ピクレルの社会理論
−19-20世紀転換期におけるブダペスト思想界の一断面−

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  1. 本稿においてはハンガリー人については姓・名の順で記す。
  2. Polnyi,
  3. p.245.
  4. Kende, Zsigmond, (Budapest, 1974), pp.110-111.
  5. "" Szocializmus IV/6 (1909-1910) pp.238-240.
  6. 1886-1964 (Budapest,1986), p.24.
  7. マッハがヤーシをはじめ、当時のハンガリーの市民急進派やガリレイ・サークル、および急進的フリーメイスンに与えた影響については (Budapest, 1960), p.30, p.312 (note 50)。
  8. Pikler, Gyula, (1905), pp.62-77. なお、ピクレルからはこの時期マッハに宛てて1905年6月12日と6月20日に書かれた二通の手紙(Das Ernst Mach Institut所蔵)が、この論稿の内容と一致する。
  9. (1905), pp.325-332.
  10. ヤーシ・オスカールのサボー・エルヴィンへ宛てた手紙(1905年5月12日)。 (Budapest,1977), p.75.ヤーシのフランス社会学との出会いについては次の論文を参照のこと。 Nagy, J.Endre,
    a Savaria university press,1993), pp.89-101.
  11. ピクレルからマッハへの書簡はDas Ernst Mach Institut所蔵。

  12. (Budapest, 1890). 英語版は Julius Pikler (=Pikler, Gyula), The Psychology of the Belief in Objective Existence - Part I, Objectiva Capable of Presentation (London: Williams and Norgate, 1890). なおここでの引用はハンガリー語版が入手不可能なため英語版による。
  13. Pikler, The Psychology of the Belief in Objective Existence, pp.5, 14, 42.
  14. Pikler, The Psychology of the Belief in Objective Existence, p.26.
  15. Pikler, Gyula, (Budapest,1892), p.39.
  16. 当時ハンガリー人研究者による法社会学的あるいは文化人類学的研究で諸外国の注目を集めたものとしては、 Pulszky, Augustus, The Theory of Law and Civil Society (London: Fisher Unwin, 1888); Pikler, Julius and Somlo, Felix, Der Ursprung des Totemismus (Berlin: K. Hoffmann, 1900) がある。
  17. Pikler, p.29.
  18. Pikler, p.32.
  19. Pikler, p.34.
  20. Pikler, p.41.
  21. Pikler, pp.49-50.
  22. Nagy, J. Endre, pp.43-49.
  23. Pikler, p.57.
  24. (Budapest, 1911), p.26. 基本的な主張は初版からまったく変わらないが、第2版は大幅な 増補改訂がなされ1902年に出版されている。第3版は1911年で一部の脚注を除いて改訂なし。なお、この時代に3版を重ねたということは、かなり長期に渡って同書が売れ続けたことを物語っている。なお、当時は次のようなピクレルの著作の解説・注釈書も出版されている。 Demeter, (Budapest, 1908).
  25. Pikler, p.178.
  26. Pikler, pp.186-187.
  27. Pikler, p.52.
  28. Pikler, p.52.
  29. Pikler, p.60.
  30. Pikler, p.65.
  31. Pikler, pp.80-81.
  32. Pikler, pp.240-241.
  33. Pikler, pp255-256.
  34. Kende, Zsigmond, p.85.
  35. 市民急進派に対する批判は、
    (前掲注7)、ピクレルを含めた「ブルジョア法学」批判は、
    (Budapest, 1980). が代表的なものである。
  36. "Die ungarische Rechtsphilosophie," Archiv Rechts- und Sozialphilosophie 24 (1930-1931), pp.52-59.ここでホルヴァートは『法の生成と発展』(前掲注25参照)よりも『法哲学序説』(前掲注16参照)に高い 評価を与えている。
  37. "Die ungarische Rechtsphilosophie," Archiv Rechts- und Sozialphilosophie 24 (1930-1931), pp.54-59.
  38. Pikler, pp.108-109.
  39. Pikler, p.112.
  40. Pikler, The first edition (1897), p.149. なお、初版以来第3版に至るまで、注釈により自身の心理・生理学的研究文献を紹介しているが、この箇所に該当する本文の記述自体はまったく変わっていない。
  41. ピクレルの心理学・生理学関係の外国語での著作は次の通り。
    The Psychology of the Belief in Objective Existance (London, 1890).
    Das Grundgesetz alles neuro-psychischen Lebens (Leipzig, 1900).
    Physik des Seellebens (Leipzig, 1901).
    Das Beharren und die des Erlebens (Stuttgart, 1907).
    Theodor Lipps' Versuch einer Theorie des Willens (Leipzig, 1908).
    Zwei dynamische Psychologie (Leipzig, 1908).
    Die biologische Funktion des (Budapest, 1909).
    Die Stelle des (Leipzig, 1910).
    Sinnesphysiologische Untersuchungen (Leipzig, 1917).
    Schriften zur Anpassungstheorie des Empfindungsvorganges, 1.-5. Heft (Leipzig, 1919 -1926).
