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ソ連アネクドート研究史概観

今田和美


はじめに
 ロシアに、気のおけない集まりで、時代や世相を色濃く反映し現実を痛烈に皮肉ったアネクドートと呼ばれる一口笑話を語る伝統があることはよく知られている。このアネクドートは、ソ連という全体主義的・閉鎖的な極めて特殊な時空間の下、罪のない笑い話の域を脱して一大社会現象となり、スターリン時代には「政治アネクドート」と呼ばれる体制批判のアネクドートを語った者は刑法により十年以下の禁錮刑に処されたほどであった。その後刑は三年以下の収容所送りや大都市からの追放へと軽減されたものの、ペレストロイカが始まるまで「政治アネクドート」を公然と語ることは依然としてはばかられていた。それら無数のアネクドートは記録されず時とともに忘れられる運命にあったが、ペレストロイカで言論統制が緩和されはじめた一九八〇年代後半からアネクドート集が数多く出版されるようになり、九一年のソ連崩壊以降、出版点数はうなぎ上りである。また、インターネット上にも新作アネクドートを集めたホームページが多数出現する1など、本来純粋な口承文芸であったアネクドートをめぐる状況は大きく変りつつある。
 そうした中、これまで単なる面白おかしい笑い話として学術研究の対象から外されてきたアネクドートを収集・保存・研究する試みが、複数の研究者によって始まっている。厳しい検閲下にあった公認の記述された文学に代わる自由な表現手段として、非公認の記述された文学と並びソ連というユニークな時空間の現象や社会の意識を描写したアネクドートの文化史的意義は大きいし、アネクドートと記述された文学が相互に与え合った影響も無視できない。同じ口承文芸である伝説や昔話、寓話などの研究がかなり進んでいることを考えれば、アネクドートを現代フォークロアの一ジャンルとして研究することは必要かつ有意義であろう。まだまだ研究が手薄できちんとした文献リストもないのがこのジャンルの現状だが、本稿では論者の知り得た範囲でロシア・ソ連アネクドートの研究史を概観してみたい。


1 テルツによる問題提起
 アネクドートを一文芸ジャンルとして研究する必要性をいち早く訴えた一人にアブラム・テルツ(アンドレイ・シニャフスキー)がいる。軽妙な語り口のエッセイながら卓抜なソ連アネクドート論となっている「アネクドートの中のアネクドート」(1981 年、口頭発表は1979 年)では、まずアネクドートを「ソヴィエト的教育を受けた者の共通言語であり現在進行形の膨大な口承文芸ジャンル」と定義し、学問の対象とすべく問題提起している。
 テルツによれば、このジャンルが存続し発展するには、一般的な言動の規範の破壊、常なる禁区への越境という条件が必要である。禁止だらけのソ連型閉鎖社会では、その禁止を破ることで成り立っているアネクドートは現実を整理、秩序立て、多少とも現実味を与える存在のモデルの役割を果たしているのだ。ただしその際アネクドートはテルツが「逆論理関係」と呼ぶものに従っている。語り手は言おうと思っていたことと別のことを言ってしまうが、実はまさにその「別のこと」が真の原因であり、それによって論理関係が結末から冒頭へと再建される。語り手自身にとってはそれこそが「論理」なのである。従ってアネクドートで最も重要なのは予期せぬ結末であり、結末からアネクドートの形成過程が始まる。
 さらにテルツは、アネクドートが生まれる場所や主人公の条件(特殊だが比較的身近な存在)について述べ、そうした主人公の筆頭にチャパーエフを挙げて詳しく分析している。テルツによれば、アネクドートは歴史歌謡や伝説、チャストゥーシュカ、泥棒歌謡などが担ってきた、事件に対する民衆の素早い反応の産物としての役割を継承した、ソヴィエト・ロシア唯一の現代口承文芸ジャンルであり、最近の傾向として歴史への関心の拡大やより積極的な現代ロシア文学への浸透が挙げられている。ソ連における言論の不自由を身をもって体験したテルツの論文は説得力に富み、ソ連アネクドートの実例の宝庫でもある。ただ残念なことに、それらのアネクドートは全文ではなくキーワードのみが挙げられており、発表から二十年以上経た現在、キーワードから本来のアネクドートを復元することはロシア人にさえ難しい。ソ連崩壊からまもなく十年、この時代のアネクドート研究にあまり時間が残されていないことを痛感させられる。


