79年12月のソ連軍のアフガニスタン介入にいたるまでで重要な事件は、79年3月のヘラートにおける暴動および79年9月のアミンによるタラキ排除の二つの事件である。79年3月、当時のアフガンのタラキ政権に反対する動きがアフガンのヘラート市でおこった。この事件は、当時政権を握っていたアフガン人民民主党(PDPA)の統治能力に対するソ連指導部の不安を増大させた。79年3月17日から19日にかけて、ソ連指導部は政治局会議において混迷するアフガン情勢の分析を行っている。この時の政治局の議論の様子は、各政治局員の立場を描くのに有効なので、詳細に見ていきたい (5) 。
79年12月27日