SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese )


ロシアの法文化

森下敏男(神戸大学)

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以下は、1997年1月30日に、北海道大学スラブ研究センターのシンポジウムで報告した原稿に加筆したものである。当日法律学以外の分野の多く の方々から貴重なご指摘を頂き、狭い研究領域に閉じこもりがちの筆者としては、学際的な刺激を与えられ、望外の幸せであった。討論者の労をとられた大江氏 とは従来から論争している関係にあり、当日の討論を中心に、ここでも若干議論を深めておきたいと思う。

(1)はじめに

近年法学界において、法文化論はひとつのブームのようにみえる。比較法学会は、ここ数年比較法文化論に関連するテーマを共通シンポジウムで取り上げ てきたし、1998年には、比較法文化論そのものに正面から取り組むことになっている。このような比較法文化論の隆盛は、ソ連邦を中心とした社会主義圏の 崩壊と無関係ではない。世界を二分する資本主義法と社会主義法の対抗は、20世紀の比較法学の重要な研究対象であった。しかし社会主義法圏が消失した今、 世界の基本構図は、いくつかの文化圏の並存・対立として構成されつつあるかのようである。例えば、米国の政治学者ハンチントン教授は、東西の冷戦構造終結 後の世界の基本構図として「文明の衝突」論を提示した*1。 比較法文化論も、このような見方に呼応するものである。

ハンチントン教授によれば、世界には7または8の文明圏(ここでの「文明」は、内容的には「文化」と言い変えてもよいはずである)が存在するという (これは1998年の比較法学会でテーマとして取り上げられる比較法文化論が設定している法文化圏とだいたい対応している)。同時に同教授は、これら文明 圏が結局は西欧と非西欧に二分されると考えている。この場合ロシア(スラブ文明)は、非西欧文明圏に属することになる。ただし同教授は、「引き裂かれた国 家」(西欧と非西欧の狭間で国民の意識が分裂している国家)というカテゴリーを設け、トルコ、メキシコとともにロシアをそこに含めている。日本もあるいは ここに含まれるかと思われるが、しかし日本は「和魂洋才」というスローガンを見事に実現し、西欧文化を受容すると同時に、巧みにそれを日本的に変容するこ とによって、「引き裂かれた文化」を回避することができた。ハンチントン教授自身はそれを、「日本は西欧化することなく近代化した唯一の国」と表現してい るが、日本もまた、半分は西欧化したことを認めなければならない。非西欧諸国の近代化のためには、おそらく日本と同じように、西欧の法文化を受容すると同 時に、その社会に適合するように変容していかなければならないであろう。

このようにみてくると、ロシアの法文化について考える場合、二つのレベルでの研究が必要となってくる。まずそれは「非西欧法」の一つとして捉えなけ ればならない。この点ではロシアの法文化は、日本や発展途上の国々と共通に語るべきものを多くもっている。次に、「非西欧法」のなかにおけるロシア法文化 の特殊性が追究されなければならない。そのためには、非西欧諸国における共同体的秩序の相違が明らかにされる必要がある。しかし、以下の報告はそこまで いっていない。

(2)ロシア的法文化の概念

一般に法学者が「法文化」というとき、それは各社会のもつ法にかかわる伝統的な思考様式や行動様式を意味している(広義では、法制度全体も含むであ ろうが、ここではやや限定しておく)。ロシア的法文化、日本的法文化といった言葉は、そのような文脈で用いられるのである。しかしロシアでは、この言葉 は、違った文脈で用いられている。もともとロシアの文献では法文化という言葉は使われていなかったが、ペレストロイカ期以後、時々用いられるようになっ た。そこでは、「ロシアでは法文化が遅れている」とか、「ロシアには法文化がない」といった文脈で使われており、ロシアにはロシア独自の伝統的法文化があ る、といった意味では用いられていないのである*2。つまり 法文化とは近代西欧が生み出したものであり、ロシアがこれから導入しなければならないものとして認識されているのである。

このような意味での法文化とは、いったいどのようなものか。その主観的側面についていえば、それはわが国でその養成が法学教育の目的とされている 「リーガルマインド」に近い。人権や個人の自主性・主体性、法主体間の平等性を尊重し、社会関係を権利・義務関係として把握し、抑制・均衡とフィードバッ クのメカニズムの上に立って合理的でバランスのとれた思考と行動を行うこと、これらが法文化の中味である。後述のように、このような法文化は市場と契約関 係の発展の上に成立する。

この観点からは、ロシア独自の伝統的法文化は、むしろ「非法文化」と呼ぶべきものであった。ロシアでは、「法ニヒリズム」という言葉がよく用いられ るが、これは「非法文化」に対応する精神を示すものであり、簡単に言えば、ロシア的法文化(あるいは非法文化)とは、法ニヒリズムのことであるといってよ いであろう。

法ニヒリズムの具体的な諸相については後に示すことにして、ここではこの概念の輪郭を簡単に述べておこう。

・法の無視。ロシアでは、法に価値を認めず、軽視する風潮が強い。支配者は法を無視して恣意的に権力を揮い、他方で庶民は、上からの命令には唯々諾 々と従うふりをしつつも、内面的な規範意識は希薄で、権力の目の届かないところでは、法の網の目をくぐってしたたかに生きている。ゴーゴリの「検察官」の 世界である。法律が制定されても、それ自体は一つの努力目標にすぎず、具体的な規範性をもったものとは観念されないのである。専制権力による上からの秩序 強制は強力であるが、下では無秩序と混乱が支配している。ゲルツェンは、「ロシアでは、法律に違反することなしには生きていけない」と語ったという*3。ゴルバチョフ時代には強力な飲酒規制がなされ、酒類の入手 が困難になった時期があったが、酒の密造に必要な砂糖の消費量から計算すると、国家が酒の生産を減らしたのとちょうど同量の密造酒が作られており、国の収 入が減っただけで、酒の量は減らなかった。もっともロシア人の法ニヒリズムは、人間の良心や道徳・倫理観念の重視と裏腹の関係にあり、後述のように、そこ には積極的な側面もあることを忘れてはならない。

