スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年秋号 No.115 index

モンテネグロ滞在記

河原朗伸(北海道大学文学研究科博士後期課程3年)

 

今回の留学は2006 年6 月の モンテネグロの独立に伴い新た に設けられた奨学金制度によ り実現した。9 月に入ってスラ ブ研究センターから留学生に決 まったとの知らせを受けてから 約1 ヶ月でのあわただしい出発 となった。

2006 年10 月半ばから2008 年 6 月末まで途中4 ヶ月の一時帰 国をはさんで、17 ヶ月間モン テネグロ共和国のニクシチ市に 滞在した。

モンテネグロ政府からの条件 は、モンテネグロ大学哲学部の 修士課程で2 年間研究を行い修 士号を取得できるということだったが、こちらが博士課程に在籍しているということもあり、 むこうでも博士課程で勉強することになった。

2008 年元旦のニクシチ中心街
2008 年元旦のニクシチ中心街

私の日本での研究テーマはセルビアの民俗宗教についてであり、モンテネグロでは現地の 儀礼や俗信について研究する事を希望していた。しかしむこうの文部省によると哲学部には 該当するコースや指導教官がいないとのことで、かわりに口承文芸を専門にする教官を紹介 してくれた。これまで口承文芸はおろか、文学にふれることさえ無かったため大いに戸惑った。 はたして留学期間の2 年でどれほどのことが出来るのか不安だった。

日本を後にしたのは、2006 年10 月14 日のことだった。モンテネグロへの道は遠かった。 直行便などは当然存在せず、乗り継ぎをしてもポドゴリツァまでの安い航空券を見つけるこ とは難しかった。ようやくチケットを手に入れ、札幌―中部国際―ドバイ―ウィーンと旅し たものの、ウィーンで飛行機の 乗り継ぎに失敗し、空路でのポ ドゴリツァ入りはかなわなかっ た。止むを得ず空路で深夜ベオ グラード入りし、そのまま夜行 バスで10 時間以上かけてよう やくポドゴリツァに到着した。 日本を出てまる2日が経ってい た。

2008 年旧暦クリスマスのニクシチ中心街
2008 年旧暦クリスマスのニクシチ中心街

哲学部のあるニクシチはモン テネグロとボスニアを結ぶ交通 の要衝で、首都ポドゴリツァの 西北50 キロメートルに位置す る。石灰岩のごつごつした岩山 に囲まれ、清らかな湧き水に恵 まれてニクシチ・ビールの産地として知られている。町には東ゴート人が造ったという城砦 の址や、オスマントルコ時代のイスラム教寺院も残っている。初めて訪れたニクシチは町自 体はこじんまりとしていて、いかにも地方都市、あるいは村落といった感じだった。町の中 心部は北大キャンパスにすっかり収まってしまうぐらいで、道を歩けば必ず誰かしら知り合 いに出会った。

学生寮に入ると聞かされていたが、行ってみ ると外国人留学生にはホテルの一室が与えら れるとのことだった。冬場は湯が出ない、頻 繁に停電・断水がおこる、また自炊が出来な いなど不便なこともあったがおおむね快適に 過ごすことが出来た。ホテルではロビーにPC を持って行かなければインターネットはでき ず、また回線も2つしかなく不便だったため 利用しなかった。日本との連絡は学校の読書 室や近くの携帯ショップにあるネットスペー ス(有料)のPC を利用した。よく停電やトラ ブルが起こり必ずしも快適とはいかなかった がほぼ毎日お世話になった。ホテルには長期 滞在の客や学生もいて、その中のコトル(ア ドリア海沿岸の都市で世界遺産)出身のおば ちゃんは、息抜きにと車でニクシチ近郊の自 然やスカダル湖を案内してくれた。生来の出 不精で、かつお金にも困っていたため旅行は 諦めていたので、彼女の好意はうれしかった。

2007 年旧暦クリスマス。喫茶店入り口に
立てかけてあるのはバドニャクbadnjak
とよばれる儀礼用の木
2007 年旧暦クリスマス。喫茶店入り口に 立てかけてあるのは
バドニャクbadnjak とよばれる儀礼用の木

