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ヴィクトル・エロフェーエフ Erofeev,Viktor

「生の五つの川」

岩本 和久

[作者について]

ヴィクトル・エロフェーエフ (Виктор Ерофеев) は日本でも比較的よく知られた作家であり、いくつかの翻訳も存在している。(1) その点を承知した上で、ここで改めて彼について簡単な紹介を行なうならば、たとえば次のようなものになるだろう。

1947年生まれ。外交官の父をもったためパリで生活する。1970年にモスクワ大学文学部を卒業、1973年まで世界文学研究所の大学院コースで学ぶ。1973年にサドについての評論を『文学の諸問題』に発表。1975年に「ドストエフスキイとフランス実存主義」についての論文で修士号を取得。世界文学研究所に勤務しながら、作家同盟に加入。1979年に文集『メトロポリ』に参加したため作家同盟を除名され、ペレストロイカまで作品発表の機会を奪われる。これまでの著書としては、長編小説『ロシアの美女(Русская красавица)』(1990)、『最後の審判(Страшный суд) 』(1996)、短編集『アンナの体、あるいはロシア・アヴァンギャルドの終焉(Тело Анны, или конец русского авангарда)』(1989)、『選集、あるいは携帯用黙示録(Избранное, или Карманный апокалипсис) 』(1993)、評論集『呪われた問題の迷宮にて(В лабиринте проклятых вопросов)』(1990, 1996)がある。1994年から1996年にかけて、モスクワで三巻本選集が出版された。現代ロシアを代表する作家の短編を集めた『ロシアの悪の華(Русские цветы зла)』の編者でもある。1991年に発表された短編小説『愚者との生活((Жизнь с идиотом))』は、シュニトケ作曲のオペラ(1992年初演)やロゴシュキンの監督した映画(1993年)の原作となった。(2)

[小説の概要]

小説『生の五つの川(Пять рек жизни)』は昨年(1998年)、モスクワのПодкова社から出版された。エロフェーエフの長編小説としては『ロシアの美女』、『最後の審判』に続く三つ目のものということになる。小説の内容を簡単に紹介してみよう。この小説は五つの部分から構成されている。

「スターリングラードのヴォルガ川での歴史的オーガズム」
 作家である「私」と「ドイツ女」はヴォルガ川の旅に出る。旅の間、「私」はヴォルガ川の水を汲み取ろうとするが、「船長」に妨害され続ける。あくまでも水にこだわる「私」は「船長」たちに縛られるが、「ドイツ女」に救出される。ファシストの血を引く彼女は、「船長」一味を絞首刑に処する。独ソ戦を偲ばせるヴォルゴグラードで、「私」と「ドイツ女」はヴォルガの水を汲み、愛に耽る。

「古いラインの選ばれた幻影」
 ライン川を旅する「私」は船を「ポチョムキン号」と呼び、革命の幻影を甦らせる。「私」は乗客の老人たちに老婆たちを襲わせ、その血で洗礼を行なう。「船長」の部屋では人民委員会が開かれ、イギリスの皇族を撮影したいかがわしいビデオが上映される。ドイツの都市が次々と降伏していく中、「ポチョムキン号」は革命に沸くアムステルダムに入港し、「私」はローラと結婚する。

「ガンジスから天国まではベルリンからモスクワまでよりも近い」
「フラウ・アーベル」と共にインドを旅する「私」は、異国の不思議な光景と不思議な住民の中で、天国やナチズム、死の恐怖について考えることになる。

「ミシシッピの空飛ぶ鰐」
 アメリカで娘を探す「私」は、彼女を売春宿に売った黒人を殺してしまう。南部で娘と再会した「私」は鰐見物に出かけるが、空飛ぶ鰐に襲われる。ローラや「ドイツ女」は鰐に殺されるが、「私」と娘は難を逃れる。その後「ドイツ女」の幽霊に悩まされた「私」は、呪術を用いて彼女を復活させる。

「ニジェール。黒いアフリカでの愛」
 アフリカで「ドイツ女」は大変な目に遭う。彼女はクリトリスを切断され、山犬を出産し、病気にかかって死線をさまよう。一方、「私」も逮捕され射殺されそうになる。ナイジェリアとベナンの国境の村でトランス状態に落ちた「私」は、「船長」や「航海士」、ローラと再会する。「私」はローラと共に空港に向かう。

[物語の構想とその実現]