2 体系的なアネクドート収集と考察の試み
 テルツと同様アネクドートに関心を抱き、長年にわたって体系的な収集・考察を続けてきたのがドーラ・シュトゥルマン/セルゲイ・チクチン夫妻やユーリー・ボーレフだ。彼らの編んだアネクドート集に付された解説は、研究論文のレベルには達しないものの、その後始まる本格的なアネクドート研究につながる有益な示唆を数多く含んでいるので、以下簡単に紹介したい。
 シュトゥルマン/チクチン編のアネクドート集『政治的アネクドートの鏡に映ったソ連』(分類と注釈つき)(初版1985 年、第二版87 年)は、一九五六年以降編者自ら聞き書きしたソ連時代のアネクドートに、七七年編者のイスラエル亡命後は後続の亡命者たちによって聞き書きされたものを加えた約千五百話(第二版では約千七百話)を「共産党」「経済と計画」「農業」「ユダヤ人」といった四十二(第二版では「ゴルバチョフ」「チェルノブイリ」を加えた四十四)のテーマに分類し、詳細なテーマ解説と各アネクドートの語られた年(代)を付した、画期的なアネクドート集である。テーマ別の分類が分類方法として不完全なものであることは編者自身認めているが、かなり網羅的な章立てによって、ソ連社会を分析する際の一つの有効な切り口を提供していることは確かであろう。
 編者はアネクドートを「検閲を経ていない民間口承芸術」と定義し、本書で扱うのはそのうちの「現代の反全体主義的政治アネクドート」であると断った上で、識字率が百パーセントに近い国々で生まれたそれら政治アネクドートの作り手は、強い反体制的世界観を持つかなり教育レベルの高い、情報に恵まれた都市住民で、その多くはユダヤ人であろうと推測している。アネクドートとは、変化する現実を見つめる内なる視点であり自己分析であり、語り手と聞き手に現実に対する審判や復讐の感覚を与えるものであることや、抑圧的現実からの心理的自衛としてのユーモアの役割も指摘される。
 現代アネクドートと伝統的なフォークロアの間に逆説的な発生上の近似が見られる(両者とも民衆に「文字が欠如」していることによって生まれた。ただし、現代アネクドートに欠如する「文字」とはある種の思想やテーマを表現する公認の文字、すなわち言論・出版の自由のこと)との指摘も興味深い。
 本書の価値は、アネクドート収集や記録という行為がまだ反国家的として禁じられていた時代にあえて禁を破ってそうした行為を行ったということにとどまらず(手書きやタイプ原稿のアネクドート集が密かに人々の間で広まるのは日常茶飯事であった)、収集したアネクドートをある程度体系的に分類し、かなり詳細な分析を行った点にある。編者がソ連崩壊後現在にいたるまで政治アネクドート収集の作業を続けていることも付記しておく。約五十年間にわたり独自に歴史アネクドートを収集、一九九一年以降次々にアネクドート集を出版している(『スターリニアーダ』(1991 年)、『ファリセイア偽善者』(1995 年)、『言い伝えとアネクドートに見るソ連国家史』(1995 年)、『言い伝えとアネクドートに見る二十世紀(全三巻)』(1996 年)他)ユーリー・ボーレフの業績も、もちろん忘れてはならない。彼は、自著に収められた寓話や伝説、典拠の疑わしい文書、口承小話、言い伝え、アネク
ドート、回想などを「知識人フォークロア」と総称し、自著はそれらの知識人フォークロアをモザイク的に寄せ集めた長編叙事詩(あるいは長編歴史物語)であると断っている。「知識人フォークロア」とは「極めて簡潔で内容があり、言葉巧みで、検閲を経ないため全く自由な社会経験の保存形式」であり「信じるも信じないも自由」な「民衆の精神生活の証言」「芸術的資料」「(実際にあったことではない)ありそうなこと」であり、「全体主義ソ連において検閲を経ない、統制困難で柔軟な情報の保存及び伝達の手段」となった。ボーレフはこの用語を九一年十一月デリーで開催された国際民俗学会で提唱し、承認されている。
