姓 | フォメンコ:Фоменко |
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名 | オレグ、С. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 建設省次官をつとめる。同省は、97年3月17日付大統領令によって、住宅・建設政策国家委員会に再編される。同年8月、同委員会副議長に就任。同委員会は、98年4月30日付で廃止され、新設の土地政策・建設・住宅公共事業省に吸収される。 |
姓 | フォルトフ:Фортов |
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名 | ウラジーミル、Е. |
生年月日 | 1946.01.23 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士 |
考察 | モスクワ州ノギンスク市生まれ。妻と1女。68年モスクワ物理工科大学卒。熱力学と空気力学を専攻。75~86年、ソ連科学アカデミー化学物理研究所研究員、上級研究員、実験室長。77年から全ソ通信制総合工科大学助教授、教授。86~92年ソ連科学アカデミー高温研究所部長、92~93年同研究所パルス作用熱物理学研究センター所長。95年ロシア科学アカデミー・エネルギー物理工学部副書記。科学アカデミー会員。96年8月17日、連邦副首相(科学技術問題担当)兼科学技術国家委員会議長に就任。97年3月17日、副首相職を解任され、科学技術国家委員会を改組して新設された科学技術相に任命される。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力における政府間委員会ロシア側議長(デンマーク、イスラエル担当)に任命される。同年5月、ロシア連邦ユネスコ問題委員会議長に就任。ロシア科学アカデミー副総裁。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。 |
姓 | ブガエフ:Бугаев |
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名 | ユーリー、С. |
生年月日 | 1946.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 国家社会保険監督官を経て、92年11月12日より保険活動監視機関長官をつとめる。同機関は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。 |
姓 | ブグダエフ:Бугдаев |
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名 | イリヤ |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 共和国農業相を経て、92年11月6日、カルムイキヤ=ハリムグ・タングチ共和国(旧カルムイク共和国)最高会議議長に就任。 |
姓 | ブグリモフ:Бугримов |
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名 | アナトリー、Л. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 92年1月27日、大統領直属国家褒賞委員会副議長に就任。 |
姓 | ブゲラ:Бугера |
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名 | ミハイル、Е. |
生年月日 | 1961.01.14 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | バシコルトスタン共和国下院・バシコルトスタン共和国大統領全権代表。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。我が家ロシアの候補者名簿に従って当選したが、メンバー資格を暫定的に停止。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。97年9月、「我が家ロシア(NDR)」に加入。 |
姓 | プザノフスキー:Пузановский |
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名 | アドリアン、Г. |
生年月日 | 1942.01.03 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士 |
考察 | 93年12月選挙で選挙運動「尊厳と慈悲」の推薦により第1期国家会議代議員に当選、94年1月より下院経済政策委員会副議長をつとめる(96年1月再任)。小選挙区から選出される。コストロマ農業大学講座主任として働く。「新地域政策」グループのメンバー。第1期および第2期国家会議代議員資格審査委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でコストロマ州小選挙区から、ロシア農業党の推薦を受けて当選。農業党会派所属。第2期国家会議経済政策委員会副議長。 |
姓 | プシカリ:Пушкарь |
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名 | ボルス、Н. |
生年月日 | 1938.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士候補 |
考察 | 大主教ヴェニアミン。中等神学校(63年)、モスクワ神学アカデミー卒業。同アカデミーで教鞭をとる。助教授の称号を持つ。修道士になるための剃髪式をヴェニアミンの名で行う。88~92年ロシア正教会聖職者。92年から沿海地方およびウラジオストックのロシア正教会(モスクワ総主教協会)主教に任命される。沿海地方の政治には事実上関与していない。 |
姓 | プシカリョフ:Пушкарев |
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名 | ヴィタリー、Н. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 92年までispolkom議長職にあり、プスコフ州人民代議員ソビエト議長もつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。後に合弁企業の社長に就任する。96年10月のプスコフ州知事選挙に共産党の推薦を受けて立候補するが、落選。 |
姓 | プシカリョフ:Пушкарев |
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名 | セルゲイ、Г. |
生年月日 | 1944.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 74年極東工業大学夜間部卒業。電気技師。86年ハバロフスク党高等学校卒業。中等学校卒業後ウラジオストック組立局電気組立工として、その後労働保護部技師として働く。75~86年ソビエトや党の活動に携わる。党raikom、gorkomの指導員、地区執行委員会副議長、党raikom第2書記、ウラジオストック市執行委員会副議長をつとめる。86年から地場産業および公営企業労働組合沿海地方委員会議長。93年から沿海地行政府住人の労働および雇用率局長。 |
