チーツ:Тиц
ヴィクトル、З.
生年月日 1938.01.01
性別
国籍 その他
学歴 博士候補
考察 幼年音楽学校とモスクワ音楽大学付属音楽学校を卒業後、モスクワ音楽大学作曲理論学部に59年入学、64年卒業。64年から67年モスクワ音楽大学大学院に学ぶ。専門はオペラ、交響曲の指揮。67年ハバロフスク市極東シンフォニーオーケストラの美術監督、第1指揮者。78年オムスクシンフォニーオーケストラ主催。81年「ロシア連邦芸術功労者賞」を受賞。89年ハバロフスクに戻り、極東シンフォニーオーケストラの主催、監督、第1指揮者として働く。政治活動には参加していない。


チーホノフ:Тихонов
ウラジーミル、А.
生年月日 1938.11.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 62年大学法学部を卒業、弁護士資格を得る。65年より党員。弁護士および技師として組合で働き、部長職につく。75〜86年木材組合の主任エコノミスト、86〜90年経済担当副組合長をつとめる。90年からロシア最高会議常勤。大統領直属大統領評議会メンバー。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年12月国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。国家会議社会団体・宗教組織問題委員会委員。


チーホノフ:Тихонов
ウラジーミル、П.
生年月日 1949.04.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 専門学校卒業後、従軍する。党員候補。後に工場に勤務し、技術管理部門長となる。大学を卒業し、建設関係の組合にコムソモールより派遣される。gorkom建設委員会書記もつとめる。88年市公安委員会議長。90年ロシア最高会議委員会常勤となる。89年末に、当時政治局員・中央委員会共産党問題担当書記をつとめていたヤコブレフとの手紙のやりとりを地方紙に公開したことで知られている。92年4月、第6回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


チーホノフ:Тихонов
アレクサンドル、Н.
生年月日 1947.10.07
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 ヤルタ市(クリミア)出身。労働赤旗勲章受章。妻と子供2人。72年モスクワ電子機械製作大学卒。教授の資格を持つ。ロシア連邦自然科学アカデミー、ロシア連邦工学アカデミー、国際工学アカデミー会員。72〜90年、モスクワ電子機械製作大学に勤務し、技師から学長までつとめる。90〜91年、ロシア共和国科学・高等教育問題国家委員会第1副議長、91〜93年、連邦科学・高等教育・技術政策省次官、最高会議国家学術・高等教育委員会第1副議長をつとめる。93年7月、高等教育国家委員会第1副議長に就任。同委員会は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって、普通・高等教育省に統合され、廃止。同省第1次官となる。98年3月2日、普通・専門教育相に任命。98年3月23日、大統領令第281号により、ロシア連邦憲法第83及び117条に従って、連邦政府の総辞職及び新政府組閣まで政府閣僚は職務を引き続き遂行することを決定。同年4月28日普通・専門教育相に再任。


チーホノフ:Тихонов
ワレリー、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年6月、ハバロフスク地方行政副長官・経済委員会議長解任。


チーホノフ:Тихонов
ゲオルギー、И.
生年月日 1934.03.18
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 モスクワ生まれ。妻と2人の子供。プレハノフ国民経済大学、国民経済アカデミー卒業。セルプホフ自動車工場で働きはじめ、後に要職に就く。86年ソ連閣僚会議燃料・エネルギー・コンプレクス・ビューロー・資本建設・改築部長。94年から人民運動「ソユーズ」議長。旧ソ連邦タジク共和国人民代議員に3度選出される。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙ブロック「人民に権力を」の推薦を受けモスクワ州セルプホフ選挙区から当選。議員グループ「人民に権力を」所属。96年1月19日、第2期国家会議CIS・同胞交流委員会議長に就任。


チーホノフ:Тихонов
ウラジーミル、И.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 90年3月18日からロシア共和国人民代議員。ロシア共産主義者(ロシアの統一)<救国戦線>会派所属。株式会社「シュヤ更紗」社長。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、イワノヴォ州キネシマ選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議経済政策委員会委員。


チェーホフ:Чехов
ユーリー、В.
生年月日 1947.11.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。無所属 ヴォルゴグラード工業大学卒業。 65年から工場の組立工として働く。ソ連軍勤務。76年から市自動車輸送局設計・技術事務所で作業班指導員などとして働く。77年から自動車縦列で技師として働き、縦列長になる。88〜91年ヴォルゴグラード市執行委員会副議長、議長、ヴォルゴグラード市ソビエト議長。現在、ヴォルゴグラード市行政長官。上院安全保障・国防問題委員会委員。


チェクメゾフ:Чекмезов
イーゴリ、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年3月、政府付属国家穀物総局長及び主任国家穀物監督官に就任。


チェシェンコ:Чешенко
ニコライ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 政府官房労働・保健総局長をつとめる。同総局は97年4月8日付首相命令で社会発展総局に改編される。


チェチェリニツキー:Чечельницкий
ミハイル、В.
生年月日 1957.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 燃料・共同住宅経営部局長。ボリショイ・カメニ市選管区。95年1月沿海地方議会代議員に選出される。


チェチェワトフ:Чечеватов
ヴィクトル
生年月日 1945.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 63年から軍務につく。ウリヤノフスク親衛隊戦車部隊学校、機甲部隊軍アカデミー、参謀本部軍アカデミー卒業。すべての基本的な指揮官の職務に就く。連隊長、師団長、軍指揮官、3つの軍管区司令官。92年から陸軍大将チェチェバートフは、極東軍管区クラスノズナメンヌィ軍司令官。軍隊は政治の外にいなければならない、と固く信じている。97年5月22日に解任されたサムソノフ参謀総長の後任としてロシア軍参謀総長への就任が提案されたが、辞退する。