 ボーレフによれば、ソ連は公式的イデオロギーやプロパガンダによって作られた数々の神話によって成り立つ社会であり、「知識人フォークロア」はそれら神話に対する反神話として生まれた。この、「知識人フォークロア」を二十世紀の神話とする考えに基づき、彼は最初の二冊の『スターリニアーダ』(1991 年)と『偽善者』(1995 年)を、古代神話を題材としたホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」のパロディーとして名付け、編んだという。『スターリニアーダ』はスターリン時代を、『偽善者』はポスト・スターリン時代(雪解け期、停滞期、ペレストロイカ期)を、『言い伝えとアネクドートに見るソ連国家史』では二十世紀全体をそれぞれ扱っており、『言い伝えとアネクドートに見る二十世紀(全三巻)』では、『スターリニアーダ』『偽善者』の二冊に外国をテーマとするアネクドート集『丘の向こう』(未刊)に収められた「知識人フォークロア」を加えて時代的にも地域的にもより広い範囲をカバーしている。
 その「知識人フォークロア」の主要な形式が「歴史アネクドート」であり、こちらの方は「歴史上の人物や有名な事件についての短い、波乱に富んだ筋を持つ、しばしば滑稽な話」「圧縮・研磨された口承の民衆の人生経験」という定義を与えられている。ソ連の歴史には多くの隠匿や捏造があるため、歴史文書と、文書に記録されなかった歴史的現実を再現することを可能にする歴史アネクドートを相互補完的に用いることで歴史をより立体的に見ることができる、というのがボーレフの主張である。
 本来美学者であるボーレフが本業の傍ら、これほど膨大な数のアネクドートを収集し、何冊ものアネクドート集を編んでいるという事実に、まず感服する。代表作『スターリニアーダ』は十五か国語に翻訳され計十六万部出版されており、世界で最も流布しているアネクドート集と言える。残念ながら彼が提唱した「知識人フォークロア」という用語はロシア・アネクドート研究には定着していないようだが、アネクドートと神話の相関関係への着目など鋭い指摘も多い。ボーレフによる本格的なアネクドート研究に期待するのは私だけではないだろう。


3 アネクドート研究の始まり
複数の研究者によるアネクドートの収集・考察作業が続けられる中、注目すべき論文集が生まれた。アレクサンドル・ベロウーソフ編『アネクドート』(1989 年)である。正式には<文学理論教材「文学テクスト諸ジャンル:アネクドート」>と題された本書はタリン教育大学の教材として編まれたもので、発行部数わずか二百九十九部ながら十八本の論文を揃えた、初の本格的なアネクドート研究書となっている。編者ベロウーソフは序文で、アネクドートを独立した文学ジャンルとして本格的に研究することを本書の目的に挙げた上で、「歴史アネクドート」「風俗アネクドート」「フォークロア・アネクドート」「文学アネクドート」といったアネクドートの下位区分を、歴史的変遷をたどりながら以下のように明確に定義している。
 「アネクドート」という言葉は、「新しさと面白さで人々の興味を引き、実際に起こったこと、真に歴史的事件とみなされたありとあらゆる“行為”や“出来事”についての報告」の意味で十八世紀にヨーロッパから初めてにロシア語に入ってきた。それをもとにロシア「歴史アネクドート」が生まれ、幅広い読者層に愛される。十九世紀に入ると、「アネクドート」の定義は「愉快な出来事についての短い話」へと進化し、歴史性が薄れ、機知に富んだ結末を持つ短編小説に近い「風俗アネクドート」という新たなジャンルが誕生する。「風俗アネクドート」の起源は「フォークロア・アネクドート」であり、さらに溯ればトリックスターをめぐる神話的伝説に行き着く。つまり、神話的伝説が昔話化する過
程でアネクドートの問題点やジャンルとしての形式が確立したのである。同じく十九世紀には、口承アネクドート(フォークロア・アネクドート)と記述されたアネクドート(文学的に加工されたアネクドート)が相互に影響を与え合いつつ発展し、「風俗アネクドート」の特徴(短さ、明確さ、単純さ)にならった文体と構成を持つ「文学アネクドート」が生まれた。
 論文は「歴史アネクドート」「フォークロア・アネクドート」「文学アネクドート」の三つのカテゴリーの下にまとめられ、内容は多岐にわたる。現代アネクドート研究の立場から特に興味深いのは、シュティルリツやチュクチといったアネクドートに頻出する主人公の個別研究が行われていることである 2 。また、ドストエフスキーやハルムス、ギッピウスやブロークの文学とアネクドートの関わりについての研究も、アネクドートが記述された文学に与えた影響の点で非常に重要だ。フォークロアにおけるアネクドートの位置付けに関する研究が複数入っている点も評価できる。以下、参考までに目次を紹介する。


序文
