スラブ研究センターニュース 季刊 2004年冬号 No.96 index

勤務外自由時間における植物性顕神薬(エンテオゲン)の探索

アレクサンドル・ボブロフ
(ロシア科学アカデミーロシア文学研究所/
センター2003年度外国人研究員として滞在中)


bobrov

 井上紘一教授が休みの日に白老と二風谷にあるアイヌ民族の博物館へのドライブに私とアメリカ人の同僚アンドレイ・ズナメンスキーを誘ってくれた。博物館の陳列ケースには興味深い展示品があった。それは何かの植物の根であるらしく、「マジック・ルート・イケマ」という説明書きが添えられている。アイヌの学者と会うたびに、この根について質問したあげく(もちろん、井上教授の通訳があったおかげである)、私は二風谷で小さな民宿を経営する貝澤薫氏に乾燥させたイケマを見せてもらったばかりか、小さなかけらをいくつかプレゼントまでしていただく結果となった。食べられるものかと質問すると、「少しなら大丈夫」と言うので、私はコインより小さいくらいの切れ端を思い切りよく齧ってみた。

「その植物がどんな形をしているのか、見ることはできますか」

「いいですよ、探しに行きましょう」

 すでに晩方になっていたので懐中電灯を装備し、我々は建物に隣接する庭園に向かった。どこか遠くで太鼓の音が聞こえる。暗闇に隠れた魔法の植物を求めて歩く我々四人の内訳は、アメリカ人、ロシア人、日本人、アイヌ人。正真正銘の植物民族学国際探検隊である。

 「駄目です。今回は見つかりません。もう一度、次は泊りがけでおいで下さい。山に行って探しましょう」

 仕方あるまい。次はしっかり準備ができるというものだ。帰り道の車の中で、私は根のかけらをもうひとつ噛みしめた。その知覚体験は興味深いが、不可解なものだった。身体が膨張する感覚、そして次の日には眠気と倦怠、しかし服用から幾晩かが過ぎると驚くほど鮮やかで魅惑的な夢が見られる。

 札幌に戻ってから突き止めたところによると、イケマとはCynanchum caudatum(「尻尾のあるツィナンクム」)という植物であった。アイヌ語の「イケマ」という名称は、おおよそ「神の足」と翻訳できる。この植物の根(つまり「尻尾」のことであろう)はアイヌ人にとって基本的な植物性顕神薬であり、それにまつわる多くの迷信・伝説・神話が知られている。魔除けとしても持ち歩かれる。イケマの根は「中国の朝鮮人参やロシアの皇帝草と同様、文字通りアイヌの万能薬である。あらゆる病気に、とりわけ肺病に対して効能がある。その他に、狩猟でクロテンやカワウソやクマを誘き寄せるのに使われる。イケマをひと噛みして吐き出すだけで、万事がうまくいく。どんな動物も撃ち殺されるまで、その場を去ろうとしない」(ドブロトヴォルスキー,M.M.『アイヌ事典』カザン、1875年、44頁)。イケマを噛むことで、悪霊は追い払われ、病気は癒されるが、量が過ぎると危険とみなされる。この植物はガガイモ科の仲間である。そのカモメヅル属(Cynanchum)には多くの種が含まれるが、問題の種(「尻尾のある」)は極東にのみ分布しており、他のいくつかの種はロシアの欧州地域にも見られる(カモメヅル属の植物はロシア語でラストヴニク、ラストヴェニ、ラストチニク、ボロダチ等と呼ばれる)。ダーリの辞書を見ると、Cynanchumは「不思議」の項目で正体不明の「不思議草」の別称のひとつとして挙げられている。

 こうして出発が可能となった。二度目のドライブに井上教授は私とアンドレイ・ズナメンスキーの他に、我々の家族も受け入れてくれた。二風谷に着いたのは晩方で、もてなしのよい貝澤さんのお宅はちょうど夕食時だった。テーブルには沢山の皿が並び、アイヌ料理も出た。

「あなたの御希望はイケマが生えているのを見るだけですか、それとも持ち帰りたいですか」と主人が尋ねてきた。

「できるなら、持ち帰りたいです」

「それならば、ひと仕事する必要があります。私は今日のうちに山へ行ってイケマを見つけておきました。明日そいつを掘り出しましょう」


イケマを手にした貝澤氏
 翌日の朝食の席で主人は、日本のウォッカ、焼酎にイケマを浸した瓶を取り出した。この根にはそんな使い方もあるのだった。一杯づつ飲み干してから、我々は出かける準備を始めた。そしてようやく二台の車に分乗して山の方へ出発した。最初の車には主人と奥さん、続く二台目には我々全員が乗り込んだ。道のりは思ったよりも長く、初めは舗装道路だったのが、やがて剥き出しの道になり、何かの植物の前で止まるまで一時間以上はかかった。絵に描いたような渓流のそば、すぐそこの路肩の上に、大きなハート型の葉のつる草が生えている。貝澤さんは、他の植物を掻き分けて、曲がりくねった茎を地面まで、いちばんの根元まで手探りでたどった。我々は交代でシャベルを使って掘り返し、ついにその根は我々の案内人の手に掲げられた。貝澤さんはそれをまるで生き物を扱うようにそっと手に持ち、すすんでカメラの前でポーズを取ってくれた。その後でナイフを取ると、「尻尾」を、つまり根の長い枝分かれを慣れた手つきで我々に切り分けてくれ、余った根元の部分は庭に植えるために引き取った。

 主人の奥さんはその間にキノコを採っていた。好奇心に引かれて我々が近づくと、籠を見せてくれた。そこにあったのは我々にお馴染みの、ロシアで人気のある大きなマスリャタ(訳注、ハナイグチ、俗称ラクヨウキノコ)だった。貝澤さんは身振りで私とレーナを呼んで、一本の木の下に連れて行き、自分は幹の北側に耳を寄せてみせた。それから「聴いて下さい」と片手で指し示した。樹皮を通して、規則正しく脈打つ音が聞こえた。びっくりしたけれど、貝澤さんが離れると鼓動は消えてしまった。どう我々が頑張ってみても、あんなに鮮明だった音を聞き分けることはもうできなかった。

 さて、帰宅してからのことである。根の半分を私は薄切りにして乾かし、残りの半分を混じりけなしのアルコールに漬けた。「イケマ酒」のできあがりは大変おいしく、水で割らなくても飲める。周りに悪霊が姿を見せることもなかった。

 ...紀元前数世紀のころ、太平洋上に不死のキノコが生える魔法の島があるという伝説があった。中国の皇帝、秦の始皇帝は永遠に生きることを望み、一万人の青年男女をその探索に派遣した。手ぶらで戻ることは死刑によって禁じられた。一行は日本列島を発見したが、不死のキノコは見つからなかった。祖国で死刑に遭うのを避けるため、人々は新しい土地に残ることを決めたという。彼らはキノコの代わりに、くだんの根を見つけたのではなかろうか...
(ロシア語より越野剛訳)
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