スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年夏号 No.114 index

ブルッキングスで考えたこと

岩下明裕(センター)

 

2007 年9 月から10 ヵ月間、米国 ブルッキングス研究所の北東アジ ア研究センター(以下、CNAPS) の客員研究員としてワシントンDC に滞在した。実は私は3ヵ月以上続 けて外国に滞在したことも、留学経 験もない。80 年代後半のソ連留学 プログラムもフルブライト奨学金 も落ちに落ち続けていた私は、自分 の人生で留学やら在外研究やらの 機会が来ることはもうないと考え ていた。私を(今回が最初の応募で はないとはいえ)客員に選んでくれ たCNAPS 及び(苦しい台所にもか かわらず)送り出してくれたスラブ 研にはお礼の言葉もない。

「日ロ同盟」:シアトルの誓い?
「日ロ同盟」:シアトルの誓い?
(ロシアからの客員、ゲオルギー・トロラヤさんと)

2007 年8 月末、家族とともにワシントンに到着したとき、すさまじい暑さに驚いた。南九 州育ちの私も長くなった札幌の快適な 夏に馴れすぎていたらしい。身も心も 消耗する2 週間が始まった。CNAPS は研究室や保険などある程度の生活も みてくれるのだが、住居の契約、家具 の手配(レンタル)、娘の学校登録、 電話やインターネットなど生活のたち あげ、ホームドクター探しなど全て自 分でやらねばならない(どこかのセン ターの外国人研究員への至れり尽くせ りとはえらい違いだ)。これが一筋縄 では行かない。ようやく住居の契約後、 家具を手配しようとすると約束を破っ て配送を来週に変更する(怒濤の交渉 で配送料は無料にさせた)。学校の登録所で1 年未満の住居契約では追加書類がいるといわれ 別の役場に行かされた(電話では翌週末まで予約でいっぱいとけんもほろろ。実際には行く と行列もなく、おばさんがにこやかに10 分で書類をくれた)、などなどなど書き出すとそれ だけでエッセイが終わるほどの右往左往だ。もっとも深刻だったのは、医者と保険だったが、 あまりに濃すぎてここにはかけない。大統領選挙でヘルスケアが最大の争点になる理由は暮 らしてみないとなかなか実感しないだろう。

ワシントンに飽きたら、メキシコ国境へ(サンディエゴ)
ワシントンに飽きたら、メキシコ国境へ(サンディエゴ)

外国で暮らしたことはないとはいえ、ロシア、中国、インドなどユーラシアの社会をそれ なりに経験している身から比較してみた。「中国は金か人間関係で御せるのでまだ簡単」「イ ンドは超越しすぎて比較不能」「忍耐と待つことが特徴」、とすれば比較しうるのはロシアし かない。ただ一つの違いは、ロシア人と違い、米国人は自分がそれに対応できなくても「May I help you?」と笑顔を絶やさない(ロシアならば「私は知らない」で終わるだろう)。この笑 顔こそ、米国とロシアの決定的な違いだ、というような話を、帰国前のCNAPS 全体報告会(後 述)で聴衆の前でしゃべったら、大いに受けた。

