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2. 南クリル地区の自治制度

サハリン州は州知事に実質的な権限を付与し、行政権力を軸とする州の統合性を図ろうとしている。これにたいして南クリル地区は、州内にあって自立的な動きを保障できる自治制度の確立をめざしている。しかし現実には、地区そのものの規模が小さいために、自治といってもその固有の権限はかなり制約されてしまう。このため南クリル地区は、地区の存立基盤としての領土の保全を最優先の課題に設定するのに全力をあげている。 南クリル地区の立法・行政制度を紹介するまえに、社会・経済状況を概観しておきたい (11) 。1995年1月1日現在の総人口は8,302人、前年同月の13,302人と比較して5,000人減少している。割合にすると、37.5%も少なくなっている。この減少数は、たとえばクリル地区の396人、北クリル地区の301人と比べて際立っている。 1995年1年間の南クリル地区からの離島者数は3,257人にも達しており、この人数はクリル地区の1,239人、北クリル地区の430人と比較しても大きいことがわかる。確かに南クリル地区からの離島者は3,257人と多いが、1994年1年間の総数5,015人と比較すると、1,758人少なくなっている。ここで注目すべき点はむしろ、入植者数が増えていることである。1994年の入植者数は343人であったが、1995年には前年の3.0倍の1,115人に急増している(どの地域からの入植かは不明)。入植者数が増加した理由は、自然災害などで南クリル地区からの離島を余儀なくされた住民たちがサハリン本島などに移住してみたものの、職と住居の確保が困難なために再び南クリル地区に帰還してきたことである。離島者数から入植者数を引くと、1994年が4,672人であったのが、1995年には2,142人に縮小している。 次に1995年1月1日現在の勤労可能者人口は5,523人で、総人口の66.5%を占めている。この割合はクリル地区、北クリル地区と比較してもほとんど差はないが、南クリル地区の年金受領者は976人、総人口の11.7%も占めている。クリル地区の6.8%と比較すると1.7倍であり、南クリル地区では高齢者の人口比率が比較的に高いことがわかる。 次に、南クリル地区の輸出高を見ておこう。サハリン州政府が把握している統計では、1995年の輸出高は1,854,500ドル、前年比で4.1倍に跳ね上がっている。この増加率はクリル地区の1.6倍、北クリル地区の2.0倍と比較しても大きい。輸出品目はすべてが魚介類で、もっとも多かったのはエビの142,400ドル(全体の13%)であった。輸出先については不明であるが、サハリン州政府対外経済関係局のカチェルヌィー副局長は、輸出高の伸びの要因として日本との経済交流の拡大をあげた (12)

(1) 南クリル地区の存立基盤

@南クリル地区所有地の特定
 

南クリル地区では、1996年10月に地区憲章が発効している。州議会内でサハリン州行政府を代表する職(サハリン州議会内州行政府代表者)にあるヴォーロフの話では、1996年10月の時点でユジノサハリンスク市と約半数の地区が憲章を採択している。筆者はすべての地区憲章を入手できたわけではないが、便宜上、ユジノサハリンスク市憲章と比較しながら、南クリル地区憲章の内容の特徴を2点だけ浮き彫りにしたい。
 まず一つめは、南クリル地区の存立基盤としての領土の特定が地区憲章の冒頭に掲げられている点である。地区の総面積は185,609ヘクタール(地区憲章5条)、そのなかの120,920ヘクタール、割合でいえば65.1%が、地区の所有地と定められている。その内訳は「森林」の81,357ヘクタールがもっとも広く、「農業用地」の13,093ヘクタール、「宅地」の2,950ヘクタール、「工業・通信・道路のための土地」の2,518ヘクタールが続いている(地区憲章5条)。地区憲章には全面積の65.1%が地区所有地と明記されているが、実際の土地分割では1998年4月現在、20.1%(それでも18自治体平均の10.4倍)となっている。連邦の所有地は森林と国防関連地を中心に79.8%を占めている。他方で州の所有地は割り当てられておらず、私有地は0.08%、私有者数は583人となっている (13) 。このように連邦の所有地と南クリル地区所有地と私有地を特定する反面、サハリン州所有地を認めないことで、南クリル地区は日本との領土交渉では連邦政府と連携し、サハリン州に主導権を奪われることのないようにしているのであろう。
 南クリル地区憲章の特徴をもう一つ指摘するならば、ユジノサハリンスク市憲章には市は「サハリン州を構成する」と規定されている(ユジノサハリンスク市憲章1条)のにたいして、南クリル地区憲章には地区がサハリン州の構成部分と記した箇所はないという点である。加えてユジノサハリンスク市憲章には、「サハリン州政府との間で権限分割を盛り込んだ協定と合意を締結」し、「州発展計画の作成と実施に参加する権利を有する」(市憲章69条)と書かれているが、南クリル地区には州政府との権限分割についても触れていない。このように南クリル地区がサハリン州との関係を積極的に規定しようとしない理由は、サハリン州の構成体であると明記することで、南クリル地区の自治が抑制されることを警戒しているからである。同時に考えられるもう一つの理由は、日本との将来の対外関係を見据えてできるだけ、いわば自由な身でいるのが得策とみているからであろう。

