スラブ研究センターニュース 季刊 2012 年春号No.129 index

大学院だより

修了者・新入生・在籍者

 2011 年度、大学院文学研究科スラブ社会文化論専修では、7 人が修士課程を修了しました。
また、加藤美保子さん、倉田有佳さん、高橋沙奈美さんが年度途中で博士号を取得しました。
 皆さんの諸方面での活躍をお祈りしています。修士課程修了の石黒さん野口さんが、下記のように修了者の声を寄せてくれましたので、お読みください。 4 月には、修士課程4 名、博士課程3 名(内部進学)の新入生を迎えました。今年度の大 学院生およびスラブ研究センター研究生は以下の皆さんです(研究テーマは仮のものを含みます)。
[長縄]

学年 氏名 研究テーマ 指導教員(正/副)
D3 須田 将 スターリン期ウズベキスタンにおけるソヴィエト市民の創出 宇山 岩下
立花 優 アゼルバイジャン現代政治 宇山 松里
井上岳彦 帝政ロシアとカルムィク人 宇山 長縄
櫻間 瑛 ロシア連邦沿ヴォルガ地域における宗教=民族関係 宇山 松里
マルティン・ホシェク 極東におけるチェコスロヴァキア軍団(1918-1920年) ウルフ 松里
竹村寧乃 ソ連初期ザカフカス連邦 宇山 長縄
秋月準也 ミハイル・ブルガーコフと20世紀初頭のロシア文学 望月 野町
アレクサンドラ・クリャクヴィナ 有島武郎の「或る女」とトルストイの「アンナ・カレーニナ」における女の運命 望月 野町
斎藤祥平 言語学者N.S.トルベツコイとユーラシア主義 ウルフ 望月
松下隆志 ゼロ年代以降のロシアにおけるポスト-ポストモダニズム文学 望月 野町
中嶌哲平 コーカサスのトルコ系ムスリム知識人の政治思想とその運動 長縄 宇山
D2 ハン・ボリ(韓寶离) 中央アジア高麗人社会の「改宗と伝統」問題 宇山 長縄
D1 長友謙治 世界の農産物市場におけるロシアの役割 山村 田畑
アセリ・ビタバロヴァ カザフスタンおよびタジキスタンにおける中国に対する認識 岩下 宇山
西原周子 ヴーク・カラジッチとセルビア標準語 野町 望月
M2 恩田良平 CISにおける経済的地域主義と関税同盟 田畑 宇山
エレーナ・ゴルブノワ ロシア極東地域の発展における中央政府の役割 田畑 山村
高良憲松 チェコスロバキアの対西側外交(1945-1948) 家田 野町
中野 智 クルグズ共和国の経済政策 宇山 岩下
山﨑龍典 ソ連に於ける任意スポーツ団体 松里 田畑
M1 河津雅人 ウクライナにおける民主化 松里 宇山
千葉信人 1939-1944年のソ連のフィンランド政策とソヴィエト社会主義共和国 松里 ウルフ
中田宏治 ゴローニン事件を通してみる19世紀初頭の日露外交史 ウルフ 岩下
古川雅規 ロシア語とチェコ語の接頭辞の比較研究 野町 望月
研究 生 小野瑞絵 現代の地域紛争における暴力的非国家主体の分析:中央アジア・コーカサスの過激派 宇山
ヤン・ファベネック 現代における日本と極東ロシアの交流 岩下
アリベイ・マムマドフ 日露関係における北方領土問題 岩下

大学院だより

研究室を去り、社会で生き抜くために

石黒太祐

チェコ研究を選択した理由

 まず、なぜチェコを選択したのかについて述べることから始めよう。私にとってチェコと は練習問題である。大学時代はヨーロッパよりもアジアについて接する機会の多い、政策研 究を学ぶ学部で過ごした。第二言語はタガログ語。模擬国連という国際問題をディベートす るサークルに所属し、パレスチナ問題の会議を主催、また学外では全国各地の学生と交流し た。東南アジア地域研究者である当時の指導教官に従い、2 度カンボジアでの調査に参加した。 しかしチェコ研究を選択したのは、チェコスロヴァキア初代大統領トマーシュ・ガリグ・マ サリクに関心を持ったからである。私は彼の人格・勇気・行動力に感染した。いかに逆境を 乗り越えるのか、所与の条件下において劣勢な者(集団、国家等)が優勢な者に対していか に立ち向かっていけばよいのか、「小さな」者はいかに自らの同一性と尊厳を維持できるのか、 強さ、寛容さ、力とは何か、などといった問いを自らに立て、チェコ研究を通じてその解答 を探すことにした。そしてそこから得たヒントやエッセンスを日本・アジアに持ち帰ろうと 思った。大学とは卒業する場所である。一定の成果を出したらそこを去り、社会で生きるのだ。 以上が札幌に来た理由である。