・法律概念の不明確さ。ロシアでは伝統的に、法治国家、権力分立の原則は確立されておらず、法律概念は明確でなかった。権力は万能で、法律を制定す る最高権力は法律より上位にあるとみなされていた。例えば、ソビエト時代の最高会議がサハロフ博士の流刑を決定したとき、根拠法はなかったが、最高権力機 関が決定すればそれが法律だとみなされた。刑事被疑者・被告人の法律の定める限度を超える勾留期間の延長も、最高会議の決定によってしばしばなされてい た。このような考え方は、ごく最近までロシア議会を支配していたのである。現在でも、死亡した議員の遺族に対する年金の支払いなどは、根拠法がないため、 個々のケースについて特別の決定を行っている(法律形式で)。また制定に手間暇のかかる法律に代わって、国家の政策を実現するために必要なときは、ウカー スなるものが公布されてきた。それは、帝政時代は皇帝の勅令を、ソビエト時代は最高会議の幹部会令を、現在は大統領令を意味している。現在でも、立法に空 白があるときは大統領令を以て法律に代えるという実務が定着している。憲法上の根拠には疑問があるが、ロシアではこれは合憲とみなされており、野党優位の 議会でさえ、それにたいしてあまり異を唱えていない*4

・「管理法」中心の法体系。ロシアでは市場経済も、私的所有制も十分には発展しなかったから、市民が自主的に制定すると同時にそれに拘束される市民 社会の内的秩序を定める法(民法のように、平等な当事者間の自律的秩序を定める法を「自治法」と呼ぶことにする)や、その上に成立する自由と権利の思想は 発展せず、上から国家秩序を定め維持するための権力の道具としての法令や刑法(権力による命令体系としての法を「管理法」と呼ぶことにする)が法体系の中 心となった。古ロシアのルースカヤ・プラウダの内容の大部分は刑法であったし、ソビエト法についても、刑法が法体系の中心的地位を占めていたといってよい (例えば、1985年選出のロシア最高裁の民事部判事は15人しかいないのに、刑事部には73人もいた)*5。一方で法の死滅状況が指摘されるが、それは前者(自治法)を指しており、他方で後者(管理法)につい ては、はうんざりする程の法の過剰現象がみられる。

・役人の横暴・愚鈍・無責任。法律は、役所がそれを具体化する訓令(ロシアでは秘密法が多かったが、特に訓令は原則として公表されない)を出したと き初めて、国家にとって機能し始める。しかし訓令は法律の精神を歪めることが多く、しかもそれを具体的に適用する末端の小役人は、法律を楯に横暴な権力を 揮う。「すべての役人は立法する」と言われるように、末端の役人は、その職務の範囲内では全能の権力者として振る舞う。大学の警備員が、学生の服装が気に 入らないと言って入構を拒んだり、店の店員が、商品があっても売ってくれなかったら(入手困難な商品だから、自分で買い占めるのである)ら、庶民はもうど うしようもない。庶民が直接接触する小役人は庶民の恨みの的となるが、それは体制にとっての安全弁でもある。権力者は庶民の不満の責任を小役人に押しつ け、庶民の味方を装って拍手喝采をうける。庶民は権力者を救済者のように感じ、投書というかたちで直訴する(ソビエト時代には、投書は、市民の政治参加の 一形態として奨励されていた。それは密告のすすめでもあり、権力にとっては情報収集の意味も大きかった)。これは帝政時代の皇帝、共産党書記長、現在の大 統領に共通する権力構造の一端を示している。エリツィン大統領は、96年の選挙運動の街頭演説で、庶民の訴えを役所が無視するという不満を聞き、「そんな ことは役人にいっても無駄だ。私にいいなさい」と答えていた。

・裁判所よりも検察機関。国家制定法が有効に機能しないことは、権力者にとっても困ったことであった。合法性の保障は本来は裁判所の機能であるが、 自治法の発展しない社会では法治主義の精神は育たず、従って司法は十分に機能しない。また管理法の貫徹という観点からは、個別紛争の訴訟による解決では、 法律を有効に機能させるには不十分であった。そこで法律の施行を上から監督するために、裁判所とは別に、多くの「監督・統制」機関がつくられることにな る。一番重要な検察監督の制度については、後述する。監督機関を監督するためにまた別の監督機関が必要となり、監督機関まで行列していると言われるような 状況であった。現在も税金の徴収のために、税務警察が創設され、それでも足りず、脱税との闘いのための非常委員会が設置されたが、これらも典型的な監督・ 統制機関である。最近モスクワ商業検査局が、市内のポルノショップの摘発を行ったという記事があったが、この種の監督機関が数多く存在するのである。

(3)法文化生成の論理

わが国(欧米諸国も同じだとは思うが)の法律学の教科書には、しばしば「社会あるところに法あり」などといった無内容な命題が書かれているが、これ ははなはだよくない。法は次元を異にするさまざまの社会関係を媒介するのであって、それらすべてを包括するような規定は必ず無内容になる。さまざまの法関 係のなかで、何が本質的で、規定的であるかを明らかにしなければならない。

ところで、人類の歴史は、マクロにみれば、「共同体」から「市民社会」へと発展してきた。社会主義は、より高次のレベルでの「共同体」の復活を意味 するはずであった。「市民社会」とは、市場経済の発展の上に成立した社会であり、法が全面的に発展するのは市民社会においてである。法は超歴史的な存在で はなく、なによりも近代市民社会の所産であり、その中心に位置するのは、自由な商品交換を媒介する契約法であり、民法である(自治法)。もちろん前近代の 「共同体」社会や社会主義社会においても、別種の法が存在する。家族法・相続法は家族「共同体」を規制する法として重要であるし、どのような社会にも犯罪 は存在するから、刑法も必要である。国家の命令体系としての行政法も存在する(管理法)。しかしこのような管理法が大量に存在するからと言って、だれも、 旧ソ連のような独裁国家を、法の発展した社会とはみなさない。管理法は法の本質を示しておらず、それは第二次的な法にすぎないのである。

