スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年冬号No.124 index
2 年前の春、あるNPO 団体からスラヴ語に関する小さな記事の執筆依頼があった。朝日新 聞のチェルノブイリ関係の記事に出ていた「ポリーシャ語」についての一般向けの解説をし て欲しいとのことである。なぜ私にそのような依頼が来たかというと、この件についてその 団体から相談を受けたある著名な言語学者のK先生が、私のポーランド滞在の経験をご存知 で、ポーリッシュ(ポーランド語)に長けていると言って、執筆者として推薦してくださっ たからである。
余談だが、このK 先生と知り合ったのは、そのさらに数年前、ハンガリー語研究で著名な故・ 徳永康元先生の蔵書整理に動員されたときである。徳永先生は大変な愛書家で、その書庫に は凄まじいものがあった。K 先生は徳永先生の愛弟子の1 人であったため、その蔵書整理を 一手に引き受けておられた。蔵書整理は毎週土曜日と日曜日である。K 先生は本棚から研究 書を丁寧に取り出し、埃を払って紐で縛る前に、まずマスクを外し、その本の意義やその分 野の研究史などを動員された若者たちに説明される。K 先生の気さくなお人柄、大変な博識、 その上時々スラヴ語関係の本が出てくると「いい本見つけたね。それ、持って帰っていいよ」 とおっしゃるので、毎週土日の労働が楽しみであった。
さて、NPO 団体とK 先生の間でどのようなやり取りがあったのかはわからないが、「ポリー シャ語」という言葉自体が聞き慣れないこともあって、またその言葉がスラヴ系ということで、 先方の間でポーランド語と混同されて私に依頼が来たと想像される。いずれにしても、丁度「ポ リーシャ語」に関心があって調べていたので、お引き受けすることにした。
「ポリーシャ」とは、北ウクライナと南ベラルーシの国境に沿って細長く広がる地域の名称 で、ポーランドの東部も一部含まれている。「ポリーシャ」の語源については諸説あるようだが、 もし“po-les-ьjе” であれば「森林に沿った土地」という意味である。それに対して「ポーランド」 の語源には“pol’e” が入っているので、「平野」と関連しているか、あるいは「平野に住む部 族(Polanie)の土地」という意味になるだろうから、いずれにしても「平野」と関係してい る。したがって、この二つ名前の音は似ているが別物である。ロシア語の発音に基づくと「ポ レシエ」、ベラルーシ語風には「パレッセ」と表記するのがよいだろうが、ここではとりあえ ず「ポレシエ」と書くことにする。
この地域で話される言葉は東スラヴ諸語の方言で、ウクライナ語とベラルーシ語の過渡的 方言とされる。過渡的方言であるから、その言語的属性は研究者によって意見が異なる。例 えばベラルーシ学の父E. カルスキーの『ベラルーシ方言地図』(1903 年)では、ポレシエ地 方の大部分は北小ロシア(ウクライナ)方言として扱われており、N. ドルノヴォ、N. ソコロフ、 D. ウシャコフによる『欧州部分のロシア語方言地図の試み』(1915 年)でも、やはり過渡的 な北小ロシア方言として扱われている。特に議論がぶつかるのが西ポレシエ方言であり、現 在では、ウクライナの研究者はウクライナ語方言、ベラルーシの学者はベラルーシ語方言と することが多いようである。
言い方を変えると、この地方の言葉はウクライナ語でもベラルーシ語でもあるし、同時に ウクライナ語でもベラルーシ語でもないのである。この意味において、ベラルーシの方言学 者P. ブズク著『ベラルーシ言語地理学の試み』(1928 年)における次の見解は印象的である。「も し文化的・国家的中心が他の場所に出来れば、それと共に言語間の境界が変わることは明ら かである。例えば、南ベラルーシ方言と北ウクライナ方言には少なからぬ共通点があり、も し何らかの理由で政治的、文化的組織の中心がポレシエ地方のどこかに現れていたとしたら、 ベラルーシ・ウクライナの過渡的方言地域に、新しい『ポレシエ語』が出来た可能性に議論 の余地はない。」
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西ポレシエ方言 |
このような境界と言語の属性、政治的問題も含んだ新言語の成立をめぐる問題は、スラヴ 語世界においては珍しいことではない。例えば、有名なところでは「マケドニア方言」の属 性を巡るかつてのセルビアとブルガリアの長年にわたる対立が思い出されるし、オンドラ・ ウィソホルスキの「ラフ文語」(スラブ研究センターニュース120 号の拙文参照)もチェコ語 とポーランド語の過渡的方言の問題であった。セルビア・クロアチア語の後継諸言語である、 クロアチア語、セルビア語、ボスニア語、モンテネグロ語の諸問題も方言の連続性と境界と の問題と密接に関わる。