何を学んだのか

 長らく混迷し紆余曲折した挙句、統治システムの解明という自分の中にあった元々の政策 研究指向を再発見し、その原点から今一度始動することにした。同期の皆が修了・進学する中、 私一人が依然前進できないことで屈辱の日々であったが、焦る中でも立ち止まり自分の指向 性を再確認し成熟できたことで意義ある日々だったとしたい。1970-80 年代の「正常化」体制 を主題に決めた。人事パターン・権力行使状態・政治裁判を題材に、1950-60 年代・「プラハ の春」期の体制と比較することを通じて、「正常化」体制の統治能力を分析する作業を行った。 研究を進めるうちに明確化した主題選択の理由は、その時代におけるチェコスロヴァキア社 会の状態が今日の日本社会と重なって見えたからである。軍事介入による「プラハの春」敗 北後の失望と諦め、自嘲と憎悪、握手と裏切り―。それなりに日々の暮らしを謳歌する一方 で、再び人びとは不安と疑心暗鬼を抱え、公的問題に関わるのを避け、社会から退却していっ た。統治権力側を研究することにしたが、主題選択のきっかけは「憲章77」に関心を持った からである。「憲章77」は逆境が人びとを結びつけるのだということ、先の見えない将来の 中でリスクを引き受け行動する勇気、人生において信念を持つことの大切さを示した。もち ろん人は単純な立場、状況に生きているのではない。時代・社会が変われば価値体系も変わる。 党最高幹部が最終的に自ら主導した粛清の標的になり処刑され、終身刑判決を受けた者が後 に党書記長になり、あるいは「憲章77」の元政治犯が後に大統領になる―。いくつもの人び との不条理な体験を知ることで、自らの思考と行動の一貫性を維持すること、仲間を大切に すること、どこまでも可能性を追求することが、今後私と私の大切な仲間たちがこの社会で 生きていくのに必要なことだと思い至った。修士課程における個人的成果はこのようなもの と捉えている。

可能性の追求

 専門を活かすことについて考えることがある。私の場合、チェコ語とチェコ現代史の知識 を活かせる仕事に就くことが専門を活かすことになるのだろう。だが必ずしもそうは思わな い。私は専門を活かすとは、可能性を追求することだと考えている。チェコ語とチェコの知 識を使う機会はどれだけあるだろうか? このような意味での専門に固執すれば、私は自ら将 来の可能性を狭めることになる。 例えば大学で平和構築学を学び国際機関で働きたいと思っていたが、就職先はパン屋の店 員になったとしても専門を活かすことができる。兵士を武装解除して社会成員としていかに 包摂していくかという課題に取り組んで得た知見は、パンの販売を通じていかに閑散とした 駅前通りに人びとを呼び戻すかという課題に取り組む際に活用し得る。私はチェコ語とチェ コの知識とは、いかに崩壊した社会を再生させるか、いかに価値体系が激変し何事によって も保障されない中で自分の力で生き抜くのか、いかに他人のために自分の意思を貫くのかと いった課題に対する解答に到達するためのアクセス手段にすぎないと捉えていた。チェコ語 とチェコの知識という専門は、これまで述べてきた社会で生き抜くヒントやエッセンスを掴 むため、つまり可能性を追求するためのものだった。こう考えれば私がこれまで取り組んで きたことは、どんな道を歩もうが、どこで生きていようが、何をしていようが十分に活かす ことができる。ゆえに我々は、自らの意思で何だって取り組んでもいいし、何だってするこ とができるのだ。我々の意思次第で常に我々の目の前には、どんな可能性だって開かれている。

大学院だより

2年間の激闘

野口健太(在ロシア大使館専門調査員)
 大学院の入試を受けにきた2010 年2 月、スラ研の試験会場に入ると日本人は私ただ一人、 まわりに同期となるロシア人とカザフスタン人の女性がいました。また試験の面接では全教 員10 名前後が私に視線を向けてきました。この時から「とんでもないところに来てしまった」 と思いました。 この予感は現実のものとなりました。莫大な量の予習、経済学理論習得のための数多くの 授業、将来のキャリア形成を考えた上で履修した授業、私の研究報告後、指導教員の田畑先 生が見せる苦笑い、・・・などなど。ただこれらを含め大学院でやってきたことひとつひとつ が、自分の肉となり血となったことには言うまでもありません。特に修士論文提出を前にし て、毎週火曜日、田畑先生の前で20 分の発表を行い、時には60 分近くも討論を続けたことは、 非常に有意義なものとなりました。このように多くの時間を私のために割いてくださった田 畑先生を始めとするスラ研や経済学部などの先生方、研究員の方々、事務・スタッフの方々、 大学院の先輩・同期・後輩の方々にご指導ご鞭撻をいただき、このたび無事修了することが できました。この場をお借りして御礼申し上げます。 この2 年間は充実した環境の中で勉強することができましたので、この経験は今後の専門 調査員としての仕事や、それ以降のキャリアにも役立つと思います。私の経験から言えるこ とは、修士の2 年ないし3 年を充実した時間とするのは自分次第だということです。たしか にスラブ研究センターには世界で活躍される先生方がたくさんおり、資料もかなり豊富にあ り、院生室の環境も相当充実しているので、その中だけで何かに一生懸命取り組むことも大 変有意義かと思います。ただそこから自ら一歩踏み出し、別の環境下で新たな視点を得るこ とも大変有意義でした。私の場合、北海道大学の他学部で自身の研究や今後のキャリアに活 かせるような授業に参加してみたり、海外に行って現地調査を行ってみたりなど、多くのこ とにチャレンジしました。2 年間が終わり相当疲れましたが、やってきたことに間違いはな いと言い切れる自信があります。 今後もスラブ・ユーラシア地域に関心を持った多くの後輩がスラブ社会文化論に入学して くれることを望んでいます。その中で先輩としての私の経験を、スラブ研究センターでの勉 学とキャリア形成に役立ててもらえると嬉しいです。

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