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現代のロシア宗教詩


野中春菜


 1 980年代、ロシア正教が復興しはじめた頃から、「宗教詩」というジャンルの出
物が見られるようになった。プーシキン、レールモントフをはじめとする、18世紀から20世紀の有名な詩人の作品の宗教的側面が強調され、宗教詩のアンソロジーに収められている一方、芸術作品としてというより主に伝道を目的として、あるいは個人的に信仰を言い表すために宗教的な詩を書く正教信者も多くなってきた。ここでは後者の現代詩人の中から、修道司祭ロマーン、首補祭ロマーン、ヴィクトル・アファナーシエフの三人を取り上げ、その作品を通して現代のロシア宗教詩がどのようなものであるかを紹介したいと思う。
 「宗教詩」というのは厳密に言うと、聖書の出来事をテーマにした詩や、神や教会、復活祭、祈り、鐘の音など、明白なキリスト教的モチーフをもつ詩のことであるが、今のロシアでは、哲学的な内容の詩や個人的な心の思いを表現した詩なども含めて、幅広い内容の詩が宗教詩のアンソロジーに収められている。
最初に、ここで取り上げる三人の詩人の詩集に載っている簡単な紹介文をもとにして、この三人がどのような人であるかについて、伝記的事実を少し述べてみたいと思う。
 修道司祭ロマーン(本名はアレクサンドル・マテューシン。1954- ) は最初は
学校の先生をしていたが、後に修道士となり、プスコフ州の修道院の隠遁所に住んだ。
自作の詩に曲をつけ、自ら歌うことで知られる。その歌のカセットテープは正教書店や教会の売店などで売られている。
 首補祭ロマーン(本名はアレクセイ・タムベルグ。1961-1998)は演劇を重
んじる高校を卒業し、一時は劇場で働いていた。それから神学校に行き、トロイツェ・セルギイ修道院に配属される。その後1992年にモスクワのダニーロフ修道院に移った。彼は自作の詩や他の現代詩人(レオニード・シードロフやドミートリイ・ソコロフなど)の詩に曲をつけ、自らギターで伴奏しながら歌っている。詩の他に評論も書いている。
 ヴィクトル・アファナーシエフ(1932-)は文学研究者でもあり、著名人の伝記
シリーズ(ЖЗЛ)のルィレーエフ、ジュコフスキイ、レールモントフのシリーズの著者
である。90年代頃から、正教の聖者に関する著書も多くなっている。
次に、この三人の詩人の作品を検討し、それを通して、現代の宗教詩とロシア正教の伝統、文学一般や現代文化全体とのかかわりについて考察していきたいと思う。

1 宗教詩に現れる自然
 宗教詩には祈りや神への呼びかけ、心の思いなど目に見えないものを言葉で言い表した詩もあるが、目に見えるロシアの田園風景を歌っているものもある。
 首補祭ロマーンの詩「ルーシは聖なる地とよばれる…」(Русь называют Святою…)もその一つである。


ルーシは聖なる地とよばれる
草原も森も水も
しずかな川の上の教会
二つの窓のある百姓家


夕焼けが紅の帯で
空を真っ二つに切る
そしてロシアの大地の上に
しずかな栄光の光が輝きだした


鳥の群が空に向かって飛びたった
鐘の音はいよいよ高まる
草原で気ままな風が目覚めた
そして草はしずかにひれ伏した
  […]
流れの上では霧が
煙のように水の上にたちのぼる
そして空と大地の間には
和解のしるし- 白い教会がある(引用文献2、47頁)


 この詩では、白い教会、墓地、鳥、鐘の音、夕焼け、霧、風などが描かれている。首補祭ロマーンはこの詩で、遠くに見える教会や墓地も含めて、この大地全体が聖なるものであると言っているのであろう。
 また、修道司祭ロマーンの詩「あなたを不運がとらえるなら…」(Если тебя неудача постигла…, 1975)にも、白い教会、墓地、泉、鶴、「ルーシ」などの言葉が使われ、同じ田園風景が描かれている。


あなたを不運がとらえるなら
憂いを吹き払う力がないなら
柔らかい秋しずかな秋に
早く出てきてわたしの泉に来なさい


泉の向こうには白い教会がある
古い墓地がある
この忘れられた場所は
ルーシがわれわれに残してくれたものだ
  […]
ほらあそこを鶴たちが飛んでいく
地平線の辺りでその鳴き声は消えていった
…もしあなたが病気で床についているなら
病を癒す泉があなたの夢に現れるがよい(引用文献1,12頁)


