進展する地方レベルの交流
日ロ関係の諸問題の100%が東京・モスクワのレベルで決定されていた過去の状況は次第に変化している。しかしそれでも地方行政レベル、民間レベルでの日ロ関係の比重はまだまだ小さい。たとえば、4島へのビザなし訪問団の人選は100%中央レベルで決定されており、参加者構成をもっと幅広くすべきだとの地元の声はなかなか実現しない。堀北海道知事は97年9月にサハリン州を訪問し、「外務省にあった時期尚早論を押し切る形で、北方4島の共同開発の可能性を探ることでサハリン州と合意した」。しかし10月初旬に道庁を訪問した日本外務省高官は、「北方領土ですぐに共同開発というのは難しい。今回は経済協力を進めることが出来れば...」と知事を牽制したという(『北海道新聞』97/10/29)。
![]() |
氷結が始まった初冬のアムール川の岸辺にて |
北海道とサハリン州との経済関係は、東京・モスクワの理解を完全にこえている。漁業を通しての、極東ロシアとの関係はすでに長い伝統があることは周知のところだが、道とサハリンとの魚介類と一般消費財・家庭電子機器・中古車の交易は、最近無視できない規模に膨れ上がっているし、サハリン沖石油・ガス開発の北海道への経済効果はまだ小さいが、次第に増大するはっきりした兆候を見せている。したがって、北海道としては、道の経済浮揚策としても、サハリンその他極東ロシアとの関係をいっそう発展させたいとの切実な思いが強い。東京からみると、日ロ貿易は全貿易の1%程度でしかないという感覚であろうが、北海道の港湾都市経済にとってはサハリンからの「お客様は神様」なのだ。
実現したAPEC加入
この傾向をいっそう強める二つの事象が最近起こった。11月2-3日のクラスノヤルスク日ロ首脳(非公式)会談と、続いて日米の強い支持の下で実現したAPEC(太平洋経済協力会議)へのロシアの加入である。この加入によって、ロシアは欧州国家であるだけでなく、アジア太平洋国家でもある(つまり欧州とアジアにまたがるユーラシア国家である)ことが国際的に認知されたのだ。クラスノヤルスク会談では、大方の予想に反して、平和条約締結を今世紀中に実現しようという決意を両首脳は表明した。それを受けて日本の経済界のリーダー達は、両国の経済関係の強化がこの決議実現の先導役になるとのべた。堀道知事の上述のサハリン州との合意もこの線上にある。
ロシアのAPEC加入も、日ロ双方の地域レベルに対し活躍の舞台を広げるものだ。当時の評論を見ると、この加入は日ロ関係を日米関係、日中関係のレベルまで引き上げる契機となるといった国レベルでの視点が多く、地域レベルでの意義に言及した評論は殆ど見当らなかった。 97年10月11-12日、ユジノサハリンスクで開催された「日ロフォーラム97」(安全保障問題研究会・サハリン州共催)に提出予定であったIMEMO(世界経済・国際関係研究所)副所長ザイツェフ氏の「4島利用構想」案が、サハリン州行政府の門前払いを受ける事件があった。これなども、極東の研究所との事前の協力・調整が欲しいところである。もちろん、極東の現在の研究所がザイツェフ副所長のような整備された提案書を書けるかとなると、研究者の層の厚さからいってモスクワにはかなわないといわざるを得ない。では、アジア外交はモスクワに任せればいいのかといえば、決してそうではない。 ハバロフスクという極東行政の中心地での生活体験からいえば、アジアに対するコンセプトが、極東とモスクワとでは当然のことであるがはっきり相違している。極東では国境を挟んでアジアの国々がある。ハバロフスクからは、アムール川を往復する買い物旅客船が冬季の氷結期を除いて毎日1往復しているし、市場(ルィノク)では中国・韓国製品がところ狭しと並べられている。極東では安上がりで働きものの中国人建設労働者や請負農耕農民を利用している反面、過密人口と過疎人口の接点からにじみ出てくる浸透圧のような流入人口に恐怖を感じている。