中露合同国境シンポ(ブラゴベ−ハルピン)に参加して

大津定美(神戸大学)

―旅程―

「5月連休はモスクワ」の予定だったが、「極東中露シンポ」の知らせが飛び込み、急遽「北北西に針路」を切り替えた。昨年から始めた共同研究「北東アジア・マイグレーション」のテーマに深い関わりがありそうに思えたからだ。プログラムには曖昧な部分もあったが「まあよかろう」と、中露国境アムール川を渡って中国東北部への「初体験トリップ」に出たのは5月14日、全体の旅程は新潟―ハバロフスク―ブラゴベシチェンスク(以下ブラゴベと略記)―黒河―ハルピン―大連―関空、であった。

研究集会はセミナーやシンポではなく「コングレス」と称している。大げさな名称だ。最初の目的地は、ロシア極東のそのまた片田舎だ。最短コースをとっても、関空を朝9時に出て、新潟―ハバと飛び、ブラゴベへは翌日午後の列車しかなく、到着は3日目の朝の9時だ。しかも1泊したハバではお湯が出ないだけでなく、水も出なかった(街中のレモント)。期待したブラゴベのホテルでも、水は出たがお湯は出ず、温水シャワーにありつけたのは日本を出てから5日目だった。曖昧なプログラム・無駄とも見える長旅・お湯無し、これらに「平然と耐える」こと、いまさら言うまでも無いが、これは「ロシアの地方研究」を志す者には必要な資質の一つ、そのほんの一部だ。

―コングレス―

さて学会だが、会場で登録時にプログラムと分厚い冊子を手渡された。これは「予稿集」で、学会の統一テーマ「ロシアと中国―極東国境をはさんで」と題され、実に600ページ以上の大冊である(*ロシア語タイトルは後掲)。まずこれに驚いた。事前にこの種のものが出来上がっているというこの事実に、主催者の力の入れ様が窺われる。しかもこれは「第1部」で、「第2部」は今印刷中とのこと。プログラムによると、16日午前の全体会議のあと、午後のセッション、17、18日は朝9時半から5時半までと、3日間のフル回転だ。曖昧なプログラムと見えたのは、事前情報の不十分さのためだった。

「全体会議」はアムール大学講堂で開かれ、全参加者と学生も多数傍聴、200以上の顔が見える。ロシア極東の少数民族ダンスの披露から始まり、主催者挨拶アムール大学ザビヤコ副学長のあとは、黒河市共産党第一書記干暁東氏が立つ。ブラゴベ市長コロジン氏は議会中で代理演説、次に主だったセッションの代表格が、とりわけ歴史や人類学などの分野から、またブラゴベ以外のロシア極東の研究者の紹介も兼ねて、サンクト・ペテルブルクやシベリア・ノボシビルスクからの出席者の簡略な報告が行われた。私も何故か雛壇に着席させられ、報告予定の「北東アジアの国際労働マイグレーション―日本からの見方」の要点紹介を求められた。これはどうも集会が、ロシア・中国以外の研究者も含む「国際学会」たるを誇示するために末席を(それは文字通り末席だったが)与えられたらしい。

この学会は、去年4、5月に2つの学会が別個に開かれたが、今年はこれを統合し、さらに中国からも研究者が参加して盛り上げることになった。中国からは主に、ハルピン市社会科学院と黒龍江大学ロシア研究所の研究者が参加、行政の側もかなり力を入れており、ブラゴベ市と黒河市が共同で参画している。ロシア側では、アムール大学だけでなく、ロシアのアカデミー関係研究所が上記以外にも、近くのハバロフスクやウラジオストックの研究者も多数参加した。来年もこの時期に開催予定、今後は恒例の行事としたい、というのが主催者の意向だ。

