林 忠行 (はやし ただゆき)

A)個人研究活動 (うち主要学術研究業績一覧 B)共同研究活動
C)受賞など D)学歴と職歴
E)「私のスラブ研究センター点検評価」 F)専任研究員セミナーでの外部コメンテーターのコメント集


A) 個人研究活動

1. 研究主題: 東欧国際関係史、チェコスロヴァキア政治史

2. 研究領域

これまでの私の研究は、第一次世界大戦期から現在にいたるチェコスロヴァキア (ないしチェコとスロヴァキア) の政治を、それを取り巻く国際関係を視野に入れつつ、検討す る作業であったといえる。 以下では、1994 年 4 月に私がスラブ研究センターに赴任してから後に行った研究に関して概観を行う。 研究の纏まりとしては、1) 第一次世界大戦中の国外での独立運動期および両大戦間期、2) 第二次世界大戦期から、1948 年の共産党体制の樹立へて、1989 年の共産党体制崩壊にいたる時期、3) 1989 年以後の体制転換期という 3 つの時期に分類することができる。

1) については、大学院生・助手時代 (1975-84 年) に行った研究が主なものであり、1994 年以後のものとしては、①ロシア極東におけるチェコスロヴァキア軍団と日本軍との関係を論じたチェコ語の論文 (1995 年)、②両大戦間期の東欧国際関係の概観を試みた論文 (1995 年)、③オーストリア、チェコスロヴァキア、ハンガリーの歴史を内容とする概説書 (1999 年) での、第一次世界大戦と 1920 年代を扱った分担執筆部分がある。 その中で、一次史料に依拠する研究といえるのは①のみである。 そこでは、1918 年 4 月のマサリクの訪目に関わるエピソードおよび 1919-1920 年の時期の軍団と日本軍の対立関係を日本とチェコの外交文書等に依拠してたどった。 ただし、その時点で私が実際にプラハのいくつかのアルヒーフで読むことができた史料の範囲は限られており、いくつかの問題の指摘にとどまっている。 その後、断続的に文書館通いは続けているが、その成果を盛り込んだ研究は未発表のままになっている。

2) の時期を扱った研究で、1994 年以降に発表されたものとしては、①第二次世界大戦後の連立政権期の国内改革を扱った論文 (1994 年) と②「プラハの春」に関する論文 (1996 年)がある。 前者は、戦後の国内改革を戦前、戦中の内政との連続性に注目して論じる試みであった。 また後者の内容は、おもに「プラハの春」の改革を 1948 年の共産党による政権奪取から 1989 年の共産党体制崩壊にいたるチェコスロヴァキア史のなかで位置づけようとするものといえる。 それとは別に、③連邦解体に関する比較研究を目的とした共著 (1998 年)でも、1968 年に採択され、翌年から実施された連邦制度の内容やその後の制度改正にかなりのページを割いたので、その部分はこの時期に関する研究といえる。 現時点で見ると、これらの仕事はやはり概説的な内容で、現在、利用可能となっているアルヒーフ史料そのもの、もしくはそれに依拠する最新の現地での研究を十分に反映しているとはいえない。

3) の 1989 年 11 月以後のチェコスロヴァキアにおける政治変動については、広島大学在任中 (1985-94 年)に、それを構成する事件 (共産党体制の崩壊過程、連邦の解体、国政選挙と政権の交代など) をその都度、追いかける形で論文を書いた。 センター赴任後もその延長線上で仕事をしているが、おもに、チェコとスロヴァキアにおける「政党システム」の形成を、他の東中欧諸国との比較を意識しながら考察するという作業に重点は移りつつある。 主なものとしては、①東中欧諸国における左派政党の比較を試みた論文 (1997 年)、② 1998 年のチェコにおける選挙で各政党が掲げた選挙綱領を素材にして、その時点でのチェコの政党配置を政策面から検討する論文 (1999 年)、③ 1991 年以後のチェコにおける政党システムの形成と最近の選挙制度改革問題を題材とした論文 (近日刊行予定) がある。 さらに、最近は、議会における具体的な立法過程をとおして政党システムの形成を検討する試みを行っており、1990-91 年にかけて、チェコスロヴァキア連邦議会で議論された一連の農業の転換に関わる立法を扱った邦語と英語の論文 (2001 年) がすでに刊行されている。 さらに、それと類似した試みとして、1997-2000 年のチェコ議会における広域自治体設置に関する立法過程についても分析も行った (近日刊行予定)。

