に従軍。60〜65年働きながら農業技術大学に学ぶ。卒業後、68年まで集団農場で主任技師として働く。68年入党。68〜72年地方農業生産庁で技師をつとめた後、再び集団農場の主任技師に戻る。raikomの委員や、地方代議員もつとめる。77年集団農場長となり、現在に至る。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


ドヴォルツィン:Дворцин
マルク、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年11月、産業省次官に就任。


ドヴギャーロ:Довгялло
アレクサンドル、И.
生年月日 1938.03.27
性別
国籍 ベラルーシ人
学歴 大学卒
考察 ハバロフスク鉄道輸送技師大学卒業。56〜57年アムール州で駅当直助役として、58〜65年チタ州で駅当直助役、駅長として働く。65〜67年ペルミ州およびチタ州で列車の配車係として、67〜73年ザバイカル鉄道副駅長や技師長として、73〜79年ザバイカル鉄道支部長、鉄道検査員として働く。79〜81年チタ市ソビエト執行委員会第1副議長。81〜86年第1副長官。90〜93年ロシア連邦人民代議員。86年からザバイカル鉄道長官。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属。連邦会議社会政策委員会委員。


ドゥダエフ:Дудаев
ジョハル、М.
生年月日 1944.04.15
性別
国籍 チェチェン人
学歴 大学卒
考察 チェチェン・イングーシ自治共和国ペルヴォマイスキー地区ペルヴォマイスコエ村生まれ。大祖国戦争中にチェチェン人が「ドイツ軍との協力」の汚名を着せられ、スターリンの命令によって民族全体が父祖伝来の地を追われた、まさにその年に生まれ、ドゥダエフ一家もカザフスタンに追放される。タンボフ高等軍事航空学校及びガガーリン(名称)空軍大学を卒業。ソ連軍での最初のチェチェン人将軍(後に退役航空兵少将)。66年から重爆撃機連隊の副機長・右操縦士、69〜76年重爆撃機連隊長、76〜78年重爆撃機連隊長代理、78〜79年重爆撃機連隊参謀長兼連隊長代理、79〜80年重爆撃機連隊特別編成部隊長、80〜82年重爆撃機連隊長、82〜87年重爆撃機師団(戦略航空師団)参謀長兼師団長代理。87〜90年エストニア駐屯重爆撃機師団長、タルトゥ守備隊長官。エストニア独立闘争が始まったとき、エストニアのテレビ局と国会を包囲せよとの命令の遂行を拒否、自分の師団とともにチェチェン・イングーシ自治共和国の首都グローズヌィに移される。90年退役。90年11月チェチェン人全民族大会設立会議で同大会議長に選ばれ、地元の共産主義者(ザヴガエフ最高会議議長ら)に対立する姿勢を鮮明化させる。91年9月、同年8月のモスクワでのクーデターの企てを支持した最高会議を実力で解散させ、「アッラーと民族の名において」政権を奪取。91年10月30日、チェチェン共和国大統領に選出され(得票率85%)、就任。同年11月、同共和国の主権国家(独立)を宣言。94年12月のロシア軍チェチェン進攻、96年1月のロシア軍による大統領府制圧後も、独立を求めて対ロ武力抵抗を指導した。95年10月27日に予定されていた「チェチェン共和国大統領選挙」を延期してドゥダエフ大統領の任期を延長することが決定される。68〜91年ソ連共産党員。フリースタイル・レスリングの「スポーツマスター」。妻アレフチナさんはロシア人、2男1女。96年4月21日から22日のロケット攻撃を受けて死亡。


トゥチコフ:Тучков
イーゴリ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦原子力省次官。


ドゥデンコフ:Дуденов
Б、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 住民社会保護省第1次官をつとめる。


ドゥドニク:Дудник
セルゲイ、А.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 94年1月、ナホトカ市行政府自由経済地区執行委員会議長就任。ナホトカ選管区。95年1月沿海地方議会代議員に選出される。97年12月7日に実施された同地方議会選挙に2期目の当選を目指して立候補し、再選。同地方議会議長に選出され、ナホトカ行政府執行委員会議長職は解任。98年1月ロシア連邦憲法規定により連邦議会上院議員に認定。


ドゥナエフ:Дунаев
アンドレイ、Ф.
生年月日 1939.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 91年9月〜92年1月、内相をつとめる。92年4月18日、内務省第1次官(犯罪取締担当)に就任(93年7月23日解任)。