チェチン:Четин
イワン、В.
生年月日 1941.10.31
性別
国籍 コミ人
学歴 大学卒
考察 大卒後、林業関係の企業で専門技術者として働き、企業長になる。67〜91年党員。raikom第2書記を経て、地方執行委員会の要職を歴任。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。コミ・ペルミャク自治管区人民代議員ソビエト議長。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同自治管区ソビエト解体。94年4月、新自治管区議会の立法議会議長に就任。第2期ロシア上院議員。第2期連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。


チェパソワ:Чепасова
タマーラ、Э.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月国家会議代議員に当選。94年1月17日より下院労働・社会的支援委員会副議長。小選挙区から選出される。ロシア連邦独占禁止・新経済構造支援国家委員会リペツク地域局長として働く。「新地域政策」グループの秘書。


チェピク:
ヴィクトル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 76年イルクーツク技術工業大学卒。合同「ダリポリメタル(極東多金属)」に勤務。技術者として要職を歴任し、採鉱会社「ボストーク」を率いる。ナズドラチェンコ沿海地方知事と親交がある。沿海地方行政府住宅・公共サービス・燃料総局長を経て、98年8月、同地方副知事に任命。


チェブーニン:Чебунин
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 82年ハバロフスク党高等学校を卒業。59年から60年チュミカンスク営林所の営林従業員。61年コムソモリスク-ナ-アムーレ市の技術学校を卒業。アムールリトマシュ工場で組立仕上げとして働く。62年から66年ソヴィエト軍勤務。66年から67年チュミカンスク営林所の地域技師。67年から70年チュミカン村の内務部パスポート課長。70年から75年トゥグロ-チュミカン地区の内務部地域監査官。75年から76年ウド村ソヴィエト執行委員会議長。76年から共産党の仕事に就く。漁業コルホーズ「22回共産党大会記念」の党委員会書記、ソフホーズ「チュミカンスキー」の党委員会書記、トゥグロ-チュミカン地区プロパガンダ及びアジテーション部長。87年から90年地区執行委員会議長。90年から91年チュミカン村の合同企業「ソニコ」労働者。91年12月からトゥグロ-チュミカン地区行政長官。


チェプルヌィフ:Чепурных
エレーナ、Е.
生年月日 1955.05.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。ピオネール組織連盟中央評議会議長として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議女性・家族・青年問題委員会委員。97年1月、普通・専門教育省次官及び大臣官房長官に就任。


チェホエフ:Чехоев
アナトリー、Г.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 オセット人
学歴 大学卒
考察 73年から75年ソ連軍で兵役に服す。75年グルジヤ共和国南オセット自治州ズヒンヴァリ工場「エレクトロヴィブロマシーナ」主任生産指令係、部門主任。78年ソ連共産党員。82年までグルジア共和国南オセット自治州州コムソモール委国際青年観光「スプートニク」事務局長、ツヒンヴァリ市コムソモール委第1書記。82年からグルジヤ共和国南オセット自治州党委指導員、部次長。85年からグルジヤ共和国南オセット自治州州ソヴィエト執行委部長、州党委部長、州人民統制委議長。87年から88年4月22日グルジヤ共和国南オセット自治州ズナウリ区党委第1書記。88年4月22日から90年1月23日までグルジヤ共和国南オセット州党委第1書記。89年から91年ソ連代議員。共産主義者代議員グループ及び代議員グループ「ソユーズ」メンバー。新聞「グラスノスチ」編集局評論員。人民運動「ソユーズ」コーディネーション会議メンバー。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党から比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議CIS・同胞交流委員会副議長。


チェリョムヒン:Черемухин
ヴィクトル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 「ロシア」紙副編集長を経て、94年2月22日より国家会議(下院)プレスセンター所長。


チェルィシェフ:Челышев
アレクサンドル、Н.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 民間防衛・緊急事態・自然災害処理省次官を努める。


チェルヴィンスキー:Червинский
ユーリー、Е.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年3月までクラスノダル地方における大統領代理人をつとめる。


チェルケソフ:Черкесов
ゲオルギー、М.
生年月日 1938.11.10
性別
国籍 その他
学歴 大学卒
考察 バルカル人。無所属。カバルディノバルカル国立大学卒業。57〜60年ソ連軍勤務。65年大学卒業後ソフホーズの畜産技手長、ソフホーズ長として働く。77〜85年企業合同体支配人、カバルディノバルカル自治共和国農業副大臣、85〜91年養鶏生産連合総支配人。92年3月12日、カバルダ・バルカル共和国首相に就任。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。上院予算委員会委員。


チェルトリツカヤ:Черторицкая
タチヤーナ、В.
生年月日 1948.08.19
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 93年12月の選挙で国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。有限会社「ロシアヴォルガ沿岸地方手稿・古版本研究所」支配人として働く。国家会議教育・文化・科学委員会委員。国家会議代議員資格審査委員会委員。


チェルニチェンコ:Черниченко
ミハイル、Н.
生年月日 1944.11.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。 無所属 クラスノダルスク工業大学、党中央委員会社会科学アカデミー卒業。62〜63年煉瓦石積職人として働く。ソ連軍勤務ののち67〜79年企業合同体で機械化移動建設隊の技師、技師長、隊長として働く。79〜81年地区執行委員会副議長。81〜92年州執行委員会部長、第1副議長。現在、マイコパ市行政長官。上院予算委員会委員。


チェルニチェンコ:Черниченко
ユーリー、Д.
生年月日 1929.08.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。 ロシア農民党議長 キシニョフ国立大学卒業。53年から「ソヴィエツカヤ・モルダヴィア」紙で文学執筆者として、55年から「アルタイスカヤ・プラヴダ」紙で特派員として、59〜74年「ソヴィエツカヤ・ロシア」紙および「プラヴダ」紙で専属特派員として働く。75〜91年中央テレビ解説者、90〜91年ソ連邦人民代議員。現在、モスクワ作家同盟所属作家。上院農業政策委員会委員。


