ITP International Training Program



オックスフォード大学での会議組織報告

平松 潤奈

(第1期ITPフェロー、オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センターに派遣中)[→プロフィール


 2009年3月15日にオックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで開いた会議‘Cultural Creation of “Russian Reality”’(主催: ITP、組織者: 乗松亨平、平松潤奈、カタリーナ・ウール)の報告をさせていただきたい。



 ITP研究員としてオックスフォードに来た当初から、「派遣先でセミナーなどを組織する」という課題は念頭にあった。だが、雑事に追われ気がつけば一学期も終わり、本当に開催して事務処理を年度内(日本の)に完了しなければならないのだという切迫感に駆られはじめたのは、すでに2008年も暮れようとする頃のことであった。このスタートの遅れが、その後のあらゆる作業を困難にしてしまったのであるが、とりあえず、私たちのたどったプロセスを簡単に追ってみたい。


 まず会議の趣旨を設定しなければならないので、組織者が各々携わってきた二つの研究領域——ロシア文化における植民地主義の問題と、ソヴィエト「全体主義」文化の問題——の一致点をなんとか導き出し、「19世紀以降のロシア文化の表象システムがどのような構造をとり、それがどのように「ロシアの現実」をつくりだし、またどのように「現実」概念を規定してきたか」という問題をたてた。かなり漠然とした問いであることが懸念されたが、事後的に見ると、圧倒的な時間不足のもとでは、参加者のために発表内容の間口を広げておいてよかったかもしれない。この設問によって上述の二つのトピックスをつなげ、二部構成の会議とした。


 最も難航したのは、発表者の招待である。広くペーパーを募集するのがおそらく妥当な方法なのだろうが、私たちにはそうした猶予が残されておらず、設定したテーマに関係の深い研究者に片端から連絡をとっていくしかなかった。多くの場合つてを介してはいたものの、無名の「若手研究者」の私たちであるし、また遅くとも3月中に開かねばならないということで大方の研究者のスケジュールはもういっぱいになっていたと見え(さらにイギリス人はこの時期国外に出ていることも多いらしく)、なかなか顔ぶれがそろわず、私たちの指導教官その他の力添えもあってようやく参加者全員の名前が決定したときには、すでに2月に入っていた。


 日程の選定にも苦労した。スラブ研究センターの国際シンポジウムの前後に種々の研究会が催されるのを見ならって、当初は、私の指導教官であるカトリオーナ・ケリーの主催する大きな会議‘National Identity in Eurasia’の前後に開くという案が有力だった。だが残念ながら参加者の都合を総合すると無理であることがわかり、結局、いろいろな条件から3月半ばの日曜日——この地では会議に適した日取りではないそうである——に定まった。その後も直前に諸般の事情でプログラムの組み直しを迫られるなど、終始落ち着かない状態で会議の日を迎えた。


 当日は、最初の発表者のパワーポイントが動かないなど若干の問題を除けば、表面上は大きな支障なく済んだように思う。ただ語学力不足のせいで、自分たちが率先して議論を活性化することができなかったのは、想定の範囲内のこととはいえ残念であった。その代わりにゲスト・スピーカーがみなそれぞれの立場から意見を出し合ってくれたのは非常にありがたかった。プログラムと各発表内容については、組織に全面的に協力してくれたセント・アントニーズの院生カタリーナ・ウールによるレポートを参照されたい[→click]。 総じて、ぎりぎりのスケジュールをおして参加してくださったのは親切な方々ばかりで、慣れない組織者の立場を察し暖かく応援してくれていたように感じる。意見を衝突させることによって重要な論点を炙り出すというのが本来の生産的な討論のありかただろう。その点で自分の仕事は不十分だったけれども、今の段階では、この和やかな交流が最大限可能であったもののように思える。


 スーザン・レイトンやミハイル・ルィクリンという、組織者それぞれの研究分野における重要な学者が招待に応じてくれたことはたいへんな幸運であったが、ITPの趣旨に照らして意義深かったのは、私たち日本人のように、英語・ロシア語圏の外部にいる研究者が参加してくれたことかもしれない。日本のロシア研究にとって、いや少なくとも自分にとっては、外国語文献といえばロシア語・英語である。たとえばソヴィエト文化について論じるならば、本当はドイツ語圏の膨大な蓄積を無視しては通れないはずだが、私は言語ができないことからそれらを見ぬふりで過ごしてきた。この一例を一般に敷衍することはできないが、日本語による研究が広く読まれることなくデッドストックになってしまうのにも似た境遇に、ドイツ語圏の研究も(日本ほどでないにせよ)置かれているということを、参加者の一人から伺った。こうした小さな研究圏が今後どの程度自律的に活動していけるのか、いくべきなのか、という難問は措くとして、ともかくこの機会に互いの存在を確認し、それぞれの研究動向の違いを把握する場が得られたのはよかったのではないだろうか。



 今回は、海外で会議を開くということで、事務的な作業の多くを組織者自身がこなすこととなり、おかげでこれまで気づかなかった何かを組織し配慮することのたいへんさを身をもって味わった。困難の連続を支えてくださったスラブ研究センターの事務の方、そして大半は自ら招いたものではあるが、その困難の経験の機会を与えてくださった方々に心から感謝したい。

(Update:2009.05.08)

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