ドゥビニン:Дубинин
セルゲイ、К.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 73年モスクワ国立大学卒。同大学経済学部助教授を経て91〜92年ロシア大統領府勤務。CIS加盟諸国との経済協力国家委員会副議長。93年3月財務省第1次官。94年1月、蔵相代行。同年10月11日の「ブラック・チューズデー」(ルーブル大暴落)の翌日解任。95年11月22日、中央銀行総裁に就任。同年12月ロシア対外貿易銀行理事長に選出。96年2月、「CIS国家間通貨委員会」議長に任命される。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。98年9月7日、大統領への書簡で中央銀行総裁からの解任を要請。辞任の理由として、銀行関係の重要法令の採択を棚上げしている下院の態度を指摘。また、ルーブルの事実上の切り下げと一部対外債務の支払い猶予に結びついたロシア金融危機を中央銀行の力で阻止する可能性が尽きていた事実を認める。


ドゥビニン:Дубинин
ユーリー、В.
生年月日 1930.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年12月23日、外務次官に就任。96年6月1日、ウクライナ駐在大使に任命される。


ドゥビニン:Дубинин
ニコライ、Н.
生年月日 1928.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 50年代初めにウラジオストック国立教育大学卒業。中等学校で物理の講師として働き始める。50年代末に極東国立大学先任講師の職に移る。61〜91年ウラジオストックの寄宿制学校校長をつとめる。多年党kraikomのメンバーであり、管理委員会で働いた。様々なソビエトの代議員に選出され、沿海地方ソビエト社会公正委員会で積極的に活動する。ウラジオストック名誉市民。国内に広く知られた教育改新者であり、沿海地方の世論に常に著しい影響を与えてきた。93年半ばから沿海地方行政府最高指導部支援に断固とした態度をとっている。現在、沿海地方行政府委員会議長。


ドゥビニン:Дубинин
ワレンチン、С.
生年月日 1946.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 60年代末沿海地方農業大学機械学部卒業(在ウスリースク)。85年以前に通信教育で党高等学校卒業(在ハバロフスク)。大学卒業後約2年間チェルニゴフカ村のバター工場で機械技師、支配人として働く。71年入党し、コムソモールおよび党の仕事に移る。75年までコムソモールraikomの書記をつとめ、党活動のため沿海地方に移る。81年党raikom第2書記となる。83年チェルニゴフカ地区執行委員会議長に選出される。85年党raikom第1書記になる。90年アヌーチンスキー地区ソビエト執行委員会議長に選出される。91年からアヌーチンスキー地区行政府長官。93年沿海地方行政府副長官(現副知事)。後に同地方知事代行、第1副知事。


トゥブイロフ:Тубылов
ワレンチン、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ウドムルド共和国最高会議議長をつとめる。


トゥフノフ:Туснов
В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦化学・石油精製工業委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、産業省に統合され、廃止。


ドゥブロヴィン:Дубровин
ゲンナディー、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦土地資源・土地開発委員会副議長を務める。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更されるが、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。


ドゥブロヴォ:Дуброво
イーゴリ、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア中央銀行副総裁を務める。


トゥマノフ:Туманов
ウラジスラフ、Н.
生年月日 1958.01.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 83〜90年プスコフ歯車工場法務部に法律顧問として勤務。法務部長をつとめる。90〜92年全ソ連法律会社「コントラクト」北西センター副支配人、プスコフ市行政第1副長官。92年5月22日、プスコフ州行政長官に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選(得票率44.46%)。連邦会議憲法・司法問題委員会委員。ロシアの選択メンバー。96年11月、プスコフ州知事選挙第2回決選投票で、自民党所属のミハイロフ下院議員に敗れ(得票率37%)、落選。同年12月、民族問題・連邦関係省第1次官に就任(同省は、後に地域・民族政策省に改称)。同省は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


トゥマノフ:Туманов
ウラジーミル、А.
生年月日 1926.10.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 憲法裁判所長官。ロシア新憲法草案の作成にも参加。93年12月選挙で国家会議代議員に当選。35年間ロシア科学アカデミー国家・法律研究所研究者として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議立法・司法改革委員会委員。94年10月からロシア連邦憲法裁判所裁判官、95年2月13日からロシア憲法裁判所長官。


トゥマノフ:Туманов
アレクサンドル、В
生年月日 1938.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年11月30日、政府付属連邦特殊建設局長に就任。


トゥマノフ:Туманов
ヴィクトル、П.
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 68年極東国立大学文学部英語科卒業。連合「ダリルイバ」で通訳として働き始める。72〜76年海外出張でバングラデシュ共和国にソ連漁船局員として滞在。その後ウラジオストックの元の職場に戻り、78年太平洋漁業海洋学研究所に科学技術情報部長として転勤。その後国際漁業研究実験室長となる。90年沿海地方執行委員会対外経済関係部長に任命される。93年オランダ商業銀行ウラジオストック代表部管理職の仕事に転勤。


