サハリン北東部大陸棚の石油・ガス開発と環境V

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大陸棚開発関連の危機管理体制の比較研究: ロシア、ノルウェー、日本

皆川 修吾(北海道大学スラブ研究センター)


3.日本の危機管理システム


 ここでは、日本、特に北海道をサハリン大陸棚産出原油流出の汚染被害潜在区域とみなし、油汚染防災システムに限定し、しかも資料不足もあり、概略的に捉 えることにする。従って、海洋資源開発に伴う環境行政については触れない。
 日本の高度成長期の海上輸送の増大とともに、船舶からの(とくにバラスト投棄とタンク洗浄による)油などの排出が増え、それを抑止する国内法としては海 洋汚染防止法、港則法、港湾法などがある。事故防止のための国内法としては、港則法、海上衝突予防法、海上交通安全法などがある。海洋汚染防止の包括的国 際条約として1973年の「船舶による海洋汚染の防止のための国際条約」(MARPOL条約)が締結され、1978年にはMARPOL条約議定書が締結さ れ、日本は1983年に海洋汚染防止法を改正し、同条約に加盟した(3/4, pp.131-132)。大規模油汚染事故に対応した「1990年の油汚染に対する準備、対応及び協力に関する国際条約」(OPRC条約)に1996年 10月加盟している。
 「ナホトカ」号座礁による油流出環境汚染(1997年1月)を契機に日本でも汚染時の危機管理システムを体系的にとりまとめる必要にせまられ、政府は閣 議決定として「油汚染事件への準備及び対応のための国家的な緊急時計画について」を定めた。この計画は災害対策基本法、環境基本法、海洋汚染防止法と調和 を保ち策定された(3/3, p.7)。本閣議決定は内閣の権限事項を閣議で定めた国民に対する一種の約束事項であるが、いまだ緊急時防災基本法の制定には至っていない。
 本閣議決定は海上保安庁を緊急時防災主管庁と位置付けている。関係行政機関、関係地方行政機関、地方公共団体、石油関連事業管理者、その他関係団体等と の連携協力体制を築き油汚染事故への準備及び対応に関する活動を海上保安庁を軸に一元化するよう促している。
 対応体制の整備の一環として、海上保安庁は「油汚染事故への対応を迅速かつ的確に実施するため、排出油防除計画を作成するとともに、海上における特殊な 災害に対応する特殊救難隊及び機動防除隊の育成強化を図り,船艇・航空機による24時間の出動体制を確保する。また、海上災害防止センターにおける防除措 置の実施に関する対応能力の一層の確保に務める」(3/3, 第2節)とし、即戦力体制を備えることになっている。
 油汚染事故が発生した場合、海上保安庁長官を本部長とする警戒本部を設置し、現地に管区海上保安本部長を本部長とする連絡調整本部を設置するとしてい る。ただし、大規模な被害が発生していると認められたときは、原則として運輸大臣(石油コンビナートなど特別防災区域からの油汚染事故については自治大 臣)を本部長とする災対法に基づく非常災害対策本部を設置するとある(3/3, 第3章第2節)。本閣議決定にはまた、油汚染事件に関する連絡、事故の評価、防除対策の実施の手順、野生生物や漁場保全対策などの実施、調査研究や技術開 発の推進、広報の実施などの指針が示されている。つまり、環境への影響を迅速に把握・評価するための情報の収集・共有化などについての記述がある。その 他、近隣諸国などとの協力体制の強化もうたわれている。
 本閣議決定の趣旨を踏まえ、海上保安庁長官は平成10年「北海道沿岸海域排出油防除計画」を海洋汚染防止法に基づき作成した。本計画の特徴は防除対応区 域を海域(領海内の沿岸海域)と外洋域(領海外であるが排他的経済水域内)に分けたことと、防除計画の実施を平時における対応と発災時における対応とに分 けたことである。これにより対応がより明確に示されたといえる。これまでの事例研究・調査の結果がこの計画に示されており、かなり評価できる点が多々あ る。特に、防除作業要領のなかで「防除手法には一定の型はなく、事故毎にその状況に応じ適切に決定するものである。具体的には排出油の漂流予測を行い、保 護水域あるいは沿岸への流出油の漂着あるいは汚染範囲等を推定した後、油の種類、量、拡散状況、気象・海象状況を考慮しながら必要な資材等を決定するな ど、その状況に応じた迅速かつ的確な防除処理方針を早急に決定し、対応する」(3/1, 第3編第3, p.35)としたことに異議をとなえる者はいないであろう。しかしながら、本稿の研究視点からみれば、次の点が批判の対象としてあげられる。

