2003年



第30回例会
12月20日 14:00〜

報告者: 木村 暁 (東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
題目: 「中央アジアとイランのあいだ:16-19世紀中央アジア史にかかわる地域区分の問題によせて」

報告者: 河原弥生 (東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
題目: 「コーカンド・ハーン国におけるマフドゥームザーダ」




第29回例会
11月1日 15:00〜

報告者: 濱口史彦 (北海道大学大学院文学研究科修士課程)
題目: 「中国・新疆における「反分裂主義闘争」と『ウイグル人』問題」




第28回例会
9月20日 15:00〜

報告者: 井上岳彦 (北海道大学大学院文学研究科修士課程)
題目: 「ロシア帝国の南東部国境地域の統治:カルムィク人を中心に」

17世紀初頭から中央アジアのジュンガリアよりカスピ海北岸のステップ地帯へ、内乱を避けたオイラトの一部が徐々に移住してきました(以後、カルムィク人)。ロシア国家への軍務を提供した彼らは、コサックや周辺諸民族と同様に拡大するロシア国家に対して次第に従属するようになりました。そして、18世紀にはカルムィク人の遊牧地域はロシア国家の内地に編入されることになりました。本発表は、拡大し続けたロシア国家が南東部国境地域をどのように統治していったかを、当該地域へ導入した軍制を検討することによって明らかにしようとする試みです。



第27回例会
8月2日 15:00〜

報告者: 秋山 徹 (北海道大学大学院文学研究科修士課程)
題目: 「ロシア帝国と中央アジア遊牧民社会:遊牧民定住化を巡る一考察」(スライド付)


中央アジアは古代より様々な文明がダイナミックに交錯する場である。これら諸要素の衝突、土着と変容、融合についての具体的な考究が中央アジア地域研究の課題である。とりわけ中央アジア近現代(18世紀から20世紀)の歴史展開を考える際、ロシア帝国との関係は重要な位置を占める。このような前提的認識に基づきつつ、報告者はロシア帝国による遊牧民定住化政策を研究している。遊牧民定住化はストルイピン体制下の1909年以降、遊牧民の「土地整理 zemleustroistvo」という形をとって進められた。「定住化」を考察するに当たっては大きく二つの視点が要求される。
 第一に支配者=ロシア帝国側の論理の追及―定住化の政策史的考察である。ここでは植民地法体系の変遷とともに、遊牧民をロシア帝国の法体系の中で定住民のカテゴリーに移動させるプロセスが考察される。同時に中央アジア現地での政策実行の具体的様相が明らかにされなければならない。
 第二に、定住化政策に対するカザフ人、クルグズ人遊牧民社会の対応。すなわち彼らの内在的視点に立った考察である。特に彼らがこの定住化を如何に受容していたのかという点は重要である。ロシア帝国は併合以来、遊牧民の慣習法をロシア帝国法に置換えようとしてきた。この中で慣習法に基づく遊牧民の伝統的土地観念の変容が考察される。
 このように「定住化」という現象をロシア帝国の「中央」と「地方」の空間軸、時系列的変化、更にロシア植民地当局とカザフ人、クルグズ人社会の視点から複眼的・立体的に考察してゆきたい。言い換えればロシア帝国史研究と中央アジア地域研究に跨った研究である。
 報告に際して、スライド等も交えつつ、研究史・史料情況をはじめとして、現段階での修士論文の全体像を報告したいと考えている。専門分野の如何を問わず参加者の忌憚なき御批判、御意見を請うものである。



第26回例会
6月21日 13:00〜17:00

報告者: 長谷部圭彦 (東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
題目: 「オスマン帝国における総合大学の設立」

報告者: 秋葉 淳 (日本学術振興会特別研究員)
題目: 「オスマン帝国近現代史研究の新潮流」




第25回例会
4月19日(土) 15:00〜

報告者: 秋山 徹 (北海道大学大学院文学研究科修士課程)
題目: 「遊牧民やめます〜忘却の彼方から:カザフ・クルグズ研修旅行報告」




第24回例会
3月15日(土) 15:00〜

報告者: 今野 毅 (北海道大学大学院文学研究科博士課程)
題目: 「15世紀のミュシュテレク・ティマール:ティマールの保有形態に関する再検討」




第23回例会
2月8日(土) 15:00〜

報告者: 川口琢司 (藤女子大学非常勤講師)
題目: 「史書『四ウルス』とウルグ・ベク」



第22回例会
1月11日(土) 15:00〜

報告者: 後藤絵美 (東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究博士課程)
題目: 「ターリバーン布告と「顔」:文化史からみるイスラーム復興運動」

1996年、「女性は完全に顔を覆わなければならない」という布告とともに、ターリバーンがアフガン女性に着用を課した「ブルカ」は、女性の抑圧の象徴として日本を含む西欧メディアからの激しい非難を浴びた。しかし彼らがなぜ女性の「顔」を覆わせたのか、なぜそれほど「顔」にこだわったのか、その理由や背景については全く語られてこなかった。そこで本発表ではムスリム女性のヴェールの歴史的・思想的な変遷を、中世のクルアーン注釈書の記述を中心に辿っていくことによって、「ブルカ」に関するターリバーンの論理について考察する。


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