チェルニャンスキー:Чернянский
イーゴリ、Л.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 沿海地方第1行政副長官をつとめる。


チェルヌィショフ:Чернышев
アレクセイ、А.
生年月日 1939.03.29
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ノヴォセルジエフスキー生まれ。妻と娘。57年オレンブルグ農業工科学校、62年オレンブルグ農業大学卒業。62〜65年国営農場の修理工場長、65〜67年主任技師として働く。67〜73年、地方の農業部長となる。73〜78年、raikom第1書記。78〜83年、地方執行委員会第1副議長。83〜89年obkom書記。87年党中央委員会社会科学アカデミーを卒業。raikom、obkomなど幹部職を歴任。地方代議員、オレンブルグ州・市党委員会第2書記などを歴任。90年3月18日よりロシア共和国人民代議員。農業同盟(ロシアの統一)<救国戦線>会派所属。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年6月から最高会議農村の社会的発展・農業問題・食糧委員会議長。93年12月第1期国家会議代議員に当選。オレンブルグ州ブズルク選挙区から選挙団体「ロシア農業党」の推薦により選出される。ロシア連邦農業省第1次官、95年1月27日まで第1期国家会議農業問題委員会副議長。その後委員会議長。ロシア農業党会派所属。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙団体「ロシア農業党」の推薦を受けオレンブルグ州ブズルク選挙区から当選。ロシア農業党会派所属。96年1月、国家会議農業問題委員会議長に再選。


チェルヌィショフ:Чернышев
アリベルト、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年9月、外務次官に就任。96年6月同職解任。


チェルヌィショフ:Чернышев
ヴャチェスラフ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年9月、国家伝書機関副長官に就任。同機関は、96年8月15日付ロシア連邦行政機関の機構改革に関する大統領令によって廃止。98年1月、国家伝書使局副局長に任命される。同局は98年9月時点で存在が確認されず。


チェルネンコ:Черненко
アンドレイ、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年3月15日、連邦新聞委員会副議長に就任。96年3月より民族問題・連邦関係省次官(同省は、後に地域・民族政策省に改称)。同省は、98年9月22日付大統領令第1142号により廃止。


チェルノイワノフ:Черноиванов
ヴャチェスラフ、И.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 93年12月より機械製作・農業・食品・加工工業サービス国家委員会の議長をつとめるが、94年1月20日解任。97年2月、農業・食糧省次官に就任。


チェルノウソフ:Черноусов
アレクサンドル、В.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 77年ウッスリースク農業大学土地改良学部卒業。パクロフカ村にある企業合同「ウッスリースクヴォドストロイ」で熟練工、現場監督、技師長として働く。82年オクチャブリスキー地区執行委員会府体育・スポーツ委員会議長。1年後パクロフカ村職場の党窓口書記に選出される。87年円筒装置生産副部長の職に任命された。90年党raikom指導員となる。同年地区ソビエト執行委員会副議長の職に移る。91年末オクチャブリスキー地区行政長官に選出される。


チェルノウソワ:Черноусова
タチヤーナ、М.
生年月日 1949.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 チェルニゴフカ公立普通教育第1中学校教師。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。ソヴィエト連邦共産党メンバー。全ソ連女性会議メンバー。


チェルノコフ:Челноков
ミハイル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年3月20日より最高会議議会内会派「市民社会」メンバー。


チェルノゴロフ:Черногоров
アレクセイ、Л.
生年月日 1959.07.13
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 スタヴロポリ法科大学専任教員。コムソモール組織で指導者をつとめる。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、スタヴロポリ地方ペトロフスキー選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議立法・司法委員会委員。96年11月17日に実施されたスタヴロポリ地方知事選挙決選投票で、ロシア農業党を除く左派・共産党の推薦を受けて、55.06%の得票率で当選。


チェルノフ:Чернов
ウラジーミル、В.
生年月日 1950.02.02
性別
国籍 ロシア人
学歴 中/高卒
考察 高卒後、74年から党員。体育教師として母校に勤務。軍役後、学校のコムソモール委員会の書記をつとめ、73年から企業勤務。地方裁判所の人民評議員にも選出される。最高会議議会内会派「労働同盟」指導者。91年7月、第5回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。