1989 年以降の国際関係を意識した論文としては、ヴィシェグラード協力を扱った英語論文 (1994 年) があるが、これは広島大学時代の仕事に属する。 その後、重点領域研究およびそれと連動して組織された国際学術研究での成果として、4 編 (邦語 2 編、英語 2 編) の論文集 (1997-99 年) を編集し、またそこにおいて、④ NATO、EU 加盟問題をめぐる東中欧諸国の対応を現地での聞き取り調査に基づいてまとめた報告 (1998 年)と、⑤独立後のスロヴァキアの対ロシア政策を分析した論文 (1999 年) を執筆している。

以上で見てきたように、1994 年以降の仕事の大部分は、1989 年以降のチェコスロヴァキア (1993 年以降はチェコとスロヴァキア) における政党政治の展開に関する研究、もしくはその政党政治と対外政策の連関を考察する研究といえる。 これらの研究、とくに各政党の掲げる選挙綱領の分析や、議会における立法過程の分析などでは、現地やその他の欧米諸国でも十分に議論されていない問題を扱っており、そこでは一定の貢献があると自負している。 しかし、その時々の共同研究の要請に応える形で論文が書かれているため、全体として眺めると、統一された分析枠組みを欠いている。 とくに、この 10 年余の体制転換を全体としてどのように総括するのかという理論的な議論が弱いままにとどまっている。 また、細かい作業過程でいうと、立法過程などに関して資料が入手しやすいチェコに関する研究が先行し、スロヴァキアに関する研究が遅れ気味になっている。 当初は、他の東中欧諸国も視野に入れた比較研究を志していたが、その点においても不十分なままにとどまっている。

スラブ研究センター赴任後も、現状分析と並行して歴史研究を継続するつもりでいたが、いくつかの概説的なものを発表しただけで、体制変動後に利用可能となったアルヒーフ史料に基づく研究はほとんど発表できなかった。

3. 現在進行中の研究

1989 年以降のチェコとスロヴァキアの政治に関する一連の研究は、1989 年以後のチェコ、スロヴァキア現代政党史を内容とするモノグラフの執筆を最終的な目標としている。 しかし、そのためには、なお、多くの検討課題を残している。

現在進行中の具体的な作業としては、チェコにおける広域自治体設置に関わる立法過程の研究に引き続いて、スロヴァキアにおける同様の問題を検討すべく、資料収集および関係者との面接調査を行っている。 この研究は、センターで継続されている地方政治に関する共同研究の一部をなすものであるが、私の研究のなかでは、体制転換をめぐる政党政治の事例研究のひとつと位置づけることができる。これに関する基本的な資料収集はすでに終わっているので、できるだけ短い時間で論文にまとめなければならない。

残された検討項目の中で重要なものは、① 1990-91 年にチェコスロヴァキアという枠組みで展開された私有化をめぐる政治過程と、その後の連邦の分裂を総合的に検討する作業、および②スロヴァキアの政党政治の包括的な検討作業である。

①では、すでに農業に関わる問題に関して検討作業を終えて、その研究成果は発表済みである。 その作業の過程で、農業部門以外の国有化資産の旧所有者への返還に関する資料の収集とその部分的検討は行った。 しかし、国営企業の私有化 (とくに大規模私有化法の立法過程) については、まだほとんど手つかずのままである。

②に関しては、すでにある程度の準備は終わっており、1992-98 年のメチアル政権期における議会政治に関しては、一年以内にいくつかの論文として発表することになろう。 そのうち、メチアル政権期の国家ナショナリズムに関しては、スラブ研究センターと国立民族学博物館・地域研究企画交流センターとの連携研究「スラブ・ユーラシアにおける国家とエスニシティ」(研究代表者: 井上紘一、2001-2003 年度) という共同研究での個人研究課題として位置づけている。