歴史アネクドート
 N.モロゾヴァ「18 世紀のロシア作家をめぐるアネクドートの類型論」
 V.コシェレフ「伝記アネクドートの歴史的機能(プーシキンとバーチュシコフ)」
 R.モシンスカヤ「プーシキンとシャンフォールの歴史アネクドート」
 M.メイラフ「ダニール・ハルムス<anecdota posthuma>
フォークロア・アネクドート
 E.メレティンスキー「フォークロア諸ジャンル体系におけるсказка-анекдот」
 Yu.ユーディン「民衆アネクドート、隣接するフォークロア諸ジャンル、文学」
 A.ジュリンスキー「ストーリーの要素としてのすり替え(分類の問題)」
 O.ヴァシリエヴァ/S.リューヒナ「アネクドートとチャストゥーシュカ(行為の手段としての言語テクスト)」
 E.ラビノヴィチ「“チュクチ・シリーズ”の推定される出所の一つについて」
 A.ベロウーソフ「空想のシュティルリツ」
 V.ルリエ「現代レニングラード・フォークロア資料」
 A.ベロウーソフ「現代レニングラード・フォークロア資料」補足
 E.ドゥシェチキナ「子供をめぐるアネクドート(家庭フォークロアの分野より)」
文学におけるアネクドート/文学アネクドート
 S.ニコラエフ「フェオファン・プロコポヴィチの説教におけるアネクドート」
 E.クルガーノフ「十八世紀末から十九世紀初頭のロシア文学アネクドートを収集・考察して(ヴャーゼムスキーの《Старая записная книжка》について」
 S.ミチュリョフ「ドストエフスキー作品におけるアネクドート」
 V.サージン「ギッピウスとブロークが一九一九年に交わした最後の詩」


 本格的なアネクドート研究の先駆けとしては、他にヴァレンティーナ・ハリトーノヴァの論文「アネクドート」(1990 年)を挙げたい。
 ハリトーノヴァによれば、アネクドートとは「フォークロアの複数のジャンルの散文作品のうち喜劇色を有する短い話」であり、「昔話と深い関わりを持つフォークロアの伝統的な一ジャンル」である。アネクドートが語られる目的は「喜劇的効果を呼ぶ」「様々な人物や事物、現象の嘲笑あるいは風刺的暴露」であり、大抵の場合、語り手も聞き手も話の架空性を理解している。状況の滑稽さの裏には必ず深い意味(人間の欠点やその生活の異常な面)が隠されており、秘密のジャンルであるがゆえに誰も何も容赦せず恐れないことで、常に現代的、アクチュアルでありえる。
 さらにハリトーノヴァは、人間活動の全分野を網羅するがゆえのアネクドートの分類の困難さを指摘した上で、内容による分類ではなく「人気のある登場人物」「生活上の具体的な現象」についてのシリーズごとの分類を提案している。
 他にも、高位のものを引き下げ卑俗化するというジャンルとしてのアネクドートの特別な役割やアネクドートと文学との関わり、政治家をめぐるアネクドートを例にとったアネクドートの「蓄積の法則」についてなど、興味深い指摘が少なくない。
 最後にハリトーノヴァは、長年にわたり禁じられてきたアネクドートというジャンルは、民主化とグラスノスチのおかげで公認され、ソ連(の現実の再建)の欠点克服に資することができるようになった、と述べているが、このコメントは非常に多くの問題をはらんでいるように思う。アネクドートとその研究が民主化やグラスノスチのおかげで雪解け期を迎えたことは確かだが、「公認」は実は、(テルツが指摘していたように)禁じられることによって存在していたアネクドートの存在基盤を危うくするものであり、また「国家の欠点克服」や「現実の再建」といった現実的で真面目な目的に利用されることもこのジャンルにとっての危険をはらんでいる。少なくともハリトーノヴァはアネクドートを「秘密の」ジャンルと定義しておきながら「公認」を喜んでいる点において(それによって本論文の価値が大幅に下がることはないにせよ)矛盾していると言えるだろう 3
 コンスタンチン・セドフの研究書『アネクドートにおける心理言語学概論』(1998 年)は、ゴレロフとの共著である教科書『心理言語学概論』の補助教材として編まれたもので、教科書に準じて設けられた各章収録のアネクドートは、教科書に記された個々の心理言語学的状況の実例となっている。一見小冊子のアネクドート集だが、十五頁にわたる序文では心理言語学的側面から多くの問題が提起されている。