チェルノムイルジン:Черномырдин
ヴィクトル、С.
生年月日 1938.04.09
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 オレンブルグ州サラクタシ地区のコサック村チョールヌィ・オストローグ生まれ。妻と息子2人。ロシア工学アカデミー会員。クイブィシェフ工科大学、全ソ通信制工科大学経済学部卒。57年オレンブルグ州オルスク石油精製工場で圧縮機とポンプの操作係として職歴をスタート。60年ソ連軍での兵役を終え、同工場に戻る。66年クイブィシェフ(現サマーラ)工科大学を卒業し、同工場の設備取扱主任となる。67〜69年ソ連共産党オルスク市委員会指導員、69〜73年同党委員会工業運輸部副部長、部長、73年オレンブルグ・ガス精製工場副技師長、73〜78年同工場長(78年までにオルスク石油精製工場長もつとめる)。72年全ソ通信制総合工科大学経済学部卒業。81年工学修士、技術アカデミー会員。78年モスクワに出て、78〜82年ソ連共産党中央委員会重工業部指導員、82年ソ連ガス工業省次官、83年ガス工業省次官兼チュメニ州ガス採掘全ソ工業合同「チュメニガスプロム」支配人。85年からルイシコフ首相の下でソ連ガス工業相をつとめ、ヤブリンスキーの「500日」計画に反対。89年旧ガス工業省を母体にして創設された国営コンツェルン「ガスプロム」の総裁。90年3月のロシア共和国人民代議員選挙でドミトリー・ウォルコゴノフ将軍に敗れる。92年5月燃料・エネルギー担当ロシア副首相。92年12月第7回人民代議員大会で首相。安全保障評議会常任メンバー。93年9月にはロシア議会(人民代議員大会と最高会議)解散に関する大統領令を支持。61〜91年ソ連共産党員(86〜90年中央委員)。95年5月、選挙ブロック「我が家はロシア」評議会議長就任。同年8月、大統領直属地方自治評議会議長となる。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」で比例区から当選したが、辞退。「我が家ロシア」は比例区3位の惨敗。しかし、エリツィン大統領再選に貢献し、首相再任となった。96年8月10日に首相に正式任命。96年4月1日、大統領令により「チェチェン紛争解決国家委員会」が設置され、議長に任命されたが、同年8月14日同委員会は解散した。96年7月25日設置されたロシア連邦国防評議会副議長。同年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会議長をつとめる。98年3月23日、突然の大統領令によって首相職解任、内閣総辞職が決定される。同大統領令は、同氏に2000年の大統領選挙へ


チェレプコフ:Черепков
ヴィクトル、И.
生年月日 1942.04.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 71年太平洋高等海軍学校卒業(検定試験受験生として)。60年代初頭中等学校卒業後、生産技術学校を卒業し、水力発電所建設現場で現場監督として働く。66年太平洋艦隊での緊急勤務を終えて、将校の称号で除隊した。67年再び太平洋艦隊に海軍規律講師として召集される。大学教育修了の資格取得後、太平洋の海軍の様々な部隊、訓練支隊、学術機関で統帥部のポストを占める。ペレストロイカの開始とともに権利擁護活動に携わる。ルスキー島での若い水兵たちの衰弱死の情報を公開した。沿海地方議会代議員に選出される。93年夏海軍の幹部要員(1等佐官)でありながら、18人の競争相手を破って、ウラジオストック市行政府長官に選出される。断固とした構造改革とそれまでになかった新しい活動を始めるが、沿海地方諸権力と住民の保守層には支援されなかった。間違ってワイロの疑いをかけられ、94年3月16日、強制的に解雇された(94年12月23日、大統領令によって正式に解任)。中央の権利保護機関によって彼に対する全ての疑いは完全に晴らされたが、地方権力は彼に復職させなかった。1等佐官(予備兵)で軍の年金受領者であるチェレプコフは、一時期職に就かず、積極的に政治活動に携わる。95年初めに沿海地方議会に6人の候補者のなかから最高得票をえたが、全体の投票率が低く(19%)、選挙未成立となった。。95年末沿海地方知事と国家会議代議員のポストに同時に立候補したが落選。96年9月24日、エリツィン大統領はチェレプコフ・ウラジオストク市長の復職に関する大統領令に署名。復職の日付は94年12月23日の正式解任の日にさかのぼる。チェレプコフは、ナズドラチェンコ沿海地方知事と対立して市長の座を追われ、94年12月以後は同知事によって任命されたその腹心のトルストシェイン氏が市長をつとめていた。チェレプコフは、エリツィン大統領による同氏解任の大統領令の取り消しを求めて裁判を起こしていたが、今回の復職の大統領令は解任が誤りだったことを認めたもの。ヤストルジェムスキー・ロシア大統領報道官によると、「この裁判は事実上、ウラジオストクでの市長選挙(96年10月6日)のための選挙戦の開始と時を同じくした。その上、われわれは、選挙実施の決定そのものが正しくなかったと考える。なぜなら、この決定は、市議会ではなくて沿海地方議会によって下されたものだからだ。判決が公表され、それが大統領令によって確認されたいま、


チェレムヌイフ:Черемных
ゲンナディー、Г.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年4月3日、司法省次官に就任。


チェン:Чен
В
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 トゥーラ州行政副長官をつとめる。


チキン:Чикин
ワレンチン、В.
生年月日 1932.01.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 51年「モスコフスキー・コムソモーレツ」紙編集部文芸部員。56〜91年ソ連共産党員。58〜71年「コムソモーリスカヤ・プラウダ」紙文芸部員、宣伝部次長、宣伝部長、副編集者、副編集局長。71年10月から79年「ソヴィエツカヤ・ロシア」紙副編集長。79年10月から84年「ソヴィエツカヤ・ロシア」紙第1副編集長。84年から86年ソ連出版・印刷・書籍販売事業国家委第1副議長。86年2月から91年8月「ソヴィエツカヤ・ロシア」紙編集長。87年3月16日ソ連ジャーナリスト同盟理事会議長。89年12月9日から90年9月7日までソ連共産党中央委ロシアビューロー員。90年3月18日よりロシア共和国人民代議員。1986年から90年ソ連共産党中央委員会メンバー候補。89年から91年ロシア連邦慈善・健康基金理事長。90年から91年中央委員会メンバー。93年12月選挙で第1期国家会議代議員にロシア連邦共産党より比例区当選。「ソヴィエツカヤ・ロシア」紙(新聞)編集長として働く。ロシア連邦共産党中央委員会メンバー。ロシア連邦共産党会派所属。第1期及び第2期国家会議情報政策・通信委員会委員。95年12月第2期国家会議代議員選挙でロシア連邦共産党より比例区当選。ロシア連邦共産党会派所属。


チシコフスカヤ:Тишковская
エヴゲニア、Л.
生年月日 1948.11.07
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月国家会議代議員に当選。小選挙区から選出される。株式会社設計者として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員。


