現代文芸研究のフロンティア (III) ― 目次

 

ま え が き

新世紀のロシア文芸には、いくつもの目新しい現象が見られます。 総合雑誌文化がほぼ完全に淘汰されたのと平行して、〈Ad Marginem〉〈Zakharov〉〈OLMA-PRESS〉といった出版社による企画出版が人気を博すようになりました。 複数のジャンルに挑戦する書き手たちが増えると同時に、文芸の評価装置(たとえば評論や文芸賞)のあり方もますます多様化し、相互を相対化しています。 青年団体『共に歩む』が猥褻文学追放運動を展開するいっぽうで、彼らのやり玉に挙がったソローキンらの作品が売れ行きをのばすという皮肉な現象も生じています。 書籍市場はますます多国籍化し、その中に東洋とりわけ日本文芸への関心も顕著に現れています。

そのような環境の中で、この 2 年ほどの間に小説ジャンルだけでも、タチアーナ・トルスタヤの未来小説『クィシ』、文学者アレクサンドル・チュダコーフの戦中物語『古き階に霧は宿る』、リュドミラ・ウリツカヤの 20 世紀大河小説『クコツキイのケース』、アレクサンドル・ソルジェニーツィンのユダヤ問題に関する大作評論『ともに二百年』、社会主義エロチシズム小説と言うべきミハイル・コノーノフの『裸のピオネール娘、もしくはズーコフ将軍の秘密指令』、アンドレイ・リョーフキンの『ロシア版ゴーレム』、アレクサンドル・プロハーノフの右翼版ポストモダン小説『ヘキソーゲン氏』(本書に紹介)、ヴラジーミル・ソローキンが心の解放というユートピア的メッセージを盛った『氷』等々、きわめて多様な評判作が生み出されました。 書き手たちの年代も 30 代から 80 代まで様々です。

このような事象が相互にどのように関連し、全体としてどのようなプロセスを形成しているのかということは、もちろん一義的判断の難しいことがらです。 ただ私たちはこのような個別的事象を、20 世紀末以降の体制変動に関連したロシアのアイデンティティの揺れと、世界観レベルでの自己探求といった事柄と結びつけて考えようとしています。 現代ロシア人の意識において歴史や未来に関する時間的パースペクティヴ、および国家・社会・家庭等々の場に関する空間的パースペクティヴは、どのような特徴を示しているか。 それらは、同じく世界観の流動を経験しつつあるわれわれに何を教えてくれるか――私たちの共同研究は、文学のみに限定されない表現文化の個別ケースを題材にしながら、そうした一般的問題を考えようとするものです。

本書は上記のような関心に基づいた科学研究費基盤研究 (B)(1) 『転換期ロシアの文芸における時空間意識の総合的研究』(平成 14−16 年度、課題番号 14310217、研究代表者望月哲男)の平成 14 年度中間報告の一部です。 主として平成 14 年 7 月 13 日北大スラブ研究センターで行われた同研究報告会の報告をもとにしていますが、それ以外に関連研究の成果も収録されています。 以前の共同研究からの発展で、若手研究者の参加が増えてきたことを喜んでおります。 なお本書の内容は『現代ロシア文学作品データベース』 (http://src-h.slav.hokudai.ac.jp) にも掲載されます。

スラブ研究センター      望月哲男

 


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