 セドフは、現代アネクドートのテクストは人間存在の全側面の描写であるから、ジャンルとしてのアネクドートは心理言語学研究の対象になりえ、アネクドートの最初の語り手は、作者ではなく人種集団の集団的無意識を代弁する媒介者である、と述べる。
 アネクドート生成のメカニズムは、セドフによれば、語り手の意識に会話の文脈と関連するテーマが浮かぶ「連想の原則」と「キー・フレーズ」によって説明しうる。「キー・フレーズ」は自らを生み出した文脈の記憶を内包し、決まり文句(言語的サブカルチャー)として言語使用者の言語意識に入り込む。語り手は「キー・フレーズ」として与えられたテーマで毎回異なったテクストをジャズ奏者のように即興で作り出すため、無数のバリアントが生まれる。そのようにして生まれたアネクドートを理解するためには、聞き手の側に、描写される状況を復元するための言語能力に基づく一定の教養が必要である。
 さらにセドフは、アネクドートの主たる役割は「笑い」を呼び起こすことであり、その社会的・美的機能は、公的権力による心理的圧力を感じている個人に必要な感情的緊張緩和であり、「笑いのカタルシス」であるとし、「(アネクドートは)ユーモア分野には属さない」とするクルガーノフの主張(後述)に異を唱える。
 セドフによれば、現代民衆アネクドートにおける笑いはバフチンのいう「民衆のカーニバル的世界観」に起源を持った「カーニバル的自嘲」であり、主人公は皆愚者の系譜に連なる(イワンの馬鹿、チャパーエフ、シュティルリツ、チュクチ人、ヴォーヴォチカなど)。また、ロシアの笑いの伝統にヨーロッパ的な「陽気なカーニバル的笑い」と併存する「悲しみと恐怖を感じさせる笑い」が、ブラック・ユーモア・アネクドートや不条理アネクドートを生んだとする。
 最後に、アネクドート研究の問題点として挙げられているのが、ジャンル全体を貫く類型作りの方法論である。テーマ別分類にかえてセドフは、笑いのタイプによる分類を提案し、実例として米のV・ラスキンによるユーモアの意味メカニズムの類型化の試み(ユーモア言説を「意図的嘲笑」「マーク・トウェイン流のやさしく愛情のこもった笑い」「自嘲」「自分を蔑む笑い」「謎」「しゃれを伴う謎」「純粋なしゃれ」「抗議の昇華としてのユーモア」の八タイプに分類)を挙げている。
 以上のようなセドフの見解は、アネクドート研究における学際的なアプローチの可能性と必要性に気付かせてくれる。また、アネクドートと「笑い」を不可分のものとして論じている点は、次のクルガーノフと対照的である。


4 クルガーノフによるアネクドート研究の本格化
ロシア・アネクドートに関する論文は前述したとおり単発的にはこれまでも存在したが、継続的な研究を行っているのはエフィム・クルガーノフ唯一人であり、彼は目下ロシア・アネクドート研究の第一人者であると言えるだろう。以下、その主な研究を概観する。
 「十八世紀末から十九世紀初頭のロシア文学アネクドートを収集・考察して」(1989 年)は先に紹介した論文集『アネクドート』掲載の論文であり、これまで文学・風俗上の事実の典拠としてしか利用されてこなかったヴャーゼムスキーの《Старая записная книжка》を完全な文学テクスト、さらにはロシア・アネクドート収集・考察の初の本格的な実験として高く評価し分析している。後に手を加えられて『プーシキン時代の文学アネクドート』第五章に組み込まれた。
 研究書『プーシキン時代の文学アネクドート』(1995 年)は、十八世紀末から十九世紀初頭の書簡や回想録から「記録されたアネクドート」を収集、テクスト以外の補助的諸要因も利用して復元し、歴史・文化的考察を加えることを目的として書かれた博士論文の単行本化である。アネクドートを扱った論文としては目下最も大部のものであり、論文執筆の副産物としてアネクドート集『十八世紀末から十九世紀初頭のロシア文学アネクドート』(1990 年)が編まれている。
 第一章では、他の研究者を引用しつつアネクドートの定義や特徴が述べられる。この部分は後述の『ジャンルとしてのアネクドート』(1997 年)で敷延されているので、ここでは言及しない。著者によればアネクドートは「フォークロア(風俗)・アネクドート」と「文学(歴史・伝記)アネクドート」に分類でき、後者は格言、フォークロア・アネクドート、寓話、動物寓話、寸鉄詩など様々なジャンルの衝突によって生まれた新しいジャンルである。注目すべきはアネクドートとコミズムについての見解で、著者は、コミズムはフォークロア・アネクドートと異なり文学アネクドートには必ずしも必須ではなく、むしろ重要なのは歴史・風俗色、独特の正確さ、心理レベルでの真実性であるから、恐ろしい、あるいは悲劇的な文学アネクドートも存在する、と主張する。
