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おわりに

極東におけるソビエト政権の樹立は、日本の植民地支配による祖国の貧窮に苦しむ人々をロシアに引き付けた。しかしこの新天地でも、朝鮮人は社会の底辺に組み込まれていた。そのような状況を打破するためには国籍の付与と土地の分与が不可欠であったが、そのどちらも20年代には解決されなかった。この背景には、朝鮮人移民の絶え間ない流入だけでなく、朝鮮人の帰化に対する当局の消極的な姿勢があった。
ソ連全土を襲った全面的農業集団化の嵐は極東にも及び、朝鮮人貧農の隷属的状態を向上させたが、それと同時に朝鮮人もまた、コルホーズ加入の強制やクラーク清算など、ほかの民族と同様の多くの苦難を味わった。しかし集団化においてより深刻だったのは、地元のソビエト機関や経済機関、およびロシア人農民の側からの差別であった。朝鮮人たちは断固としてこれと闘い、中央の圧力を受けた極東の党組織も差別撤廃のキャンペーンを繰り広げた。朝鮮人に対する民族差別の解決は、極東において政治的・経済的に重要な意味を持っていたのである。
ソビエト政権は多くの、しかも外国籍の朝鮮人が国境地域に住むことは、安全保障の観点から見て好ましくないと常に考えていた。20年代末、土地なしの朝鮮人を極東北部へ移住させ、そのあとにロシア人移民を入植させる計画も立てられていたが、この試みは強制的手段がとられたにもかかわらず成功しなかった。
1937年の強制移住には、極東における日本との軍事的緊張が色濃く影響しているが、その根底には、終始消えることのなかった朝鮮人に対する不信感が存在している。極東地方の国境地域から、もはやソ連国民となった彼らを追放したのも、さらに極東全域から朝鮮人を一掃したのも、そのような疑惑の念が危機的な時期に一気に表出したためであった。
朝鮮人たちは、自分たちに対する差別に怒り、不安に駆られ、あるいは虚無状態に陥ったまま、中央アジアへ貨物列車で移送されていった。ウズベキスタンとカザフスタンに移住させられた朝鮮人の一部は、さらにキルギスタンとロシアのヴォルゴグラード州アストラハン管区に送られた(125)。また37年以後、極東以外のロシア各地に住む朝鮮人に対しても強制的な移住措置が適用され、45年末までにはほぼすべての朝鮮人が中央アジアに送られた(126)
いうまでもなく、ソ連の朝鮮人の歴史はこのような悲劇だけに彩られているわけではない。強制移住後の時代は本稿の対象外であるが、彼らが幾多の困難を乗り越え、中央アジアでも最も成功した民族の一つに数えられていることは、指摘しておく必要があるだろう。


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