姓 | ブシミン:Бушмин |
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名 | エヴゲニー、В. |
生年月日 | 1958.10.04 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。株式会社の支配人として働く。「12月12日連合」グループの副議長。国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。 |
姓 | ブジャヌ:Будяну |
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名 | アドリアン、Л. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 95年9月~96年8月、連邦通貨・輸出管理機関副長官をつとめる。 |
姓 | ブシュエフ:Бушуев |
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名 | ヴィタリー、В. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 燃料・エネルギー省次官を努める。 |
姓 | フスヌトジノフ:Хуснутдинов |
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名 | マラト、Х. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 対CIS加盟諸国協力省次官をつとめる。同省は、98年4月30日付で廃省。権限を外務省に移管。 |
姓 | ブゾフ:Бузов |
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名 | ユーリー、Е. |
生年月日 | 1955.01.03 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月国家会議代議員に当選。株式会社モスクワ地区支配人として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議国際問題委員会委員。 |
姓 | ブダジャポフ:Будажапов |
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名 | セルゲイ、П. |
生年月日 | 1952.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ブリャート林業学校学長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ロシア連邦共産党」から比例区繰り上げ当選。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。第2期国家会議民族問題委員会委員。 |
姓 | フタノフ:Хутанов |
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名 | レオニード、А. |
生年月日 | 1947.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ウスチオルダ・ブリャート自治管区人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同自治管区ソビエト解体。94年4月、新自治管区議会議長に選出される。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議農業政策委員会委員。 |
姓 | ブチェンコフ:Бученков |
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名 | エヴゲニー、В. |
生年月日 | 1938.05.12 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。農学者、ウラジーミル州ムーロム地区農営関連国立企業長として働く。ロシア商品生産評議会メンバー。ロシア農業党会派所属。第1期国家会議地政学問題委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙団体ロシア連邦共産党の推薦を受けてウラジーミル州コヴロフ選挙区から当選。第2期国家会議地政学問題委員会副議長。 |
姓 | ブチコ:Будько |
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名 | ヴィタリー、И. |
生年月日 | 1950.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ロシア石炭労組議長を経て、98年5月8日、連邦運輸自然独占調整局長官(閣僚級)に就任。同局は、同年9月22日付大統領令第1142号により廃止。 |
姓 | プチョルキン:Пчелкин |
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名 | ウラジーミル、М. |
生年月日 | 1967.04.22 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 中/高卒 |
考察 | 93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出される。ロシア自由民主党青年部長として働く。ロシア自由民主党会派のメンバー。国家会議労働・社会的支援委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で比例区から当選。第2期国家会議地政学委員会委員。96年2月9日より労働・社会政策委員会委員。 |
姓 | プチロフ:Путилов |
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名 | ミハイル、А. |
生年月日 | 1935.01.19 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。農業専門家、コルホーズ議長として働く。ロシア農業党会派のメンバー。国家会議天然資源・自然利用委員会委員。 |
姓 | プチン:Путин |
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名 | ウラジーミル、В. |
生年月日 | 1952.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | レニングラード(現サンクトペテルブルグ)市出身。75年レニングラード国立大学法学部卒業。旧ソ連国家保安委員会(KGB)職員として長期にわたってドイツに赴任。80年代末からサンクトペテルブルグで大学、市ソビエト、市役所等で働き、94年3月より同市第1副市長。96年6月、連邦大統領府に移る。97年3月、大統領府副長官兼監督総局長に任命。98年5月25日、大統領府第1副長官に昇任。同年7月16日付大統領令により、連邦中央と連邦構成主体の権限区分に関する条約準備のための大統領直属委員会メンバー。我が家ロシアのサンクトペテルブルグ支部代表。同年7月25日、連邦保安局長官に任命。同年10月、安全保障評議会メンバーに就任。 |
