スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年冬号 No.112

転がり込んだ冷戦期の遺産:後輩の皆さんへの贈り物

望月喜市(北海道大学名誉教授)

 

数日前、北洋銀行から「シチェドリン図書、望月喜市」名義の預金通帳が「20 数年以上に 亘り休眠状態であるので、万一忘れている場合は連絡して欲しい」という主旨の(文面を剥 がして読む方式の)葉書が舞込んだ。すっかり忘れていた遠いスラブ研究センター現役時代 のことが頭をよぎった。早速なんとかしなくてはと思い9月16 日、同銀行に行き通帳を解 約したところ、なんと34 万6千円余りの現金が入手できた。打ち出された解約通知書には、 1989 年(平成元年)2月13 日の利息(353 円)と預金残高(330,891 円)の記載が第1行にあっ た。その後の利息、国税,地方税を足し引きした結果として346,377 円が還付された。

そもそも、この口座の由来は次のようだ。1977 年(昭和52 年)、当時の外川継男センター長が、 モスクワのレーニン図書館に次ぐソ連第2の蔵書を誇っていたサルティコフ・シチェドリン公 共図書館(レニングラード、現ロシア国民図書館)との図書交換を思いついた。現地交渉は 出かず子助教授(当時)と外川教授が担当した。モスクワのレーニン図書館と違って、レニ ングラードには自由な雰囲気があり、こうした申し出を受入れる柔軟性があった。外川教授 の思い出によれば、図書館の裏口に起立する軍人の許可をとり、天井のバカ高い壮大なオフィ スに入り込むと、外国に送る書籍が山積みになっていた。この中で彼は交換制度のメリット を説明した。当時アメリカのライブラリアンはすでに交換制度を大規模に利用していた。冷 戦下、ソ連側の情報統制が厳しい中にあって入手困難だった産業技術や情報工学関連の著作 を、ソ連の図書館を窓口として入手していたようだ。スラブ研究センターとしては、ナウカ や日ソ図書のカタログにはない絶版になった古書や文学書、珍しい経済書などを入手したかっ た。これらの本は、市場には出回らないためお金で買うことはできなかった。ところが、図 書館を窓口とし、相手の欲しがる本と交換でなら手に入れることができたのである。ただし、 この制度が働くためには、ソ連の本を入手することを希望する日本側が、ソ連側が欲しがっ ている本をみつけて先方に送らなければならない。その日本書の購入費や郵送費は公費では 落ちないので、あくまで個人の実費負担となる。ソ連から送ってきたソ連書リストの中に欲 しい本をみつけた日本人研究者は、先方が指定するその本の値段(ルーブル)を円に換算し、 それにみあった日本書の購入費と郵送費を口座に払い込んだのである。

このように、国の予算による書籍購入とはまったく別の私費によるルートだったので、ま んいち本が届かなかった場合の危険も研究者個人が負った。諸事務も研究者自身で処理した。 このような方法で、厳しい情報統制下にあったソ連の図書館は日本書を入手し、また我々は ソ連の稀少本を入手することができたのである。

34 万6千円余りはセンター長に手渡され、委任経理金に入れられるとのこと。結果的には、 私たちの後輩が、冷戦時代からのタイムカプセルでプレゼントを受け取ったようなものであ る。情報が自由化されたいま、若い研究者には想像も困難な事態であろうが、「こんな時代も あったのだ」ということを知ってもらいたくて、一文をしたためた次第である。

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