スラブ研究センターニュース 季刊 2011 年春号No.125 index

学界短信

国際・政治学会(IPSA)と欧州政治研究コンソーシアム(ECPR)の合同コンフェレンス



 2006 年に福岡で世界大会をやったこともあり、日本人の政治学者でIPSA を知らない人はいないだろうが、欧州政治研究コンソーシアム(ECPR)の方は耳慣れない団体ではないだろうか。私も、すぐれた政治学雑誌である European Journal of Political Research を刊行している団体といった程度の認識しかなかった。聞くところによれば、IPSA が ASEEES などと同様、個人加盟制の団体なのに対し、ECPR は政治学の研究機関で構成する団体らしい(その点では中国のスラブ学会と同じである)。「ヨーロッパ」とはあくまで団体発祥の地を表す形容詞で、いまでは 非欧州の研究機関も加盟しているようだ。

サンパウロの日本人街
サンパウロの日本人街

 この2 月16 ~ 19日、ブラジルのサンパウロ大学において両団体が初めて合同で国際学会を開いた。ブラジルの土地柄を反映して、全体のテーマは、「南北関係に何が起こっ てい るのか」というものだった。このくらいのステータスの学会が南米で開催されること自体が珍しいことなので、ブラジルの同僚の張り切りようは微笑ましい位 だった。東アジアから参加するためには北米乗り換えで丸1 日飛ばなければならないが、ヨーロッパ人にとってはブラジルはリスボン経由で行けるので学会開催地としては不便ではない。ペーパー数はよくわからなかった が、多分400 ~ 500 本、ASN の半分程度の規模だっただろう。
 福岡の世界大会でさえ出なかった私だから、通常であればこのような学会が開かれることさえ知らずに終わっただろう。ところ が昨年の初夏にロシアの政治学者のミハイル・イリインが、同じく政治学者である奥さんと一緒に「不利な条件下での民主主義建設」というコンセプトでサンパ ウロでパネルを組織しようと声をかけてきたので、二つ返事でOK した。南半球に行くことなどこれが最初で最後だろうし、BRICs の一角であるブラジルは、露中印を比較する新学術研究の成果を発表するのにふさわしい場所だと思われた。ブラジルを見ること自体が露中印を考察する上でも 役に立つかもしれない。イリイン夫妻は頑張って声をかけて、当初はユーラシア対象と非ユーラシア対象で2 パネル組織する予定だったが、イリイン 夫妻自身が参加を断念するというよくある展開で、1 パネル、4 報告に縮小した。
 初めての合同学会であり、今後継続する試みかどうかもわからないらしいが、その組織方法が変わっていたので記しておきたい。まず組織委員 会が、「国際関係の変化するパターン」、「政治体制、民主制の定着と質」、「経済趨勢と政治・社会・文化変動」というテーマ別に3 部門に分かれており、この部門が主導的な役割を果たす。通常の国際学会では組織委員会はプロポーザルを査読し、一定の水準があれば通すだけだが、この部門 指導者は、もっと差し出がましいこともやったようだ。事前に提出されたペーパーはホームページから汲み出せる仕組みになっていたので、それは有難かった。
  サンパウロ大学の立地は悪すぎる。物価が安いブラジルで、市の中心からタクシーで4 千円くらいかかるし、地下鉄で一番近い駅に行ってからタクシーに乗り継ぐと通勤に2 時間近くかかる。しかも最寄の駅からもかなり遠いので、お金もあまり節約できない。タクシーがラッシュに当たると目も当てられない。メーターだけが上が り、30 分間で数百メートルしか進まない。組織委員会指定のホテルに住んでいればバスの送り迎えがあったようだが、それも毎日1500 円くらい取られる。2015 年に世界大会を開催する立場から見れば、「こんな立地条件でよく国際学会など呼んだな」と呆れる。
 アメリカの学会に慣れた身には、プログラムはおそろしく緩く感じる。4 日間の学会だったが、毎日午後3 時40 分にはパネルが終わる。その後、午後7 時に組織委員会が提供する大企画があるのだが、その間3 時間以上はぽっかり時間が空いてしまう。大学の周りは産業団地で何もないし、市街までもどってしまえばもう夜の企画に出るのは無理である。
 European Journal of Political Research という雑誌もそうだが、政治制度論にすぐれた発表が多かったように思われる。私の知り合いの中では、準大統領制研究の第一人者であるロバート・エルジーが 組織委員の一人だったので、準大統領制研究が盛んな台湾から中央研究院の呉玉山をはじめ沢山研究者が参加していた。私は昨年の11 月に台湾の国立政治大学と中央研究院で報告したばかりなので、なんだかストーリーがつながっているような気がする。そのほか日本人にも馴染みの顔といえ ば、1990 年代の前半に東大で就職浪人をしていたウクライナ人のミハイル・モルチャノフ(いまはカナダで教えている)、SRC の国際シンポに参加したエストニアのエイキ・ベルグ、ドイツ在住のオレフ・プロツィクくらいであろうか。どういうわけか、西欧や米国の研究がほとんどな く、東欧、南米、アフリカ、トルコ、インドなどに関するペーパーが大半だったので、政治学ではなく地域研究の学会に出ているような感じがした。

サンパウロの旧市街
サンパウロの旧市街

 私自身は、「競争的権威主義体制とその奇妙な代替物:ロシアと中国」という題で、あまり実証的でない話をした。新学術では経済班が「再版ブレトン・ウッ ズ体制」のような大きな議論をしているので、政治学でもそれに対抗しなければならないと考えたからである。幸い、イタリアのil Mulino という雑誌に短縮版を発表するよう声をかけられた。また、前々からロシアの同僚にはロシア政治学会長のオクサナ・ガマン-ゴルトヴィナ(MGIMO)に会 うよう言われていたが、今回会場でようやく会うことができた。彼女からは、ペーパーの完全版の方を彼女が企画中の論文集に寄稿するよう誘われた。
サンパウロは近代的なまちで、観光都市としてはリオデジャネイロよりも劣るらしい。ダゲスタンでの調査のために学会の最終日の夜には、そのサンパウロを発 たなければならなかったので、まち自体は、日本人街でラーメンを食べ、旧市街を歩いた以外は何も見ることができなかった。レヴィ・ストロースが『悲しき熱 帯』の中で「南米ではあらゆるものが巨大で、あらゆるものが急速に劣化する」といったようなことを書いていたように記憶するが、私が旧市街で受けた印象は まさにこれであった。イスタンブル、上海、北京、コルカタ、テヘランなどの世界の新興大都市に共通することだが、経済の成長に都市のインフラがまったく追 いついていない。それは絶望的な交通渋滞や空港入管前の長蛇の列に現れる。このうち北京と上海だけは、数年前と比べれば交通事情が明らかに良くなり、経済 実態にインフラを追いつかせる強い国家の意思を感じるが、その他の国はあまり目的意識的ではないようだ。
非常に嬉しい邂逅だったが、サンパウロ大学を初めとしてブラジルには数名のロシア研究者がいるようである。イリインが欠席してしまったので、私たちのパネ ルの組織者をやってくれたのは、サンパウロ大学のアンジェロ・セグリロという、ソ連政治史を専門とする若い長身の教授であった(ブラジルのロシア学者など 珍しいと思うので、彼の講義が聞きたければ次にアクセスされたい http://www.youtube.com/watch?v=7W8m9ChOOaI)。1990年代にロシアから移住してきた研究者が中核となり、 いまロシア語を読める研究者が育っている段階だそうだ。
 [松里]

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