 第二章では、ロシア民衆アネクドートが文学となったプロセスが十八世紀末から十九世紀初頭のロシア文化の中に考察される。著者によれば、ロシアのヨーロッパ化の過程で、ヨーロッパのサロン文化特有のジャンルであったアネクドートがロシア既存の民衆アネクドートと結びつき、独特の形でロシアに根付いた。その際重要なのは、ロシア・フォークロアにおける道化や馬鹿の伝統が、上流階級を含めたロシア社会に常に息づいており、当時のロシア貴族の中にはヨーロッパの洗練とロシアの道化の両要素が共存していた、という点である。
 第三章および第四章では、プーシキン時代のアネクドート分類の鍵と考えられるいくつかの主人公の形象のうちの代表的な三タイプ(шут/дурак, хвастун, простак)とそれらをめぐるフォークロア・テクストが、当時のロシア文化にいかに投影され機能したかが示される。
 第五章では、ヴャーゼムスキーの《Старая записная книжка》とクーコリニクの《Записная книжка》を、どちらもアネクドートを通じてロシア社会の風俗を描写した文学テクストであるとしてとり上げて復元・分析している。後者は、貴族文化を称賛するプーシキンの《Table-talk》やヴャーゼムスキーの前掲書と異なり貴族文化の名誉を汚す立場から書かれたものであり、二者のレベルには到底及ばないが、それまで取り上げられることのなかった風俗の裏を辛辣に描き得ている点でアネクドートの本質により迫っており、十九世紀前半のアネクドートを理解する上で二者を補完するものとして重視されている。
 最後に著者は、上記以外にも未発表の日記や書簡、回想録の中に埋もれているアネクドートを収集し考察することでプーシキン時代の文学研究に新しいアプローチが可能になる、
とさらなる作業の必要性を訴える。
 質量ともに充実した大著である。第三、四章で展開される主人公の三つの類型の詳細な検討は、ソ連アネクドートの主人公の類型論にも応用可能だろう。
 論文「セルゲイ・ドヴラートフとロシア散文におけるアネクドートの系譜」(1995 年)は、常に“下位ジャンル”として文学プロセスの外におかれてきたアネクドートの系譜をロシア散文の中に浮き彫りにし、位置付ける試みであり、アネクドートの記述された文学への影響を考える上で極めて示唆に富んでいる。
 クルガーノフによれば、十九世紀ロシア小説に多大な影響を与えたアネクドートを作品内で初めて決定的要素にしたのはチェーホフであり、二十世紀におけるその後継者がドヴラートフだが、二人の創作技法には違いがある(アネクドートを文学にしたチェーホフに対し、ドヴラートフはアネクドートを現実に引き戻した)。ドヴラートフの作品を「あるがままの現実であると同時に明らかな虚構」と特徴づけた上でクルガーノフは、ドヴラートフ後の「文学のアネクドート化」を指摘する。つまり、現代文学は、長編小説に代表される「大きな物語」の時代から、ミクロ・ストーリーの集積であるアネクドートの時代への転機を迎えている、というのだ。そうした、アネクドート化した長編小説の典型例としてエヴゲーニー・ポポフの《Душа патриота》が挙げられ、分析されている。
 研究書『ジャンルとしてのアネクドート』(1997 年)では、ジャンルとしてのアネクドートの一般的法則を定義し、その機能のメカニズムを明らかにする、また寓話や昔話など隣接諸ジャンルとの相互関係の解明を通じて文学全般におけるアネクドートの位置を探る、などの試みがなされている。
 寓話との対比では、「他テクストに入り込み活気をもたらすことで真価を発揮する」「寓話集やアネクドート集の形でテクスト化されるようになった」などの共通点を持ちながら、文脈との結びつき(文脈依存性)を失い弱体化した寓話に対し、それを維持したアネクドートは現代まで残りえたことが指摘される。
 次に昔話との対比では、昔話の娯楽機能や独立性に対しアネクドートの露出機能や文脈依存性を挙げて両者の違いを浮き彫りにする。その上で、プロップがアネクドートを昔話の一種に分類したためにアネクドートのジャンルとしての存在が否定されてしまった、と彼を批判している。