市場経済 − 経済法則(経済的強制) →法則性の規範化としての実定法

(市民社会) →法則性の主観的反映としての −法文化

近代的法観念

非市場経済 − 行政規制(経済外強制) →官僚支配、命令としての法 −法文化育

(共同体) 互恵 →倫理 たず

自給自足

市場経済は一定の法則性を生み出し、かつその法則性によって支配される。市場の交換行為は、具体的には個々の市民によって担われるが、個々の市民に とっては、この法則性は経済的強制として表れ、それが規範意識を生む根拠となる。つまり市場においては等量の価値が交換されるという等価交換の法則は、そ の担い手としての市民においては、契約を媒介として等価を交換しなければならないという規範意識を生む。例えば欠陥商品(不等価商品)の売主は、正常な商 品と取り換えたり、値引きしたり、損害賠償することによって等価原則を貫かなければならない。通常それは市場経済の法則によって強制される。市場経済のも とでは、欠陥商品ばかり生産するような企業は潰れるから、生産者はおのづから欠陥商品を作らないように努力するはずであるし、また欠陥商品を売ってしまっ た場合は、必要な事後処置をとるであろう。これが経済的強制である。実際にはこの原則の違反者が生まれうるから、この経済的強制は、いわゆる瑕疵担保責任 の問題として実定法化されることになる。近代民法は、すべて瑕疵担保責任(欠陥商品の正常な商品との交換、無償修理、価格値引き、契約解除と損害賠償な ど)の規定をおいている。このような商品交換の構造が、近代的法文化の発展の基礎となるのである。

自由な商品交換は、その担い手としての自由で独立した市民を生み出す。また商品交換を行う市民は、商品に対する権利の所有者でなければならず、こう して私的所有権をはじめとする諸種の権利概念が明確になる。社会関係全体が権利・義務の関係として体系化される。商品交換は相互的であり、また商品所有者 は他の属性(民族、宗教、身分、性、年齢等)から独立して交換主体になりうるから、そこに平等原則が基礎づけられる。自由・平等の自立した法主体がここに 生まれる。

市場の自由な経済競争の発展の過程において、国家は消極的な位置づけを与えられる。国家は市民の自由な活動に介入しないよう求められ、これが市民的 自由の発展の基礎となる。市場経済の法則性の獲得(オートマティックに自己展開する近代的な資本主義経済の成立)は、自律的な市民社会の成立を意味し、そ こにおける市民は、イデオロギー的な転倒をとおして、国家に先行する「生まれながらの自由かつ平等の人間」と観念されることになる。こうして市場経済下の 市民的諸自由は、「生まれながらの人の権利」即ち人権として宣言されることになる。

同時に、人とその形成する市民社会の先行性の論理は、そこに生まれる「自治法」の国家に対する先行性の観念を生み、そこに国家もまた法に従わなけれ ばならないと言う法治国家の理念が基礎づけられる。市民社会と法治国家の二元的構成が、近代社会の基本構造となる。国家は、このような市民社会の秩序を維 持し、人権を保障するための道具にすぎない。市場経済のもとで成長してきた新興市民階級は、このような国家観対立する君主主権に国民主権を対置し、市民革 命によって自らの権力を樹立する。市場経済のもとでは、自由な経済競争によって商品の価格が決まり、今度はその価格を基準に、資本と労働力の合理的配分が 自動的に実現される。ここにみられる均衡とフィードバックの精神およびメカニズムが、権力分立論等のリベラルな権力構造原理を生み出す根拠となる。

近代市民社会は、契約法を発展させると同時に、共同体のもとで存在してきた法にも契約原理を浸透させることによって、それを近代的な法へと改編し た。国家法は、王権神授説に代り、社会「契約」論に基づいて、独立市民の自由な契約原理によって再構成されることになった。行政法も、国家と市民を対等の 当事者とする契約的関係として再編された。婚姻は、フランス革命後の1791年憲法以来、宗教的秘蹟ではなく、やはり契約とみなされた。刑法も、犯罪と刑 罰が均衡する(応報刑)と言う点で、やはり契約的な論理で貫かれた。このように近代社会においては、法体系全体が契約原理で再構成されることになるのであ る。

(4)ロシアの共同体と法文化

他方で共同体はどうか。共同体内部では分業と商品交換は存在せず、あるいは存在しても社会全体を包摂するものではない。そこでは物質的財貨は、市場 メカニズムに代わって、自給自足を別として、互恵または権力的配分の原理によって移転する*6。共同体は友愛的でも、また抑圧的でもありうる。互恵原理の発達した社会は友愛的でありうるが、腐敗社 会であるかもしれない。権力的配分が支配的な社会は抑圧的であるが、福祉的でもある。

共同体のもとでは法は発展しない。そこを支配する「互恵」の論理は倫理の世界の問題である。共同体においては、人間関係は全人格的な関係であって、 権利・義務関係という狭い枠に閉じ込めることは忌避される。そこでは、私的所有も、商品交換と契約の自由も部分的にしか発展しないから、法体系の中心を占 め、その上に法文化が開花するはずの私法は大幅に存在根拠を失う。他方で共同体の上部構造としての政治権力は、恣意的な官僚支配となりがちである。一般に 政治の手法としては、市場原理の活用と行政規制の二種がある。社会主義社会のような非市場社会では、市場が自動的に果たしてくれるはずの役割を、全面的に 行政規制が行うのであるから、行政機構は肥大化し、官僚王国となる。旧ソ連のように、官僚が商品価格を決定したり、国家が品質検査を行ったり、欠陥商品出 荷・販売罪といった犯罪類型を設けたり、市場が自動的に処理してくれるはずの問題を権力的に処理することになるのである。

非市場社会における官僚機構は、近代的な官僚組織とは質的に異なっている。後者は、市場の原理を反映し、市民と国家の対等性とフィードバックの原 則、権力機関相互間のチェック・アンド・バランスの均衡メカニズムなどによって、合法性原則のもとで合理的に機能する可能性がある。そこではむしろ、官僚 主義による過度の合理性・効率性の追求が人間性を無視すると批判される。資本主義諸国の役人も、市民に対してしばしば横暴な態度をとる。しかし資本主義社 会の企業にとって「お客様は神様」であり、客に対しては丁重な態度をとらざるを得ない。市場経済の発展した社会では、顧客に対する企業のこの態度が、人間 関係一般の基礎的構造をなしている。お役人の精神構造にもこのことは反映しないわけにはいかず、彼らといえども、非市場社会の役人に比べれば、かなりまし である。