トゥメーエフ:Тумеев
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 沿海地方行政副長官をつとめる。


ドゥリャーギン:Дурягин
イワン、Н.
生年月日 1953.12.10
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア鉱山冶金労組イルクーツク州委員会副議長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議経済政策委員会メンバー。


トゥルーシン:Турусин
アナトリー、А.
生年月日 1939.05.08
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 90年3月17日よりロシア共和国人民代議員。当選当時はニジュネウジンスク地区執行委員会議長。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ニジュネウジンスク地区行政長官として働く。ロシア農業党会派のメンバー。第1期及び第2期国家会議天然資源・自然利用委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア農業党の推薦を受けイルクーツク州トゥルン選挙区から当選。


トゥルキノフ:Туркинов
А
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カバルダ・バルカル共和国副首相をつとめる。


トゥルバノフ:Турбанов
アレクサンドル、В.
生年月日 1950.01.31
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。株式銀行法務局長として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。96年1月、ロシア中央銀行副総裁就任。


トゥルビナ:Турбина
カピトリナ、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦保険活動監督機関副長官を務める。同機関は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。


トゥルビン:Турбин
ヴィタリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月18日、内務省次官に就任。


トゥレーエフ:Тулеев
アマンゲリドイ、М.
生年月日 1944.03.13
性別
国籍 カザフ人
学歴 大学卒
考察 トルクメニスタンのクラスノヴォツク市生まれ。妻と息子2人。チホレツク中等鉄道専門学校、ノヴォシビルスク鉄道運輸技師大学(通信教育)、ソ連共産党中央委員会付属社会科学大学で学ぶ。64〜78年西シベリア鉄道勤務。当直助役として働きはじめ駅長になる。78〜85年ケメロヴォ鉄道ノヴォクズネツク支部長、85〜88年ケメロヴォ州obkom課長を経て、88〜90年ケメロヴォ鉄道管区長官をつとめる。90年4月からケメロヴォ州人民代議員ソビエト議長。89年のソ連人民代議員選挙では落選したが、1年後にロシア共和国人民代議員に当選。91年4月、人民代議員大会ケメロヴォ州支部議長に就任。91年6月ロシア大統領選に出馬したが、落選(得票率は6.81%で4位)。91年8月のクーデター事件ではクーデター首謀者を公然と支持し、93年10月のモスクワ騒乱では最高会議派を支持。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。93年12月選挙でケメロヴォ州選挙区から連邦会議代議員に当選。連邦会議予算委員会委員。94年4月から再びケメロヴォ州議会議長。ロシア連邦共産党のリーダーの1人で、95年12月の下院選挙では比例区で第2期下院に選出されたが、辞退。第2期連邦会議安全保障・国防問題委員会委員。共産党に席はないが、左派の「人民・愛国同盟」の共同議長を務める。96年6月の連邦大統領選挙に立候補したが、予定通り投票直前にジュガノフ支持を表明して出馬を取り下げた。96年8月22日、連邦対独立国家共同体加盟諸国協力相に就任。ロシア政府政令No.1051(96.9.9)により政府業務委員会メンバーに任命される。「人民に権力を」ブロック代表。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(アルゼンチン、ブラジル担当)に任命される。同年6月、10月29日実施のケメロヴォ州行政長官選挙に立候補を表明。97年7月1日付けで邦対独立国家共同体加盟諸国協力相を解任。97年7月1日大統領令によりケメロヴォ州行政長官に任命(しかし、上院は、同年10月に同州知事選挙が行われ、結果が判明するまで上院議員資格確認を行わないことを決定)。同大統領令によって、同年10月19日、同州において実施された知事選におい


ドヴレチェンスキー:Двуреченский
ワジム、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 燃料・エネルギー省次官を努める。96年7月16日死去。


ドエフ:Доев
カズベク、М.
生年月日 1940.09.15
性別
国籍 オセット人
学歴 大学卒
考察 ロシア共和国連合独立労組ブロック調整委員会議長。63年大卒後、建築技術者として企業につとめる。66年入党。コムソモールobkom、gorkomなどの要職を歴任し、地方執行委員会第1副議長などもつとめる。80年よりobkom建設部長となり、党中央委員会の高等教育機関に学ぶ。88年より地方労働組合会議議長。最高会議代議員にも選出される。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


ドガエフ:Догаев
アンドレイ、Ю.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年12月、対外経済関係省次官に就任。95年4月、同職解任。