なお、これらのチェコとスロヴァキアにおける体制転換期の政治研究は、東欧諸国や旧ソ連諸国における政治との比較という視点が必要である。 したがって、これらの研究を比較研究という俎上にのせるための共同研究を組織する必要を感じており、そのための準備も行っている。

歴史に関わる研究としては、2000 年度から、科学研究費基盤研究 A「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」(2000-2003 年度) という共同研究を組織し、研究会を継続している。 これまでのところ、この研究では研究代表者として研究の組織運営や報告集の編集などに時間をとられ、私自身が具体的な研究成果を出すにいたっていない。 さしあたり、このプロジェクトでの個人研究としては、19 世紀末から第一次世界大戦期にいたる時期の「チェコスロヴァキア主義」をめぐる歴史を検討するつもりであり、その準備作業として、現在は、チェコスロヴァキア国家崩壊後における現地での研究動向を追っている。

19 世紀におけるチェコもしくはスロヴァキアにおける「国民形成史」に関わる研究は、すでにわが国でも若手研究者によって活発に論じられている。 しかし、この地域におけるナショナリズム研究は、19 世紀末に発芽し、第一次世界大戦期に突如として現実の問題となった「チェコスロヴァキア主義」に関わる問題をも視野に入れることによって、より包括的な議論が可能になると考えでいる。 チェコスロヴァキア建国に関わる問題は修士論文の主題のひとつであり、その後もマサリクの思想やその行動を題材に検討してきた。 しかし、その背景をなす 19 世紀末以降の思想潮流や、第一次世界大戦期のスロヴァキア政治をも視野に入れた建国過程は必ずしも十分な分析ができないままになっている。 したがって、この「チェコスロヴァキア主義」に関する研究は、これまでの私の歴史研究を、チェコスロヴァキア解体後の時代において、再検討するという意味を持っている。

上記の現在進行中の研究だけでも、私には過大なものとなっているが、可能な範囲で対ソ干渉戦争期におけるロシア極東でのチェコスロヴァキア軍団と日本 (軍) との関係を、新たに利用可能となったチェコのアルヒーフ史料に依拠して検討するという作業も継続したい。 この研究は 20 数年前に執筆した修士論文、1982 年に発表した小論、1993 年に刊行したマサリクの伝記、そして 1994 年に発表したチェコ語論文で継続して取り扱っており、その後も、他の調査の空き時間を利用して史料収集を続けている。 この研究は、たんに軍団と日本との関係に纏わるエピソードを拾いあげるということにとどまらず、当時の北東アジアをめぐる国際関係という文脈の中で、両者の関係を論ずるということを目的とするものである。 ただし、現在の他の領域における研究計画を考えると、この作業に割ける時間はごく限られており、まとまった研究成果をただちに発表できるとは考えていない。

4. 主要学術研究業績一覧

1) 著作

(2) 共著

(3) 編著

2) 学術論文

(1) 単著

3) その他の業績

(2) 書評

(4) その他


B) 共同研究活動

1. 共同研究の企画と運営 (代表者として)

1) 科研費などの研究プロジェクト

(1) 科学研究費補助金・重点領域研究 「スラブ・ユーラシアの変動: 自存と共存の条件」 (領域代表: 皆川修吾、1995-1997 年度) の計画研究 「地域間および国家問協力の展開」
(2) 科学研究費補助金・国際学術研究 「東中欧地域国際関係の変動」 (1996-1997 年度)
(3) 科学研究費補助金・基盤研究 A 「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」 (2000-2003 年度)

2) 学会などでのパネル組織

(1) スラブ研究センター夏期国際シンポジウム 「The Emerging New Regional Order in Central and Eastern Europe」 (1996 年 7 月 24-27 日、札幌)
(2) 日本国際政治学会・国際研究学会 (ISA) 合同大会 「Globalism, Regionalism and Nationalism: Asiain Search of its Role in the 21th Century」 (1996 年 9 月 20-22 日、幕張) における 2 パネル「Nation-building, State-building, and Regime-building: A Comparison across the Eurasian Continent」(9 月 22 日)
(3) スラブ研究センター冬期国際シンポジウム「変移する境界: スラブ・ユーラシア世界の三世紀」 (2000 年 1 月 27-28 日、札幌)