  1. サハリン大陸棚開発に関連した油流出を想定していない。航行する船舶の海難事故や 石油コンビナートなど特別防災区域などからの油流出を想定し、サハリン大陸棚開発油井やシャトル・タンカー、それに海底パイプラインなどからの油流出を想 定していない。
  2. 危機管理体制の機構として全責任を託された常設機関を必要とするが、警戒本部や非 常災害対策本部の設置はあくまでもアドホック機関であり、事故ごとに伝達、指揮、監督などの経験を積み上げ、継続的にこれら諸問題を検討し、改善策を打ち 出していくことができない。海上災害防止センターは常設機関であるが、権限が限定されているため柔軟性に欠け、また非常時に指揮権を有しない。
  3. 本計画は防除対策の基本的な指針であり、それへの予算措置は記されていない。1
  4. ナホトカ号災害の教訓がこれら閣議決定や防除計画に生かされているかどうか不明で ある。ナホトカ号の油流出事故発生(1月2日)から3日間経過した1月5日になって油処理剤の散布が決定され、実際に散布されたのは1月8日だった。 2 外国タンカー事故が日本の領海内で起こった場合、油防除措置義務を負うのは船主である(海防法第39条第2項)。そして、事故を起こした船主の依頼を受け た格好で海上保安庁の指導、監督下にある海上災害防止センター(本部東京)が処理にあたる。後者が船主から油防除業務を受託したのは1月5日であった。ナ ホトカ号事故の場合、領海外で起こったため船主に措置義務が発生せず、汚染対応プロセスが曖昧のまま、海上保安庁は海上保安庁法第2条の規定により、また 国際協定 3 に準拠し、防除措置をとったが、即応体制の未整備、関係諸機関間の連携不足(15以上の国家政府機関が海上保安庁と協力して作業する)や資機材の不備など の理由で重油が大量に沿岸に漂着する結果となった。制度上海上災害防止センターが、処理作業の主導権を握っているが、実務上油回収船(当時、一艘だけあっ た大型油回収船は名古屋港に係留、1月4日出港、丸4日後現場に到着)による海上に漂流する重油の回収や重機による座礁した船首部分からの重油の抜き取り 作業に重点が置かれ、海岸に漂着した重油の回収は地元自治体が設置した災害対策本部が行った。後者は油汚染対策に関する専門家やノウハウ、それに機器もな く、人海戦術に頼ったが、寒さの中での重油回収作業は極度の疲労を伴い、保護具を支給されなかった地元関係者やボランティアに死者が出た。いずれにして も、現行制度のもと、海上保安庁が石油流出事故対策で全責任を持っているとはいいがたい。
  5. 本防除計画添付資料にある排出油防除資機材などの設置状況一覧によると、重要資機 材の多くが道南・道東(主に釧路)に集中しており、大型の油回収船やオイルフェンス展張船は海上災害防止センター函館基地にあるのみである。これでは、オ ホーツク海で大規模油流出が発生した場合、事故現場への到達に長時間要し、自説「日数がたつにつれ油の拡散やムース化により、回収の効率が低下するととも に回収自体も困難になる」(3/1, 第3編第3, p.35)と矛盾している。同じ原油でも、サハリンIIピルトン・アストホスコエ井から産出する原油は軽質で、海水と混ざるとグリース化・ムース化 (emulsion)し増幅しやすく、波高が3m以上の場合、ほぼ回収不可能といわれる。ノルウェーのフィヨルドで座礁し油流出を起こした事故(前述の Mercantile Marcia号、1989年)では、流出した340トンのうち、わずか174トン分の原油を回収できたが、軽質原油であったため、実際には565トンの ムース化原油を回収することになった(2/2/4, p.213)。厳寒のオホーツク海の気象条件を配慮すれば、波浪対応流出油回収装置を持つ油回収船の配置だけでなく、既存の大型砕氷巡視船「そうや」を凌 ぐ強力な氷中航行性能をもつ次世代砕氷巡視船を竣設し(3/11)、当区域を中心に運行させる必要がある。また、夏期の油輸送タンカー事故に対応できる大 型曳航船を借り上げ、道北に常駐させておく必要もある。4
  6. オホーツク海域流氷期の油流出事故の想定が全くされておらず、海上保安庁のこの海 域での防災計画をこの時点で計り知ることはできない。公表された防災計画には船舶の破損による油流出例が4件想定されているが、いずれも現実的でない。そ もそもこのような事故は厳しい暴風時に起こるもので、波高5メートルならまだしも、想定例のような風速5メートル以下で発生することは希な方であろう。 オーホツク海における冬期の荒天時対策が緊急に必要である。5
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1 現在、通産省所管となっている「石炭並びに石油及びエネルギー需給構造高度化対策特別会計」(石特会計)のうち「石油及びエネルギー需給構造高度化勘定」 は石油税が財源となっており、予算規模も1997年度で6268億円に達している。毎年多額の不用額及び翌年繰越額を発生させていることから、財政構造の 転換を行い、この勘定の一部を運輸省との共官で石油起因の汚染対策関連の支出を賄うべきだという意見もある(3/12)。