ドガジン:Догадин
オレグ、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年12月12日、連邦特殊建設局副局長に就任。


トカチェフ:Ткачев
アレクサンドル、Н.
生年月日 1960.12.23
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「アグロコンプレクス」社長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、クラスノダール地方チホレツク選挙区から当選。農業党会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


トカチェンコ:Ткаченко
エヴゲニー、В.
生年月日 1935.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1教育次官を経て、92年12月、ロシア連邦教育大臣に就任。


トカチョフ:Ткачев
アナトリー、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月〜94年1月民間防衛・緊急事態・自然災害処理国家委員会副議長をつとめる(民間防衛・緊急対策局長)。中将。同委員会は、94年1月10日付大統領令(第66号)により、連邦省に改組される。


トカリョワ:Токарева
タマーラ、П.
生年月日 1940.02.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。スヴェルドロフスク州ソビエト土地委員会議長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議農業問題委員会委員。


トクレンコ:Токуленко
ゲンナディー、Г.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 71年極東漁業大学航海学部卒業。87年通信教育でハバロフスク党高等学校卒業。炭坑夫として働き始める。大学卒業後漁業・供給船隊の船で機関士として働く。75年から陸にあがり、連合「ダリルィバ」船隊の技術・操業部で技師として、ウラジオストック海洋漁港で集団機関士として働く。77年から党の仕事に移り、raikom組織部長をつとめる。83〜85年kraikom党活動組織指導員、トロール・冷蔵船隊基地党委員会書記。85〜87年党raikom第2書記。87年からペルヴァマイスキー地区執行委員会議長。91年から沿海地方行政府国家財産管理委員会議長、沿海地方副知事。後に同地方第1副知事。


ドシュカエフ:Дошкаев
ムサ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、チェチェン共和国第1副首相に就任。同年10月23日、共和国大統領令により解任。


ドスタリ:Досталь
ウラジーミル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年12月、連邦映画委員会副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。


トチーエフ:Тотиев
セルゲイ、А.
生年月日 1951.10.02
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 北オセチア共和国大統領府・政府官房顧問。ロシア連邦共産党中央委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党より比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議観光・スポーツ委員会委員。


トツキー:
コンスタンチン
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 大将。北西国境管区司令官、連邦国境警備局アカデミー学長を歴任し、98年9月16日、ロシア連邦国境警備局長官に任命。


ドネプロフ:Днепрое
エドゥアルド、Д.
生年月日 1936.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 67年から研究機関に勤務。90年7月14日ロシア連邦最高会議決定により、教育大臣に任命。同時に教育イノベーション・センター所長もつとめる。92年11月3日の大統領令により大統領顧問(教育と人文科学改革分野の国家政策担当)に任命、93年12月17日解任。


ドブジンスキー:Добжинский
ダニイル、П.
生年月日 1947.09.19
性別
国籍 ポーランド人
学歴 博士候補
考察 工場で働きながら大学で学び、建築の専門技術者となる。後に大学に戻り、助教授、学部長をつとめる。無党派。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議建設・建築・公共住宅事業委員会書記。


ドブロヴォリスカヤ:Добровольская
マリーナ、К.
生年月日 1960.08.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。講師、ロシア連邦海軍艦隊司令部長補佐。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議国防委員会委員。


トポルコフ:Топорков
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 90年3月4日からロシア共和国人民代議員。新聞「ソヴィエツカヤ・ロシア」通信員。ロシア共産党中央委員会メンバー。選挙時はリペツク州ソヴィエト執行委員会議長。91年8月14日リペツク州党第1書記。ロシア共産主義者(ロシアの統一)<救国戦線>会派所属。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、リペツク州エレツク選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議情報政策・通信委員会委員。


トポロフ:Топоров
ウラジーミル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国防省次官を努める。96年3月22日付大統領令により上級大将。


トマロワ:Томарова
エレーナ、Г.
生年月日 1941
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年3月のハバロフスク議会選挙に立候補し当選。「ダルネヴォストチュナヤ」編集長。


ドミトリエフ:Дмитриев
ミハイル、Э.
生年月日 1961.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年9月まで最高会議共和国関係・地域政策問題および協力委員会副議長をつとめる。


ドミトリエフ:Дмитриев
アレクサンドル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦核・放射能安全監督機関副長官を務める。