しかし非市場社会においては、官僚機構は独立した存在であって、それを有効に規制する原理はない。そのためここでの官僚主義は、過度に恣意的で非合 理的である。そこでは官僚機構を規制するために別の官僚機構を新設するといったかたちで、ますます官僚機構が肥大化することになる。市場社会の法は、対等 な当事者の権利・義務関係の調整をとおして社会関係を正常に機能させることができる。非市場社会の法は、ロシアの法がそうであるように、当事者の「権 利」・「義務」の代わりに、役所の「統制」、「監督」、「調整」、「協力」(ロシアの法律にはこれらの言葉が頻繁に登場する)などによって上から法規範を 実現しようとする。役人はそれぞれの持ち場において万能の権力者となり、役人の恣意的な権力行使が即法律ということになる。そこでは「権利」は「権力」 取って代わられる(革命前のロシアの民法は所有権を「権力」と規定し、「親権」を「親の権利」ではなく、「親の権力」と規定していた)。非市場社会では、 共同体と専制国家の二元的構成をとりやすいことになる。そこでは自治法の貧困と、管理法の過剰という現象がみられる。そのような社会では、法の規範的性格 は希薄にならざるをえない。

ロシアには、長く農村共同体ミールが存在した。1917年のロシア革命の段階でも農民は人口の8割以上を占めていたから、農村の共同体秩序とそれに 基礎をおく農民の法意識が、ロシアの法文化を規定してきたはずである。そこでは私的所有も自由な商品交換もあまり発展しなかったから、近代的法観念が成長 する可能性は閉ざされていた。個人は共同体に埋没し、権利・義務関係の主体として把握されることはなかった。法的思考は忌避され、それに代って道徳的諸観 念が共同体の秩序を維持していた。そして共同体のミクロコスモスの上には、巨大な専制権力が支配していた。

このようなロシア社会の法文化の特質を、以下三点に絞って述べる。これらはいずれも法の意義を軽視する点で共通している。

・法的形式よりも実質的妥当性を重視する

法の支配の原則の重要な内容の一つは、形式的手続の重視ということである。特にコモンローの場合は、実体法よりも手続法が重要であり、公平な手続を 保障したうえで、後は各人が自由に権利を主張せよ、というかたちで法は発展してきた。しかしロシアでは形式よりも実質が重視される。法的安定性よりも、具 体的妥当性が大事であり、合法性よりも合目的性が優先するのである。例えば、ソビエト民事裁判では、時効の法理を適用するか否かは裁判官の裁量によった。 刑事裁判も、死刑(96年の新刑法典では終身刑も)が法定刑として規定されている犯罪の場合は、やはり裁判官の裁量による。民事上の請求権や刑事訴追権が 時効によって画一的に消滅するといった機械的な法の適用(市場経済の発展のためには、また人権尊重の立場からは、それは不可欠であるが)は嫌われ、具体的 事情に応じた判断が好まれるのである。時効制度が必要とされる理由の一つは、時間がたてば証拠が不明確になるからという点にあるから、そうだとすれば、個 々のケースにおいて、明確な証拠が残っている場合は、時効の法理を認める必要はないことになるのである。しかしこのようにケースバイケースで妥当な解決を 図るということになれば、法は無用ということになる。

ペレストロイカ以後のロシア議会の議事運営は、当初はとんちんかんなことが多かった。最近は正常になってきたが、今でも奇妙なのは、一度否決された 議案を、採択されるまで何度でも投票を繰り返す習慣である。採決手続上の問題もあって、例えば賛成299、反対0、保留2で、賛成が圧倒的に多数であって も否決となることがある。そんな場合は、議場外にいた議員を呼びにやったりして、投票をやり直すことがあるのである*7。このような場合、形式的な手続上の問題で否決されただけであって、実質的には可決されるはずのものだ という判断から、議案への反対者を含め、投票を反復することにだれも異を唱えたりはしない。他方で日本はどうか。昨年新潟県巻町の議会で、一議員が間違え て投票したため、本来敗北するはずであった原発反対派が、偶然にも勝利してしまったという出来事があった。間違って投票したとしても、もはややり直すこと はできない。この種の不合理は、法治国家ではよく起こる。行方不明になって無断欠勤を続けていた兵庫県職員を県は懲戒免職にしたが、その通知手続が正確で なかったために、最近大阪高裁はそれを無効とし、2千万円以上の退職金の支払を命じる判決を下した。それを報じたある新聞は、「あぁ法治国家」という見出 しを付けていた*8。このようなことはロシア人には理解しが たいことである。

ロシアで長く採用されていた刑事手続における実体的真実主義も、実質重視の典型的事例である。例えば拷問によって得た自白に基づいて犯行の証拠が発 見された場合、当人が真犯人である可能性は高い。しかしそのような証拠を容認していては、拷問は後を絶たない。そこで近代法の原則は、違法に収集した証拠 の排除を命じる。しかし、真実に一致している証拠物の証拠能力を否定し、結果として被告人が無罪となってしまうことは、ロシア人の法観念には合わない。

法規範よりも事実を重視するのも、ロシア人の法観念の特徴である。法は規範性が弱く、法によって新しい関係が形成されるのではなく、すでに存在する 事実を確認するのが法であるとされる。実際ロシアでは、事実が先行し、法はそれを事後承認することが多い(初期のソビエトでは、法は事実の「記録」である とする説が有力に展開されていた)。株式会社が生まれた後、株式会社法が制定され、企業の私有化が始まった後、企業私有化法が制定されるといったことであ る。

・訓令の支配

ロシアでは「法の支配」に代わって、官庁の発する下位の法令である「訓令の支配」が実現されてきた。訓令は法律の精神をしばしば歪めていた。例は無 数にあるが、ここでは先にみた等価交換を実現するための瑕疵担保責任の例をあげておこう*9。ソビエト民法にも瑕疵担保責任の規定は存在していたが、実際には、欠陥商品を買った消費者は泣き寝入 りする以外になかった(ロシア商品の質の悪さを思えば、このことはかなり大きな問題である)。なぜなら訓令がそれを妨げていたからである。部門別産業省 は、「自動車交換規則」、「テレビ交換規則」など、管轄下の商品について、それぞれ欠陥商品の交換に関する訓令を出していた。それによると、例えば、欠陥 商品の交換の請求に際して、領収書の提出が義務づけられている。これはもっとものことのようにみえる。しかしソ連の店で領収書を請求したら、店員に怒鳴り つけられたに違いない。外貨専門店などを別にして、ソ連の店では、領収書を渡す制度にはなっていなかったのである。