チスチャコフ:Чистяков
アナトリー、В.
生年月日 1950.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1建設株式会社社長。97年12月7日に実施された沿海地方議会代議員選挙に立候補し、当選。


チスティフ:Чистых
オリガ、А.
生年月日 1942.03.23
性別
国籍 ドイツ人
学歴 大学卒
考察 農業大学に学ぶ。家畜専門、経済学者。17年間にわたって国営農場で働き、党委員会の書記raikom委員もつとめる。90年5月、第1回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議農村の社会的発展・農業問題・食糧委員会書記。


チストホドワ:Чистоходова
リータ、В.
生年月日 1939.03.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 スィクトイフカル市検察局検事主任補佐官。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、コミ共和国スィクトイルカル選挙区から当選。96年1月16日よりロシア連邦共産党会派所属。それ以前は「人民に権力を」会派所属。第2期国家会議安全保障委員会委員。97年11月のコミ共和国大統領選挙に立候補するが、次点で落選(得票率21%強)。


チストワ:Чистова
リュボーフィ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ハントィ・マンシイ自治管区人民代議員ソビエト副議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同自治管区ソビエト解体。


チチェロフ:Чичелов
ユーリー、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 連邦税務警察機関副長官を務める。


チテンコ:Титенко
ボリス、М.
生年月日 1954.03.06
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 博士候補
考察 93年12月選挙で国家会議代議員委選出される。医師、ロシア連邦共和党ロストフ地域組織議長として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議連邦・地域政策問題委員会委員。


チトキン:Титкин
アレクサンドル、А.
生年月日 1948.09.12
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 金融・投資会「ギロス」社長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。94年3月26日、上院予算・財政・通貨・融資調整・通貨発行・税政策・関税調整委員会副議長に就任。会議規定・議会手続き委員会副議長もつとめる。二つのインターナショナル・ビジネススクール(ドイツとスイス)を卒業。66〜67年工場実験室助手。72〜78年工場勤務。設計技師、コムソモール委員会書記、技師長などとして働く。78〜86年産業連合会「アトマシュ」職長、生産部門支配人。86〜91年生産連合会「チャシプロドマシュ」総支配人、株式会社「ゲフェス」会長をつとめる。91〜93年ロシア産業大臣。


チトフ:Титов
コンスタンチン、А.
生年月日 1944.10.30
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 モスクワ生まれ。68年クィブィシェフ航空大学卒業。62年から航空機製造工場勤務。フライス工、航空機関士、コムソモール委員会副書記として働く。70年からコムソモールgorkom副議長。73年からクィブィシェフ企画研究所に院生として学び、コムソモール委員会書記をつとめる。同研究所研究員となり実験室長をつとめる。88〜90年研究センター「インフォルマチカ」支部副支配人。90〜91年サマラ(クィブィシェフ)市ソビエト議長。91年8月、サマラ州行政長官に任命される。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選(得票率40.27%)。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。「ロシアの民主的選択」のメンバー。95年5月、選挙ブロック「我が家はロシア」評議会副議長に就任。地方間経済相互関係協会「ボルシャヤ・ヴォルガ」総裁。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会議長。96年12月1日、サマラ州行政長官選挙で当選。


チトフ:Титов
ゲルマン、С.
生年月日 1935.09.11
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 57年レニングラード軍管区空軍飛行連隊戦闘機パイロット。61年8月6日から61年8月7日最初の宇宙飛行。宇宙船「ヴォストク2号」で地球を17週以上回る。61年から91年ソ連共産党員。66年から91年ソ連-ヴェトナム友好協会中央理事会議長。76年から91年ソ連国防省勤務。91年退役。91年から92年ソ連国防省宇宙部門局第1次長。91年対ヴェトナム友好協会名誉議長。92年株式会社「コスモロフト」社長。大将。95年3月14日、モスクワ州コロムナ選挙区から、第1期国家会議代議員に選出され、同24日承認される。第1期国家会議工業・建設・運輸・エネルギー委員会委員(95年7月16日まで)。ロシア連邦共産党会派所属。96年12月第2期国家会議代議員選挙で共産党の推薦を受け、第1期と同じ選挙区から当選。第2期国家会議軍民転換・ハイテク技術委員会委員。家族構成は妻、2女


チトフ:Титов
アレクセイ、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、ヴォログダ州における大統領全権代表に就任。


チナエワ:Чинаева
オリガ、П.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年1月22日、大統領直属国家褒賞(文学・芸術分野)委員会組織運営副議長に就任。後に同委員会議長。


チハナツキー:Чиханацкий
セルゲイ、А.
生年月日 1953.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 79年ハバロフスク工業大学を卒業。機械技師の資格を持つ。79年から83年ハバロフスク市の全ソ陸海空軍後援会職業教育海軍学校の班長、上級班長として働く。83年から84年ハバロフスク農業地区エリヤ村でトラクター修理作業長。84年から86年ハバロフスク地区農業技術自動車運輸企業副管理人、支配人。86年から88年エリヤ村の自動車技術サービス局長。88年から90年党の仕事に就く。ソヴィエト共産党ハバロフスク地方raikom運輸工業部長、組織化部長。90年人民代議員ハバロフスク地区会議副議長。96年2月からハバロフスク地方ハバロフスク地区行政長官代行。


チビソフ:Чибисов
アレクサンドル、Ю.
生年月日 1961.08.04
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 大卒後、科学研究機関の技師として働く。92年12月、第7回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。93年9月まで最高会議青年問題委員会議長代行。