A南クリル境界線の画定と地区民投票

 地区の存立基盤に領土を掲げている南クリル地区憲章において、地区境界線の画定方法がどうなっているかは興味深いテーマである。地区境界線の変更は「サハリン州国家機関、または地区住民、または地区議会が発意」し、「サハリン州国家機関がおこなう」ことになっている(地区憲章9条)。州国家機関とは具体的にどの機関のことを指しているのか不明であるが、いずれにせよ「直接に表明される住民の意思を必ず考慮する」と記されている(地区憲章9条)。ここでは確かに住民の意思を確認する方法として地区民投票の実施を条件として課していないが、その実施は制度化されており(地区憲章14条)、地区境界線の変更問題では以下の二つの要件のどちらかを満たした場合、実施されることになる。一つめは、「地区議会議員の3分2以上が本会議で賛成」した場合。もう一つは、「地区民投票に参加できる権利を有している市民の2%以上の要求」があった場合(地区憲章52条)。
 ここで注意を払いたい問題点は地区民投票への参加者の資格であり、南クリル地区に居住する一般的な有権者のほかに、次の三つの要件のひとつを満たせばだれでも参加が認められることである。一つめは「地区内に住んではいなくても、地区内に不動産を有し、不動産税を支払っており、地区行政機関に参加を申請し、認められた人」。二つめは「独立国家共同体の国籍を有し、地区内の個人所有の家屋、または賃貸アパート、または宿舎に住んでいる人とその家族」。この場合、「私用または公用での一時的な滞在を除いて、地区内での居住期間に関係はない」。三つめは、ロシアまたは独立国家共同体の構成国の住民でなくても「申請書を提出し、地区議会の議決があれば」参加できる(地区憲章13条)。
 このように地区民投票への参加者をできるだけ多くしようとしており、南クリル地区に駐留する軍人も含まれる(1998年1月現在エトロフも含む北方四島には1,300人が駐留)。加えて将来、南クリル地区で土地の私有化が大規模にはじまれば、地区以外の人々の参加者も増えるかもしれない。さらに先の三つめの規定によれば、旧ソ連諸国以外の外国人、たとえば日本人にも参加の機会が開かれているということになる。もっとも地区議会の許可が必要であり、参加希望者がどのような意思をもっているかが事前に審査されることになるかもしれない。南クリル地区に住む有権者は6,000人前後であり、この人数は州全体の有権者数のわずか1.2%を占めるにすぎないために、当面は地区に関わる人をできるだけ多く参加させ、地区民投票のもつ意味を高めたい意向のようである。
 次に、地区民投票の結果の公表とその効力について触れておく。「地区民投票で採択された決定は、いかなる国家機関、行政官、代議機関の承認も必要としない。採択された決定と投票結果は、投票日から5日以内に『ナ・ルベジェ』紙で公表」され、「決定を変更、または無効にするには、新たに地区民投票を実施」しなければならない(地区憲章52条)。補足であるが、南クリル地区では制度的には地区民投票の実施を認めているのにたいして、ユジノサハリンスク市ではその実施を記した規定はない。制度的に地方自治が語られても、ユジノサハリンスク市のように市民投票の実施に前向きでないところもある。
(2) 南クリル地区の立法、行政機関
南クリル地区憲章では地区の存立基盤に領土を据え、地区境界線の変更という重要な政治的な問題では広範な市民を対象とする住民投票を実施できることになっている。これにたいして地区の日常的な権限は行政機関の長である地区長が握っているが、専管事項は限られており、住宅問題をはじめとする交通網の整備、地区道の建設、商業活動の改善といった公共サービスが仕事の中心のようである。