3) その他の共同研究活動の企画と組織

なし

2. 共同研究への分担者としての参加

(1) 科学研究費基盤研究 A 「旧ソ連東欧地域における農村経済構造の変容」 (研究代表者: 家田修、1999-2001 年)
(2) 国立民族学博物館・地域研究企画交流センター連携研究 「スラブ・ユーラシアにおける国家とエスニシティ」 (研究代表者: 帯谷知可・井上紘一、2001-2003 年度)

C) 受賞など

なし


D) 学歴と職歴

学歴: 1950 年生まれ、1975 年東京都立大学法学部法律学科卒、1977 年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1982 年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学
職歴: 1982 年一橋大学法学部助手、1985 年広島大学法学部助教授、1991 年同教授、1994 年北海道大学スラブ研究センター教授


E) 「私のスラブ研究センター点検評価」

これまでの点検評価報告書の外部点検評価において、センターが「学際的研究」の推進を謳いながら、必ずしもその研究が学際的研究になっていないという批判がなされてきた (点検評価報告書 No.1 における川端香男里氏、西村可明氏、同 No.2 における木村崇氏等)。 1995-1997 年度に展開された重点領域研究は、全体としては政治学、経済学、国際関係論、歴史学、文学、民族学などを包含するものであったが、個々の研究班はディシプリン別に編成された。 これは、短期間にまとまった研究成果を出すうえでやむをえない戦術であったといえるが、個々の研究成果の学際性については問題があったといえる。

重点領域研究終了後に、センターではこの点をめぐる議論がなされ、その後に立ち上げられた共同研究、例えば、村上隆が組織したサハリン大陸棚開発をめぐる一連の共同研究、家田修による「旧ソ連東欧地域における農村経済構造の変容」、林忠行が代表を務める「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」などは、いずれもぞうした意味で学際性を意識した共同研究だといえる。 個人の研究業績の内容を見ても、例えば家田修、松里公孝、宇山智彦などの研究は、全体として眺めるなら十分に学際性を持っている。 さらに、現在センターは、地域別部門への改組を計画しているが、これも部門を地域別にすることによって、研究の学際性を促進しようとするものといえる。

そうした意味において、この数年間に、研究の学際性が意識され、またそれに沿った研 究もなされてきたといえる。 センターにおける共同研究や個人研究のすべてが学際的である必要はないが、そうした努力は今後も継続されるべきである。 そうした視点から「学際的な地域研究」の方法について、これまでの研究成果をふまえた議論が必要と思われる。 また、センターは、昨年度から大学院教育に参加したが、大学院教育における「地域研究」の方法論をめぐる検討もなされなくてはならない。

重点領域研究以後の研究においては、比較研究の推進という側面でも新たな展開が見られる。 特定の研究課題について、スラブ・ユーラシア地域内の複数の国家やリージョンを対象に、比較を意識した共同研究や個人研究が進められている。 ただし、比較研究の方法論に関するセンター内での議論は必ずしも十分なものとはいえない。 また、スラブ・ユーラシア地域という範囲を越えた比較研究の試みもなされているが、そうした試みはなお十分なものとはいえない。 夏期、冬期シンポジウムにおいて、スラブ・ユーラシア世界外の地域を研究する研究者や理論研究をおもにしている研究者をパネルに加える試みを意識的にすべきであろう。

比較とは別に、国際関係に関わる研究でも、スラブ・ユーラシアという地域設定を越えた共同研究プロジェクトがこれからは重要な課題であると思われる。 これまでにもそうした試みは一定範囲でなされてきたが、今後はセンターの共同研究の柱となる大型プロジェクトに発展させることも考えるべきである。

来年度以降、新しい地域別部門編成による改組が実現した場合は、シベリア・極東部門を中心にして、北東アジア国際関係、もしくはその歴史に関わる包括的な共同研究を、スラブ・ユーラシア地域という範囲を越えて組織すべきであろう。 また、中央ユーラシア部門についても、ヴォルガ・ウラル、カフカス、中央アジアを越えた広い意味での「中央ユーラシア」を視野に入れた同様の研究プロジェクトを考えることもできる。