ドミトリエワ:Дмитриева
オクサナ、Г.
生年月日 1958.04.03
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 レニングラード(現サンクトペテルブルグ)出身。夫と息子1人。80年レニングラード財政経済大学卒。80〜93年、同大学でエコノミスト、上級研究員、研究室長として勤務。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。「ヤブロコ」会派所属。第1期及び第2期国家会議予算・税金・銀行・財産委員会委員(予算システム・予算外基金小委員会議長)。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。96年1月より下院予算・税金・銀行・財政委員会委員(予算・予算外基金・対連邦予算相互関係小委員会議長)。98年4月30日付で労働・社会発展相に任命。下院議員辞任。「ヤブロコ」会派は下院のキリエンコ首相承認審議の際には最後まで反対姿勢をとったので、閣僚任命は下院で「ヤブロコ」を取り込む議会対策の一環と見られる。ヤブロコ会派の規約により、同会派のメンバーはその方針に一致しない政府に入閣することが禁止されており、同氏は同会派から除名。


ドミトリエワ:Дмитриева
タチヤーナ、Б.
生年月日 1951.12.21
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 イワノヴォ州生まれ。75年イワノヴォ国立医療大学卒。教授の資格をもつ。モスクワに移って司法精神医学研究所に入る。90年より国立社会・司法精神医学研究センター所長。保健省参与会委員。医学博士。96年8月22日、連邦保健相に就任。97年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(ベルギー、トルコ担当)に任命される。同年8月からロシア連邦安全保障評議会国民保健省庁間非常任委員会議長をつとめる。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。


トムチン:Томчин
グリゴリー、А.
生年月日 1947.12.04
性別
国籍 ユダヤ人
学歴 大学卒
考察 93年12月国家会議代議員に当選。サンクトペテルブルグ市役所民営化局長および市資産管理委員会副議長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議財政・民営化・経済活動委員会委員。


トムトソフ:Томтосов
アレクセイ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年9月、民族問題・連邦関係省次官に就任(同省は、後に地域・民族政策省に改称)。同省は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


トラヴニコフ:Травников
ワシリー、Н.
生年月日 1936.09.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ロシア最高会議議長の内務省問題担当専門アドバイザー。ソ連内務省付属アカデミーを卒業。地方執行委員会内務保安部長。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。党員であったが、91年離党。93年9月まで最高会議適法性・法秩序・犯罪対策問題委員会小委員会議長。最高会議議長顧問。


ドラガノフ:Драганов
ワレリー、Г.
生年月日 1957.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年3月2日、大統領直属ロシア連邦の経済的諸権利の保護委員会副議長に就任。税関国家委員会副議長を経て、98年5月8日、税関国家委員会議長に任命。


ドラジニュク:Дражнюк
アレクサンドル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦測地・地図作成機関副長官をつとめる。98年4月30日付で連邦測地・地図政策局は新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に併合される。


トラスポフ:Траспов
アレクサンドル、М.
生年月日 1956.04.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。市法律相談所の弁護士、共和国間弁護士会所属弁護士として働く。「12月12日連合」グループのメンバー。国家会議立法・司法改革委員会委員。


トラフキン:Травкин
ニコライ、И.
生年月日 1946.03.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワ州ノヴォニコリスコエ村生まれ。母親は教師、父親は共産党活動家。妻と息子2人。クリン建設中等専門学校、コロメンスキー教育大学物理・数学部(通信教育)及びソ連共産党中央委員会付属高等党学校を修了。農村の学校の教師として勤労生活を始め、兵役終了後は建設畑で鉈楽。作業班長、現場監督、移動機械化作業隊長、建設トラスト長、モスクワ州ソビエト執行委員会直属モスクワ州建設総局農村建設トラスト支配人を経て、地域建設合同長兼モスクワ州建設総局第1次長(87〜89年)、モスクワ州建設総局国家建設生産合同長(88〜89年)。91年からモスクワ州シャホフスコイ地区行政長官。92年から自営農業発展財団総裁。89〜92年1月ソ連人民代議員、89〜91年人民代議員ソビエトの活動及び自主管理発展の問題を検討するロシア最高会議委員会議長。70〜90年ソ連共産党員(90年3月離党)。同党離党以前に同党内の「民主綱領」派に加わり、そのリーダーとなる。88年「民主ロシア」設立。90年からロシア民主党党首。93年12月に国家会議代議員に当選。94年5月から連邦無任所相。議会内会派「ロシア民主党」党首(94年12月7日辞任)。94年12月民主党党首の座を追われ、95年1月脱党宣言。95年12月の下院議員選挙に選挙連合「我が家ロシア」から出馬し、比例区当選。我が家ロシア会派所属。議員就任に伴って96年1月10日無任所相解任。第2期国家会議地方自治問題委員会委員。98年5月、「我が家ロシア」会派から離脱し、「ヤブロコ」会派に移籍。


