サハリン大陸棚の「開発と環境」研究調査の方法

教授  村上 隆(北海道大学スラブ研究センター)

はじめに

大陸棚の「開発と環境」についての日本側とサハリン側との共同研究の進め方についてお話ししたいと思います。来年からアストフスコエ鉱床における石油の沖取りが開始されることになっております。21世紀に入るとオホーツク海のサハリン島沖では大規模な石油・天然ガス開発が進められ、それに伴ってサハリン州や近隣地域の経済成長に大きく貢献できるものと期待されています。同時に、環境破壊の問題に大きな関心を払う必要が生じてまいります。

 とくに、オホーツク海では海氷が気候に大きな影響を与えており、生物活動を盛んにさせていることでも知られています。オホーツクの海は、その海域にとどまらず太平洋に注ぐ海水の源として重要ですし、また何万年もの間、海底に横たわっている泥は稀にみるきれいな状態を保っていると言われております。こうした自然環境の下で石油・天然ガスの開発が始まるわけですから、我々は注意深く「開発と環境」の二律背反の問題を検討する必要があります。

 環境を汚染させないで開発を進めるにはどうしたら良いかという視点から、私を研究代表者として、北海道大学の研究者を中心にチームを組み、文部省の科学研究費の助成を申請いたしました。幸い、私どもの研究目的が理解され、本年度から3年間、つまり1998年度から2000年度まで研究のための予算がついたわけであります。

 もとより、開発はロシア領内で行われるわけですから、我々の研究もロシア側、とりわけサハリン州の協力なしでは成果を得ることはできません。そこで、この5月末にサハリン州行政府に対して、共同研究の提案を行ったわけであります。7月初めにはファルフトジノフ知事から非常に好意に満ちた歓迎の手紙をいただきました。その中には、「共同研究の成果が両国政府のエコロジー分野での政策形成に重要な貢献を成すでありましょうし、オホーツク海における環境保全に関わる具体的な問題の解決につながるでしょう」と述べられています。

具体的な共同研究の方針

 次に、具体的な共同研究の進め方についてお話をしたいと思います。ここで私がお話しします研究分野について現段階で私がこのように考えているということであります。私の報告をベースにこの2日間意見交換をしていただければ幸いです。

 第一は共同研究の基本方針についてであります。日本側のコーディネーターとして私が、サハリン側は国家環境委員会のオネシェンコ議長がコーディネーターということになっています。共同研究を進める上では研究をサポートするシステムが必要であります。おわかりのように日本側は北海道大学の村上という、大学組織ではなく個人がコーディネーターになっています。これは、文部省の科学研究費が大学という組織ではなく、研究代表者に対して交付されるという事情によるものであります。これに対して、サハリン側は州政府の組織が代表になっております。このことが将来、研究を進める過程である種の障害になるかも知れません。しかし、私どもの共同研究の基本的な姿勢は、できるだけ客観的で学術的・学際的でありたいということであります。とくに「開発と環境」という問題を研究するにあたって、さまざまな矛盾が生じることは問題の性格上当然起こりうることであります。この問題の解決法はできるだけ客観的であること、できるだけdiscloseされたものであること、また相手の意見に耳を傾けることであります。そして、研究者がリストアップされた日ロ双方の研究分担者にとどまらず、さまざまな分野の研究者の協力を得ることが重要であります。

 第二は具体的な研究テーマとサブテーマを日本側およびサハリン側のどのような専門家が担当するかという問題であります。先に日本側から出されました提案と研究テーマ、研究分担者に対して、サハリン州側からもこれに対応、あるいは一部追加の形で研究分担者のリストが提示されています。これらに基づいてお話したいと思います。

 第一の研究テーマは大陸棚開発と地域レベルでの環境政策の比較でございます。サブテーマとしては、第一に日本側の提案ですが、大陸棚開発による経済成長、サハリン側提案のA法制度および環境基準、Bモニタリング、C原油流出事故の防止、D損害賠償の責任とシステムの5つが研究テーマとして考えられます。

@の大陸棚開発による経済成長の問題は、豊かな生活に直結しております。大陸棚石油・天然ガス開発によってサハリン州経済にどの程度の経済波及効果があり、またサハリン州財政にどの程度貢献できるかといった問題です。石油・天然ガスの供給増大によって、将来サハリン州内のエネルギー需給がどうなるのか、さらに逼迫している現在のロシア極東のエネルギー需給が緩和できるのかといった問題を扱うことであります。反面、開発にともなって、州内の代表的な産業であります漁業に対してどのような経済的影響を与えるかというテーマも存在します。また、開発にともなって州財政にどの程度貢献できるかという問題も重要です。

Aの法制度および環境基準の問題については、我々日本側専門家は米国や日本のことであれば研究実績がありますが、今のところサハリン州の環境保全に関する法律や環境基準についての知識は無に等しい状態です。この機会に、まず大陸棚開発にあたって、州レベルではどのような法律や環境基準に関する規則が適用されているのか情報を得たいと思っています。

Bのモニタリングについては、現在進められている開発プロジェクトではどのようなモニタリングシステムが採用されている、あるいはされようとしているのかをまず伺い、北海やアラスカと比較研究したらどうかと思います。