@南クリル地区議会

 地区住民の「代議機関」である南クリル地区議会は7人の議員から構成され、任期は2年間である(地区憲章16条)。地区議会の定例会は通常、「3カ月に1度以上」の頻度で開催され、臨時会も含めて定足数は「全議員の3分の2以上」となっている。本会議の議題については事前に、「非公開も可能な作業会議」で審議される(地区憲章24条)。議員たちはその時々の状況に応じて「常設委員会」(地区憲章25条)、さらには「議員グループ」と「任意の政党に従属、または政党の利益に沿った会派」も結成できる。グループと会派を設立するには、「3人以上の議員」の参加が条件となっている(地区憲章22条)。
 議員の基本的な活動は本会議の場で展開され、「地区議会の権限にかかわる事項について決議を採択」する。なかでも「地区予算」「地区税」「地区公有財産」「発展計画」「地区法案の提出」は、地区議会の専管事項となっており(地区憲章26条)、その決議は「すべての企業、組織、役職者、市民が執行する義務を負っている」(地区憲章23条)。議会は地区法の採択という立法機能を有すると同時に、地区法の実施にたいする「監視活動」も行う(地区憲章29条)。その活動は、「すべての自治機関とその役職者の活動」から「地区内に存在する、さまざまな所有形態の企業、組織、施設の活動にも及ぶ」。監視機能の強化のために「専門家も加わった特別監視委員会」が創設され、その活動成果については地区議会の本会議で報告されることになっている(地区憲章29条)。
 このように地区憲章には地区議会の権限が明記されており、一見、重要な事項が盛り込まれているように思える。しかし後に言及するが、地区予算の作成や地区税の制定といってもその規模は小さく、実際には地区議会の役割は大きいわけではない。加えて、議員定数7人という少数議員の間でどれだけの意見の差異が明らかにできるかは定かではない。推測になってしまうが、全会一致が暗黙の了解事項になってしまい、政策論争という議会の本来の活動は形骸化していることも考えられる。
A南クリル地区長とスタロスタ
 南クリル地区の執行機関の最高責任者は、地区長 《мэр района》である。彼は住民の直接投票によってえらばれ、任期は2年間である。地区議会は地区長にたいして不信任を表明できず、彼を解任できるのは地区民投票だけであり、その指導力は制度的には手厚く保障されている。
 地区長の裁量権の特徴は独自の判断で「決定と命令」を発表することができ、さらに「いかなる問題についてでも、議案を地区議会に提出できる権利」を有していることである(地区憲章40条)。注意を払いたいのは「いかなる問題についてでも」と書かれている点であり、「地区議会の専管事項以外」のすべての問題に地区長の権限が及ぶことになっている(地区憲章31条)。地区長の権限を敢えて厳密に規定せず、逆にその役割を広範なものにしている。これとは対照的なのが地区議会の権限であり、先に紹介したようにその内容を規定することで、逆に活動範囲を狭めている。
 地区長の活動を支えるのは、執行機関である。地区長は自分の権限で副長を任命でき、1996年10月現在で2人が就任している。地区長は自分の権限の一部を、副長に委任できる(地区憲章32条)。地区長と副長が執行機関の指導部であり、部局には1996年10月現在24人の職員が勤務しているが、職員の補充方法についての規定は設けられていない。これにたいして、たとえばユジノサハリンスク市では、職員の補充に競争試験の制度が採用されている。南クリル地区行政府の部局には、基本的には、「財政経済活動部門」と「日常公共サービス部門」があり、各部局の責任者は地区長が任命する(地区憲章33条と34条)。執行機関には、地区長または副長の合意のもとでの審議会を創設できる。もし部局の行為が地区議会の決議と地区長の命令に反する場合には、地区議会または地区長はそれを無効にできる(地区憲章34条)。
 ところで、南クリル地区はユジノクリリスク町(クナシリ)、クラボザヴォド村(シコタン)、マーロクリル村(シコタン)、ゴロヴニノ村(クナシリ)の四つの区域から構成されている。各区域には執行機関が設置されており、その長はスタロスタと呼ばれている。立法機関は設置されていない。「執行機関の内部の組織構成と担当分野については、スタロスタが住民の利益に沿って自由に」決め、「権限の範囲内で問題を自由に解決」できる。スタロスタには、「南クリル地区議会への提案権」が与えられている(州憲章36条と37条)。しかしスタロスタの本当の任務は、南クリル地区長の決定が実施されているかどうかを「監督する」ことにある(地区憲章37条)。