 続いて会話におけるアネクドートの機能が論じられる。ここで注目すべきは、クルガーノフがアネクドートを説得を目的とする完全な修辞的ジャンルとみなし、娯楽やユーモア・ジャンルへの分類を批判している点だ。彼によればアネクドートの主たる美的機能は、会話と文学の両テクストに入り込み、現象や習慣の特徴、実在の人物や一連の類型の特徴を逆説的に組み立てられた形式によって露出することであり、コミズムはその副産物でしかない。
 アネクドートにおいて露出を起こしているのは「ポアントの法則(結末における相容れない二つの文脈の衝突)」であり、多くの場合それは「メタファーの現実化」によって実現される。すなわち、アネクドートをアネクドートたらしめる「メタファーの現実化」こそが、アネクドートの創作技法の最重要特徴である。以下、寓話や短編小説における「ポアント」との対比によりアネクドートにおける「ポアント」が説明され、アネクドートの構成要素の多さが指摘される。例えば、結末の「ポアント」効果を高める「聞き手の反駁(質問)」の構造上の重要性が挙げられ、それを考慮に入れない伝統的なアネクドートの記録の方法が批判される。
 アネクドートの分類原則についてクルガーノフは、アアルネの分類に代表される伝統的なフォークロア研究がアネクドートを機械的に昔話の一種に分類していることを批判、アネクドートの連作性(シリーズ性)を考慮した、主人公の類型による分類網作りを提案する。また、アネクドート(・シリーズ)のテクストは記憶のメカニズムと結びついて作用することから、その結びつきを遮断する従来のアネクドート集の無意味さを指摘、記憶のメカニズムとの結びつきを残したアネクドート集の条件(シリーズ毎に編集し各シリーズの前に主人公の伝記を付す/各シリーズの主人公となる類型を決定する)を挙げる。
 さらにクルガーノフは、アネクドートの文化的・美的機能として「非英雄化機能」を挙げ、十九世紀初頭のプーシキン時代と二十世紀のソ連時代において非英雄化への要求の強まりがアネクドートの芸術的地位を高めたとする。そして、時代の要求を満たしうる文学ジャンルが、長編小説から、歴史哲学性や機能性、高密度性を有するアネクドートへと変わったとする。
 クルガーノフは本書で一貫して、アネクドートを修辞的ジャンルと位置付けて論じているが、最後に「誘導」「聞き手の感化・説得」といったアネクドートの修辞的特徴を挙げ、古代から現代までジャンルとしてのアネクドートの機能のメカニズムは変わらないとして論を結んでいる。
 論文「アネクドート、神話、昔話:境界、画定及び中間領域」(1998 年)では、アネクドートと昔話という隣接する二つのジャンルが、共通の起源である神話との関係を軸に比較されている。
 クルガーノフはまず、アネクドートと昔話をテーマ、イメージ、ストーリーなど「共通のストック」を利用しているというだけで機械的に結び付けることを批判し、神話からの生成過程を示すことにより両者の違いを明らかにしようとする。神話は特殊な現実としての地位を失いはじめるやいなや徐々に昔話化したが、その過程で生まれた副産物がアネクドートである。すなわち、昔話は現実から解放され神話から分離したが、アネクドートは特殊ではあるが現実の一部であり神話をうまく利用する形で「反神話」として存在している。換言すれば、非神聖化(暴露)機能によって現実に対するコードとしての「超現実」を提示しているのだ。
 ソ連時代の主要なアネクドート・シリーズ(チャパーエフ、シュティルリツ、ホームズとワトソンなど)は、神話生産装置としての映画によって作られた神話へのレスポンスとして生まれた(ただし現実に対する称賛から暴露へと手法が変っている)。現代における神話とアネクドートの関係は、クルガーノフによれば古代文化モデルとの類推により理解できる。つまり、神話に対する反神話としてのアネクドートが生まれるのは、古代神話に文化的英雄の喜劇的代役が出現することと同じであり、その際アネクドートも喜劇的代役も、神話を否定しているのではなくその可能性を拡大し普遍化している。
 現在ロシアでアネクドートが解禁されるようになったことをクルガーノフは、俗化し昔話化してしまった神話との類推でジャンルの危機と捉えつつ、「新ロシア人」をめぐる新たなアネクドートシリーズの流行を例に、アネクドートというジャンルの生命力を強調する。