学部と図書館、学生寮、食堂はホテルから 徒歩10 分のところにあり日常生活の大部分を ホテルの部屋か学校ですごした。奨学金として月150 ユーロ(モンテネグロの通貨はユーロ) のほかにホテル代と食費も保証されていたので、3 食ともに学生寮の食堂で食べる事ができ た。料理は肉中心で味付けが濃く、塩と油を大量に使う。1口目は美味しいが食べ進めるに つれ胃にこたえる。おまけに大 柄なモンテネグロの学生たちの 間にあって小柄な日本人は目立 つようで、食堂のおばちゃん達 は「もっと食べなさい」と皆よ り多めに盛ってくれていたため 全部食べきると胃が震えた。そ れ故1日1食という日もあっ た。とはいえパスリ(pasulj) という豆の濃厚なスープやロー ルキャベツ(sarme)などは大 変美味しく頂いた。

ある日の昼食
ある日の昼食

現地に着くとすぐに国際交流 担当の教官と連絡を取り、指導 教官と面会し、その場でテーマ が決まった。指導教官は口承文芸、特に英雄叙事詩を専門とされる方で、はじめは2週間に 1度、2年目は週に1度指導をしていただいた。ゼミの内容は英雄叙事詩、抒情詩、民話の テクストを読み、分析し小さな報告をするというもので、初めはやり方もわからず、また自 分の言いたい事もうまく伝わらず苦労した。結局やり残したことも沢山あったが、話好きで 豪快な指導教官からは、きわどい冗談も交えつつ多くの有益なアドバイスをいただいた。国 際交流担当の教官に勧められ幾つか学部の授業にも出てみたが、結局は図書館で自習する事 を選んだ。

指導教官のキリバルダ教授と
指導教官のキリバルダ教授と

学部内にある図書館はそれほ ど大きくはなく、資料も分野に よって偏りがあり、物足りなく 感じた。PC による検索システ ムなどは存在せず、専ら職員の おばちゃんたちの記憶を頼りに 本を探した。ただ見つかっても 必要なページだけがごっそり破 り取られていたりしてガッカリ したこともある。結局図書館で は資料収集はせず専ら自習ばか りしていた。ニクシチには小さ な本屋が3件あるが学術書は少 なく品揃えも限られており、ま たセルビアで出版された本が断 然多い。ポドゴリツァには大きめの本屋もあるがやはり似たような状況で必要な本は手に入 れにくい。

古書店はポドゴリツァにすらなく、郵便事情や料金も考えれば本を買うならセルビアのベオ グラードやノビサドに行ったほうがよいだろう。また文献のコピーも蔵書検索の利便性などを 考えると同じことが言えると思う。実際私も2度の帰国の際セルビアで必要な資料のほとんど を揃えた。ただ、ここ何年か、年に1度ポドゴリツァでも本の市が催され、規模こそベオグラー ドの本の市には遠く及ばないが、いい本を安く買える機会ができたのはうれしかった。

ボカ・コトルスカ(Boka Kotorska)のアドリア海
ボカ・コトルスカ(Boka Kotorska)のアドリア海

図書館について最後に1つ。 留学生ということもあってカウ ンター内で自由に本を手に取ら せてもらったり、規定の冊数を 超えて本を貸してもらえたり、 その他何かにつけて目をかけて もらった。色々不満も書いたが おばちゃん達には本当に感謝し ている。

結局、定められた期間内で博 士論文は書けなかった。とはい え、重要だとは感じていたが取 り組むきっかけが無かった口承 文芸という分野を専門家のもと で学び、得るものが多かった。 書いたものを送って来いという指導教官の言葉も有難かった。また研究以外でも、学外で老 若男女、様々な職業の人達とニクシチ・ビールやラキヤ(モンテネグロではブドウのものが よく飲まれている)やトルココーヒーを飲みつつ、バカな話、他愛も無い話や人生の話をした。 勿論、人それぞれであるし、よくわからない部分も多いが彼らの価値観や気質の一端に触れ られたような気がした。

滞在中はしんどいことも山ほどあったが、ヨーロッパの片隅の田舎の町で人々の暮らしぶ りや習慣に実際に接する事ができてよかったと思う。


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