チホミロフ:Тихомиров
ウラジスラフ、Н.
生年月日 1939.08.14
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 62年からソフホーズに経済専門家として勤務。コムソモールや党のraikom、obkomで課長や書記などをつとめる。74〜79年イワノヴォ州ソビエト州農業局第1副局長。79〜90年raikom第1書記、obkom書記、イワノヴォ州ソビエト執行委員会議長をつとめる。90年4月よりイワノヴォ州人民代議員ソビエト議長をつとめる。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同州ソビエト解体。94年3月31日からイワノヴォ州立法議会議長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議農業政策委員会委員。96年2月1日、イワノヴォ州行政長官に就任。同年12月1日実施のイワノヴォ州行政長官選挙で当選。


チホミロフ:Тихомиров
ワレリー、В.
生年月日 1944.08.24
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 オムスク国立大学学長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議連邦問題・地域政策委員会委員。


チムイホフ:Чмыхов
ガリー、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カリニングラード州行政副長官をつとめる。


チモシェンコ:Тимошенко
セルゲイ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 カムチャツカ州副知事をつとめる。


チモフェーエフ:Тимофеев
ワレリアン、А.
生年月日 1940.08.10
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 91年8月まで党員。ベトナム政府運輸・通信省付顧問を3年間つとめる。67年から国内経済関係省サハリン支部に勤務し、運輸・通信面の開発を担当する。90年サハリン州コルサコフ市代議員になる。92年12月、第7回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。最高会議員選出時には、企業長。


チモフェーエフ:Тимофеев
ワレリー、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年7月2日、保安省次官に就任。94年2月4日、連邦防諜機関(後の防諜局)副長官に就任。95年4月より保安局副長官。


チモフェーエフ:Тимофеев
ミハイル、С.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年4月、チュワシ共和国における大統領代理人に就任。


チャイコフスキー:Чайковский
アンドレイ、Ф.
生年月日 1947.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 工場で働きながら専門学校を卒業。海軍大学に入り、後に海軍従軍。67〜91年党員。70年KGBに配属され、幹部職歴任。KGBの高等教育機関で優秀な成績を修め、弁護士資格を得る。77〜82年海外に赴任。外国語に堪能。KGB大佐。90年5月、第1回人民代議員大会で民族会議メンバーに選出される。91年8月離党。93年9月まで民族会議弾圧され追放された人々に関する委員会副議長。


チャガチェフ:Тягачев
レオニード、В.
生年月日 1946.10.10
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 モスクワ州出身。妻と娘2人。趣味は狩猟、つり、テニス、サッカー、ホッケーなど。78年クルプスカヤ記念モスクワ教育大学卒。プロのスポーツマンで、16歳でアルペンスキーのスポーツマスターの資格を取得、20年間アルペンスキーのソ連ナショナルチームのコーチをつとめる。ロシア・アルペンスキー連盟及びスノーボーディング連盟会長。96年11月12日、体育・観光国家委員会議長に就任。


チャグノフ:Тягунов
アレクサンドル、А.
生年月日 1940.03.31
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 株式会社「トヴェリアグロストロイ」理事長。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「我が家ロシア」から比例区繰り上げ当選。我が家ロシア会派所属。第2期国家会議CIS・同胞交流委員会副議長。


チャシュロフ:Тяжлов
アナトリー、С.
生年月日 1942.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 大学卒業後、鉄筋コンクリート組立工場で、技師、そして管理職を務める・91年8月まで党員。69年から建設関連産業の管理職に就く。1990年ロシア共和国人民代議員選挙に立候補し、6人の候補者の内最高得点票25.06%を得、当選した。90年5月モスクワ州議会21会期の第1セッションでモスクワ州執行委員会議長に選出される。91年10月16日付ロシア共和国大統領令によりモスクワ州行政長官に任命される。92年4月8日ロシア連邦内州・地方知事連合会長に選出される。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。


チャジョワ:Тяжова
リンマ、Н.
生年月日 1940.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 73年極東国立大学法学部を通信教育で卒業。中等学校卒業後、縫製女工、雑役労働者、煉瓦積み職人として働く。その後、再び沿海地方の国民経済会議でタイピストとして、タシケント市で手間賃決定者として(1946〜65)働く。65年から沿海地方クラスノアルメイスク地区村ソビエト執行委員会の戸籍登録課長、委員会議長として働く。73年から法務関係の職に就き、クラスノアルメイスク地区法律相談所長として働く。74年オクチャーブリスキー地区人民裁判所人民裁判官に選ばれる。82年から沿海地方オクチャーブリスキー地区裁判所議長。


チャジロフ:Тяжлов
アナトリー、С.
生年月日 1942.10.11
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 国際環境学アカデミー会員。59年から建設企業合同に勤務。組立工、煉瓦石積み職人。65年から鉄筋コンクリート工場勤務。現場主任として働き始め、技師長になる。69〜73年住宅建設コンビナート技師長。73〜82年建設企業合同体の技師長、技術局長、82〜90年同企業第1副合同体長を経て、90〜91年モスクワ州ソビエト執行委員会議長。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。連邦会議連邦問題・連邦条約・地域政策委員会委員。95年12月、下院選挙と同時に実施された行政長官選挙に出馬し、決選投票の末再選される。第2期連邦会議CIS問題委員会委員。ロシア知事同盟議長。


チャプトイノフ:Чаптынов
ワレリー、И.
生年月日 1945.06.11
性別
国籍 アルタイ人
学歴 大学卒
考察 67年アルタイ農業学校を卒業。97年アルタイ地方ゴルノ・アルタイ自治区地区間国営種畜場支配人。69年ウスチ・コクサ地区農業局長。70年から77年ゴルノ・アルタイ自治区obkom書記、第2書記。76年から78年共産党中央委員会附属社会科学アカデミー聴講生。78年から88年obkom、raikomで書記などの職に就く。88年から92年ゴルノ・アルタイ自治州ソヴィエト執行委議長。92年2月14日、ゴルヌイアルタイ共和国最高会議(現国家会議:エル・クルルタイ)議長に就任。アルタイ共和国元首。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。96年1月ロシア連邦連邦会議議員。97年1月30日、アルタイ共和国首相に選出される。同年8月11日、病死。