ゴルバチョフ時代には、「法律で禁止されていないことは許されている」というスローガンが、盛んに叫ばれていた。これは市民的自由を拡大するために 提唱されたものである。ところが、ソ連の役人たちは、この命題を、反対に、訓令の支配を正当化するものと受け取った。つまり「法律が禁止していないことは 役人が自由に決定することを許されている」と解し、市民の自由を制限するために利用したのである。例えば当時の個人営業法の実施に際して、地方のソビエト 機関は、法律の定めていない条件を勝手に申請者に課して、個人の開業を妨げたのである*10

現在では、土地の売買は許されているが、実際には、買主の資金が正当に稼いだものであることを立証しないとその登録を認めない(登録によって売買は 法的に成立する)といった実務がみられる。協議離婚は認められているが、離婚の理由を詮索してなかなか離婚の登録をしてくれないとか、離婚登録を限られた 曜日の限られた時間にしか受理しないため、なかなか離婚できないといったこともある。ザークス(戸籍係に相当する役所)の建物の改築のため、1年以上も離 婚ができないとか、担当の役人が留守でなかなか手続ができないとか、役人の横暴で意地悪でなげやりな対応など、あまりにも原始的な行政サービスは、絶望的 な程である。

・法よりも人間性を重視

19世紀のスラブ主義者アクサーコフが引用した次の詩は、ロシア的法観念を典型的に表現している。「その本来の理由のため、われわれは、悪魔の申し 子である健全なる法的分別に恵まれておりませぬ。ロシアの本性は広すぎて、われわれの真実の理念は、法的諸原理のせせっこましい形式なぞに、はまるわけに はまいりませぬ」*11。ソルジェニーツィンも、1991 年の論文の中で、道徳的原理を法律原理の上におくように説いた*12。 ベルジャーエフによれば、法制度は「人に対する人の不信の表明にすぎない」のであった*13

ロシアのインテリに特有のこのような法に対する否定的な見方は、法が専制的権力者による民衆抑圧の道具であった(管理法)という点にのみ起因するの ではない。彼らは西欧近代法をも拒絶したのである。その理由には二つの側面がある。一方では西欧近代法は、実は資本主義社会の搾取と階級支配を実現してい るという視点から批判された。ロシアのスラブ主義者の目には、西欧の近代法が媒介している資本主義社会は、人民の貧困と抑圧をもたらす堕落した社会と映っ た。エンゲルスによる法学的世界観批判も、このような視点からの西欧近代法の批判を含んでいる。19世紀のロシアのナロードニキは、前資本主義の視点から 西欧近代を批判すると同時に、ロシアの前資本主義を社会主義へと直結させようとしたのであった。これらは近代的な自治法自体に対する批判であり、前近代的 立場のみならず、超近代的(社会主義的と言う意味を含む)な立場からの批判でもある。

他方で法は、豊かな人間性を法的に固定化することによって歪め、人間的な信頼関係を敵対的な関係に変えるといった視点からも批判される。これは互恵 型のヒューマニズムの視点からの法批判であり、近代的な自治法の疎外構造に対する本質的な批判を、ここに読みとることができる。トルストイによる法批判に も、この側面が強いように感じられる。彼によれば、法学とは「法についての無駄話」にすぎなかった*14。このように、ロシアのインテリと民衆の法意識は、前近代法(管理法)も、近代法(自治法)も、とも に否定するのである。彼らが拠り所とするのは、共同体的な互恵の倫理であった。

(5)伝統ロシア法と社会主義ロシア法の親和性

社会主義社会は共同体の復活であるから、前近代の法文化が社会主義のそれと調和しても不思議ではない。

前近代のロシア社会には、市場経済と私的所有制によって基礎づけられる市民社会は未成熟で、ロシアは共同体と専制国家の二元構造をとっていた。社会主義ロ シアも、市場と私有を否定したのであるから市民社会は形成されず、疑似共同体的秩序が生まれた。共産主義社会では国家は死滅するとされながらも、過渡的に はプロレタリアートの独裁が必要と主張され、結局、共同体と専制国家の二元構造は維持されたのである。社会主義ロシアがどのような意味において共同体秩序 を構成していたといいうるのかということは検討を要する問題であって、私自身勉強不足で自信をもって語ることはできない。ただ旧農村共同体とコルホーズ・ ソフホーズの関係も、「不連続の連続」面にもっと注目すべきだと思う。企業も、単なる生産の場ではなく、生活共同体という側面をもっていたし、都市の国営 アパートの生活も、共同体的性格をもっていたと思われる。

ロシア社会全体が、大きな家族にたとえられることは多い。米国のロシア法学者バーマン教授は、「ソビエト法は、ソビエト社会全体が、それ自体一つの 大きな家族、一つの巨大な学校、教会、労働組合、企業とみなされているということの認識を欠いては、理解できない」と語っている。現代ロシアのある社会学 者は、「母なる祖国」、「わが単一家族」、「家族乗組員」、「兄弟社会主義諸国」、「レーニンおじさん」、「人民の父」、「教師は第二の母」、「国は親代 わり」、「党の忠実な息子」などのように、国を家族になぞらえる表現がロシア語には多いことを指摘している*15。法学者マスレニコフによれば、ロシアでは、「国家は厳格だが正しい父であり、人民は腕白だが愛すべ き子供である。父は腕白に対してお仕置きをするが、従順であれば飴を与える」という*16。 法学者セミトコによれば、19世紀においてもロシアの農民は、地主や地方の長官を「父」、自らを「子」と呼んでいたという*17。これらは、国全体が一つの共同体的な存在であることの 反映である。

共同体的秩序の一つのメルクマールは、物資やサービスの提供が等価交換の原理ではなく、互恵や権力的配分によってなされるということである。この点 では社会主義ロシアの経済全体が、著しく互恵と権力的配分の原理に貫かれていたといえる。商品の価格は政策的配慮のもとに決定されていたから、国営商店で の売買も等価交換ではなかったし、一部の配給制度はもちろん、車の販売や国有住宅の配分、特に後者は権力的配分の色彩が強かった。また商店には品物がなく ても自宅の冷蔵庫には食糧がたっぷり確保されていたが、聞けばコネをとおして入手したものという。貨幣に代わってコネが物とサービスの流通を媒介している のであるが、これは正に互恵の論理である。コネによる人間関係は贈物(賄賂)を伴うことが通例である。旧ロシアも社会主義ロシアも賄賂が蔓延した社会であ るが、賄賂の提供自体もまた互恵の一つの形態である。