 これも首補祭ロマーンの詩と同様、風景を描写するというよりは、言葉を列挙して、読者が自ら知っている情景を思い浮べる手がかりを与えているようである。大地全体ではなく、泉や教会や墓地のあるこの特定の場所(修道院の敷地)が自分にとって聖なる場所なのだと詩人は言っている。首補祭ロマーンの詩より個人的な事柄を扱っている。
 ヴィクトル・アファナーシエフの詩「画家」(Художник)には、ある画家が家のまわりの風景を写生しているありさまが描かれている。


そして彼にこんなことが起こった-
彼はどうしてもわからなかった
誰が彼の手を導き
絵の具を次々と塗っていったのか
ここにはもう完成された絵がある
野原川村そしてそこには
ブィリーナの勇士のように
教会の黄金のドームが見える
これはルーシ魂の喜びだ!
永遠への道がひらかれている
その上にはキリストの子供たちがいる
そしてその上の天には神がいる! (引用文献3、100頁)


 画家がまわりの風景とその中に見える教会を描いていることを物語りながら、詩人は「これはルーシ魂の喜びだ」と言っている。「聖なるルーシ」は、教会のある田園風景としてそこにあるという、首補祭ロマーンの詩と同じテーマがここにもある。
 宗教詩にロシアの自然が歌われるのは、20世紀だけのことではなく、それ以前にもあったことである。19世紀の宗教的な詩、たとえばイワン・アクサーコフの「村落の夕べ」( Сельский вечер) 注(1 )やネクラーソフの「復活祭の前夜」( Накануне
Светлого праздника, 1873)では、教会の礼拝儀式が行われる背景としての自然(丘や山、村落、畑、森などの風景)が描かれている。しかし、それらの詩では自然そのものが「聖なるルーシ」として讃美されているわけではない。


2 教会や庵室の内部の描写
 宗教詩には自然だけではなく、教会の中や、修道士の庵室の様子も描かれている。
 修道司祭ロマーンの「わたしは言ったどこかで…」(Я сказал, что где-то…, 1987)という詩では、「どこかで」というあいまいな表現が繰り返されているが、詩人が住む修道院の様子を歌った詩であると思われる。詩のはじめのほうには、鶴の鳴き声、風や雲や月、カエデなどの植物などの自然描写があり、それから鐘の音の描写があり、教会の礼拝儀式の様子に移行する。


わたしは言ったどこかで
修道院の鐘楼から
正教の鐘の音が
大地の上に流れ出る
わたしは言ったどこかで
聖母の聖像が
苦しみの中にある
信心深い人々を慰めている


わたしは言ったどこかで
炎がゆれている
ろうそくの炎と
香炉の煙が
わたしは言ったどこかに
自由に呼吸できる国がある
そこではすべてのものが
聖なる空気に満たされている
わたしは言ったどこかに


修道帽と長い服がある
歌の先導者は確信をもって
歌の言葉を宣言する

わたしは言ったどこかで
兄弟たちが神に仕えている
そしてわたしはこのことも言った
わたしもその一人だと(引用文献1、142-3頁)


 ヴィクトル・アファナーシエフの「香の煙と太陽の光の中で…」(В волнах фимиама и в солнечном свете...)には、詩人の個人的な人生が反映されている。詩人は幼い頃に神を知ることができず、高齢になってから正教徒となった。詩人は子供の時に正教の信仰について教えられなかった悲しみとともに、今自分が神の子供の一人で、ここにいる子供たちの兄弟であるという喜びも感じている。


香の煙と太陽の光の中で
教会全体は天の火に照らされたように輝く
幼い子供たちが聖体を拝領するとき-
わたしは悲しくそしてまたうれしい


人々は子供たちを誇らしげに杯のそばに抱いてあるいは連れてくるそして一人一人の中にわたしたちの主キリストが入ってくださる
ロシアは生きている- ほらこれがわれわれの未来だ
すべてに耐えるだろう- 炎暑にも酷寒にも


何が悲しいのか? 子供のときわたしは洗礼を受けなかった
わたしはそんなふうに育った……誰も教えてくれなかった
天使たちや聖者たちそしてわたしたちの主キリストと一緒に
生きなければならないということを

わたしは知るよしもなかった- 自分が神から見捨てられたのではないことを
子供ではなくもう老人になってから
知らない道で足をすりへらしたわたしを
神が自らの家に連れ帰ってくださるということを