3. サハリン州の財政制度と移転資金

サハリン州にとっても南クリル地区にとっても問題は、裁量権の拡大の動きを支える財政基盤が確立されているかどうかである。確かに財源をみると、サハリン州は連邦に、南クリル地区はサハリン州に依存している。サハリン州も南クリル地区も、連邦から完全に独立した財政制度をもつことができるわけではない。しかし、税収入が比率ごとに連邦、州、地区・市に配分されるために、納税者にとって上級機関からの財政支援は、自分たちが支払う税金が財源となっており、それが還元されているにすぎないという意識が強いのである (14) 。制度的には上級機関に従属していても、住民は上級機関からの財政支援は当然と思うのである。 @サハリン州予算  連邦には連邦主体国家財政支援基金が開設されており、毎年、連邦予算の総税収の約15%がこの基金に歳出されている。この基金から各連邦主体に、財政支援としての移転資金 ヌ?瑙?褞? が拠出される。1994年までは連邦からの財政支援は、地方交付金と国庫補助金に分けられていたが、1995年以降は移転資金に統一された。  1996年のサハリン州予算法をみると、州が連邦から受け取る移転資金は、歳入の75%に達している。その割合は年々高くなっており、1994年にはわずか26%であったから、2年間で49ポイントも急上昇したことになる。この移転資金が歳出のなかで占める割合は、76%にも達している。移転資金をのぞく財源では、歳入に占める割合の多い順に「付加価値税」7.9%、「その他の収入」3.0%、「天然資源使用料」1.4%、「個人所得税」1.0%となっており、「不動産税」はわずか0.2%にすぎなかった。天然資源使用料と不動産税が占める割合は全体のわずか1.6%であり、州の権限拡大が財政に反映されていない。連邦との権限分割が実際に州に利益をもたらすのは、まだ先のことのようである。  次に、ユジノサハリンスク市と17地区にたいするサハリン州からの財政支援であるが、州予算の歳出項目には地方自治体財政支援基金が設けられており、1996年のサハリン州予算法ではその資金の歳出に占める割合は36%を占めている。この資金は、ユジノサハリンスク市とホルムスク地区をのぞく16地区に配分されており、総額に占める割合がもっとも高いのはコルサコフ地区の15.3%、南クリル地区に割り当てられるのは全体の1.3%である (15) 。南クリル地区予算が不明であるために、州からの移転資金が地区予算の歳入のなかで占める割合についてはわからない。このように州は連邦から財政支援を受け、州は地区に財政支援をおこなっており、制度的には連邦ム州ム地区という従属関係が生じている。 Aサハリン州と財政支援  問題は、連邦に財政的に従属しているにもかかわらず、なぜサハリン州と南クリル地区は自治の拡大を主張しているかである。サハリン州内で納税された税金の一部(14種類の税金)が定められた比率に従って連邦財政に拠出されており(ロシア全土で徴収される税金の約3割が連邦に拠出されている)、州政府はそれが財源となっている連邦主体国家財政支援基金から移転資金を受け取っている (16) 。さらにユジノサハリンスク市と17地区に歳出される州からの地方自治体財政支援基金は、1996年予算法によれば連邦政府から州に歳出される移転資金の37%があてられている(その他の財源としては付加価値税の86.5%と所得税の100%が割り当てられる)。  住民には、こうした移転資金は本来は自分たちのものであるという意識が強いのであるが、連邦政府が約束している移転資金割当が実際に執行されないとなれば、南クリル地区住民も含めてサハリン州民は連邦政府に反発を強めることになる。実際にサハリン州議会は1997年2月、連邦からの財政支援が実行されていないことを理由に、連邦政府への連邦税の拠出を停止することを決定した。その議決によれば、連邦中央銀行、連邦出納局、税関のサハリン州各支署にたいして資金を連邦に拠出するのではなく、州に振り替えることを求めている (17) 。この州議会議決が実行されるには州知事の同意が必要であり、州住民によって選出されたファルフトジーノフ知事がこの問題にどのように対処するかが注目される。  いずれにせよ、連邦予算への連邦主体からの拠出金の割合を定めた連邦の法律がないのが現状であり、財政にかんする連邦との関係は連邦主体によって格差がある。一般的には、州税の80種類が、連邦税と地区・市民税の種類と重複しており、連邦税として拠出する比率は連邦主体ごとに異なっている。そうしたなかでタタルスタンはロシア国内でははじめて、連邦政府との間で各種税収入の連邦への拠出比率を定めた協定を交わした (18) 。連邦税と州税、地区・市民税をどのように定めるかは連邦と連邦主体、さらには地区・市との関係を考える際の大切なテーマであり、1997年7月に公表された新しい税制法案もこの観点から注目されるのである (19)