姓 | ブテンコ:Бутенко |
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名 | ボリス、П. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 通信省次官を経て、同省第1次官を努める。 |
姓 | フドゥアエフ:Худяев |
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名 | ヴャチェスラフ、И. |
生年月日 | 1946.03.26 |
性別 | 男 |
国籍 | コミ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | レニングラード建築技師大学、党中央委員会社会科学アカデミー卒業。69~72年鉄筋コンクリート製品工場で技師、職長として働く。72~75年コンクリートブロック工場技師長、工場長、75~76年生産企業コンビナート長、76~87年コミ州党委副部長、市党委書記、第1書記。現在、コミ共和国閣僚会議議長。上院連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。 |
姓 | ブトーリン:Буторин |
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名 | アルベルト、Н. |
生年月日 | 1938.07.03 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 無党派。大卒後、35年間にわたって専門技師として企業につとめる。コムソモールおよび党機関にも関わった経験あり。サハロフとも交流をもつ。一貫して官僚制の弊害について訴え続けている。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。 |
姓 | ブトケエフ:Буткеев |
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名 | ウラジーミル |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 法律家。マガダン州選出のワレンチン・ツヴェトコフ下院議員がマガダン州知事に選出されたため、97年5月18日に実施された同州選出連邦下院議員補欠選挙(小選挙区)で、当選。 |
姓 | ブトワ:Бутова |
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名 | タマーラ、А. |
生年月日 | 1945.01.01 |
性別 | 女 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 62~64年ブラゴヴェシェンスク財政中等専門学校で学ぶ。70年に通信教育で財政・経済大学卒業。スパースク市執行委員会国庫収入担当員として働く。66年からナホトカ市執行委員会で国庫収入部勤務。部長になる。83年からウラジオストックで沿海地方執行委員会国庫収入・財政局の副局長、部長として働く。90年から沿海地方国税検査局長。 |
姓 | ブニコフ:Буньков |
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名 | セルゲイ、П. |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 93年1月18日、連邦青少年問題委員会副議長に就任。後に同委員会第1副議長。同委員会は、96年8月15日付大統領令によって、国家委員会に名称変更される。98年4月、同委員会廃止。 |
姓 | ブハラエフ:Бухараев |
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名 | Р |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ウリヤノフスク州人民代議員ソビエト第1副議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出される。 |
姓 | ブハンツェフ:Буханцев |
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名 | ワレンチン |
生年月日 | |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | ワニノ地区オクチャブリ長行政長官。97年12月7日に実施されたハバロフスク地方議会代議員選挙に立候補し、得票率23.42%で当選。 |
姓 | フビエフ:Хубиев |
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名 | ウラジーミル、И. |
生年月日 | 1932.03.26 |
性別 | 男 |
国籍 | カラチャイ人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 技師として働き、59年国営農場長になる。59年より党員。obkom委員会の副議長を経て、後にraikom第1書記。69年スタヴロポリ農業大学卒、57~61年ソフホーズ総務、61~64年党カラチャイ・チェルケスobkom指導員、副部長、64~69年カラチャイ・チェルケス州人民統制委員会副議長、69~71年地方執行委員会議長、71~79党raikom第1書記、79~90年州執行委員会議長、ソ連邦党大会代表にも選ばれた経験がある。90~91年カラチャイ・チェルケス共和国行政長官代理。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。ロシア最高会議代議員、92年1月13日、カラチャイ・チェルケス共和国首相就任。93年12月の選挙で連邦会議に選出。上院国際問題委員会委員。95年5月4日、同共和国閣僚会議議長、同共和国元首就任。 |
姓 | ブビャーキン:Бубякин |
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名 | ドミトリー、С. |
生年月日 | 1929.01.27 |
性別 | 男 |
国籍 | ヤクート人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 53年入党。大学で経済学を専攻し、経済学に詳しい。地方行政で経済部長をつとめ、党中央委員会の高等教育機関で学ぶ。67~70年タス通信特派員。ヤクート最高会議代議員にも選出される。ヤクートにおける核実験に関する著作あり。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。 |
姓 | ブベーニン:Бубенин |
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名 | ヴィタリー、Д. |