比較研究と国際関係研究においては、スラブ・ユーラシア地域を越境する研究の意識的な推進と、他の地域を研究する研究者にも開かれたスラブ・ユーラシア地域研究の推進がこれからの重要なセンターの課題といえる。

上で述べたことと矛盾するが、現在のセンターの人員で可能な学際的、もしくは広範囲 な比較を意識した共同研究の実施はかなり限界がある。 重点領域研究以後も、継続して大型の共同研究が並行して進められており、研究員はその複数に関与せざるを得なくなっている。 そのため、組織疲労が蓄積していると感じることもある。 また、大型の共同研究の推進は、それぞれの個人研究を圧迫するという傾向も否定できない。 人員増がまったく見込めない現状では、大型共同研究の適正な規模に関する見極めも必要であろう。

昨年度から始まった大学院教育に関しては、まだ学生数も少なく、組織的な教育プログラムの検討を具体的に行う段階ではないように思える。 今は、とりあえず試行錯誤の段階にあるし、学生の確保という当面の問題を乗り越える必要がある。

センターという場に、教育という業務が持ち込まれることによって、センターの研究活動も様々な側面で刺激を受けるようになったといえるが、同時に、授業や入試業務によって海外出張の時期などに制約が生じるという問題も起きている。 教育と研究の問の調整については、今後、学生数の増加に対応できるよう、準備を始めなくてはならない。 また、センター本来の研究活動を阻害しない形で、修士課程の学生に関する基礎教育プログラムの編成も、段階的に考える必要があろう。


F) 専任研究員セミナーでの外部コメンテーターのコメント集

1996 年度

「東中欧諸国における左派政党の位置」 (1996 年 12 月 19 日開催)

『ロシア・東欧学会年報』 25:20-30 (1997) に既刊
コメンテーター: 田口 晃 (北海道大学法学部)

1997 年度

「スロヴァキア外交とロシア―東西の狭間で―」 (1997 年 10 月 23 日開催)

「スロヴァキア外交とロシア」, (伊東孝之・林忠行編 『ポスト冷戦時代のロシア外交』, 191-231, 有信堂, 1999) として既刊
コメンテーター: 中村研一 (北海道大学法学部)

本報告は、現地調査をふまえた詳細な分析であり、多方面にわたって検討がなされているが、本来目的としているはずの外交行動の決定と、国内政党政治と間の関連について、焦点が定まった分析枠組みが提示されておらず、その点の論旨の運びが明快でない部分がある。 また、今回のスロヴァキア調査によって、様々の興味深い知見が論文内に散見されるにもかかわらず、これまで報告者が行ってきた他の東欧諸国のエリート分析と対比しつつ検討するための枠組みが正面から設定されていないために、折角、報告者が発見した知見の意味深さが読者には伝わらない点があり、おしまれる。

いずれの問題点も、本報告が中間報告的意味から時間に追われっつ書かれたことに帰因するものと判断され、発表論文となるまでには、充分に改善されるものと考える。

1998 年度

「チェコ政治最近の展開―1998 年選挙と社民党政権」 (1999 年 3 月 4 日開催)

「チェコにおける政党政治の現況」, 『ロシア研究』, 28:95-110 (1999.4) として既刊
コメンテーター: 田口 晃 (北海道大学法学部)

このところ「ビロード革命」後のチェコとスロヴァキアの現状分析を続けて来られた林教授が、今回の報告では 98 年 6 月の下院選挙と、ゼマン首相率いる社会民主党内閣の成立するまでの政治過程を、選挙を中心に分析された。 つまり殆ど現在進行形で記述できるホカホカのテーマが扱われているのであり、深甚の関心を持って聞くことができた。

報告では 93 年以来続いたクラウス首班の中道右派連立政権が、96 年の二つの選挙を挟んで、97 年末に倒れた結果、暫定内閣の下で 98 年 6 月に行われた下院選挙に光が当てられ、社会民主党と市民民主党を中心に争点を経済政策、地方行政、対外政策の三分野について整理された。 さらにこの選挙結果を分析し、その後の連立交渉と、そこから一種の閣外協力である「野党協定」を通じてゼマン内閣が成立する迄を追う。 そうして最後に新閣僚の人的背景まで紹介している。