トリャニク:Торяник
イワン、И.
生年月日 1935.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 54年中等教育学校卒業。63年コムソモリスキー・ナ・アムール教育大学通信教育部卒業。54年沿海地方農村部で教師として働き始める。コムソモールraikom書記をつとめ、59年村の8年制学校長に任命された。63年ソフホーズ党委員会書記に選出される。65〜69年党ミハイロフスキー地区raikom書記として働く。69〜71年モスクワの党中央委員会付属高等学校に学ぶ。卒業後、raikom第2書記、74年からミハイロフスキー地区執行委員会議長。81年沿海地方執行委員会社会保障部長になる。91年から沿海地方行政府住民の社会的保護局長をつとめる。


トリャニク:Торяник
ボリス、А.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 オムスク農業大学耕地整理学部を卒業。ヤクーチアで耕地整理技師として働く。ヤクーチア耕地整理局長。82年から極東に移る。極東国立耕地整理計画研究所技術者主任として働く。90年地方土地計画委員会議長に任命。現在は、ハバロフスク地方土地資源及び耕地整理委員会議長。この委員会は、園芸、野菜栽培、個人の副業経営、及び農業経営のための土地の分配に携わり、ハバロフスク地方の土地台帳を作成している。政治的意見は中道主義者。


トルカチョフ:Толкачев
ミハイル、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 環境・天然資源保護省次官を努める。


ドルグシキン:Долгушкин
ニコライ、К.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年6月、農業・食料省次官に就任。


ドルゴフ:Долгов
ワレリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年7月5日、住民社会保護省次官に就任。


ドルゴポロフ:Долгополов
アナトリー、А.
生年月日 1952.09.05
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。将校予備、教師、市野戦隊長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議地方自治委員会委員。国家会議代議員資格審査委員会委員。国家会議安全保障委員会直属緊急時社会動向会議議長。


ドルゴラプテフ:Долголаптев
アナトリー、В.
生年月日 1949.06.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 バウマン(名称)モスクワ工業大学卒業。67年から交通機関労働者として働く。75〜90年採鉱大学の技師、研究員をへて実験室長をつとめる。91〜94年モスクワ州行政第1副長官。91年8月のクーデターでは「国家非常事態委員会」に反対。91年11月からモスクワ州行政府第1副長官(州の長期的発展、軍民転換、教育と文化の発展を担当)。93年12月12日上院選挙で選挙団体「安定、公正、進歩のための市民同盟」の支持を受けて第50モスクワ選挙区から立候補し当選。93年1月「全ロシア刷新同盟」党共同議長。12のロシア中部諸州・地域を結集する「中央ロシア」連盟議長。94年10月25日、上院副議長に就任。「強力な議会」を主張し、中道派を自任。通貨主義と「ショック療法」に反対。95年4月に設立されたロシア統一産業党の副議長。95年12月の第2期下院選挙にモスクワ州の1人区から出馬して落選。91年8月までソ連共産党員。妻と子供2人。


ドルジエフ:Доржиев
ウラジーミル、П.
生年月日 1934.12.20
性別
国籍 カルムク人
学歴 博士候補
考察 民族会議民族・国家機構および民族間関係委員会副議長。農業大学卒業後、教職を経て、国営農場の主任技術者。raikom書記から、カルムク共和国農業相となる。助教授。80年代後半は、研究所長をつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


トルシニコフ:Трушников
アレクサンドル、Х.
生年月日 1948.11.15
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。ロシアジャーナリスト連合メンバー。国立テレビラジオ放送会社政治評論家として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議情報政策・通信委員会委員。


トルシニコフ:Трушников
ワレリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年11月10日、スヴェルドロフスク州行政長官代行に任命される。94年1月、同職解任。


トルシン:Торшин
アレクサンドル、П.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年5月22日、政府官房副長官に就任。同年7月6日、連邦下院における連邦政府代理人に任命。


トルストイ:Толстой
ミハイル、Н.
生年月日 1917.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月1日、政府付属在外ロシア人問題委員会議長。93年3月16日、最高会議幹部会ロシアの国境外委員会問題委員会議長に就任。