生年月日 | 1939.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 58年工場「ダリエネルゴマシュ」付属技術学校卒業。専門は鉱業設備の修理仕上げ工。61年アルマアチンスク高等技術学校入学、卒業後、チホオケアンスク国境軍管区で兵役につく。69年3月のダマンスク島におけるロシアと中国の衝突における軍事行動への参加に対してソ連英雄金星勲章を受ける。69年モスクワレーニン(名称)軍政治アカデミー入学。卒業後、ヴィボルグ国境軍管区政治部副部長を務める。ソ連KGB議長Ю.アンドロポフの委任を受けて、グループ「アルファ」のテロとの闘争における特殊部隊を組織し、部隊長を務める。77年からカムチャツカ国境軍管区政治部部長を務める。党社会科学アカデミーを卒業。卒業後、ソ連国境守備軍政治部アジテーション及びプロパガンダ局局長、政治部長及びバルト海沿岸国境軍管区軍会議のメンバー、カムチャツカ国境軍管区副指揮官、極東国境軍管区第1副指揮官として働く。93年ハバロフスク国境大学を創設し、学長となる。95年陸軍少将の位で予備役に入る。現在は、退役軍人部隊連合「アルファ」の連合長を勤める。94年3月の地方議会選挙に立候補し当選。 |
姓 | フマロフ:Хумаров |
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名 | ワシリー |
生年月日 | 1952.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | スタブロポリ地方ペトロフスキー地区の畜産機業「ドンスコイ」副社長をつとめる。97年4月20日に行われた同地方におけるロシア下院補欠選挙で、有権者票の34.56%を獲得し、当選(投票率42.7%)。ロシア連邦共産党所属。 |
姓 | フョードロフ:Федоров |
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名 | ボリス、Г. |
生年月日 | 1958.02.13 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 博士 |
考察 | モスクワ生まれ。妻と1男1女。80年モスクワ財務大学卒(国際経済専攻)。80~89年IMEMO研究員。89~90年ソ連共産党中央委社会経済部コンサルタント。90年7月~12月RSFSR蔵相。91年から92年欧州復興開発銀行(在ロンドン)職員。世界銀行ロシア代表理事も経験。91年ロシア連邦大統領財務顧問。92年12月からロシア副首相(財政・経済問題担当)。92年12月30日から融資問題政府委員会議長。93年3月から蔵相兼任。93年10月20日から94年1月31日までロシア連邦安全保障会議委員。94年1月副首相および蔵相とも辞任。93年12月第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。94年1月政府を辞任し、ガイダル率いる下院会派「ロシアの選択」も離脱して、議員グループ自由民主同盟「12月12日」結成、94年3月17日より議長。第1期及び第2期国家会議予算・税金・銀行・財政委員会委員。94年2月11日、チュヴァシ共和国大統領非常勤顧問に就任。95年12月の第2期下院選挙に運動「ロシアよ、進め」から出馬、モスクワ市リュブリン選挙区で当選。同運動リーダー。議会では「ロシアの地域」(独立議員)会派所属。98年5月29日、国家税務局長官に就任。同年8月18日、国家税務局長官兼任のまま連邦副首相に任命。マクロ経済政策とロシア財務省及び中央銀行の活動の調整を担当。また、政府において国家の内外債務の問題に従事。同年8月、内閣総辞職により副首相代行となる。同年9月、ロシアと国際通貨基金(IMF)との協力に向けた交渉及び協議のための代表団長に任命。同年9月28日、連邦副首相代行件国家税務局長官から正式解任。 |
姓 | フョードロフ:Федоров |
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名 | アントン、Ю. |
生年月日 | 1961.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学中退 |
考察 | 最高会議委員会書記。アフガニスタンで従軍。その後、地方コムソモール委員会第1書記をつとめる。大学在学中に代議員となる。93円12月の選挙で国家会議代議員に選出されたが、94年1月4日、中央選挙管理委員会決定により、議員資格失効。ロシア連邦大統領府副局長。サマラ州におけるロシア大統領代理人(93年4月27日解任)。96年9月10日、大統領府の連邦構成主体における大統領代理人・活動調整局長に任命される。 |
姓 | フョードロフ:Федоров |
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名 | ニコライ、В. |
生年月日 | 1958.05.09 |
性別 | 男 |
国籍 | チュヴァシュ人 |
学歴 | 博士候補 |
考察 | チュヴァシ自治共和国の農家に生まれる。妻と1男1女。趣味はチェス。80年カザン大学法学部卒。法学博士候補。89年からチュヴァシ国立大学で上級講師。88~91年ソ連共産党員。89年3月~92年1月ソ連人民代議員。90年7月までソ連邦最高会議社会立法問題小委議長。ソ連最高会議立法・適正法・法秩序問題委員。90年7月からロシア共和国法相。91年12月からロシア連邦司法大臣。(92年12月23日再任、93年3月24日エリツィン大統領によるロシア議会閉鎖に抗議して解任)。「進歩のための合意」運動創立に参加。ロシア経済改革の根本的な支持者の一人。93年12月選挙で国家会議代議員に当選したが、同日の12月26日に実施されたチュワシ共和国大統領選挙で当選したため、94年2月4日代議員職を解任。カラチャイ・チェルケス自治共和国担当政府委員会議長。安全保障評議会非常任メンバー。第2期連邦会議国際問題委員会委員。当初エリツィンと対立の姿勢をみせていたが、96年の連邦大統領選挙ではエリツィン陣営でキャンペーンに参加。しかし、連邦政府の政策に対しては批判的。97年12月28日に実施されたチュワシ共和国大統領選挙に立候補し、57%の得票率で再選。第2期ロシア上院議員。 |
姓 | フョードロフ:Федоров |
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名 | エヴゲニー、А. |
生年月日 | 1963.05.11 |
性別 | 男 |
国籍 | ロシア人 |
学歴 | 大学卒 |
考察 | 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。レニングラード州ソビエト共同住宅経営問題委員会副議長として働く。ロシア統一・合意党会派のメンバー。国家会議国防委員会委員。 |
姓 | フョードロフ:Федоров |
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名 | アンドレイ、В. |
生年月日 | 1946.01.01 |
性別 | 男 |
国籍 | 不明 |
学歴 | 不明 |
考察 | 外務省次官、副大統領顧問(国際関係担当)をつとめる。 |