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| はじめに |
i |
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| 序章 「北方領土問題」とは何か |
・・・3 |
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| 日ロ対立軸の形成−1945〜56 |
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| 失われたチャンス−1956〜92 |
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| 「二島引き渡し」対「四島返還」−1992〜2003 |
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| 中ロ国境問題との接点 |
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| 本書の構成 |
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| I
中ソ国境問題はいかに解決されたか |
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| 第一章 暗闇のなかの模索 |
・・・25 |
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| 対立の起源 | |
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| 満州国の国境 |
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| 日本敗戦とソ連の占拠 |
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| 黒瞎子島の棘−1964年交渉の破綻 |
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| 珍宝島事件−軍事衝突と核戦争の可能性 |
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| やれるところからやろう |
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| アバガイト島の帰属 |
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| 1991年協定の締結 |
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| 第二章 相互に受け入れ可能な妥協 |
・・・54 |
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| ソ連解体 |
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| チャイナ・シンドローム |
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| ハサン・クライシス |
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| フィフティ・フィフティ−「互いの勝利」の秘訣 |
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| 画定作業終結へのプロセス |
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| 共同利用−メンケセリ問題 |
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| 地元ハバロフスクの対応とエリツィンの約束 |
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| 戦略的パートナーシップ |
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| 第三章 中国と中央アジア−中ロ方式の試金石 |
・・・81 |
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| 「四プラス一」 |
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| カザフスタン、クルグズスタンと中国の交渉 |
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| フィフティ・フィフティのリスク |
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| タジキスタン−パミール問題 |
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| 情報統制の重要性 |
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| それぞれの安全保障 |
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| 国境画定が成功した理由 |
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| 第四章 十三年目の最終決着 |
・・・105 |
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| 善隣友好共力条約 |
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| ハバロフスクの抵抗 |
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| 2004年10月北京サミット |
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| 最終決着の舞台裏 |
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| 外交選択肢の拡大 |
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| 長期的な利益に基づく相互関係の深化 |
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| II 日ロ国境問題をいかに動かすか |
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| 第五章 中ロ最終決着の衝撃 |
・・・131 |
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| 2004年2月「イズヴェスチャ・スキャンダル」 |
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| 諜報機関の策動? |
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| 四かゼロか二か |
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| 「二島プラスα」という可能性 |
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| 2004年10月のインパクト |
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| 中ロと日ロの違い |
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| 第六章 中ロのやり方をどう適用するか |
・・・154 |
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| ハードルを下げよう |
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| 段階交渉方式は成功するか? |
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| 海のフィフティ・フィフティ |
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| 国後が加わると |
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| ロシアにとってのメリット |
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| 「共同利用」は可能か? |
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| 国境の透明化 |
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| 国境地域の住民たち−ロシア人の声 |
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| 日本人旧島民の声 |
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| 2005年7月根室アンケート |
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| 第七章 四島返還論再考 |
・・・194 |
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| 「互いの敗北」をいかに回避するか? |
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| 四島返還論の形成 |
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| 日ソ共同宣言は敗北だったのか? |
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| ソ連は二島引き渡し以上のオプションを考えていたか? |
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| 河野・ブルガーニン会談の光明 |
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| 二島プラスαへの道 |
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| 終章 未来への決断 |
・・・222 |
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| 世論の動向 |
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| 高校生弁論大会 |
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| 先行する緩衝材 |
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| アメリカとの協調 |
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| 中国ファクターの考慮 |
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| 経済ファクターをどう組み込むか? |
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| 未来に向けてのフィフティ・フィフティ |
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| あとがき |
・・・249 |
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| 参考文献 |
・・・255 |
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