マルクス主義の法の死滅論 *18も、ロシアの法ニヒリズムと共鳴し合う(このことは ロシアでも、ペレストロイカ以後よく指摘されるようになった)。それは反資本主義、反市場経済という近代法(自治法)に対する批判、専制権力や階級権力に よる法(管理法)を媒介とした抑圧に対する批判という点だけではない。ロシアの法文化は法的形式よりも実質を重視すると先に述べたが、これは形式論理では なく弁証法的論理を用いるマルクス主義の哲学に適合的である。また現実に存在している事実関係を実定法より重視するロシア的法文化も、マルクス主義の唯物 論的思考に適合的なはずである。さらに、豊かな人間性を法的枠組みに閉じ込めることを嫌うロシア的法文化は、法の中に人間疎外の構造を見いだし、人間の解 放と法の死滅を展望するマルクス理論(後述のマルクスの人権批判も参照)と符合する。

マルクス主義は、市場の経済法則に代わって、人間理性の力によって合理的に社会を編成し管理しようとする。そこでは法の死滅論とは裏腹に(確かに社 会主義の下で自治法は死滅したが)、社会を形成・運営すべき合理的理性が、法の形式をもって登場せざるを得ない(管理法)。しかし自治法なき管理法の跋扈 は、合理的理性の名の下に、実際には独裁権力の恣意的発動を許すことになる。

ロシアも1861年の農奴解放やその後の改革、1905年の第一次ロシア革命を経て、遅れ馳せながらも近代化の道を歩み始める。ストルイピン改革後 は農民による土地の私有も認められ、私有と市場経済に基づく市民社会がささやかながら生まれ始めた。議会が招集され、法治国家の思想も導入された。端緒的 ではあるが、西欧の法文化が受容され始めたのである。しかしロシア革命は、生まれ始めたばかりの西欧的法文化を、再び葬り去った。19世紀後半以後の改革 でロシアが捨て去った過去の制度が社会主義の下で隔世遺伝のように復活するのである。これはスターリン時代の復古主義を指しているのではなく、それ以前か らみられる現象である。他方で、19世紀後半以後導入されたが、社会主義の下で廃止された制度が、現代のロシアに復活しつつあるという関係にある。

社会主義ロシアで復活した旧制度としては、検察監督の制度、パスポートによる移動の自由の規制、私有農地の共同体所有化、糾問型刑事訴訟手続などが ある。分割所有権的な所有構成、立法権と執行権の統合、司法権の独立原則の否定、罪刑法定主義の後退、公法・私法の一元化、議員の命令委任制の採用、人 権・民主主義の抑圧などもあげることができる。法制度の点で特に興味深いのは、ロシア独特の検察監督の制度である*19

ロシアの検察官は、刑事事件の訴追を行うばかりでなく、一般監督といって合法性を一般的に監督する権限を有する。省庁以下の役所、市民、団体、企業 などが、法令を遵守しているか否かを監督するのである。「合法性の最高の監督機関」というと、われわれは最高裁判所を思い浮かべるが、社会主義ロシアの憲 法では、それは検察機関を意味したのである。検察官は刑事裁判の40%程度にしか出廷しないが、裁判監督といって民事事件を含め判決の合法性を監督し、不 服があれば監督審を請求できる。議会は法律問題についてしばしば検事総長の見解を求める。最高裁長官よりも検事総長の方が、遥かに知名度は高い。1922 年に検察制度を復活させたとき、それを強く主張したレーニンは、裁判所を地方的紛争を処理する機関と過小に評価し、他方で検察機関は、全国的に単一の合法 性を保障する機関として重視した。裁判所は、個々の訴訟をとおしていわば偶然的に合法性を実現するにすぎないのに対して、検察監督は、既述の統制・監督機 関の典型的な実例として、上から組織的・統一的にそれを行うことができる。検察監督は、官僚主義と闘い、市民の利益を守ることもその重要な課題としてい る。市民が主体的に権利を主張することは忌避され、あるいは抑圧されるが、その代わり検察官が上から後見的に人民の利益を保護してくれるわけである。

米国のロシア法学者バーマン教授は、ソビエト法の特徴を「親権者法」として表現している*20が、上から支配もすれば保護もするパターナリズムは、前近代と社会主義に共通する共同体的法文化を示 すものである。このように、伝統的なロシアの法文化は、社会主義と調和する。それは社会主義的変革にもかかわらず、それに抗してしぶとく生き延びてきたと いうのではなく、社会主義の下でところを得て温存され、むしろ発展してきたというべきなのである*21

(6)ロシアの法文化の評価

市場経済の社会では、紛争とその法的処置は必ずしも否定的現象とみなされているわけではない。市場経済社会では個人の利害をめぐって紛争が存在する のは当然であり、むしろその法的解決をとおして正義が実現され、個人の利益が調整・実現されるのである。いわば、紛争が多いほど正義も多く実現されるとい うことになる。しかし共同体においては、本来利害の対立は存在すべきではないとみなされ、紛争とその法的処理は忌避される。この点ロシアと日本の法意識に は共通するものがある。

これらの社会では、法は人間性と人間関係を歪めるものとして忌避される。裁判所および裁判は嫌われ、話し合い(示談)による解決が好まれる。弁護士 という職業も敬遠される。弁護士が被告人を弁護すること自体批判される。ロシアの新聞の法律相談欄に、弁護士が凶悪な犯罪者や、犯行を自白した被告人を弁 護していることを避難する声が掲載されたことがあった。作家アルダーノフによれば、「ロシア文学には、同情すべき殺人者が登場することが少なくない。しか し同情すべき弁護士は一人もいない」という*22。これ は、文学に暗い私にも思い当たるものがある。弁護士や訴訟に関する意識も、ロシア人と日本人は共通する点が多い。かつて宮沢賢治も「雨にも負けず」の詩の なかで「北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろといい」とうたい、作家の海音寺潮五郎氏は、「裁判官だの法律家だのという職業を一人前の人間がよ くやれるものだ。ばかばかしくならないだろうか」と言っている。