トルストシェイン:Толстошеин
コンスタンチン、Б.
生年月日 1952.03.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大卒。70年代半ばDBPIを卒業。企業合同に勤務。80年から共産党員。80年代半ばモスクワ行政・幹部養成大学卒業。専門は管理職。81年にウラジオストックのペルヴォレチェンスク地区ソビエト代議員に選出される。90年から同地区ソビエト議長に選出され、後に同地区行政長官に任命される。93年ウラジオストク市行政長官(市長)選を積極的に戦ったが、投票参加者の1.9パーセントの票を獲得し、第1段階で敗北した。チェレプコヴ氏の市長就任と同時に沿海地方行政府産業委員会議長に任命された(94年2月)。94年始めに沿海地方行政府からチェレプコヴ氏が解任されて後、ウラジオストク行政府長官に任ぜられ、事実上市長となった。トルストシェインは、現在の行政府は、かつての行政府と違って、状況の分析を行おうとしている、と考えている。また前沿海地方議会議長レベジネツを厳しく批判している。航空会社「オリエント・アヴィア」社長。97年より沿海地方第1副知事。98年3月、同地方知事決定により、第1副知事に追加権限が与えらられ、体育・スポーツ問題を監督することになる。


ドルバジェフ:Друбажев
ウラジーミル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年11月、内務次官に就任。


トルビン:Торбин
セルゲイ、А.
生年月日 1944.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 81年ハバロフスク党高等学校ジャーナリズム部を卒業。76年から81年新聞「極東の青年」の編集者として働く。81年から91年新聞「太平洋の星」の副編集長。91年から同新聞編集長。この新聞は、ハバロフスク地方でもっとも人気のある刊行物であり、国や地方の出来事の評価において、客観性があり優れている。彼は、ロシアは危機的状況にあり、長引く苦境から抜け出す道はまだ見つかっていない、と考えている。


トルブニコフ:Трубников
ヴャチェスラフ、И.
生年月日 1944.04.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 イルクーツク市生まれ。妻と1男(死亡)1女。67年、モスクワ国立国際関係大学卒。東方諸国に関する専門家。英語とヒンドゥー語に堪能。叙勲歴あり。ソ連国家保安委員会(KGB)第1総局(対外諜報)に勤務し、71〜77年、ノーボスチ通信社記者を隠れ蓑にインドに駐在した。73年からジャーナリスト同盟メンバー。77〜84年、対外情報機関勤務。80年、南アジア諸国局局長。84〜90年、バングラデシュとインドに赴任し、ネパールやパキスタンにも出張。92年1月、対外情報機関(現対外情報局)第1副長官を経て、96年1月より同対外情報局長官。同年2月7日、安全保障評議会非常任メンバーに就任。同年7月25日設立されたロシア連邦国防評議会メンバーになる。94年から大将。96年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長メンバー。98年1月、上級大将に昇任。


トルボーエフ:Толбоев
マゴメド、О.
生年月日 1951.01.20
性別
国籍 その他
学歴 博士候補
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に選出され、94年1月に下院工業・建設・運輸・エネルギー委員会副議長となる。小選挙区から選出される。「新地域政策」グループのメンバー。航空研究所宇宙飛行テストパイロット隊副隊長として働く。


トルホフ:Торхов
ゲオルギー、Г.
生年月日 1938
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 企業「ヴェリンスコエ」の企業長。94年3月のハバロフスク地方議会選挙に立候補し当選。


トルマチョフ:Толмачев
ウラジーミル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 イワノヴォ州におけるロシア大統領代理人をつとめる。


ドルマトフ:
ワレリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ニコラエフスク合同航空隊司令官。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙に立候補し、得票率58.4%で当選。


トルロポフ:Торлопов
ウラジーミル、А.
生年月日 1949.11.14
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 71年から72年教師として働く。72年から73年兵役につく。73年から74年教師。74年から80年コミ州労働組合会議指導員。80年から81年コミ州労働組合映画評議会議長。81年から86年官庁職員労働組合コミobkom議長。86年から88年レニングラード党高等学校聴講生。88年から89年コミobkom党組織活動部指導員。89年から90年コミ州党組織人事活動部幹部。90年1月コミ州労働組合議長。後にコミ共和国立法会議議長。96年2月、上院社会政策問題委員会議長に就任。コミ共和国国家評議会議長。第2期ロシア上院議員。


トレウジ:Тлеуж
アダム、Х.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 アドィゲヤ共和国最高会議議長をつとめる。


トレチャク:Третяк
ボリス、Н.
生年月日 1938.02.12
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。「サハリン地質調査」トラスト責任者として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。


トレチヤコフ:Третьяков
アレクサンドル、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年8月22日、連邦土地・農業改革センター副長官・事務局長に就任。