果たして、ブズクの「予言」はおよそ半世紀後に部分的にではあるが実現したのである。 それが「西ポレシエ語」である。西ポレシエ語の活動は、1980 年代言語学者でかつ詩人で、 西ポレシエ地方出身のミコラ・シリャホヴィッチ氏(1956 年~)のイニシアティヴの下、数 人の仲間たちとともに始まった。シリャホヴィッチ氏は詩作をロシア語やベラルーシ語で行 うが、自身の詩的表現が母語ではないこれらの言語では実現しないこと、そしてバルト世界 とも繋がっている祖先や、かつての文化的・民族的な特殊性への憧憬にも似た感覚から、独 自の言語を持つことの必要性を説いた。そして1988 年には文化団体「ポレシエ」を結成し、 ペレストロイカの流れにのり、西ポレシエ語を中心としつつも、ベラルーシ語やロシア語の 記事や文学作品も掲載された新聞を刊行しはじめた。
シリャホヴィッチ氏のプロジェクトには、ベラルーシだけではなくウクライナからの参加 者も20 人ほどいたという。中にはポレシエ地方出身ではないにも関わらず、シリャホヴィッ チ氏の言語プロジェクトで詩作を発表するミコラ・チェルニャクのようなジャーナリストも いた。インタビューに応じてくれた当時の参加者の1 人、ヴィクトル・ダヴィデュク氏によ ると、ポーランド側のポレシエ人からの参加はなかったそうである。
1990 年には、専門家や活動家を中心とした西ポレシエ語の諸問題と規範化に関するシンポ ジウムも開催された。このような西ポレシエ語の文語化の試みは、ベラルーシ言語文化から の分離主義であるとして非難されることもあったが、現象として多くのスラヴ語学者の注意 を引いた。こういったミクロ文語の大家A. ドゥリチェンコはもちろんのこと、N. トルストイ、 A. スプルン、G. ツィフンといった大御所もこの問題に注目し、議論に参加している。
この運動は90 年代初めから半ばにかけて停滞し、法的には現在も存続しているが、96 年 ごろからは実質的な活動が停止した。その理由はいくつかある。例えば、1)このような小さ な地域でもさらに小さな方言差があり、人工的な共通語の創設にそもそも困難があったこと、 2)シリャホヴィッチ氏がロシア語、ベラルーシ語と西ポレシエ語を区別する目的で導入され た文字システムや造語法が複雑であり、それが生きた方言とかけ離れてしまい、彼以外には マスターしにくかったこと、3)ポレシエ地方の一部のエリート以外は、西ポレシエ語の印刷 物には大きな関心を示さなかったこと、4)シリャホヴィッチ氏は現存しないバルト系のヤト ヴャク人をポレシエ人の祖先とみなし、言語名をヤトヴャク語(јiтвјежа волода)としたこ と、などの理由が挙げられよう。因みに、シリャホヴィッチ氏によると、ポレシエ地方でも 聞かれる“jazyk” はロシア語風、“enzyk” はポーランド語風なので、新しい語として「先祖」 の言語と類縁関係にあるバルト系ラトビア語の単語“valoda”「言葉」からvoloda という語 を造り採用したのだという。
このように「リーダーが飛ばしすぎるとついていけない」という例はシリャホヴィッチだ けではない。19 世紀中ごろにカシュブ語を方言から文語に引き上げ規範化しようとしたが一 般民衆からは理解されにくかったF. ツェイノワ、21 世紀に入ってからでも「モラヴィア語」 を標準化し、その規範にグラゴール文字表記や「独立与格構文」などを取り入れようと考えた、 かつてのR. スボヴォダらなどが連想される。
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Wiktor Stachwiuk 著 Siva zozula より |
では今日、西ポレシエ語とその運動はどうなったのか。インタビューに応じてくれたかつ ての活動家たちの話では、西ポレシエ語を使う者はもういないとのことだ。当時に懐かし さをこめながら批判する口調で語るのみである。インタビューに応じたベラルーシ語学者の フョードル・クリムチュク氏は「結局西ポレシエ語を使うのはシリャホヴィッチ1 人きり。 彼は『ウィソホルスキ』になってしまった!」と述べる。 シリャホヴィッチ氏はベラルーシを去り、現在はカリーニングラードで会社を営んでいる。 ところが、シリャホヴィッチ氏本人の談によると、私の質問攻めが彼に火をつけたとのこと、 昨年末に次のようなE メールがロシア語で届いた。
彼はこれまでの活動を総括しつつ、活動を再開したようである。尤も、彼が言語問題に関 わる活動にどれぐらい関心を持っているかは不明である。
尚、近年ポーランド側でも似たような動きがある。新たな東スラヴの文語「ポドラスカ語」 の規範化と言語文化の保全を目指す団体“Svoja” である。質問を受けてくれたJ. マクシミュ ク氏によると、シリャホヴィッチ氏の西ポレシエ語の運動とは直接的な関連はないとのこと である。彼らのサイトには正書法や文法といったテーマから広く言語文化に関わる情報が満 載である。活動家の1 人ヴィクトル・スタフビュク氏は「ポドラスカ語」で出版活動も行っ ている。尚、この団体は、目下のところウクライナ側とベラルーシ側の協力関係にはないと のことである。
今後この二つの団体がどのような活動を行っていくのか、興味が尽きないところである。 ますますスラヴ語圏の境界から目が離せない。