ITP International Training Program



多国籍の対話—イクシーズ・ストックホルム大会に参加して

青島 陽子

(ITP第3期フェロー、派遣先:ハーヴァード大学デイヴィス・センター)[→プロフィール



  今回のストックホルムでの報告は、札幌からの引越し、渡米準備と時期が重なってしまったため、準備に非常に苦労をした。じっさい、疲労のあまり、ストックホルムに到着したときの印象がほとんどないほどである。
  ICCEESストックホルム大会も、2008年のフィラデルフィアのAAASSでの報告の時と同じように、パネルではなく個人で応募した。応募にさいして、A4一枚程度のアブストラクトを送ったが、大会の1年半も前(2009年の3月)であったため、この段階ではまだ具体的な報告内容は準備できていなかった。次に計画していた研究テーマを題目として提出し、自分に発破をかけて一年半準備をするつもりでいたのである。
  しかし、一年半は瞬く間に過ぎてしまい、準備の状況が十分だったとは言えない。研究はごく初期段階で、展望を示すのが精いっぱいであった。しかし、報告内容の善し悪しはともあれ(それは私の今後の研究の進展にかかっているとして)、報告をした時の個人的な印象は、二年前のAAASSよりも遥かに良いものであった。


  最大の理由は、やはり、今回の大会には日本から60人以上も出席していたということにつきる。同胞人でつるまず、国際舞台において独り自力で活躍していくというのは、美学であるとは思うが、現実的には天才以外にはとても難しい。思い起こせば、AAASSの会場では、まったく異邦人であり、なぜそこにいるのか自体、疑問に思われているような感覚が常にあった(そう思うのは、こちらの自意識の故でもある)。それに比べ、今回は60人も日本からの参加者がいたため、そもそも存在理由が問われなかったように思う。この前提の差が参加する側の気構えに与える影響は、とても大きい。ICCEESは欧州がベースであり、参加者の多くが英語を母語としないということも、AAASSとの差を感じる要因であった。AAASSは国際化を試みているとはいえ、アメリカのドメスティックな学会としての意味が大きい。それに対して、ICCEESは欧州が中心になっているとはいえ、「世界大会」の看板を掲げ、(特に今回は)はるかに多国籍に構成されていたという違いはやはりある。
  じっさい、今回わたしのパネルで司会をしてくれたのは、オーザン・アルスランというトルコ人の若い学者であった。彼は非常に流暢に美しい英語を話すが、英語が母語ではない。その彼との接点は、2009年にスラブ研究センターで開催された冬期国際シンポジウムであった。その後、大会前になって彼の方から私の名前を見つけ、司会を申し出てくれたのである(松里先生にどこかのパネルで司会をやるようプッシュされたとのこと。松里先生のプッシュは国際的なアリーナにも及ぶ)。この件を、運営委員会に知らせると、司会者を選ぶのは非常に困難な作業であるらしく、司会を自発的に決定したことについて、おおいに感謝された。
  私のパネルは、個人応募を集めて運営委員会がまとめたパネルで、日本人二人、ロシア人二人の構成であった。しかし、ロシア人二人は当日会場に現れず、私と乗松さんの二人しか報告者がいないパネルとなってしまった。にもかかわらず、オーザンは非常によく私たち二人の報告を紹介し、即興のディスカッサントの役まで果たしてくれた。初日の朝一番のパネルであったにもかかわらず、会場には彼の知り合いも含め、それなりの数の聴衆が入り、中途での退出者もなく、最後まで聞いていてくれた。質疑の時間が50分もあったにもかかわらず、かなりの人がディスカッションに参加し、パネル終了後も、幾人かの方から重要なアドヴァイスをいただいた。報告者が日本人二人だったにもかかわらず、パネルとして立派に成立したのである(私のディスカッションは反省の必要のあるものであったが)。乗松さんの報告がしっかりしていたことは言うまでもないが、司会の力もあってのことと、オーザンには深く感謝をした次第である。司会は誰でも出来ると思っていたところもあるが、司会次第でパネルの雰囲気も変わるのだと実感した。