一口でいって、極東ロシアの住民は、アジアを実感しているのだ。そこから出てくる極東政策はモスクワと違って当然である。この生活感覚が理論化されたとき、ロシアの極東政策はずっと強力なものになる。そのためには、極東自身が中央を説得できる極東政策を持たなければならない。必要なことは次の条件である。(1)地域主権に関する確固とした理論武装、(2)情報インフラの整備、(3)研究機関の強化と人材の育成、(4)経済力の強化。現状ではこのどれ一つとっても弱体である。情報インフラについていえば、2日遅れで市販される全国紙(それも種類が限られている)、電話回線の老朽化と故障・誤作動・混線の頻発、少ない公衆電話・低い電話加入率、存在しない電話帳、少ないテレビチャンネルと短い放映時間、不安定な電圧・周波数(FAX通信が歪む)、突然の停電、インターネット施設の不備、(モスクワより遅い)隣国との外国郵便事情など枚挙にいとまがない。アジア関連の研究機関は、ソ連時代そのままモスクワの独占状態である。モスクワなみのアジア・太平洋関係の研究機関を極東に整備し、研究者の養成と大学でのアジア・太平洋関連の講座を増設するために、モスクワは財政支援すべきである。経済力強化についていえば、現在大統領承認のステイタスをもつ「極東・ザバイカル発展長期計画:1996-2005年」に決められている中央負担分の完全な支出にモスクワは責任を持つべきである。
研究と教育の現状
経済研究所に滞在し始めて間もなく、5件の論文審査会を傍聴する機会をえた。この経済研究所は、博士論文の審査権をもち、また大学院学生を受入れる教育機関でもある。審査委員会は、その論文に関係する10人程度の審査委員から構成される。しばしばモスクワやウラジオストクその他の都市からもその審査テーマに相応しい権威ある審査委員が招待される。この委員会が開始されるまでに、審査を受ける候補は、あらかじめ論文内容を関連分野の全国的に著名な学者に郵送してオッズィフ(otzyv:評価)を収集する。ここで肯定的評価を多数収集出来なければ審査会に臨む事は出来ない。それと平行して、研究所内の候補の場合は所内で論文検討会が開かれ、出席した研究員の批判を受ける。こうして、被審査者は十分な準備のすえ、審査会当日を迎えることになる。
当日は多数の審査委員たちや、若い研究者を含む傍聴者が続々と審査委員会室に集まり、いつもと違う雰囲気が醸し出される。「被告席」の候補は緊張で体をこわばらせる。審査は審査委員長があらかじめ指名した審査会書記が審査候補の経歴、オッズィフの内容の概略などを読み上げることから始まる。それが済むと候補者自身の40分程度の冒頭報告に移る。その後、論文指導教官の評価の開陳と、事前に指名されている2名の審査員(オポネント)報告が続く。ついで審査員全員による一般討論に移る。審査委員の席には、あらかじめ論文要旨が配布されており、分厚い論文本体も必要に応じて参照される。討論はかなり活発で、各委員が一人ひとり発言するので時間は審査が終わるまで4時間程度が経過する。審査会での発言はすべて録音され、審査報告書とともにモスクワの科学アカデミーの上級審査委員会に、審査会書記が直接持参する。そこでの最終審査をパスすると始めて学位が授与されることになる。しかし、モスクワ段階での審査では拒否されることは殆どなく、第1次審査の結果で大勢は決まるという。さて討論が終わると10分程度の休憩を挟んで、審査員全員による秘密投票がおこなわれ、委員長による投票の結果発表で一件落着となる。去年の例を含め今まで見聞した限りでは投票では満票が多く、たまに1票程度の反対票がでる程度である。しかし、討論過程では、「私は反対だ」とはっきりいう審査委員もいるので、候補者の方は大変な緊張を強いられる。今年は、4名の「ドクター候補」審査と1名の「博士」審査があり全員が合格した。このような次第で、日本の博士号取得と比較して、審査過程の難しさやそれにかける手間には格段の相違がある。