「ビロード革命」後の新体制もほぼ 10 年を経て既に安定の段階に入っていると考えられるが、その中でもまだ政党と政党システムの再編成は進行しているようである。 上院選挙に限ってのこととは言え、フランスでいう desistement を産み出す小選挙区二回投票制が再編を促す一つのファクターになっているらしい。

戦間期には「五党委員会」の様な独特の連立の経験を持っていた国だけに、連立交渉や、連立の性格に対し、興味が湧くところである。 争点毎に議会で多数派工作が行われることになる閣外協力を、わざわざ「野党協定」と呼ぶのは戦前の例でもあるのだろうか。

現在進行中のテーマだけに入手できない資料やデータも多いはずである。 そうした中ではよく目配りがなされバランスのとれた優れた報告だと言ってよかろう。 敢えて蜀を望めば、利益集団との関連、支持者の社会的特性も明らかにして頂けると政治対立の性格がもっと彫り深く描けたのではないかと思う。

西欧諸国に対するのと同じモデルや分析枠組みを用いて東欧の政治研究を行うことが可能になった中で、林教授がチェコとスロヴァキアの政治に付いて共通性と独自性の双方を鮮明に提示される手際は水際立っており、小生の様な西欧小国の研究者にとっても裨益させられるところ大であった。 報告を聞く機会を与えて頂いたことに感謝したい。

1999 年度

「チェコスロヴァキアに置ける農業の転換―土地法と協同組合転換法の立法過程をめぐって―」 (2000 年 3 月 30 日開催)

家田修編 『東欧ロシア地域における農村経済構造の変容』 スラブ研究センター報告シリーズ, No.79:99-127 (北海道大学スラブ研究センター) (2001) に既刊。 [英語版] "Politics of the Agricultural Transformation in Czechoslovakia: 1990-1991," IEDA Osamu (ed.), The New Structure of the Rural Economy of Post-Communist Countries, 25-42 (Slavic Research Center Hokkaido Univ., Sapporo, 2001)
コメンテーター: 佐藤雪野 (東北大学)

本報告は、その副題にも現れているように、各政党・政治グループの政策と土地法・協同組合法制定との関わりを論じたものである。 これまでの研究では、農業以外の私有化に関しても、農業上の体制転換に関しても、立法過程の分析が欠落していた。 本報告は、その欠落部分を、まず後者について、埋める試みである。 但し、農業以外の私有化についても、言及がある。

「はじめに」では問題提起がなされた後、チェコスロヴァキア経済に占める農業の地位が統計資料によって紹介されているが、時期によって現地の統計の取り方が変化しているために、正確な時期的変化を知ることはできない。 しかし、一般的傾向としては、チェコスロヴァキアにおける農業はそれほど重要な存在ではなかったのにもかかわらず、農業部門の転換に関する立法過程は複雑であったと指摘されている。

更に、分析枠組みとして、小森田秋夫の私有化の 3 つのモデル (戦略的投資家モデル、従業員集団モデル、全市民モデル) と再私有化に関する 2 つのアプローチ (歴史的正義回復アプローチ、現実的処理アプローチ) が紹介されており、これらのモデルが、チェコスロヴァキアの私有化全般についてどのように適合するか、農業の転換についてはどうであったかが論じられている。 また、「おわりに」で、政党などの各法案がどのモデルで説明可能かも指摘されている。 ただ、報告の主要部でモデルに関する言及がないため、多少「おわりに」での検討が唐突な印象も受けた。

さて、本報告の中心にあたる、土地法と協同組合転換法の成立過程が、チェコスロヴァキアにおける政治運動の政党化の過程と重なっていることを、具体的な投票行動から実証している部分は、非常に読み応えがあり、説得力があった。 本報告でとりあげられている以外の法案の成立過程にも同様の傾向が見られるのかどうかに、私は強い関心を持った。