  すでに正式に決定した通り、次回のICCEES世界大会は日本で行われる。この世界大会は、国内外に日本のスラブ・ユーラシア研究をアピールするとても良い機会になるであろうし、決定した以上は、そうなることを願いたい。じっさい、数千人規模の世界的な学会を誘致できるだけの人材と組織力がある分野は、日本ではまだそれほど多くはないはずだ。これを好機として、日本のスラブ・ユーラシア関連諸学は、世界的に通用すると示すことには、それなりに意味があるように思える。今後、日本の研究・教育の分野において、スラブ・ユーラシア関連諸学が重点課題のひとつとして投資に値すると認識される契機となりうるかもしれない。
  世界大会が日本で開かれることで、スラブ・ユーラシア関連諸学の国際的な学術活動においても、日本の学者が活動しやすくなることを期待したい。上述の通り、具体的な研究内容の吟味以前に、先方の先入観とこちらの気構えというのは重要な意味をもつように思う。日本の学者の認知度やプレゼンスがあがれば、その分だけ国際的な聴衆の間にも、とりあえず聞いてみよう、という空気が醸成されるはずだ。こちら側の気分としても、まずはやってみようという気になりやすいだろう。このとき、あまりにも自分の研究の質を気にして消極的になってはいけないように思う。当面は、量は質を凌駕するという心構えでもよいのではないだろうか。
  現在、私はITPプログラムで、ハーバード大学デイビス・センターに滞在させてもらっている。ニュースで読んだ方もいると思うが、2009~10年度の学部への日本人留学生は5人にだけだったそうで、同大の学長が、中国や韓国の留学生に比べ、「日本人留学生の存在感が薄い」ことに苦言を呈したという。じっさい、ハーバードには圧倒的な数の留学生が中国から来ており、その存在感は圧巻である。ハーバードの留学生の数をアジアのナショナルなレベルで競うのはまったく不毛であるとは思うが、ひとつの象徴的な事例ではある。非英語圏の出身者の場合、ナショナルなレベルでの印象が意味をもつこともまた、否めないように思う。


  大規模な国際会議の開催は、膨大な資金とエネルギーが要求されるが、その分だけの急激な変化が国内外ですぐに望めるかと言えば、そうではないかもしれない。しかし、日本語で蓄積されてきた研究成果を発信し、国際的な学問の発展に貢献していくことは、どの学界においても、今後避けては通ることのできないオブリゲーションになっていくように思える。幕張世界大会の開催は、この今後の必要不可欠な作業をずっと容易なものにしてくれる、またとない機会となるかもしれない。
  開催にあたって、重要になるのはコンセプトであろう。周知のように、ストックホルム大会のオープニング・セレモニーには、ミハイル・ゴルバチョフが招聘されていた。ゴルバチョフの訪問は直前になってキャンセルされたのだが、そもそも、ゴルバチョフが招聘されていたこと自体、北欧で開かれる大会の強みもあれば、限界もあるように思えた。もちろん、ゴルバチョフの招聘はたんにセレモニーの一環なのだが、今後、スラブ・ユーラシア学を研究する意義を見出そうとするならば、ペレストロイカ以上の新しいシンボルが求められるのではないだろうか。幕張大会では、初のアジアでの大会開催という以上に、ポスト・ポスト・ソヴィエト時代の研究のコンセプトの提示が必要になるかもしれない。このとき、「アジア」をことさら強調し、ロシアのアジアへの近接性や、現代におけるアジアの勃興を謳うだけでは、欧米人の関心を引くことはできないように思う。そう言うとすぐに、彼らはアジアのローカルな問題と捉えて、関心を失うからである。


  幕張大会の次の2020年の世界大会は、すでにトルコが誘致に乗り出しているという。帰り際にオーザンに会ったとき、彼は「幕張は、欧州以外で開かれる初めての大会になるね、とても重要なものになるよ。その次はぜひ我々のところに来て欲しいと願っている。幕張ではきっと学ぶところがたくさんあると思う」と真剣な顔をして言った。いまさら、アジアのリーダーというのはアナクロな話だが、ともかく良い大会にしなければ恥ずかしいだろうと思った。

[Update 10.08.23]




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