結 論

サハリン州では州知事の行政権力を強化することで、州の再建を図ろうとしている。そうしたなかにあって、南クリル地区長が地方自治を推進しようとしても、現実にはその大きさはかなり限定的なものになる。地区長の権限はせいぜい住民の日常生活の整備に向けられており、財政的にはサハリン州に従属している。ましてや南クリル地区長が領土問題という高度に政治的なテーマで、サハリン州知事に対抗して主導権を発揮できる可能性はほとんどないとみるべきであろう。
しかしそれにもかかわらず、南クリル地区が領土問題を含めた重要な政治的争点で独自の動きを展開できる方法があるとすれば、それは住民が自分たちの意思を直接に表示する地区民投票にほかならない。地区憲章でその参加者を広範に設定している点に南クリル地区の思惑が感じられ、今後の日ロ間の領土交渉では地区民投票の結果が大きな意味をもつこともありそうである。かりに地区民投票が実施され、州の統一性を損なうような住民のなんらかの意思が表明された場合、南クリル地区長はその意思を背景にサハリン州知事と政治交渉に臨むことになろう。地区民投票の結果が直ちに州知事の政治的な判断を拘束することはないであろうが、だからといって、州知事が州全体の利益を最優先する立場から、地区民投票に対抗する形で州民投票を断行したり、地区民投票の結果を一方的に葬り去るような手段を講じることはできないはずである。
州知事は、ロシア大統領による任命職から直接公選される職になったことで発言力を強めたのであるが、逆にその発言力を安易に強化しすぎると、民意との落差が際立つようになり、再選の可能性までも潰しかねない。州知事は一方では州の統一性を維持するために強い発言力を発揮しながら、他方では民意に慎重に耳を傾けざるをえないが、いずれにせよ地区民投票の帰趨は、それが(日ロ関係も含めた)どのような政治的な環境下で、そしてどのような設問で、さらにはどの程度の投票率で実施されるかにかかっているのである。もちろん地区民投票といっても、その法的な整備と並んで、すでに指摘したように経済的、社会的な基盤の確立、さらには住民の政治的関心の一定の高さが大切であり、地区憲章で認められているからといって、簡単に実施されるものではない。
本稿の冒頭で、ロシア連邦制を分析するには「連邦政府」対「連邦主体」という図式では理解できず、連邦主体の下位単位である地区と市の動向もみておかねばならないと述べた。連邦主体がこれらのレベルの地方自治を抑制しているかぎり、封じ込められる市民の意思が直接的に表示される方向で人々の関心が高まっていく可能性もある。連邦や連邦主体からみれば、地区と市レベルの住民意思は狭い特定地域のものであるという意味では少数派の見解にすぎないのであるが、国、州レベルの多数派の意見だけを優先すれば、問題が解決するというものではない。ロシア連邦制にとって今後重要な課題は、小さな地域で表明される住民意思をどのように抱え込んでいくかにある。


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