CNAPS とは10 年前に設立され、以後、中湾港日韓露の6 つの国と地域からジャーナリスト、 研究者、実務家など10 ヵ月招請して、米国の政策コミュニティとの連携のなかで発信と受信 をしてもらい、米国と北東アジア地域の関係づくりに貢献しようとするものである。CNAPS の組織自体が、台湾専門家のセンター長リチャード・ブッシュとセンター長補佐、若干のロ ジ担当者の4 名程度から構成されていることを考えれば、その活動のほとんどは客員研究員 の招請とその活用といえる。実際、6 人の研究員は到着するやいなや、秋にかけて自己紹介 的なプレゼンテーション(いままでの研究ならばなんでも可)が義務づけられ、離任直前に 要求される、(後に報告書に収録される)書き下ろしペーパーのプレゼンテーションとともに メイン活動だ。それ以外には、4 月に全員でのフィールドトリップ(要は外のシンクタンク や研究機関との交流)と6 月に全員が壇上にあがっての「自国の米国外交認識」についての パネル(http://www.brookings.edu/events/2008/0603_cnaps.aspx) などが柱となる。教育プ ログラムも充実しており、ブルッキングスが実務家などに提供するセミナー「インサイド・ ワシントン」(政策決定過程の内側を識者を呼んで連続講義し、議会へのロビー活動まで訓練 を受ける)やら「米国外交・安全保障」(ギングリッジやクリストファー・ヒルなどに会える) を無料あるいは(200 ドル程度の)超ディスカウントで受けることができる。その他、毎週 水曜日朝にコーヒーチャットと称して雑談の場が設けられる。CNAPS 以外のセンターがブ ルッキングスの内外で組織する様々な催しへの参加も奨励される。

所長がタルボットということもあり、期待もあったのだが、(中東や中国研究のパフォー マンスに比べて)所内のロシア研究は弱く、私自身はケナン研究所とジョージタウン大学で ロシアや中央アジアもの、となりのジョン・ホプキンス大学で中央アジアや南アジアもの、 CSIS で戦略ものといったように、外のシンクタンクのセミナーによく出かけた。セミナーが お昼にかかると食べ物がサーブされるのも魅力的だ(ただし、たいていまずいサンドイッチ。 コーヒーはスターバックスで美味しいが)。

私が滞在中に意識したのは、1)上海協力機構を無視するか敵視する傾向が強い政策コミュ ニティへの提言と2)北方領土問題や日ロ関係に関する米国の後押しをとりつけることの2 点であった。前者はケナン研究所やVOA を通じて発信し、2007 年7 月に笹川と共催で行っ たシンポの成果(『上海協力機構:日米欧とのパートナーシップは可能か』)で「ロビーイング」 をかけたせいもあり、多少の効果があったように思う。他方で、後者はCSIS やアメリカン大 学などで報告し、国務省関係者と議論を重ねたとはいえ、ワシントンがいま日本にもロシア にも関心を失っている状況では広がりのある理解を得られたとはいえない。上海が関心をも たれ、日ロに誰も振り向かない。その鍵の一つはワシントンの政策コミュニティが中国問題 に熱中しているからである(北朝鮮ではない、念のため)。

中国は東アジアを議論するコミュニティの圧倒的なテーマである。私はそこで一生懸命に 日本とロシアの関与の意味をとき続けたが、日米の認識ギャップに衝撃をうけた。ワシント ンの政策コミュニティは、東アジアを基本的に米国と中国と日本の三角形で考える。日中が 対米同盟を結ぶシナリオがないとすれば、米国が(問題の対象となりうる)中国と直接、マネー ジするか(民主党)、日本との同盟を梃子にプレッシャーをかけるか(共和党)選択肢は2 つ しかない。そこから民主党が政権をとると日本がまたクリントン時代のようにパッシングさ れるという理解が生まれるのだが、これは誤解である。民主党ブレーンには2 ヵ国間ではな く多国間協力を構想する人たちが多く、中国のみを論じていても日本を忘れているわけでは ない。民主党に近いブルッキングスにおいても、中国のことしか公けで語らない人たちも日 米同盟を前提に考えており、内心はかなり日本に友好的だ(わがセンター長のリチャードな どもその一人だ)。むしろ、彼らは日中関係が悪化して、米国の負担が増えることの方を心配 している。だが問題はその先にある。実は多くのワシントニアンは、「日本は中国が怖くて怖 くて仕方がない。だから米国に日米同盟の強化をお願いしているのだ」と考えている。日本 の中国とのつきあい方や日本外交の方向をきちんとおさえれば、この種の理解は表層的なは ずだ。では、どうしてこのようなことが起こるのか? 日本から「中国脅威」のメッセージ を一面的にロビーする人たちがいるからだ。彼らは米国の弱さを熟知している米国専門家で もなく、中国の問題点を知り尽くしている中国専門家でもない。その多くは、ただワシント ンにパイプをもち、戦略・政策通として食い込んでいるだけだ。ワシントンで驚いたことの 一つ。日本ではあまり知られていない人たちの議論がひとかどの専門家のように数多く流通 している。日米関係の問題点のひとつはおそらくこれだろう。