アメリカの弁護士数は、今や80万人に達する勢いである。日本は1.5万人弱である。ロシアは1.72万人である。人口比を考慮に入れれば、ロシア と日本はほぼ同じである。欧米諸国の中でもアメリカは突出しているし、また弁護士の職務に相違があるから単純な比較はできないが、それでも欧米とロシア・ 日本の相違は歴然としている。

ロシア・日本の法文化のこのような側面については、否定的にのみ評価すべきではない。かつての日本では、このような現実は近代化の遅れとして批判さ れ、経済の高度成長期には逆に賞賛する声もあったが、国際化が叫ばれる今日、再び批判の声が強まっている。しかし法が人間社会にとって疎外態であり、人間 の本性を歪めるものであるという認識は重要である。単純な例をあげよう。他人に迷惑をかけた場合、人間として誠意をもって謝罪すれば解決が開けてくるとい うのが、共同体的な法意識である。しかし、近代的な法制度のもとでは、加害者は謝罪をしてはならない。謝罪すれば自らの責任を認めたことになり、後で裁判 の際不利になるのである。アメリカなどでは、交通事故などの場合、大声で怒鳴った方が勝ちであるとよく言われる。欧米社会では、誠意を以て謝罪しないため に、避けられた紛争が生じたり、深刻化したりする。つまり法治主義が、むしろ紛争を生み出しているのである(もちろん共同体型の紛争解決にも問題はあり、 それが弱者の泣き寝入りを招いているという面はある)。

法を疎外態とみる共同体的法意識は、マルクスの法観念にも共通するものがある。マルクスは、フランス人権宣言の規定する自由と人権について、「人間 と人間の結合」ではなく「人間と人間の分離」に基づく「自分にかたよった個人の権利」とか、「各人は他人を自分の自由の実現ではなしにかえって制限と考え る」と批判している(「ユダヤ問題によせて」)。マルクスは、他人との共同関係の中に自由を発展させるのではなく、他人を自己の利益実現の邪魔者とみるの が人権の基礎にある考え方だと言うのである。これは、共同体的法意識と社会主義的法意識の連関を物語るものでもある。

(7)大江泰一郎教授との討論

大江教授は、1992年に、『ロシア・社会主義・法文化』(日本評論社)を発表された。私はその基本的内容のほとんどすべてについて同意することが できず、それを批判する小論を著した*23。今回同氏は私 の報告に対する討論者の労をとられたのであるが、しかしわれわれの見解の相違は埋まらなかったようである。

ただ意外なのは、同氏が、上記の私の報告の(4)(5)(6)については異論がないかのように言われたことである。しかし(4)はともかく、(5) と(6)についてわれわれの見解は、まったく違うはずである。それとも同氏は、これらの点について考え方を変え、私の方に歩み寄ったのであろうか。(5) において私は、ソ連邦において法をめぐるさまざまの否定的現象を生んだ原因は、旧ロシアの伝統と同時に社会主義(マルクス主義)の原理そのものにあること を強調した(会場で、この2つの原因はそれぞれ何%ずつ責任を負うべきと思うかといった趣旨の質問があったが、私はそのように分けて考えるべきではなく、 あえて言えばそれぞれが100%だと思っている)。このことはまさに大江氏の主張を念頭にき、それを批判したものであった。同氏の主張の眼目は、ソ連の否 定的現象の原因は社会主義にではなく、ロシアの古き伝統にあるという点にあるからである。ソ連における法文化の遅れの原因が、ロシアの伝統ばかりでなく 「社会主義あるいはマルクス主義そのものにもある」という論理を大江氏が認めるというのであれば、同氏の立論の最も重要な柱が崩れることになる。

(6)において私は、日本とロシアの法文化に共通性があることを指摘し、日本が西欧の法文化を導入しつつも、それを日本社会に適合するように独自に 変容させてきたように、ロシアもまた同様の道を歩むべきことを主張した。ロシアの法文化は、一般的には否定的に評価されるべきものであるが、歴史が示すよ うに、人類社会においては、長所は同時に短所でもあり、弱みはその活かし方によっては強みに変わる。報告の中で私は、ロシア的法文化の積極的意義について 語り、それに適合するようなかたちで市場経済化を進めるべきことを強調したのである。これまで大江氏は、ロシア的法文化を専ら克服すべき対象とみなしてき たのであり、その積極的意義について語ったことはない。同氏と私の主張の間に表面上似ている点があるとすれば、日本とロシアの法文化の共通性を指摘した点 である。しかしこの点も、われわれの見解は内容的には正反対なのである。大江氏は、日本とロシアの法文化をともに否定的に評価し、私は反対に、ともに肯定 的側面があることを強調した。大江氏は、日本の法文化もロシア並と否定的に評価し、日本社会の変革を説く立場である。私は逆に、日本は、結果的には「和魂 洋才」のスローガンを見事に実現した(もちろんその過程においは、アジアの侵略から太平洋戦争に至るあまりに大きな負の歴史を背負っているのであるが)と して、それがロシアのモデルとなりうると主張しているのである。

大江氏の主張(近代的法文化の基礎を前近代社会における自律的団体の存在におく)は、宿命論になるのではないかという指摘が会場からなされた。大江 氏の主張を貫こうとすれば、確かに宿命論になる。しかしそのこと自体は、それほど間違っているとは思わない。私など立論の基礎は異なる(ロシア的法文化の 遅れの根拠を伝統的な共同体秩序に求める)が、むしろある程度宿命論的である。そして、既述のとおり、そのことを必ずしもロシアのマイナス要因とは思って いない。ところが大江氏は、その宿命論を貫徹せず、ロシア革命時の法文化は肯定的に捉えようとしている。ここでもまた、ロシア革命自体は肯定したいという 同氏の主観的意図が、その認識を歪めているのをみることができる。同氏は「ソビエト」を自律的団体と捉え、そこに法文化が発展する可能性をみているのであ る。しかし現実には、「ソビエト」権力こそが、氏が法文化の内実として強調する「人権」と「国民主権」を、また法治国家の原理を真っ向から否定したこと は、同氏といえども否定することはできない。スターリンがそうしたというのではなく、ロシア革命当時からそうでだったのである。大江氏はこの矛盾をどのよ うに説明するのであろうか。

