そもそもロシア農民世界に慣習法と呼べる法規範が存在していたのかについても議論があった。たとえば農事調停員、治安判事を歴任した刑法学者であるオブニンスキーは、慣習法の存在そのものに疑問をあらわしている。彼は、農民の生活世界において法的観念が未だ規範化されておらず、状況的に紛争が解決されがちであると判断し、慣習法の存在に否定的であった(Обнинский П.Н. Опрощенное судоговорение// Журнал гражданского и уголовного права. 1892. 2. С.35-36)。治安判事を勤め、農民裁判の上訴審を担当したブラーゾリは、法的な地域慣習の存在そのものは否定しないが、実務において同じような紛争に対して農民が異なった解決をするのをしばしば目にしたことから、現実の農民裁判ではその慣習が実際上意義を失っている、慣習は消滅しつつある、と述べている(Бразоль Г.Е. Об упразднении волост-ных и сельских судов. Харьков, 1886. С.7-8, 14)。このような慣習法の存在否定論に対し、法学者レオンチエフは、定式化された規範がないからといって慣習法の存在を否定することはできない。なぜなら生活の具体的な場面にならないと慣習法は現れてこないからである(Леонтьев А.А. Крестьянское право. СПб.,1909. С.389-390)と反論し、慣習法研究者として名高いオルシャンスキーの「ロシア民衆の慣習的法意識はいまだ一般道徳律から独立した法観念にまでは昇華していない」という意見に同意しつつ、「厳密に定められ、認識されている法規範を農民は持っていない。しかし、郷裁判所の判決に一様に現われ、農民の経済生活と調和するような慣習的法観念はまぎれもなく存在している」と述べている(Леонтьев А.А.
Волостной суд и юридические обычаи крестьян. СПб., 1895. С.21, 34)。上記の議論に鑑み、本稿では、農民社会における法的規範を慣習法と呼べるか否かについては問わず、同時代人の用語法にしたがい、農民社会における法的慣習を慣習法と呼ぶことにする。
Зырянов П.Н. Обычное гражданское право в пореформенной общине // Ежегодник по аграрной исто-рии. Вологда, 1976. Вып.6. С.96-98.
Александров В.А. Обычное право крепостной деревни России. XVIII-начало XIX в. М., 1984. С.20-28.
Милогорова И.Н. Семья и семейный быт русской пореформенной деревни: Автореф. дис. …канд.ист.наук. М., 1988. С71-72.
Милогорова И.Н. О праве собственности в пореформенной крестьянской семье 1861-1900 гг. // ВестникМосковского университета. Серия 8. 1995. 1. С.27.
Teodor Shanin, The Awkward Class: Political Sociology of Peasantry in a Developing Society, Russia 1910-1925 (Oxford: Oxford University Press, 1972), p.220.
Moshe Lewin, "Customary Law and Russian Rural Society in the Post Reform Era," Russian Review 44 (1985), pp.1-19.
Christine D. Worobec, Peasant Russia: Family and Community in the Post-Emancipation Period (Dekalb: Northern Illinois University Press, 1995), p.42.
Александров В.А. Обычное право крепостной деревни России XVIII-начало XIX в. М., 1984. С.3-15. 国家学派については、鳥山成人「ペー・エヌ・ミリュコーフと『国家学派』」『ロシア東欧の国家と社会』恒文社、1985年、参照。
20 彼はルスカヤ・プラヴダなどロシア古法を研究し、 1848年にはカヴェーリンの後を襲ってモスクワ大学のロシア法史講座を継いだが、1851年に文部省の古文献学委員会委員に任命され、2年後に大学の職を辞した。その後農奴解放令編纂委員として活躍し、1864年にはセナート評定官に任命された。法源として慣習法を適用できるとした民事訴訟法第130条の規定も彼のイニシアチヴによる。その他、地理学協会に設けられた民衆法慣習収集委員会の委員長(その成果は、Сборник народных юридических обычаев. Тт.1-2. СПб., 1878-1900 としてまとめられた)、モスクワ大学法学会の初代会長などを勤め、1875年に開かれたロシア法学者会議第1回大会(См. Первый съезд русских юристов. М., 1882)で代表の一人になるなど学会においても多彩な活動を行った。しかし農民慣習法の構造についての研究は本文で挙げた論文以外にはない。なお以上伝記的事項は、Бычков А.Ф. Воспоминания о д. чл. Н.В. Калачеве. СПб., 1895. С.7による。
Калачев Н.В. Юридические обычаи крестьян в некоторых местностях. Статья 1-я // Архив историческихи практических сведений, относящихся до России. 1859. 2.
Барыков Ф. (сост.) Обычаи наследования у государственных крестьян. СПб., 1862.
例えば、Worobec, Peasant Russia, p.43. См. Миронов Б.Н. Социальная история России. Т.1. СПб., 1999.С.270, прим.4.
農奴解放後における家族分割は、「解放後約20年間で農家二戸ないし三戸につき一戸が分割された」という爆発的なものであった(松井憲明、前掲論文、123頁)。ミローノフによる最新の研究は、多核家族について目を配りながらも、帝政期を通じて小家族がロシア農民家族の主要形態であったと述べている(Миронов. Социальная история России. С.229)。
Труды коммиссии по преобразованию волостных судов. Т.1-7. СПб., 1873-1874.この委員会の活動および資料の性質については吉田浩「ロシア農村における法と裁判」『ロシア史研究』第53号、1993年、31 - 35頁を参照。この資料集は農民慣習法研究の基本的な事実史料として勤労原理学説支持派、否定派の両派によって使われた。
Зырянов. Обычное гражданское право. С.91.