 以上、クルガーノフの研究を駆け足で紹介してみて、その研究のスケールの大きさに改めて驚かされる。膨大な文献の中からの文学アネクドートの収集・整理・分析作業に基づくロシア文学アネクドート研究の立ち上げ、アネクドートと神話、寓話、昔話など隣接フォークロアジャンルとの詳細な比較、論議を呼んだジャンルとしてのアネクドートの特性に関する独自の見解(修辞的ジャンルであるアネクドートにとって、コミズムは副産物にすぎない)など、特筆すべき点は多い。これまで主として文学アネクドートを研究対象としてきたクルガーノフだが、最後に紹介した論文「アネクドート、神話、昔話…」では新ロシア人をめぐるフォークロア・アネクドートを扱うなど、徐々に守備範囲を広げており、今後の研究の展開が大いに期待される。


5 日本におけるアネクドート研究と今後の課題
参考文献にあるとおり、日本でもロシア・アネクドート集は複数出版されているが、それらは既刊のアネクドート集の翻訳であったり、著者自身がアネクドートを収集したと断っているものでも、明確な分類や編集方針を持たずにアネクドートを並べるにとどまっている。無論、個々のアネクドートやアネクドート・ジャンル全体の分析はなく、「まえがき」や「あとがき」の形で訳者あるいは編者による短いコメントが付されているのみだ。本格的なアネクドート研究にいたっては(若干のエッセイ風アネクドート論を例外として)残念ながら皆無である。
 というわけで、日本におけるロシア・アネクドート研究はまだ始まっていない。従って今後の課題は多いが、研究史を概観すると、フォークロア諸ジャンルにおけるアネクドートの位置やアネクドート分類の際の基準など、いくつかの問題点が浮かび上がってくる。
 まずはこれらの問題に一定の結論を与えた上で、対象となるアネクドートを選び、テーマやジャンルとしての特徴、具体的な笑いの手法などの分析にあたることになるが、先行研究が少ないため隣接諸ジャンルの分析方法を援用することが必要だろう 4
 また、フォークロア研究では聞き書き収集したものを分類・整理・分析するのが普通だが、過去となったソ連時代のアネクドート研究の場合は、新聞・雑誌やアネクドート集、さらにはここ数年急激な増加を見せているインターネット上のアネクドート関連サイトに発表されたものなども対象に加えざるをえない。そうした研究対象の形態の変化や多様化は都市伝説(現代伝説)などの新しいフォークロア・ジャンルとも共通する問題であり、ブルンヴァン(米)やブレードニヒ(独)ら民俗学者のとっている、聞き書きと活字化されたものを並列して扱う複合的なアプローチが参考になるだろう。
 最後に、本格的なアネクドート研究と並び一日も早く望まれるのが、体系的な分類と充実した解説を伴ったソ連アネクドート集の出版であることは言うまでもない。


参考文献

アネクドート集5

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1 アネクドート関連のサイトは無数にあり、その正確な数を把握することは難しい。中でも
最もポピュラーなのは《Анекдоты из России》(http://www.anekdot.ru)や《Русские Анекдоты》(http://www.anekdots.ru)だろう。
2 編者ベロウーソフは別の論文「ヴォーヴォチカ」(1996 年)でヴォーヴォチカについて
も論じている。
3 アネクドートが公認されることで衰退に向かうという点については、以下の研究者も指摘している。
深見弾『ソ連激烈ジョーク集』6、7頁。
Курганов, Е. Анекдот, миф и сказка: границы, размежевания и нейтральные полосы. с.295.
4 この点についてはかなり早い時期に、沼野充義がアネクドートをめぐるエッセイの中で
「例えばアメリカの民俗学者ジャン・ブルンヴァンが『消え去るヒッチハイカー』を初め
とする一連の著書で「都市伝説」の収集・分析に用いた方法や、あるいはソ連の民俗学者
ウラジーミル・プロップが昔話の分析に用いた「形態学」を適用するだけでも、現代ソ連
の一口話の世界の奥行きはもっとはっきり見えてくることだろう」と指摘している。(沼
野「オデッサの売春宿、あるいは一口話の逆襲」159頁)
5 ロシア語のアネクドート集は無数にあるが、ここでは本稿で言及したものにとどめる。