![]() |
ハバロフスク教育大学日本語科5年生とともに |
今年の論文審査では、国立銀行ウラジオストク支店勤務のサワレイ氏(元研究所研究員)が金融理論で博士論文審査をパスした。その他、話題をよんだのは、ハバロフスク州知事のイシャエフ氏が経済学博士候補(カンジダート)審査にチャレンジし、これを突破したことである。同氏の論文指導教官はミナーキル所長(経済学博士)であった。同氏の報告テーマは、極東経済発展政策に関するもので、現職の行政府長官がこの問題をどう捉えているかを知る上で貴重なものであった。彼の構想のなかには、コムソモール=ナ=アムーレを中心とするテクノパーク構想や、サハリン大陸棚石油・ガス開発に伴う、ハバロフスクの東海岸からコムソモリスク、ハバロフスクを経てウラジオに至る地域一帯に天然ガスパイプを施設するガス化計画などがある。このような審査会の中に、(基礎)科学を重視した旧ソ連時代の良い伝統が受継がれているが、国の予算措置が貧困なため、審査員の出張旅費は地元が捻出している他、審査料が高騰し審査候補者の経済的負担もかなりなものになるとのことであった。
伝統を誇るハバロフスク教育大学が、近く「ハバロフスク国立大学」と名称を変え総合大学に昇格する。これは、沿海州の極東大学のように、ハバロフスク州も総合大学を持ちたいとの願望がその背後にある。もう一つの発見は、この大学には、現代史における日本やアメリカとの関係を研究する歴史研究センターがあり、その研究員も5〜10名にのぼるということである。日本の学界で有名なのは、ウラジオの「歴史・民族・考古学研究所」で、ハバロフスクはその視野から落ちていたが、革命後の国内戦争、外国干渉軍との戦争史を研究する専門家もいて、現代史に関しては、こちらの方が層が厚いとの印象をもった。 かっては国立大学の学費は無料が原則であったのに、現在では、有料制が基本になり、無料学生の枠はごくわずかしか残っていないということも、驚きであった。研究所のすぐ向いにある。「経済法律アカデミー」(旧「国民経済大学」)も、無料枠は10名程度で、本当に優秀な学生でないと無料枠にはパスしないとのこと。ちなみに年間学費は、労働者の平均月額の9倍程度である。経済研究所に大勢の学生が出入りしているのでわけを聞くと、経済法律アカデミーの経営困難の一助として学生定員を増加させたので教室不足になり、研究所の空室を賃借りしているのだという。若い学生が出入りするので、研究所も活気が感じられるようになった。
研究所で学ぶ大学院生の氏名とその研究テーマは次のようである。1. Syrkin Ivan: ハバロフスク州の移行期経済下の経済循環分析、2. Kucheryavenko Vladimir: 移行期経済下の企業リストラクチャリングに及ぼす地域的要素、3. Ageshin Eugenii: 地域経済発展に及ぼす外国貿易、4. Baklanova Marina: 日本研究、5. Barkova Elena: 金融と資産、6. Yakimovich Angelinn: 統計学、7. Badjina Svetlana: 租税論、8. Kugusheva Lyubov’: エネルギー節約論。 またハバロフスクの経済研究所では、つぎの条件で日本の大学院生を受入れる用意がある。モスクワでなく、すぐ隣のハバロフスクで極東・北東アジアについて勉強する日本の大学院生が増えて欲しいものだ。
Accommodation (hotel & office room) | ・・・1,200 $ |
Materials & library | ・・・ 300 $ |
Specialist consulting | ・・・ 200 $ |
Total | ・・・1,700 $ |
研究所では近くインターネットのホームページを開設する予定である。以上、問い合わせは、望月喜市まで(Tel.: 0134-62-2578; Fax.: 62-7498)。