チュイコ:Чуйко
ウラジーミル
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年9月、林業・製紙業・木材加工業国家委員会第1副議長就任。同委員会は、97年3月17日付大統領令によって、経済省へ機能を移管し、廃止される。


チューピン:Чупин
ワレリー、В.
生年月日 1951.01.01
性別
国籍 不明
学歴 大学卒
考察 74年ハバロフスク工業大学を卒業。経済専門家の資格を持つ。74年から77年第35建築トラストで技術者として働く。77年から88年ハバロフスク地方執行委員会対外経済活動部専門家主任になる。92年からハバロフスク地方行政国際議定書部局長。96年からハバロフスク市のロシア連邦外務省議長。政治活動には参加していない。


チューヒン:Чухин
イワン、И.
生年月日 1948.04.13
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 最高会議政治的弾圧犠牲者の名誉回復担当委員会副議長を経て、93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。ロシア連邦内務省「楯と剣」紙(新聞)通信員として働く。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議安全保障委員会委員。


チュカノフ:Чуканов
ニコライ、А.
生年月日 1940.05.25
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。小選挙区から選出される。サマール市新経済研究財団指導者として働く。「新地域政策」グループのメンバー。国家会議経済政策委員会委員。


チュグーエフ:Чугуев
オレグ、В.
生年月日 1961.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 85年極東国立大学を卒業、専門はジャーナリズム。85年新聞「若い極東の人」の副編集長になる。90年から出版社「アムール」の副編集長。91年新聞「極東の青年」の編集長になる。この新聞は、地方における経済的、政治的状態の評価において自立性に富んだ青年のために作られた。


チュダコワ:Чудакова
マリエッタ、О.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 博士
考察 文芸評論家。94年4月26日、大統領評議会員に就任。


チュニコフ:Чуньков
ユーリー、И.
生年月日 1939.10.06
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ケメロヴォ州立法議会議員。95年12月第2期国家会議代議員選挙で、選挙団体「ロシア連邦共産党」の推薦を受け、ケメロヴォ州ケメロヴォ選挙区から当選。ロシア連邦共産党会派所属。第2期国家会議立法・司法委員会委員。


チュネーエフ:Тюнеев
ウラジーミル、А.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 ロシア国家公文書保管機関第1副議長をつとめる。


チュバイ:Чубай
ウラジーミル、П.
生年月日 1937.01.01
性別
国籍 ウクライナ人
学歴 大学卒
考察 55年ハバロフスク機械技術学校卒業。62年極東漁業大学卒業。55年ウラジオストック海洋漁港で働き始め、熟練工から、機械化部長になる。64年からウラジオストック海洋漁港党委員会議長に選出される。70年党raikom第2書記、72年同raikom第1書記になる。74〜88年党(沿海)地方委員会で副部長、部長、書記として働く。この時期ハバロフスク党高等学校通信部を卒業。88年沿海地方労働組合ソビエト議長に選出される。90年沿海地方労連ソビエト議長。


チュバイス:Чубайс
アナトリー、Б.
生年月日 1955.06.16
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士候補
考察 ベラルーシ共和国ボリソフ市生まれ。父親は軍人。技術エコノミストの妻と2人の子供。70年からエンジニア。77年レニングラード技術経済大学卒。77〜82年同大学技師、その後講座助手。82〜90年研究所助教授、90〜91年レニングラード市執行委員会副議長、第1副議長。サンクトペテルブルグ市長主席顧問を経て、91年11月から国有財産管理国家委員会議長(94年11月解任)。92年6月からロシア連邦副首相(民営化担当)兼同国家委員会議長。92年10月政府クレジット政策問題委員会メンバー。民営化小切手(バウチャー)による民営化事業を促進したが、民営化の方法をめぐってロシア最高会議と対立。93年12月の選挙で国家会議代議員に選出される。94年5月、エリツィン大統領の指示により設置された国際金融・経済機関及びG7との協力を担当するロシア連邦省庁間委員会の議長に就任(96年2月解任)。同年11月より第1副首相(「有価証券委員会」担当)。同年12月、連邦有価証券・証券市場委員会議長、炭鉱地域の社会経済問題担当省庁間委員会議長、連邦エネルギー委員会議長に就任。「ロシアの選択」会派のメンバー。国家会議財産・民営化・経済活動委員会委員。96年1月16日、第1副首相解任。96年2月まで国際通貨基金(IMF)、世界銀行(IBRD)及び多国間投資保証機関(MIGA)におけるロシア代表。96年の大統領選挙ではエリツィン大統領の選挙本部の指導者の1人として活躍し、同年7月15日、大統領府長官兼大統領首席補佐官に任命される。同7月25日、ロシア連邦国防評議会が設置され、メンバーに加わる。同年8月17日、大統領直属国家褒賞委員会(文学・芸術分野)議長に就任。同年10月、大統領直属対宗教団体相互協力評議会議長になる。同年10月11日付大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会第1副議長をつとめる。97年3月7日、大統領府長官を解任され、連邦第1副首相(経済改革、財政・金融・信用政策、報道担当)、同17日に蔵相に任命される。同年4月、ロシア石炭生産地社会経済問題省庁間委員会議長、国際金融経済組織およびG7との協力に関するロシア省庁間委員会議長、国際復興開発銀行(世界銀行)と多国間投資保証期間(MIGA)のロシア側責任者の任務をポターニン前第1副首相から継承。同年4月8日付首相命令でロシア連邦と諸外国間の貿易・経済及び科学・技術協力に