わたしはこれからは父の言葉によって生きよう
だらしない者であってもそれでも彼の息子であること
この子供たちの兄弟であること
そのこと以上にわたしにとっていとしく聖なるものはない
                  (引用文献3、22-3頁)


首補祭ロマーンの「蝋燭」(Свеча)には、庵室の中の描写がある。


白い流れとなって香炉の煙がゆっくりと渦巻く
扉には鍵がかけられ庵室はしずけさに満ちている
イコンの前にはおののくように力強く
暗闇を追い払いながら蝋燭の小さなあかりが燃えている
もっと明るく輝け蝋燭よ疑惑の闇が消え失せるように
魂が明るい炎で赤く映えるように
絶望の闇の中で憂いの濃い霧の中で
もっと明るくもっと明るく輝けわたしの蝋燭よ(引用文献2、69頁)


 教会や庵室の中の描写には、香の煙や、イコンの前の灯明あるいは蝋燭の光というモチーフが非常にしばしば用いられている。それは19世紀の宗教詩にもよく現れる。前にも言及したイワン・アクサーコフの「村落の夕べ」でも、教会の中が人でいっぱいで、蝋燭が燃えているありさまが描かれている。アクサーコフの別の詩「村の徹夜祷」(Всенощная в деревне)注(2)にも、夕日の光、鐘の音、イコンの下の蝋燭、香炉の煙などが現れ、教会の中の様子が描かれている。
 レールモントフは「パレスチナの枝」(Ветка Палестины, 1837)で、個人の家の部屋の
中にあるイコンの棚や灯明の光景を描いている。


3 人間の罪の問題
 田園や教会の内部の描写とあわせて、人間の罪の問題が扱われている詩がある。首補祭ロマーンの「雪の草原に霧がおりた」(На снежные равнины пал туман...)もその一つである。


疲れ果てた大地が闇の中で眠る
雪の下で苦しみを忘れ休息しながら
閉ざされた教会はからっぽでしずまりかえっている
そこでは天使たちが夕べの祈祷を執り行っているのだ

ああ主よわたしの魂は病んでいる
そして泣き癒されるのを待ち望んでいる
どうかあなたの憐れみでわたしを覆ってください
雪が病んだ大地を覆うように

わたしは祖国と親しくなりもうこれ以上離れることはない
悲しみの中でお互いをいっそうよく理解しながら
わが祖国は傷を受け沈黙している
腫瘍だらけになってわたしの魂は慟哭する(引用文献2、57頁)

 ここでは「疲れ果てた大地」「病んだ大地」という表現が使われている。また、祖国や詩人自身のもつ傷や腫瘍にも言及されている。
 修道司祭ロマーンは「祈りを伴う精進が心を再びあたためてくれる…」(Пост с молитвой сердце отогреет...)で、自分の魂に向かって「ああ魂よどこまでおまえは罪深いのか?」「ああ魂よわれわれはいったいどこへいくのだろう/何年も罪を犯しつづけてきたわれわれは?」と呼びかける。彼はまた、「わたしは丘に横たわる…」(Я лежу на холме...)という詩で、自分は罪深く、真っ暗な闇や永遠の苦悩に値すると語っている。
 ヴィクトル・アファナーシエフの「神の聖者よ…」(Угодники святые...)という詩では、ロシアの国が全体として正しい道から外れていると言われている。


神の聖者よ
この世は霧にとざされている
ロシアのために祈ってください
こわれた船のようなロシアのために
嵐の中を走りながら
もうずっと前からみしみしいっている
聖なるルーシが
底に沈んでよいものだろうか
すべてが失われてしまわないうちに
わたしたちを助けてください
舵のそばにしっかりと立ってください
聖者ニコライよ!
民の心は死んでしまった
揺り起こすことはできない……
ウラジーミル大公よ
もう一度彼らに洗礼を授けてください!
われわれは売りに出された
今の権力はそんなものだ……
聖ゲオルギイよ立って
その口に槍をつきさしてください! (引用文献3、123頁)


 このように、現代の宗教詩ではロシアの国(あるいはロシアの民)が全体として「罪あるもの」「苦しむもの」としてとらえられていると同時に、一人一人が個人的に持っている罪についても言及されている。そして、それが癒される可能性も示されている。
 修道司祭ロマーンの「神への畏れは節制の父… 」( Страх Господень .авва воздержания...)には、「悔い改め」「謙譲(スミレーニエ)」「感動(ウミレーニエ)」のような、正教の重要な諸慨念が表されている。