『生の五つの川』には「川=小説(роман-река) 」という奇妙な副題が付されている。そこでは世界の五つの川の旅について語られる。モスクワからヴォルゴグラードに至るヴォルガ川の旅。オランダとスイスを往復するライン川の旅。ヒマラヤ山脈からカルカッタへ至るガンジス川の旅。ニューヨークからニューオーリンズに向かうミシシッピ川の旅。マリ、ニジェール、ナイジェリアと各国を横断するニジェール川の旅。旅するのはロシア人の作家である「私」。時代は現代。この設定は小説よりもむしろ紀行を予想させるものだが、「川=小説」という副題に続けて「物語のような旅の書(книга сказочных путешествий)」という説明が付されたこの小説は、決して「事実の文学」ではない。そこには多くの「事実」らしいエピソードや作家である「私」の省察が含まれてはいるが、読者はそれ以上に多くの「物語」めいた出来事、虚構めいた出来事に出会うことになる。「物語」らしくも、重要な登場人物たちは名前を持たないか、持っていても名前では呼ばれない。「私」、「ドイツ女」、「船長」、「航海士」。例外的に名前で呼ばれるのが、船のビュッフェで働くローラ・パヴロヴナである。この五人がヴォルガ川、ライン川、ミシシッピ川を旅することになる。

「川」の「物語」、「旅」の「物語」とはすなわち、「探求」の「物語」である。この小説では五つの川を巡る旅が、現代の「アルゴ船」と考えられている。「ローラ、僕がラインをエーリダノスに変えるから、生の革命の炎の臭気を吸って、アルゴ船の勇士のように旅をしよう。」(50頁)「それこそが金羊毛だ。」(172頁)

「探求」の旅である川の旅は、世界を変容する。「誰にも自分の五番目の川がある。眠らず、力を集め、時を浪費せず、探し求め、呼吸をし、鳥のように鳴け。誰も助けはしないから、自分で見つけよ。そうすれば後悔することはない。第五の川を探し、鎖を外せ。夢-生-言葉-死-愛の鎖を。これ以上重要な(そしてこれ以上俗悪な)鎖はない。」(172頁)

「四つの川」は「世界の四方位」、「空間」を象徴する。たとえば創世記には次のようにある。「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。」(創世記2章10-14節)(3) この「四つの川」については『生の五つの川』でも言及がなされている(171頁)。その「四つの川」の他に存在する「第五の川」を見出すことで、俗悪な世界に亀裂が生じ、新たな空間が生まれるだろう。世界は救済されるであろう。「生の五つの川とはつまり、新しい啓示という奇跡を待つことなのです」(32頁) そして「私」はアフリカのドゴンの神話の中で、この「第五の川」に出会うことになる。「レベは新しい言葉、五つの川は新しい言葉のシンボルなのである。」(172頁)

小説の第一章に相当するヴォルガ川の旅は、この救済の旅という意図を最もはっきりと示している。旅をする「私」は困難を乗り越えて「ヴォルガ川の水」をすくおうとする。それは世界を回復し救済する「水」を探求する物語である。「ヴォルガの水」をすくい大海に放つこと、それはカスピ海という閉ざされた「湖」に注ぎ込むヴォルガ川の「鎖」を解き放ち、ロシアの苦難を解放する行為なのだ。

この行為を実現するために、「私」は水をすくう容器を探す。だが、それは「船長」に妨害される。「私」が持っていた瓶は、出航前に「船長」に没収される。「私」はカザンでイスラム僧から瓶を入手するが、この「瓶」のために銃撃戦に巻き込まれる。サラトフでは「水」をすくうための瓶が、銃で粉砕される。最後の出来事に憤慨して「船長」につめよった「私」は逆に縛り付けられてしまうが、一緒に旅をしていた「ドイツ女」に助けられる。ヴォルガの旅の最後は「私」と「ドイツ女」が水を眺める場面で終わる。「濁った水の中では、オタマジャクシが私たちにしっぽを振っていた。このちびどもは、あっちこっちに動き回っていた。瓶の底には神秘的な黒い石があった。瓶を眺めながら、私たちは計画を立て始めた。」(38頁) 「探求」の対象であるこの「瓶」が「聖杯」の代替物であることは、言うまでもないだろう。

川を巡る旅で「探求」の対象となっているのは、「神」でもある。サラトフで「私」はゴルビノフという「32歳のインテリ」と、神の死について語り合う。Golubinovという名は「鳩」golub'に通じ、宗教性を感じさせる。続いて、衣服を剥がれ縛られた「私」は神に祈りはじめる。「私は祈り始めた。この瞬間、キリストは仏陀やその他のエキゾティックな神々と比べて、無限に私に近いものだった。この瞬間、どの扉を叩かなければいけないのかを私は悟った。」(36頁) 「宗教」はこの小説の主題の一つだ。ラインの船上で「私」は「船長教」kapitan-religiiaの信者となる。インドで「私」はグルを訪れ、世界の姿について語り合う。アメリカで「私」は「航海士」と共に、いかがわしい「超幸福教」religiia sverkhschast'iaを布教する。