2 毒性の少ない油処理剤の使用がある条件のもとで不可欠と判断される場合を想定し、事前許可方式を採用して小田原評定をなくし、海域での使用権限を主要機 関、ここでは海上保安庁に一任することが望ましい。ナホトカ号事故の際、農林水産省が分散処理の使用に先立って近隣の漁業組合との調整、交渉を行った。こ のような交渉は沿岸漁業区域と海中養殖区域の場合は必要とするが、流出油が深い沖合にある場合は必要性に欠ける(2/2/8, pp.54-57)。

3 According to Article 1 of the International Convention relating to Intervention on the High Seas in cases of Oil Pollution Casualties (entered into force 6 May 1975), Contracting Parties 'may take such measures on the high seas as may be necessary to prevent, mitigate or eliminate imminent danger to their coastline or related interests from pollution or threat of pollution of the sea by oil, following upon a maritime casualty or acts related to such casualty, which may reasonably be expected to result in major harmful consequences. 日本はその後、国連海洋法(1982年12月採択)に批准 (1998年)したため、日本の排他的経済水域(200カイリ)内の海洋汚染規制のための権限および義務を持つことができる。したがって、法制度上は領海 内外を問わず、国の沿岸地域に被害を及ぼす可能性があると判断した場合、海上保安庁は防除措置を施すことができるが、ここでの防除措置は更なる油流出を起 こす危険のある漂流中の事故船の曳航や油抜き取り作業も含むため、船主の委託を必要とした。しかし、海上災害防止センターが実施した船主からの委託に基づ く防除作業は、契約により船主及びP&I保険の委任を受けたサーベイヤーの指示を受け、または了解のもとで実施するため、広範囲に漂流・漂着し各 所に作業現場が拡大した場合にその都度サーベイヤーの了解を取り付けるのは時間的な遅れを生じ、またその必要性について判断の相違が生じ、スムーズな作業 が阻害される結果となった(2/2/8, p.38)。ノルウェーの場合、油流出が海洋で発生した場合、国は当初から直接間接的に防除措置に関与し、まず防除作業の行動を起こし、補償問題などは後 日解決するという考え方が根本にあり、汚染者への補償請求権利を国が保証している(2/2/8, p.89)。

4 英国では、1967年の「トーリーカニヨン号」事故で、当時日本と同様の考え方(つまり、措置義務者と措置費用の負担者とをなるべく一致させるというこ と)を持っていたため、船主の事故対策を待っていて大被害を被る経験をした。1969年、英国政府は全責任を持つことを明確にしたが、その後重大事故が多 発したため、油流出対策に全責任を負う専門機関、海洋汚染対策チーム(MPCU)が1979年に結成された。英国の商船法(1995年)により、海洋汚染 事故対策ではMPCUに責任と絶大な権限が与えられている(3/10)。船主が外国に在住する場合は困難が生ずるため、ナホトカ号事故のような場合、防除 措置の実施者と費用負担者との分離、つまり第一義的には政府の責任で防除措置を進め、後日事故原因者などに費用請求するという体制作りが必要である。損害 補償は国際条約:油濁民事責任条約(1969年)、油濁補償基金条約(1971年)、及び両条約の改正議定書(1992年)に基づいて行うことができる。 荷主による補償は、各国の石油精製会社や商社など荷主らが出資する国際油濁補償基金から支払われ、損害を被ったものは、船主および国際油濁補償基金に対し て補償請求(保証限度額222億4千万円)を行うことができる(3/12)。ナホトカ号の船主は、保険組合(英国)の船主責任相互保険に加入しており、領 海外で事故が発生したが、流出汚染区域が領海内の沿岸に及んだため海上災害防止センターが処理にあたるとともに、処理に要した費用を保険組合の日本代理店 に請求した。一方、地元漁業者らが被った漁業被害、海洋環境被害、油回収費用などについては、保険組合の日本代理店に請求し、海事鑑定人の査定を受けた後 に支払われる。ただし、賠償額が船主側の責任限度(2億6千万円)を超えたため、関係9府県が国際油濁補償基金や船主相手に請求権(請求総額69億8百万 円)の保全確認を求め、1999年11月1日福井地裁に共同提訴した(3/8, 3/13)。
フランスは1967年の「トーリーカニヨン号」汚染事故以後、海洋における国家行動という概念のもとに、関係各省が一致協力する体系的システムができあ がった。ここでは、事故や汚染の規模が局地的対応では不十分だと判断された場合、海軍軍管区長官が発動を決断し、直ちに各省連携を含めて必要部門が動員さ れ、財政面では環境省が管理する海難汚染事故緊急基金が適用されている(3/9)。

5 フランス海軍は、沖合での大型タンカー事故などに対応できる大型曳航船を計5艘借上げ、3地点に常駐させて24時間出動体制をとっている。これら曳航船は 悪天候になると事故が無くても出動し、義務ルートに近い沖合に停泊して油流出事故発生の場合迅速に現場に急行、汚染が重大化する前に対処し曳航できる仕組 み。フランス政府は年間10数億円の大型曳航船借上料を支払っている。(3/9)


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