秋野さんが『本当に遺したもの』

   原 純子
北大スラブ研御中:

貴HPの秋野さん追悼ページに掲載されていた、岩下先生の「苦悩するヒーロー像の危
うさ」を拝読した。私も、7月の事件についてのマスコミの報道、社会の反応、「親
しかった人々」の追悼文の嵐、そしてNHKの特集番組に対し、言葉にならないもどかし
さを感じていた教え子の一人である。
あの番組だけでなく、誰もが「秋野さんの遺志を無駄にしてはいけない」と口にする
。しかし秋野さんの遺志とは一体何だろうか。彼は、我々普通の人々に、どんなメッ
セージを残したというのか。

秋野さんは昔、「例えば司馬遼太郎の小説の主人公のように、時代の風を背に受けて
跳ぶような生き方がいい。そして多分俺にはその力があると思う」と言った。秋野さ
んは、「普通の人々」には抱えきれないような、そして考えすら及ばないような「時
代の風」を感じ、それをむしろ黙って引き受けたのではないだろうか。しかもそれは
安っぽい使命感やセンチメンタリズムではなく、すでに何人かの人が指摘しているよ
うに、学者としての興味と冷静な計算に裏打ちされたものであった。
彼がたまたまドラマチックな最期を遂げたために、我々はその中に「メッセージ」を
求める。しかし仮にこれが、タジクの任務を全うし帰国した後に日本で起きた交通事
故などであったなら、誰がそこにメッセージを探したであろうか。「普通の人々」と
はその程度のものである。秋野さんの「遺したもの」の本質にまったく違いはないに
もかかわらず。

NHKの番組は、秋野さんの学者としての側面を全く捉えていなかった。あくまでも、家
族を思いやり友人に不安な心を打ち明けながら苦悩する個人が、国際貢献の一翼を担
い、遠く離れた異国の地で凶弾に倒れたということがテーマであった。NHK番組製作の
話を聞いたとき、これ以上のメロドラマを恐れた私は、たまたま手元にあったソ連崩
壊直後の頃の秋野さんの講演の記録テープとビデオをNHKに提供した。その講演には、
「もう自分は歴史家ではなくなってしまった事実に突然気付いた」秋野さんが、学者
として大きく揺れ動いている様が顕著に感じられた。私はそれが秋野さんの仕事の大
きな転機であったと考えていたので、その後彼が紛争地帯を歩き回ることになった理
由が分かるのではないかと思った。しかし「悩める個人」としての秋野さんにスポッ
トを当てたかった製作者の興味は惹くことができなかった。

実際私の周囲にも、「紛争をこの目で見てみたい、そこで仕事をしたい」という若い
人が何人もいる。そして彼らは実際に世界中の「危ない」地域に好んで出て行く。「
やりがいある仕事」「日本は平和ボケ」「本当の人間が見える」と彼らは言うが、本
当にそうだろうか。結局はその本人の「うつわ」がなければ、紛争地域に限らず、ど
こにいても物事の本質を見抜くことはできない。ただ非日常的な体験によって得られ
る高揚感と緊張感程度のものしか残らない。しかし彼らは「紛争体験」を勲章と考え
る。
秋野さんは東欧にいてもロシアにいても、チェチェンにいてもボスニアにいても、そ
して日本にいても常に人間の「うつわ」を見つめていた。そして学生にも「うつわ」
を鍛えることの重要性を叩き込んだ。「どこにいても大丈夫な自分であるように」と
。しかし秋野さんを知らない若者たちは、岩下先生のおっしゃるとおり、秋野さんの
事件のドラマ性に勇気づけられたことだろう。戦場に行けばやっぱりヒーローになれ
るではないか、と。

我々にとって本当の「秋野さんが遺したもの」とは、やはり彼の仕事、研究なのであ
る。彼が手を付けて終えられなかった仕事を、黙って、「私が後に続きます」などと
は言わず、秋野さんの亡霊を過度に背負わず、淡々と坦々と、自分のやり方で、進め
ていくべきだ。それが残された「普通の人々」の「正しい」生き方だ。そしてそこに
は秋野さん個人の生い立ちや足跡、喜びや苦悩など、何も関係ないはずである。決し
て誰も、「秋野さん」にはなり得ないし、なる必要もないのだから。






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