神への畏れは節制の父
節制は癒しを与える
より良い詩は- 沈黙
より良い沈黙は- 祈り


より良い祈りは- 悔い改め
赦しのない悔い改めはむなしい
神の前に立つときより良いのは
高い謙譲の深みにいること


わたしは沈黙の秘蹟のうちにわれを忘れる
すばらしいイコンウミレーニエの聖母の前で
悔い改めの涙がきよめてくれるように
より良い詩- 祈りを                   (引用文献1、245頁)


4 古典文学からの引用
 これは大きなテーマであるが、ここでは古典の作品とのつながりが感じられるいくつかの詩のいくつかの箇所を指摘するにとどめる。


 先にも引用したヴィクトル・アファナーシエフの「画家」の叙述の仕方は次のようなものである。


朝だったわれらの画家は
誰よりも早く目を覚ました
   […]
神に熱心に祈ってから
床がきしまないようにそっと
われらの画家は三脚と
筆と絵の具を取り上げ出て行った(引用文献3、99頁)


 「われらの画家は…」という語り方は、語り手がいて物語を語っていくという19世紀文学の手法を思い起こさせる。
 修道司祭ロマーンは詩篇や祈祷書の言葉を引用していることが多いが、西欧文学からの引用句もある。「全ロシアがクリコヴォの野と化した…」では、もともとハムレットの個人的独白だったものが、全ロシアの運命とのかかわりで使われている。


全ロシアがクリコヴォの野と化した
敵は武器をとったわれわれは生きるべきかそれとも死ぬべきか?
しかしドミートリイ・ドンスコイの呼び声は聞こえず
誰のために祖国を守るのかわからない  (引用文献1、340頁)


 首補祭ロマーンの「ロシアの道」(Русская дорога)は、書き出しがプーシキンの「冬の道」(Зимняя дорога,1826年)と似ている。プーシキンが個人的な旅の様子を書いているのに対して、この詩はロシア人全体が歩んだ道を問題にしている。


長い道のりと年月を通して
広々とした空間を通して
長く広く自由に
茂みや野原墓地や村の間を通って
ロシアの道が曲がりくねって進む
秋の季節はどしゃぶりの雨
夏は炎暑に悩まされている
おまえは歩む者をどこへ導こうとしているのか?
どんなローマをめざしているのか?    (引用文献2、67頁)


5 現代の一般文芸と宗教詩
 今まで引用してきた詩のうち、修道司祭ロマーンと首補祭ロマーンの詩には曲がつけられ、歌として歌われている。首補祭ロマーンの詩集には、歌の楽譜も載っている。
 宗教詩が歌となっているのは、中世以来の伝統である。フォークロア文学の宗教詩も、歌のように歌われていた。また、17世紀後半にはシメオン・ポロツキイが詩篇をロシア語の詩の形で書き表し、それが歌となって民間に流布した。19世紀の宗教詩のうちにも、同時代の作曲家が曲をつけて歌となったものがいくつもある。今では、中世の宗教詩の伝統にもとづいて、グースリを弾きながら宗教歌を歌う人も現れ、そういうカセットテープも売られている。
 しかし一般の流行歌のようにギターにあわせて歌われるというのは、最近になって始まったことだと思われる。首補祭ロマーンの他にも、歌手のジャンナ・ビチェフスカヤやウラジーミル・ヴォルコフが自らギターで伴奏しながら宗教的テーマの歌を歌っている。ヴォルコフの歌のカセットテープの一つにはавторские песни という副題がついている。これはヴィソツキイやオクジャワなどの自作自演の歌を指す用語であったが、それがロシア正教的テーマの歌にも現れてきたのである。


 今回ここで取り上げたのは、現代の宗教詩のほんの一部であるが、これだけを見ても、それがロシア正教や一般の古典文学の伝統を引き、現代の文芸一般とも関連しながら新しいジャンルを形作っていることがわかる。それは正教文化を知るために役立つばかりではなく、現代文学の一部として見ても興味深いジャンルであると言える。



(1)Иванова С. Ф. Введение во храм Слова . М.: Школа-Пресс, 1994. .С. 236-7.
(2)Русская духовная поэзия . М.: Православное братство《Споручницы грешных》,1996. . С. 172-4


引用文献
1.Иеромонах Роман (Матюшин). Внимая Божьему веленью . Минск: Издательство Белорусского Экзархата, 1998.
2 . Архидиакон Роман (Тамберг). Русь называют Святою … . М.: Даниловский Благовестник, 1998.
3.Виктор Афанасьев. Зреет жатва . М.: Отчий дом, 1999.