スラブ研究センターニュース 季刊2006年秋号 No.107 index

新ロシアの出現

ポーティ、ラースロー(ハンガリー国立防衛大学/ センター2006 年度外国人特任教授)

 

私のようなハンガリー人にとって、北海道はロシアを観測するのに理想的な地である。北海道は、 ロシア連邦と呼ばれる巨大なユーラシア圏の一端にあり、それゆえ中欧からロシアを眺めるのとは 大いに異なる見方を提供してくれる。例えば、北海道ではロシアは海を越えて繋がるが、ハンガ リーでは陸づたいである。私は、外国人研究員仲間と知床半島を旅行したとき、この事実に気付い た。熊に怯えつつ知床五湖に辿り着いたとき、その展望台からロシアの実効支配下にある国後島を 眺めたとき、手が届く距離に感じられたのである。 そこはまさに第二次世界大戦の遺物を直接的に伝えてくれる場であった。北海道とロシアが 海を通じて接する事実は、両国が領海を主張する海域において日本漁船の船員がロシア国境 警備艇に銃撃され死亡した事件とも関係してくる。


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国後島を望む

ロシア・ウォッチャーにとって、2006 年はロシア外交の「質的」大転換の年であった。こ の転換は3点から捉えることができる、すなわち新・ロシア国家アイデンティティーの形成、 地球レベルにおけるロシア外交の役割の強調、そしてロシアの対CIS 政策の根本的な変更で ある。

プーチンの後継者と言われるセルゲイ・イワノフ副首相兼国防相が著した「新・ロシア国 家アイデンティティーの基礎」によれば、「新・ロシア国家アイデンティティー」は、主権民 主主義、経済力、強大な軍事力という3要素から成っている。主権民主主義とは元々ロシア の民主化に対する西側の批判に対抗するためにクレムリンのイデオロギー担当官ウラジスラ フ・スルコフが考え出した造語であり、一般的には「管理された民主主義」と同義と見なさ れる。ロシア固有の民主主義モデルであり、「経済的主権なくして政治的主権なし」を含意す る。スルコフによれば、この経済主権とは孤立主義ではなく、ロシアの世界経済との統合の 意であるという。他方で、同じくプーチンの後継者候補であるドミトリー・メドヴェージェ フはこの種の「形容詞付き」民主主義は、あたかもそれが真の民主主義でない印象を与える と批判している。しかし、このコンセプトは今後、ロシア・エリートの新しいイデオロギー 的基礎となると考えられる( 親大統領与党がこのコンセプトを2007 年議会選挙の選挙プログ ラムに含める可能性が高い)。

ところで、本年7月のG8サンクトペテルブルク・サミットでは、ロシア政権の自信の深 まりが見られた。プーチン大統領は、イラクの民主化を賞賛し、ロシアにおいても同様の民 主主義を望むとのブッシュ発言を一蹴し、「イラクにおけるような民主主義はロシアに不要で ある」とやり返した。

2006 年のロシアの世界外交には、以下の課題をより重視する姿勢が見られる。

・米国との新勢力均衡
・米国との新軍備管理交渉
・軍事力の重要性の増大
・エネルギー超大国としての国際的認知
・領土問題に対する強硬姿勢

新勢力均衡は全く新しいものとはいえない が、しかしプーチン大統領は今夏の大使会議 でこのテーゼを異例なほど強調し、「『神には 許されることが雄牛には許されない』という 原則は現代ロシアにとって受け入れがたいも のだ」と述べた。


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著者 北大構内にて

米国との新軍備管理交渉については、プーチ ンはポスト冷戦期を「停滞」の時代と見なして おり、軍縮交渉の新ラウンドを提唱している。

軍事力の重要性は、2003 年に公刊された「イワノフ・ドクトリン」から発展したものである。 2006 年度の大統領議会教書では、ロシア軍の3レベル( 地球規模、地域、ローカル紛争) 同 時展開能力の必要性に初めて言及されている。

エネルギー超大国と国際的に認められる点は、近年最も成功した外交課題の一つである。 ロシアのWTO 加盟は未だ交渉中あり、かつ欧州エネルギー憲章も未批准である。にも関わ らず、ロシアがかつて( 軍事的) 超大国であった時代とは異なり、エネルギーをその支柱に 加えた超大国になったことに疑いの余地はない。

領土問題に対するロシア政府の妥協なき強硬姿勢は、専らロシア極東で見られる。ロシア 政府は、国の大小を問わず、既にヨーロッパおよびアジアのほとんどの隣国と領土問題を解 決もしくは極小化しており、日本との国境問題が唯一残された係争である。長きにわたり「北 方領土」問題の解決をロシア政府が拒む中、2006 年に入ってから3つの事件があった。第一 が、ロシア政府が、クリル諸島とサハリンへの大投資計画を明らかにしたことである。第二 が、初の大規模(5000 人) 戦略軍事演習-反テロ演習ではなく制圧中心の演習-がカムチャッ カ半島で行われたことである。第三に、ロシア国境軍が、ロシアが領海を主張する水域で日 本漁船を拿捕するために厳しい対応をとったことである。

最後に対CIS 政策についてであるが、ポスト冷戦期におけるロシアの新外交は、旧ソ連諸 国にも及んでいる。2006 年には、根本的な政策変更が2点あった。第一は地域対立の解決に 対するアプローチである。伝統的なロシア外交は、秩序維持を優先することで関係国に影響 力を行使してきた。しかしモンテネグロの独立宣言後、モスクワはこれらの問題は国民投票 で解決されるべきだとし、15 年続いた秩序維持政策からの変更を明らかにした。第二はエネ ルギー資源の価格政策である。旧ソ連諸国へ輸出されるロシアのエネルギー価格は伝統的に 政治的価格で世界市場価格と比べて安価であり、代わりにこれら諸国のモスクワへの忠誠を 期待していた。しかし、プーチン大統領は今夏の大使会議において「世界経済・貿易に準ず る原則」への変更を提起し、政治的価格決定からの離脱宣言を行った。エネルギー価格の市 場経済化は旧ソ連地域では新しく、モスクワの国益追求能力がより現代的な基礎に立脚する ことを示している。

総じて言うならば、上記の政策転換は、今日のロシア外交の新主流となっており、ロシア の世界政治における役割を再評価すべき時が来たことを意味している。ロシアはアイデンティ ティー危機に苛まれる衰退する分裂国家であるというステレオタイプはもはや通用しない。 ロシアは、国際政治においてかつてないほど明白なアイデンティティーと強力な経済的基盤 を持ち、その目標を自覚し、より効率的に目標を達成する能力のある成長途上の超大国であ ると認識すべきである。

(英語から藤森信吉訳)

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