私有化全般と農業上の転換は切り離せないものではあるが、本報告では、若干それらに関する議論が錯綜しており、議論の展開を追うのに苦労するところもあった。 報告者による私有化全般の検討も含めた今後の研究によって、議論の整理が更に進むとよりわかりやすいものになると思われる。

土地制度の変革の歴史、チェコとスロヴァキアにおける農業の伝統の差異も、農業上の転換に影響を及ぼしていることが説明された。 それでは、チェコとスロヴァキアの農業上の転換に関する見解の相違も両国の分離に影響を及ぼしたといえるだろうか、という疑問を抱いた。

最後に、補論として取り上げられたチェコとスロヴァキアの農業政党であるが、それが、なぜ弱小政党にとどまっているのかは、独立の論文のテーマになる問題だと思うが、是非、戦間期の農業党との比較や、周辺諸国の農業政党との比較という形で検討していただきたいと思った。

2000 年度

「チェコにおける地方制度改革―広域自治体設置問題を中心にして」 (2001 年 3 月 30 日開催)

「チェコ共和国における地方自治改革と政党政治」, 『スラヴ研究』, 第 49 号として公刊予定
コメンテーター: 田口 晃 (北海道大学法学研究科)

この間チェコ共和国の現代政治分析に精力的に取り組んで来た林氏が竟に地方制度改革にまで対象を広げられた。 小国研究者の常として、大は国際関係や国会選挙から小は地方政治迄一人でこなさなければならず、まずはご苦労様と申し上げる。 しかし、視点を変えればそうした小国研究は日本の学会の縦割り状況、蛸壺主義を改善して行く戦略的拠点だとも言えよう。

すでにチェコスロヴァキア共和国時代の連邦議会が 90 年 7 月、共産党政権時代の国民委員会を廃して地方自治制度を導入することが決められていたが、チェコ共和国独立後の 94 年以降、具体的な制度づくりが始まったようである。 97 年「広域自治体設立に関する憲法律」というものが制定された。 ここでは市民民主党中心の政府案に市民同盟案、野党の社会民主党案がだされ種々の論点、対立点が明らかになった。 そこでさしあたり 14 県の設置だけが決定された。

97 年から政権枠組み自体をめぐる対立も生じ 98 年選挙の結果、社会民主党少数政権が登場する。 この政権が中心になって「県制度に関する法律」と「県議会議員選挙に関する法律」の他「市町村=基礎自治体に関する法律」、「首都プラハ市に関する法律」、「郡庁に関する法律」更には県より大きい単位である 8 地域を定める「地域開発支援に関する法律」が次々と制定された。

最大野党の市民民主党は政権枠組みでは社民党少数政権を支持したとは言え、地方分権には消極的であった。 にも拘らず強い反対はしなかった。 EU との関係でチェコ共和国は広域自治体を設置して地域開発に取り組むことが求められて来たのであり、地方制度を整備することには国民的合意が成立していたのであろう。

最後に 2000 年の県議会選挙と県での連立政権について最新情報が提供されている。 そこには都市部と農村部の違いや政党別の地方組織など興味深い問題が盛り沢山である。

現代東欧(中欧)で地方自治を問題とする場合、共産党政権下での党への極端な権力集中を行政機関に委ね、且つ行政機関も分権化する形をとるわけだが、その際次のような点が関心を惹く。 まず、中央と地方との間の権力分配、資源配分の適正化。 何が適正であるかをめぐる対立も当然そこに生じる。 次いで民主主義のバージョンアップ、つまり市民の自己決定の機会と場をどのように広げるかという視点である。 第三は権力配置の移動に伴う対立紛争、政治勢力・政党間の争いと言う視点。 最後により広い単位、EU、NATO 等との関連である。 以上は実は東中欧に限らない視点では有るが。

そうした視点のいずれにも目配りした見事な報告であった。ひとつだけ個人的な関心を言わせてもらうなら、「ヨーロッパ評議会」がメンバー国と締結している「ヨーロッパ自治憲章」との連関を今少し解明して欲しかった。 そうすれば民主主義のバージョンアップ問題がチェコでどのように考えられているか、がもう少し分かるのではないだろうか。


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