トレハス:Тлехас
ムグディン、С.
生年月日 1941.07.20
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 59年より集団農場で働く。65年農業大学を卒業し、主任エコノミストとして集団農場に戻る。後に、地方執行委員会計画委員会議長、農産物品質穀物調達国家監視員、地域農業部長、地方施行委員会副議長などをつとめる。74〜80年raikom第1書記、80〜91年地方執行委員会議長、91年以降地方閣僚会議議長などの要職を歴任。raikom、obkomなど党機関でも働き、地方代議員経験もある。85年ロシア共和国最高会議代議員になる。アドィゲヤ共和国首相。91年7月、第5回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。


トローシン:Трошин
アレクサンドル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 安全保障評議会副書記を務める。96年6月25日、同職解任。


ドローニン:Доронин
ウラジーミル、В.
生年月日 1954.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 中等学校を卒業後、軍隊及びソビエト内務省勤務。79年までイルクーツク州人民代議員執行委員会局長を務める。79年から85年オリンピック予備専門学校長、民間スポーツ団体副議長、極東地区軍スポーツクラブ主任トレーナーを務める。88年独立採算性合同「極東」を創立し、総裁を務める。現在は「極東」のグループ幹部会議長。80年から86年全ソ連民間スポーツ団体会議幹部会メンバー。88年から現在まで赤十字地域委員会幹部会副議長。


ドロコフ:Дроков
スタニスラフ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年3月31日、タンボフ州におけるロシア大統領代理人に就任。96年11月、同職解任。


ドロシェンコ:Дорошенко
ヴィクトル、А.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 60年代初頭ハバロフスキー工業大学卒業。専攻は木材加工設備機械技師。サハリン州ポロナイスク市で製材作業班の熟練工として働き始める。はやくも1年後に木材加工コンビナートに技師長として転職する。68年から沿海地方でウッスリースク木材加工コンビナート技師長として働き始める。71〜83年連合「プリモルスクドレフ」技師長、その後、同連合総支配人。85年連合「プリモルスクレスプロム」に技師長として転職。88年第1副総支配人になる。90年から「プリモルスクレスプロム」総支配人。同連合は最近株式会社になった。自分は確固とした信念をもった共産党員であったが、様々な事件が「多くの点で自分の政治的見解を変えた」、「与えられた自由を出世のために利用しようとするのは偽りの民主主義である」、と彼は考えている。


トロシキン:Трошкин
ガリーナ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハカシヤ共和国副首相をつとめる。


ドロズドフ:Дроздов
ニコライ、У.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 対外経済関係省次官をつとめる。97年8月13日、対外経済関係・貿易省次官・大臣官房長官に就任。同省は、98年4月30日付で廃省され、経済省の一部機能を加えて新たに産業・貿易省を新設。


トロピン:Тропин
ニコライ、М.
生年月日 1951.01.26
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に当選。市法律相談所の弁護士、チュメニ市弁護士会会員として働く。ロシア民主党会派のメンバー。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。


トロピン:Тропин
セルゲイ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年2月、司法省次官をつとめる。


トロフィモフ:Трофимов
アナトリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦保安局副長官(モスクワ市・州担当)を務めるが、97年2月20日、会計検査院の検査で摘発された著しい違反や職務怠慢のため解任される。


ドロフェーエフ:Дорофеев
グリゴリー、П.
生年月日 1953.10.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 74〜91年党員。軍事高等教育を受け、職業軍人となる。86年以降、党中央委員会およびソ連最高会議と関わりを持つ。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


ドロフスキフ:Доровских
アンドレイ、М.
生年月日 1965.05.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。民間企業長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議環境委員会委員。


トロポフ:Торопов
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カリニングラード州第1行政副長官をつとめる。


トロポフ:Торопов
アレクサンドル、А.
生年月日 1958.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 84年極東国立大学史学部夜間部を卒業。70年代半ば中等学校卒業後沿海地方の国立古文書館で技術職員として働き始める。76〜78年ソ連軍勤務。復員後同じ古文書館で古文書専門家として、その後、沿海地方執行委員会古文書部先任監査官として働く。84〜86年沿海地方執行委員会組織指導部の指導員として、数カ月間地方執行委員会議長補佐として働く。86年地方執行委員会古文書部長に任命される。94年極東ロシア国立歴史古文書館副館長に任命される。長期間館長代理として働いており、トムスクからウラジオストックに極東に関する全ての古文書資料が送付された後に、館長に任命されるだろう。


ドロンチェンコ:
アナトリー
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 コムソモリスク・ナ・アムーレ教育大学講座主任。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙にロシア連邦共産党から立候補し、得票率28.75%で当選。


ドン:Дон
セルゲイ、Э.
生年月日 1963.03.26
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「EPIセンター」主任研究員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。「ヤブロコ」会派所属。第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会メンバー。