チュバロフ:
イーゴリ
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 98年9月6日、ロシア連邦財産基金議長に任命。


チュプ:Чуб
ウラジーミル、Ф.
生年月日 1948.07.24
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 レニングラード水運大学、ソ連邦閣僚会議付属国民経済アカデミー卒業。71年から船団の修理・運転基地で現場主任、技師長として働く。80〜83年党raikom第2議長、83〜85年ヴォルガ・ドン河蒸気船会社技師長、85〜89年党raikom第1書記、89〜91年ロストフ・ナ・ダヌー市執行委員会議長、同市ソビエト議長。91年10月、ロストフ州行政長官に任命される。93年12月選挙で連邦会議代議員に当選。上院予算委員会委員。当選時無所属。第2期連邦会議予算、財政・外貨・金融規制、通貨発行、税政、関税規制委員会委員。96年9月29日、ロストフ州知事選挙で再選。我が家ロシアメンバー。


チュプコワ:Чубкова
ガリーナ、П.
生年月日 1945.06.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 博士
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。アストラハン漁業技術大学講座主任として働く。「ロシアの女性」会派のメンバー。国家会議国際問題委員会委員。


チュラノフ:Чуранов
ウラジーミル、Т.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 国防省次官を努める。大将。後方長官。


チュリコフ:Чюльков
ボリス、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 94年2月17日、オムスク州における大統領代理人に就任。


チュリロフ:Чурилов
ワレリー、А.
生年月日 1946.07.27
性別
国籍 不明
学歴 博士候補
考察 91年8月まで党員。70年から研究機関で大学院生、助手、講師として勤務。78年からraikomおよびobkom幹部。90年6月ハントィ・マンシイ自治管区人民代議員ソビエト議長に選出される。92年12月、第7回人民代議員大会で共和国会議メンバーに選出される。93年10月9日付「ロシア連邦の代表制権力機関及び地方自治機関の改革に関する大統領令」により、地方、州、自治州、自治管区の地方議会解体命令が出され、同自治管区ソビエト解体。


チュリロフ:Чурилов
アレクセイ、В.
生年月日 1972.06.20
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 第1期国家会議代議員秘書。95年12月第2期国家会議代議員選挙で「ロシア自由民主党」から比例区繰り上げ当選。ロシア自由民主党会派所属。第2期国家会議地方自治問題委員会副議長。


チュルキン:Чуркин
セルゲイ、А.
生年月日 1956.11.22
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に選出される。自由民主党ボログダ州組織コーディネーターとして働く。ロシア自由民主党会派の書記。国家会議国防委員会委員。


チュルキン:Чуркин
ゲンナディー、И.
生年月日 1937.07.20
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 ロシア農業党員。ロシア商品生産者連盟メンバー。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出され、94年1月より下院CIS問題・同朋との連絡委員会副議長になる。小選挙区から選出される。農産株式会社総支配人として働く。ロシア農業党会派所属。95年12月第2期国家会議代議員選挙で選挙団体「ロシア農業党」の推薦を受けてウラジーミル州小選挙区から当選。ロシア農業党会派所属。第2期国家会議CIS・同胞交流委員会委員。


チュルキン:Чуркин
ヴィタリー、И.
生年月日 1952.01.01
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 92年6月4日、外務省次官に就任。後にベルギー大使・NATO常駐代表になる。98年2月25日、同職解任。


チュルコフ:Чурков
ニコライ、В.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 95年8月、ロシア連邦移住機関副長官に就任。


チュレノフ:Членов
ウラジーミル、М.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 96年7月、サハ(ヤクーチア)共和国副首相に就任。


チョールヌイフ:Черных
ヴィクトル、Д.
生年月日
性別
国籍 不明
学歴 不明
考察 97年2月、クルスク州議会議長に選出される。


チョルトリツカヤ:Черторицкая
タチヤーナ、В.
生年月日 1948.01.01
性別
国籍 ロシア人
学歴 大学卒
考察 93年12月選挙で国家会議代議員に当選。


チリンガロフ:Чилингаров
アルトゥール、Н.
生年月日 1939.09.25
性別
国籍 アルメニア人
学歴 博士候補
考察 レニングラード生まれ。妻と1男1女。趣味はフットボール。ロシア自然科学アカデミー準会員。63年レニングラード高等技術航海学校卒業(海洋学専攻)。地理学博士候補。バルト船舶修理工場修理工、レニングラードのバルト造船所勤務やヤクート自治共和国でのコムソモール地区第1書記を経験。極地(北極・南極)調査で活躍し、ソ連時代にレーニン勲章、労働赤旗勲章、ソ連国家賞など数々の賞を受賞。87年、原子力砕氷船「セビル」の航海を指揮。89〜92年、ソ連気象国家委員会副議長。ソ連国家気象委員会副議長を長年努めた後、ハズブラートフ・ロシア最高会議議長の顧問、全ロシア「刷新」同盟メンバーになる。91〜93年、ロシア共和国最高会議議長顧問。93年12月選挙で第1期国家会議代議員に選出される。小選挙区(ネネツ自治管区)から選出される。94年6月より国家会議副議長。自然科学アカデミー準会員。ソ連邦英雄。ソ連邦国家賞受賞者。91年からロシア極地探検者協会会長として働く。「新地域政策グループ」のメンバー。アルカジー・ウォリスキーらと共に、95年4月に創立されたロシア統一産業党の中心的メンバー。95年12月の第2期下院選挙では、「イワン・ルイプキン・ブロック」の推薦を受け、ネネツ自治管区小選挙区から当選。96年1月18日、国家会議副議長。「ロシアの地域」(独立議員)会派所属。96年1月から3月会派共同議長。第2期下院評議会員。