10の分野別分科会が設定されており、それぞれ半日ないし一日、各5−6本の報告が用意されている。各セッションのテーマは、
1.政府・ビジネス・社会;社会的パートナーシップのモデル
2.エスノカルチャーの歴史、極東住民の古代から現代まで
3.極東における人口および少数民族の動向
4.ロシア人による極東の探検・移住・開発
5.極東における国家―法的規制
6.中国北東部におけるロシア人居留民
7.ロシアと中国の経済協力
8.アジア太平洋地域における国際関係:歴史・法制・政治
9.言語学・エスノ言語学
10.東アジアの宗教:歴史と現代
と実に広範で、あえて「コングレス」を自称する根拠の一つはここにありそうだ。

―分科会―

こうしたジャンボ学会は覗くだけでも大変で、その模様を紹介するのは至難の業だ。筆者は第1、第3、第7の3つに出席したが、ここでは18日の第7セッション「露中地域経済協力」での報告と討論を一つだけ紹介しておこう。

大黒河島 自由貿易区で

第1報告は黒龍江大学のロシアセンター・所長李教授で、現状分析ともり沢山の提案が出された。李氏の理解では、国境貿易特に商品貿易はすでに限界に達しており、次には中国の側からの投資が必要と。軽工業や食品だけでなく、石油やガスなどの分野にも、資本と技術を共に中国から提供する用意がある、ロシアは「特にアムール州は貧しい(ビェドヌイ、と明確に言った)」ので、こちらから出しましょう、と鼻息が荒い。

これに対する、セバスチアノフ氏のコメントは面白かった。氏は、ブラゴベ市の経済委員会代表であり、アムール大学で教鞭もとる、この地域での有力エコノミストのようだ。しかし氏は、李先生の説くFree Trade Zone構想には懐疑的で、その理由を具体的に説明した。80年代末にいくつもの異なった提案があった。その後、日本から三菱がやってきて、投資アセス、ブラゴベの評価を行ったが、FTZ案はすでにナホトカにあり、シンセン(深川)と比較しても、あまりメリットはないというのが結論だった。ほかにも、豆満江構想がすでにあり、これに対する補完物のような位置付けで黒河にもというわけで、93年には17国が集まり議論し、文書を交わした。こうした経緯も入れてみると、ブラゴベ側からはFTZの構想はあまり魅力ない、と言うことになる。またFTZなしにも、すでに22の合弁会社があり、90%は中国との合弁、総額750億ルーブルにのぼる。しかも、さらにイルクーツクなど奥地にも伸びて9億ルーブルに達し、中国からの距離ははるかに遠いこれら地域にも及んでいる。同氏は、例の「アムール架橋」(すでに93年、ブラゴベ市のアムール下流7Kmの地点に850mの中露を繋ぐ橋の建設計画)も取り上げ、これも「地元経済には利益にならない」という反対の声があがり、話はあまり進んでいないという。

この二人の報告や討論以外にも、ハルピン社会科学院副院長のバオさん、ハバロフスクからシック女史の報告などあり、中国側からは、国境を接している地域の経済交流活性化のために、中ロ地域協力委員会の設置、などの提案がなされたが、ロシア側へのアピールは今ひとつ弱い感じだ。ロシア側に「研究者としての客観的アプローチ」の姿勢が強いせいかもしれない。と同時に、「中国の強いプレゼンス」への若干の警戒があるのかも知れない。それを鋭く嗅ぎ取ったかのように、地元の若い女性の院生が「ネガティヴな影響だけでなく、ポジティヴな役割も十分に評価すべきではないか」と発言、私は思わず拍手してしまった。少し前、会場の一角で「数日前国境で不法越境中国人が即刻射殺された」という話が伝わり、しかも誰もそれ以上は語ろうとしない雰囲気なので、逆にことの深刻さを感じたばかりだった。