だが米国側にも理由がある。この日本からの声に照応するワシントンの東アジア・コミュ ニティの狭さである。ワシントンは通常、ユーラシア大陸を中心に置いて、米国を西に日本 を東に置いた地図で世界を考える。だがユーラシアを通じて日米関係が交錯することはない。 ワシントンから順次エリアを設定すると、ロシアはヨーロッパの延長にはいる。東アジアや 北東アジアのなかでロシアが入るのは稀だ(ギル・ロズマンの存在やCNAPS がアジアに詳 しいロシア人を客員に呼んでいるのはあくまで例外。ブルッキングスでもロシア問題はヨー ロッパ・セクション)。中国、朝鮮半島、日本など極東はいわば果てのエリアとなる。では日 米同盟はどうなのか。これは、いわばワシントンから西海岸を経て、この世界地図では表現 されていない太平洋を通じて、裏側から延びるベクトルであり、その対象はせいぜい中国で 終わる。日米同盟を世界にというCSIS や共和党の一部の発想も、所詮、このベクトルを軍事 的意味合いをもたせてインド洋側にひっぱろうとするものに過ぎない。マイケル・グリーンが 論じる日米関係は俊逸であっても、彼の東アジアを越えた日本外交に対する理解は議論の余 地が多い(彼が論じる日本の対ロシア外交や対中央アジア外交を読むと悲しくなる。例えば、 Japan's Reluctant Realism をみよ)。いずれにせよ、ヨーロッパや中東など地図の表側を通じて 米国と日本のベクトルが交わる発想はワシントンの政策コミュニティにはほとんどない。だか らこそ、彼らは日本外交がそれなりの存在感を示している、ヨーロッパ(とくに中東欧)、中 東(とくにイラン)、南アジア(インドにもパキスタンにも)、中央アジア、東南アジアなどへ の貢献が視野の外から抜け落ちる。結局、彼らの認識の狭量と日本の「ロビー」とが結びつき、 日本外交があたかも中国の一挙一動に左右されているかのような言説を再生産させている。

これに対する私の処方箋は、日本外交の広がりと蓄積をワシントン全体に伝えるフォーマッ トを作り、強化することである。要は、米国の日本学者とだけ「愛」を語り合う「日米専門 家対話」ではなく、(私たちがあまりおつきあいしておらず、日本を知らない)世界各地をカバー する米国人専門家と(彼らが知らないが、日本ではトップクラスの)世界に対する知見をもっ た日本人専門家が互いの存在を認識し、対話をすることだ。この種の日米「交流戦」を組織 することが、新しい日米関係の方向性をつくるために緊急に必要なことだと思う。ブルッキ ングスにいたことで、ワシントンでつちかったネットワークを梃子に今後、そのような仕事 を私は手がけていきたい。「中国が怖いからワシントンに泣きつく日本」。このイメージの延 長線上で「日本をもっと大事にして」と「知日派」にロビーを重ねてもあまり効果はなかろう。 日本は米国との関係を強化するためにも、まず隣国との関係を安定し発展させなければなら ない。隣国との関係強化には国境問題を建設的な方法で解決する必要もある。そして、韓国 と同盟を結び、ロシアと協力し、中国との関係を調整する。そのプロセスを通じて日本はみ ずからが地域秩序を創出する主体として、ユーラシアに対する日本の外交アセットを米国に 伝えれば、日米関係は新たな展望を見いだせよう。結果として、日本は米国の政策コミュニティ でより大きな尊敬と信頼を勝ち取れるに違いない。


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