  42. Pikler, Gyula, (1901), pp. 85-88; Julius Pikler (=Pikler, Gyula), Physik des Seellebens (Leibzig,1901), pp.13-14.
  43. Pikler, Gyula, (Budapest,1910), pp.9-11. より詳細には、 Pikler, Gyula, (Budapest, 1909).
  44. Ernst Mach, Erkenntnis und Irrutum, The 1st edition (Leipzig, 1905), pp.441-442.
  45. Pikler, pp.101-102. 同所の日本語訳は次の通り。「おそらくは―マッハも近い立場にあるというだろうが(『認識と誤謬』441、442頁)―この見解はマッハの著作が発表される以前から、そしてマッハの序文の書かれる5年も前からたびたび私ははっきりと表明してきた、と言っておいてかまわないだろう。大学の講義においてしかり、ローマのヴァイラーティ・ジョヴァンニ教授やショムロー・ボードグ、ゼムペレーン・ジェーゼー、セーケイ・アラダールその他の諸兄との対話の機会しかりである」(101-102頁、注2)。なお「制限」()についてはピクレルはドイツ語の著書、Julius Pikler (=Pikler, Gyula), Das Grundgesetz alles neuropsychischen Lebens (Leibzig, 1900), pp.8, 163-169.を参照せよという(現時点で筆者は未見)。
  46. Pikler, p.11.
  47. Pikler, pp.12-13.
  48. Pikler, p.17.
  49. Pikler, p.17.
  50. Pikler, Endre, 13/2-3 (1938), pp.64-65.「ピクレル・ジュラの感覚主義的認識論は上述の人々[ベーコン、ロック、バークレーおよびヒューム]以外では、エルンスト・マッハの心理学的認識理論(E.Mach, Analyse der Empfindungen)と疑いようのない類縁関係を示してもいる」。
  51. Pikler, Endre, p.65.
  52. Pikler, Endre, p.67. なお、その後のピクレルの研究は人間の覚醒を支える力や興奮についての詳細な心理・生理学的研究となる。
  53. R・オーキー著、越村、田中、南塚編訳『東欧近代史』勁草書房、1987年、188-189頁。
  54. 拙稿「デュルケーム=ショック―ハンガリー思想とフランス社会学―」『明治大学大学院紀要』第28集、1991年2月。
  55. Pikler, p.65; Ernst Mach,The 7th edition (Jena: Verlag von Gustav Fischer, 1918), pp.8, 220. および、エルンスト・マッハ著、須藤吾之助、廣松渉訳『感覚の分析』法政大学出版局、1971年、253頁も参照のこと。
  56. Felix,"Die neuere Ungarische Rechts- und Wirtschaftsphilosophie," Archiv Rechts- und Wirtschaftsphilosophie, vol.1 (1907/08), p.320. この間の事情については、 Nagy J. Endre, -pp. 70-73.
  57. in der Urgesellschaft, Instituts Solvay, Travaux de L'Institut de Sociologie
  58. vol. 3-4 (1987), p.335. 同所の日本語訳は次の通り。「最初に入手したのは『原始社会の財貨交通』(1909年)で、フランスの社会学者モースがこの本について註を記しています。書名は確かに今日では学問が不毛な問題提起とみなしている原始社会についてのものなのですが、その時代遅れに映る表題の背後には、支配的な功利主義的心理学に対する勇気ある深遠な批判のみならず、開拓者たるにふさわしい一連の深い考察と、そのとき以来証明されてきた先見の明までもが隠されています。マリノフスキーやトゥルンヴァルトが1920年代に発見したことは、ショムローの仮説にとうに含まれていたことなのです」(ポラーニからヤーシへ)。
  59. Marcel Mauss, Sociologie et anthropologie (Paris,1973), p.150, note (1). 同所を翻訳すると次の通り。「ショムローは『原始社会の財貨取引』でこれらの諸事実[自然経済すなわち単純な個々人による物々交換のような経済形態が存在しないこと]について優れた議論を展開し説明している。また、その著書の156頁[進物贈答]において、ショム ローは私自身がこれからとろうと思っている手段をすでにとり始めている」。モースの邦訳は、M・モース著、有地亨、伊藤昌司、山口俊夫訳『社会学と人類学I』弘文堂、1973年、229頁。
  60. p.335. 同所訳:「私は1908年にショムローのもとで、なんらこうしたことに気づかないまま学位を取得したことを永遠に恥じ入ることでしょう」。
     なおの前掲書(注6)も参照。ポラーニの1948年の書簡が発見されたからといって、そのことは必ずしも1948年以降のポラーニの仕事に対するショムローの影響をすべて否定することにはならない。その意味で、シャールカーニの主張をすべて否定することもできない。vol.4 (1977), p.520.
  61. Pikler, p.75.
  62. 前掲注8におけるピクレルからマッハへの手紙(1905年6月20日付け)。Pikler, Gyula, p.74.
  63. Pikler, Gyula, p.76.
  64. Pikler, Gyula, p.75.
  65. Michael Polanyi, Personal Knowledge, Corrected edition (Chicago: The Unversity of Chicago Press, 1962); マイケル・ポラニー著、長尾史郎訳『個人的知識』ハーベスト社、1985年。
  66. 桑名映子「ハンガリー史から見たドイツ史」『ドイツ研究-日本ドイツ学会機関誌』第20号、1995年、19-29頁。
  67. ヘルベルト・ファイグル著、藤本隆志訳「アメリカのウィーン学団」『亡命の現代史』5、みすず書房、1973年、252頁。
  68. (Leipzig, 1901); Athenaeum (1901), pp.533-549.
  69. ジョン・ルカーチ著、早稲田みか訳『ブダペストの世紀末』白水社、1991年(例えば178-179頁、187頁)、参照。