―ブラゴベと黒河―

アムール州では最近知事選があり、前『アムール・プラウダ』紙編集長でロシア下院議員でもあるコロトコフ氏が当選。この人が5月5日のテレビで「中国の膨張はロシアにとって危険だ」と発言し、地域のマスコミは緊張していたようだ。二日目会場で、アムールテレビのインタビューを受け、「新知事の発言をどう見るか」という質問、保守的なスタンスを表明せざるをえない地方指導者の立場もわかると「柔らかい線」で答えておいた。これが、ホテル・ゼーヤで夜10時半たまたまスイッチをひねった「アルファ・カナル」でオン・エア、ここでも「日本からも参加」の印象を売るお手伝いをしたようだ。

ブラゴベ市での中国人の浸透は広く深い。その象徴は中国人バザールだ。ハバロフスクにもあるが、それよりも規模が大きい。売店の数は約2000店、働く中国人は3000人以上という。一店あたり一日50ルーブルほどの店賃を義務付けられるが、売上に対する税金は徴収しない。売上の捕捉が不可能に近いからだ。ただ中国人はロシア人経営者の2倍の額を取られる。ここには靴や革ジャンパーなど革製品が多く、ほとんどハルピンからという。縞模様のビニール製バッグも売っているが、ここではこれをもって買出しに行く人を「キルピッチ」と呼んでいる。自ら売買する「チェルノク」とは少し違い、キルはロシア人の単なる「運び屋」で、中国人経営者に雇われて、中国側にわたりその日に帰る。もちろん店を張っている自営のロシア人も多いが、中国人の方が多い。
市当局の話では、ブラゴベ市内には中国レストランは27店もあり、主なホテルは中国人旅行者で賑わっているという。その一角には必ずといっていいほど「カジノ」があり、どこも中国人で一杯だ。1台のゲーム機から2万ルーブリの税金が入るというから、バカにならない。ホテル・ドルジバの屋上には大きなカジノ・ネオンが対岸の黒河市にむけて光彩を放っている。他方、エクスカーションのバスで通った町の北西部の住宅街には「中国人街」を思わせる赤い屋根や門などの一角が威容を誇っている。中国人は完全にロシア人社会にはまり込んでいる。

―国境通過―

18日夕方3日間のシンポは終了、多くのロシア人参加者と分かれ、25-6人は中国側でのシンポに継続参加(一人150ドルの参加費、「外国人」は別額)。19日朝10時にホテルを出て、アムール河岸のブラゴベ駅に集合した。 
パスポート・コントロールにはすでに「担ぎ屋集団」が群がっている。ひとつのグループは17-8人、中にはロシア人とは思えない黒い肌の青年も見える。その直後に現れた別の集団は40人ほどか、中には中国人も散見される。彼らは、かつてチェルナキやキルピチ、今はフォナリキ(提灯?)と俗称されている、とこれは同行したロシア人の若い研究者のコメント。

渡し船の乗船はわずか10分だが、通関等国境通過儀式を終えたのは2時過ぎだった。担ぎ屋さんたち用のパスポートコントロールには「民貿通道」とあり、「なるほど」と妙に感心した。中国領の「大黒河島」を出ると、途端に雰囲気は変わり、明るさ一杯の新ビル群と旧村民の半分壊れかけた住宅や店が、文字通り混在している。

ブラゴベシチェンスクから黒河市への「渡し船」にて

アムール大学副学長ザビヤコ氏と

この日午後に予定の黒河市行政との面会は突然キャンセル。第1書記が多忙で会えないというのだ。16日のパーティでの「待っていますよ」の一言が脳裏をかすめるが、ここも忍の一字。それに昼飯も抜きで、「ゴリヴッド」見学となった。何だろうと訝っていると、郊外にある撮影所だ。そのアクセスがひどく、途中の坂道でバスがエンスト、埃の中をとぼとぼ、全く無くもがなの代替案で、くたびれた。この辺から「ロシア以上の中国的ないい加減さ」がじわり浸透してきた。夕食は6時、「改行1周年」太平洋浴場(プール)を併設する20階立ホテルで、ここではしっかり食べて、その後黒河駅へ向かい、8時20分の列車に分乗。上と下では値段が異なる。185元と197元。ロシアでは同じ筈だ。「そうだ」と同じコンパートメントのロシア人ビジネスマン。そこで、「ロシアの好景気どこまで続くか」など「景気討論」。あとは寝るしかない。