彼の議論のうち、郷裁判所の是非については吉田前掲論文、35-36頁。
Оршанский И.Г. Народный суд и народное право // Журнал гражданского и уголовного права. 1875. 3. С.101.
Там же. С.127.
Там же. С.131.
Там же. С.116.
Там же. С.131. 但しここでその論拠として提出されているのは、1852年のキーエフ県の例である。
Там же. С.123.
Оршанский И.Г. Народный суд и народное право // Журнал гражданского и уголовного права. 1875. 4. С.142
Сборник народных юридических обычаев Архангельской губернии. С.66 (цит. по Оршанскому. Народ-ный суд…4. С.144.).
Оршанский. Народный суд…4. С.145. 以上のようにオルシャンスキーは寡婦の相続分を家族形態および子どもの有無という二つのパラメーターで分類しているが、両者の重なる部分については曖昧である。
Оршанский. Народный суд…3. С.135-136.
ここでオルシャンスキーは勤労原理の証明のために盗耕、森林盗伐を例として取り上げているにすぎず、詰めた議論は展開していない。なお、吉田浩「ロシア農村における『犯罪』と農民の法観念」『ロシア近代社会における基層秩序』北海道大学スラブ研究センター研究報告シリーズ48、1993年、28 - 30頁、は、『報告集』を史料として用い、森林盗伐の際、常に労働が尊重されるわけではないことを主張している。
Оршанский. Народный суд…3. С.138.
Оршанский. Народный суд…4. С.147.
その他『報告集』なども部分的に利用している。検討した資料については、「事実史料が十分でないが、……量的欠点は質的利点によって補える。参照しえた史料はすべてはっきりと首尾一貫した民衆の法観念をあらわしているので、……それらの学術的価値は疑いない」と自ら史料的裏付けに乏しいことを認めている((Ефименко А.Я. Исследования народной жизни. Вып. 1: Обычное право. М., 1884. С.139)。
同書には他に「民衆の法的結婚観」、「農民家族における女性」、「家族分割」、「極北における農民土地所有」という論文が収められており、これら具体例の分析に基づいて慣習法論を執筆している。彼女の共同体論および共同体的土地所有論については Cf. Carsten Goehrke, Die Theorien
uer Entstehung und Entwicklung des "Mir" (Wiesbaden, Harrassowitz 1964), pp.126-131.Cf. Carsten Goehrke, Die Theorien über Entstehung und Entwicklungdes “Mir” (Wiesbaden, Harrassowitz 1964), pp.126-131.
Ефименко. Исследования. С.139-140.
Там же. С.137.
Там же. С.138
また、同書の別の章では、民衆法研究は、首尾一貫したロシア民族の法を創りだすために何をなすべきか、法学者および立法担当者に直接的情報を与えうると述べており(Там же. С.180-181)、その研究姿勢には極めて実践的な性格が見うけられる。
Там же. С.143.
Там же. С.143-144.
Там же.また、勤労原理の裏返しとして、労働投下されていない物に対する所有権の軽視についての指摘も興味深い。「養蜂用の木を伐採したものは盗人である。人間の労働を盗んだからである。誰が植えたのでもない林の木は無償で利用される(Там же. С.145)。」
Rene Beermann, "Prerevolutionary Russian Peasant Laws" in William E.Batler, ed., Russian Law: Historical and Political Perspectives (Leyden: A.W.Sijthoff, 1977), p.186.
Там же. С.45-47, 344-350.
法学者ゴリムステンは、労働に独立した法的意義を認めるエフィメンコ説を批判した論文の中で同様の主張を行い、「盗耕」において報酬が支払われる事例は、ローマ法やプロシア法にもみられる現象だとしてロシア独特の法現象という勤労原理学説的解釈を否定した(Гольмстен А.Х.Юридические исследования и статья. М., 1894. С.41-42)。
これは「農業にとって必要な事柄に関する特別審議会」の最終段階の議論で重要な論点となった。СимоноваМ.С. Кризис аграрной политики царизма накануне первой Российской революции. М., 1987. С.190-193; David A.J.Macey, Government and Peasant in Russia 1861-1906: The Prehistory of the Stolypin Reforms
(Dekalb, Illinois: Northern Illinois University Press, 1987), pp.108-110, 113.
Анфимов А.М., Зырянов П.Н. Некоторые черты эволюции русской крестьянской общины в порефор-менный период // История СССР. 1980. 4. С.32; Cf.Cathy A.Frierson, “Rural Justice in Public Opinion:The Volost’ Court Debate 1861-1912,” Slavonic and East European Review 64:4 (1986), p.541.
本稿で検討してきた論争はその依拠する史料がほとんど『報告集』に限られており、しかも地域差があまり考慮されていないという欠点が残る。但し所有権の個別化傾向については、世紀末の民俗学的史料であるテニシェフ文書の検討をしたミロゴーロヴァによっても確認されている(Милогорова. О праве соб-ственности…С.31-32)。総じて慣習法の問題は、ロシア農村の実態認識や、制定法との関係など多くが残されているが、論争の成果をふまえ、未公刊史料をも含めた資料の検討を特定の地域および時代について緻密に進めることがこれからの課題として残されている。