Cの原油流出事故の防止についても、サハリン州ではどのような防止策がとられていて、他国との例と比較検討し、最適なバリアントを検討する必要があろうかと思います。

Dの損害賠償の責任とシステムについては、どの分野にどのような賠償責任が生じ、どのように解決するのか、北海やアラスカの例を参考にすることになろうかと思います。

 第二の研究テーマはオホーツク海の海洋汚染防止の問題です。万が一原油が流出して海洋が汚染されれば、ただ単にサハリン州の問題だけではなく、北海道のオホーツク海沿岸にとっても深刻な問題であります。これまでの部分的な研究でも、サハリン北東部大陸棚の石油・天然ガス掘削予定地から流したブイが北海道のオホーツク沿岸に漂着することが実証されています。流出原油が北海道オホーツク沿岸に漂着すれば、水産資源や観光に甚大な被害を与えることになるでしょう。

 そこで本テーマではサブテーマとして、自然科学および技術的な見地から@原油流出の防除技術、A気象・自然条件の研究、流氷、海流の季節的変動、Bエコロジー地図の作製、C海洋生物資源、海獣類、鯨類に対する開発の影響、の研究が求められます。

@の原油流出の防除技術では、すでに日本側研究分担者が海氷下の流出原油をどのようにして回収するのかの実験を重ねております。

Aの気象・自然条件の研究、流氷、海流の季節的変動の問題については、サハリン州の専門家と日本の研究者との間に共同研究の実績があるように聞いておりますし、日本側も北大の低温科学研究所および流氷研究施設でこれまでに研究成果の蓄積がみられます。

Bのエコロジー地図の作製では、私はこの開発地域を対象にしたエコロジー地図をみたことはありませんが、このような地図ができれば環境問題に大いに貢献できるだろうと思います。油処理剤の使用がよいかどうかを含めた汚染地域での自治体、魚業関係者との間に環境保全マップを作る必要が生じましょう。

Cの海洋生物資源、海獣類、鯨類に対する開発の影響に関しては、石油・天然ガス開発地域にどの程度の海洋生物や海獣類・鯨類が生息しているのか日本側では今のところ把握されていないように思えます。海洋生物資源については特に貝類と汚泥との関係について私どもの研究分担者に豊かな経験があります。海獣類、鯨類の共同研究では日本側に専門家が含まれていませんが、研究協力者として野生生物保護学会会長でサハリンでの調査にも実績のある和田一雄先生の指導の下に、北大獣医学部大学院の若手研究者が研究協力者としてすでにこのプロジェクトに関連して研究を始めています。ちょうどこの時期にカムチャッカの専門家と国際シンポジウム「海獣談話会」を北大内で開催していますので、今回は参加できませんでした。

 環境に対する自然科学的アプローチは、実際には時間をかけた観測が必要であり、すぐに成果が明らかにされるというものではありません。しかも、現地調査には大変なお金が必要になります。このプロジェクトの資金力は小さく、到底そこまでカバーできませんが、オホーツクの海を汚さないようにするにはどうすれば良いかという視点からこれまでの自然科学の成果を活用できればよいと考えています。

 第三の研究テーマは開発隣接地域での生態系に関する問題です。サハリン州における開発関連施設やパイプラインの建設予定地では、生態系にさまざまな影響を与えることが予測されます。それらは先住民族への影響、森林資源への影響、陸生ほ乳類への影響、植物に対する影響、鳥類に対する影響、特別自然保護地区に対する影響等でございます。

 これらのなかでとくに先住民族への影響と影響を受けた場合の解決方法はもっとも複雑でデリケートな内容を含むことになるでしょう。我々の研究分担者には民族を専門にする研究者が含まれていますので、実りある成果を期待できると思います。

 森林、陸生ほ乳類、植物、鳥類、特別自然保護区に対する影響の問題については、我々のサイドには研究分担者として専門家が含まれていませんが、研究協力者として北大農学部の研究者を含めることで共同研究を進めることが可能になると思います。

 以上の他に、我々が重要と考えるのは環境に対する行政の取り組みであり、環境保全に対するNGO活動の問題であります。地方政治と環境行政の問題は、米国から赤羽教授と今回サハリンにきていませんが、我々の分担者の皆川教授が担当します。また、NGO活動については米国から研究分担者として参加していますanna scheruvakovaさんが担当いたします。彼女はイルクーツクの出身で、この分野で人脈をもっていますのでサハリン州内のさまざまなNGO組織と接触していただき、環境に対する世論の意見吸収面で成果を上げていただければと考えております。

 日本とロシアとの関係を歴史的な視点から検討することも研究の幅を広める上で重要です。とくに、かつて北サハリンで日本の企業が利権を獲得して、石油を開発していた時期があります。この問題については、今回参加しておりませんが、北大スラブ研究センターの原教授が担当することになっております。

 以上がサハリンの「開発と環境」をテーマとする共同研究の進め方の概要でございます。これまでの私の報告でお気付きかと思いますが、日本側とサハリン側では共同研究の範囲に違いがみられます。ひとつは経済成長の問題をサハリン州側は対象にしていないということです。いまひとつはNGO活動の問題をサハリン州側は扱っていないことであります。サハリン州行政府大陸棚開発局と国家環境保護委員会の役割、機能を十分に理解した上で、これらをどう扱うか議論していただきたいと思います。

 ご静聴ありがとうございました。


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