―ハルピン―

20日朝ハルピン着。市の人口は約400万、郊外も入れると900万になる。この数字にロシア人人口学者は懐疑的だ。それはともかく、ここだけですでにロシア極東全体の人口をはるかに超えているわけだ。街には新築の高層ビルや銀行が立ち並び大都会だ。外車が多く、日本車のほかBMWが目立つのは不思議だ。松花江を中心に、旧市街、「ハルピンのアルバート街」、現在の中心部はその南に広がり、さらに南西に大学や(大学は全部で21もあり、黒龍江省大学、ハルピン大学、ハルピン工科大学など)、南東に工場や住宅街が伸びる。この日午後は、郊外の阿城(アチェ)へ、ここは「金太祖陵墓」と「金歴史博物館」がある。ひと時、女真族の金時代に思いを馳せる。

21日、10時から黒龍江大学訪問、「ロシア研究センター」所長・李先生の案内で、広い敷地と図書館などを見学。来年「開学60年記念」、新たなスポーツセンターやプールなどの「建設ラッシュ」だ。講堂でロシアセンター他の大学メンバーと顔合わせ、ロシア語の先生には「プーシキン賞受賞者」もおり、経済は女性教授。大学の歴史は、「延安人民抗日軍政大学」の一部がもとで、そこの外国語学部がここへ移り、48年に「ハルピン外国語専門学校」となり、58年から黒龍江大学となった。現在は、45万uの校地と理科系・文科系の双方を持つ総合大学である。とはいえ、早い話が、軍と外国語、これに通信系の技術、の3つが基礎ということだ。超副学長(54歳)との面会、話中も携帯がなり続き、「新築ビルの資金繰り(3分の1は銀行信用)で多忙を極める」という。

ハルピン市「アルバート街」近くのソフィア寺院前で

22日はハルピン市社会科学院でのセミナー、中露双方の研究者数名ずつが「代表報告」、歴史研究者のイデオロギー色なしの議論が印象的だ。しかし事実確認や資料情報が中心の紳士的なやり取りで、エキサトする場面も無く、門外漢には面白みに欠ける。

23日、午前中はハルピン市行政庁訪問の予定が「キャンセル、どうぞご自由に」、午後は郊外の「日本軍731部隊」(石井細菌部隊)の展示場(設営更新)の見学。前日の報告者がここの館長さんで、懇切な解説、「唯一の日本人」としては恥かしい思いもしながら、しかしナチスと酷似する「冷酷な実験」方式に改めて驚く。

―おわりに―

中国では全体として「ひどく弛緩したプログラム」であった。とはいえ、筆者にとっては、ブラゴベから「旧満州」へは初めての旅で、100年前のかの石光真清「荒野の花」が随所で思い出された。しかし他方、「東北現象」などと言われてきた地域が、旅行者の目には実に活気に満ちており、ここはやはり「高度成長の国、中国だ」という印象が拭えない。「マクロの地盤沈下問題」と「ミクロの活況」とをどう整合的に理解するべきか、また一つ課題を抱えて帰ることになった。もう一つ、「中露関係」がどうも大きく動きつつあるのではないか、その予兆は様々な分野で現れている、という印象だ。「個別事例の拡張解釈」の恐れ無きにしもあらずだが。

*Россия и Китай: на дальневосточных рубежах. 1 Издательство АмГУ, Благовещенск, 2001, 605 с.

 Содержание, 

  1. Традиционные культуры Дальнего Востока и сопредельных территорий. 

  2. История освоения русскими Дальнего Востока. 

  3. Региональные экономическое сотрудничество России и Китая.


スラブ研究センターニュース No86 目次