また、大江氏の主張のように、近代的法文化の基礎を前近代における自律的団体の存在に求めるとすれば、中世西欧の封建社会こそが法文化の最盛期とい うことにならざるをえないのではないか。とりわけ大江氏の言う自律的団体とは、主として封建貴族の団体を意味するのであるから、当然そうならざるを得な い。同氏は、西欧法文化の所産である人権宣言が資本主義社会においてはますます空洞化しつつあるとし(私は逆に、人権はますます豊富になり、現在ではいさ さか過剰だと思う。もちろんこのことは「人間の尊厳」を否定しているのではなく、反対に、「人権」が「人間の尊厳」の制約になっているという認識からであ る)、社会主義社会におけるその現実化を主張している(同書9頁)。封建社会で栄えた法文化が資本主義社会で衰え、社会主義社会で復興するというのが、大 江氏の歴史観だと理解されても仕方あるまい。

樹神成氏は、大江氏と私の論争に触れ、近代的諸価値(自由・民主主義・人権・法治国家など、ここで法文化と言っているものに対応)のそれぞれが、市 場経済・資本主義とどのように関係するのか、体系的に論じる必要があると指摘している*24。私は今体系的に論じる意欲を欠いているが、さしあたり次のように言うだけで十分ではないだろうか。 つまり、市場経済・資本主義の発展した国で、それに対応する程度の法文化を発展させていない国はないし、他方で、市場経済・資本主義は発展していないが法 文化は発展しているという国は皆無である。大江氏によれば、理想としての社会主義社会が後者の例になるのであるが、それは現実には存在しないから、議論し ても無意味である。そればかりではない。ローマ法的な私的所有の必要性を説くに至った現在の同氏の描く社会主義像は、結局のところ、いわゆる市場社会主義 以外ではありえないから、その法文化はやはり市場原理に基礎をおくことにならざるをえない。大江氏はその著書の中では、社会主義下の私的所有を否定してい た。その後同氏が私的所有の必要性を認めるに至ったことによって、その法文化論はすでに破綻をきたしていた。私はそのことを別稿でも指摘したのであるが、 現在もなお同氏はこの矛盾を抱えたままなのである。

大江氏による指摘はほかにもあったが、その一部は本文中で論じているし、他は重要とは思えないので省略する。もちろん、必要であれば、それらの点について もいつでも討論する用意がある。


−注−
  1. S・ハンチントン「文明の衝突」(『中央公論』1993年8月)参照。

  2. ヤピッチ「ペレストロイカと法」(『法学』1987年5号)、ウラザーエフ「ペレストロイカと法文 化」(『ソビエト国家と法』1989年4 号)参照。

  3. マトゥーゾフ「一つのメダルの二つの側面としての法ニヒリズムと法理想主義」(『法学』1994年 2号)6頁参照。

  4. 拙稿「ロシア立憲主義への歩み」(『神戸法学年報』第11号、1995年)68−69頁参照。

  5. 拙稿「ソビエト法の現状分析序説」(『神戸法学年報』第2号、1986年)31−36頁参照。

  6. ここでの「互恵」、「権力的配分」といった表現は、カール・ポラニーに依拠している。カール・ポラ ニー『大転換』(吉沢英成他訳、東洋経済新報社、原著1957年)

  7. 註(4)の拙稿52頁、65−66頁など参照。

  8. 毎日新聞1996年11月27日参照。

  9. 拙稿「社会主義的法治国家論の検討(下)」(『神戸法学雑誌』第38巻3号、1988年)第4節参 照。

  10. 同上、第3節参照。

  11. キスチャコフスキー「法の擁護のために」(『道標』小西善次訳、現代思潮社、176−177 頁)。ロシアの雑誌『法学』1994年2号6頁の引用文によって改訳

  12. ソルジェニーツィン「いかにロシアを構築するか」1991年、59頁参照。

  13. トゥマーノフ「歴史的・イデオロギー的遠近法における法ニヒリズム」(『国家と法』1993年8 号)56頁参照。

  14. トゥマーノフ「法ニヒリズムについて」(『ソビエト国家と法』1989年10号)21頁参照。な お大木雅夫「トルストーイにおける法の否定」(『資本主義法と社会主義法』、有斐閣、1992年)も参照。

  15. 「どのようにして家族を廃止しようとしたのか」(『ロシア新聞』1992年3月26日)

  16. 拙稿「ソビエト国家論の屈折的展開」(『神戸法学雑誌』第39巻1号)78頁参照。

  17. セミトコ「ロシア法文化:神話学的・社会経済的源泉と前提」(『国家と法』1992年10号) 112頁参照。

  18. 註(5)の拙稿、序論(2)参照。

  19. 拙稿「ソ連における司法の統制化」(『社会主義と司法』社会主義法研究会編、1987年)、同 「ゴルバチョフ政権下の刑事裁判」(『神戸法学雑誌』第41巻4号、1992年)参照。

  20. H・J・バーマン『ソビエト法制度論』(明山和夫訳、朋文社、1956年)参照。

  21. 拙稿「社会主義法の総括的批判序説」(『神戸法学雑誌』第43巻1号)139−140頁参照。

  22. 註(13)のトゥマノフ論文55頁参照。

  23. 拙稿「書評−大江泰一郎著『ロシア・社会主義・法文化』(『神戸法学雑誌』第45巻3号)参照。

  24. 樹神成「学会回顧:ロシア・東欧法」(『法律時報』1996年12月)207頁参照。筆者は、市 場経済の発展が近代的法文化の生み出したと考えているが、その場合、会場でも発言したように、次の二つの市場経済は区別しなければならない。市場経済は人 類の歴史とともに古いといわれるが、それが完成するのは近代資本制社会においてである。つまり生産そのものが商品形態によって行われ、市場が生産をも包摂 する産業資本段階に至って初めて、市場の等価交換の原理は確立するのである。それ以前の商人資本中心の市場経済は、それに対応する法制度を発展させる (ローマ法のように)が、しかしそれはしばしば掠奪的な要素、即ち不等価交換を伴っており、近代的法文化との間には一定の連続性とともに大きな断絶があ る。


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