「川」は空間を象徴するものだが、同時に流れ行くものである「川」は時間の象徴でもある。そしてこの小説では、歴史的な苦難についての参照が常になされている。ヴォルガ川の旅では独ソ戦が、ライン川の旅では革命と社会主義が、ガンジス川の旅ではインドの植民地化が、ニジェール川の旅では黒人やアラブ人の歴史が想起されることになる。ラインの旅を描いた章で新たな革命の幻想が語られるように、川の上では過去と現在が幻想的に混ざり合う。

過去と現在の混在は、生と死の混在でもある。「私」の愛人であるローラや「ドイツ女」は、殺されてもすぐに復活する。血の洗礼を施された老人たちは、子供に戻って行く。

『生の五つの川』の物語はこうした枠組みを前提としている。だがエロフェーエフは物語を展開するにあたり、この枠組みを破壊的なまでに「格下げ」していく。

『生の五つの川』でエロフェーエフは、小説創造をガンジス川の比喩で説明している。創造とは構想と実現の葛藤である。人が魚を捕り水浴するうちに、ガンジス川は汚れていく。同様に創造とは、非人間的な構想を人間的な内容で満たすことだ(90頁)。

「探求」の旅であるヴォルガ川の旅は、「俗悪の探求」と説明される(8頁)。性への安易な言及が繰り返され、卑語が濫用される。神への神秘的な接近は常に現実に介入され、無垢な聖性を喪失する。キリストに祈った「私」を救った「ドイツ女」は、SS隊員よろしく「船長」たちを絞首刑にし、あげくに死体の間で記念写真を取ろうとする。やっとの思いで汲み取った「ヴォルガの水」を前に、「私」と「ドイツ女」はマゾヒズム的な性愛について語り合う。インドの民衆は宗教と汚濁の中で生活している。アメリカで「私」は神に近づいた気持ちになるが(「神をとりかごから取り出した」147頁)、その時「ドイツ女」はベッドで排泄している。トランスに入った「私」の前に出現した空間は、ソ連大使館に似ている。

また登場する「私」自身も、力強い主人公ではない。宗教的な思索を述べようとしながらも、彼は決してドストエフスキイの主人公のような言葉を述べることはできない。彼が語ることができるのは、そのパロディーだけである。「船長がいなければすべてが許される。」「ロシアはヨーロッパの下意識である」と語ったグロイスに抗して、「私」は「インドはロシアの下意識である」と語ってみもするが、アメリカでは20分の遅刻を理由にスーザン・ソンタグに叱られていたりする。こうした「俗悪」さと共に『生の五つの川』を満たしているのは、暴力である。ライン川の旅において最も激しく吹き出している暴力性だが、それは小説全体に及んでいる。特に「私」の愛人である「ドイツ女」は激しい暴力の中で人間性を喪失していき、アフリカではついに山犬を出産することになる。

このように『生の五つの川』は汚濁や性愛、そして暴力に満たされている。だが、こうした要素は過去のエロフェーエフの小説(たとえば「愚者との生活」)にも存在していたものであり、その意味において特に目新しいものとはいえない。特にソローキンのような「暴力的」な作家に関心が集まっている現在では。(4)

そういったことを念頭において、この『生の五つの川』の魅力がどこにあるかと考えると、それは案外この小説の凡庸さにあるのではないかと思えてくる。何の前触れもなく主題が次々と提示される『ロシアの美女』に比べ、『生の五つの川』の内容は遥かに理解しやすい。救済への志向、暴力や性愛への志向も、きわめてありふれたものといえる。だがそうした通俗性こそ、この小説の魅力なのではないだろうか?芸術作品の通俗さや商品性は、自覚的に装われた時には価値を持ち得るものだ。また通俗さが孕む「痛ましさ」は、俗悪な「現実的要素」に詩情をもたらすものである。だがそういった批評的な思考を停止し、溢れる俗悪さに素直に身を委ねること、それがこの小説に最も相応しい甘美な行動なのかもしれない。


 

  1. 『モスクワの美しいひと』千種堅訳、河出書房新社、1992年(長編『ロシアの美女』の翻訳)。「馬鹿と暮らして」沼野充義訳『群像』1997年1月号、404-42頁(短編「愚者との生活」の翻訳)。

  2. Русские цветы зла. М.: Подкова, 1997, С. 500-501, 沼野充義「解説」『群像』1997年1月号427頁、沼野恭子「エロフェーエフ」『集英社世界文学大事典』1巻、1996年、522頁を参照。

  3. 新共同訳聖書(財団法人日本聖書協会、1988年)による。

  4. エロフェーエフとソローキンは1980年代初頭、プリゴフと共に「エプス」というグループを結成し、パフォーマンスを行なっていたという。「麻薬としてのテキスト」(ラスカーゾヴァによる作家のインタヴュー)、ソローキン『愛』亀山郁夫訳、国書刊行会、1999年、276頁。