スラブ研究センターニュース 季刊 2009 年秋号 No.116 index

極私的・ハーバード大学図書館案内

半谷史郎

 

ハーバード大学デイビス・センターの滞在期間も、早半ばをすぎました。燦々と輝く太陽 と爽やかな空気の夏。鮮やかな紅葉黄葉と木の実を食むリスが目を楽しませてくれた秋。季 節は移ろい、日の短い暗く寒い冬が始まろうとしています。

春先にITP の公募を見た時は、正直なところ、アメリカもハーバードも絵空事でした。そ れが、訳している本の原著者がいるからという軽 い動機で応募して見れば、思いがけず採用され、 後は自分でも何が何だか分からないまま、気がつ いたらアメリカ生活がはじまっていました。

こちらには6月19 日に到着したのですが、ちょ うど卒業式も終わって夏休みに入ったところで、 センターも閑散として休眠中。結局、週2 回、夕 方に英語の夏期講習に通うほかは、与えられた自 分の研究室で、ずっと日本から持ち越した翻訳の 仕事をしていました。翻訳とはいっても、意味を 取りかねるところやら引用箇所の確認をするため に、数多くの文献に当たり直す必要がでてきます。 この過程で、噂にたがわぬハーバードの図書館の 充実ぶりに触れ、大いに驚かされました。そのあ たりのことを少し詳しく書いてみたいと思います。

冬眠前の食いだめと思いきや、その後、雪原を走り回る姿を見て驚きました
(2009.2.3)
冬眠前の食いだめと思いきや、その後、雪原を走り回る姿を見て驚きました (2009.2.3)

訳していた本は、スターリン時代のソ連の民族政策を扱った Terry Martin のThe Affirmative Action Empire という500 ページ近い大著。6 人の共訳で、私が監修者です。駆け 出しのぺいぺいの私では、「監修=半谷史郎」と銘打っても何の箔付けにもなりません。結局 のところ掛け値なしの実力勝負、正確な分かりやすい訳文をつくらないと監修者の責任は果 たせないわけで、疑問があれば煩を厭わず図書館に走りました。こう書くと大層なことに聞 こえますが、根が「ほじくり屋」なので調べることは全く苦にならず、むしろ世界最大級の 大学図書館を使い倒して調べものをすることが快感でもありました。

翻訳していた本の性質上、1920 年代から30 年代のソ連の政治史に関する文献が最もお世話 になった蔵書です。この分野は自分できちんと研究したことがなく、珍書凡書の判断はつきか ねるのですが、まずは探す文献の多くが架蔵されていることに驚きました。また、ちょっとし た調べものや手堅い論証には不可欠な基本文献というのがあります。この時期のソ連政治史な ら、党大会の議事録や党の理論誌『ボリシェヴィク』などです。これが頭から欠けることなく 書棚にずらっと揃っていて、現物を手に取るのも借り出すのも自由というのも、大いに助かり ました(さすがに新聞は現物でなく、すべてマイクロでしたが)。本棚の肥やしが効いている とは、まさにこのことです。調べものの合間に、ちょっとした好奇心から『ボリシェヴィク』 の1941 年8 月号を披き、スターリンの有名な開戦演説(「同志諸君、市民のみなさん、兄弟姉 妹たちよ、……」で始まるやつ)を当時の活字で初めて読んで、無邪気に感心していたことも あります。こうした調べものの合間に充実したよそ見ができる環境は、後々思わぬ発見発想に つながるのではないかと思います。そして、それもこれも、現物の持つ迫力あればこそです。

私が図書館の書棚で手にした1920 年代から30 年代の本は、蔵書印を見ると、戦後の特に 1960 年代から70 年代に納入されたものが目に付きました。冷戦の始まりとともに戦略的に ソ連研究が行われたことをうかがわせます。ソ連に駐在する機関が現地で購入したものもあ れば、西側に亡命した人から買い取った蔵書もあったでしょう。表紙にソ連の図書館の蔵書 印がいくつも押された雑誌には、想像力を刺激されました。図書館の基本蔵書として購入さ れたものの、次第に場所ふさぎのお荷物になり、払い下げを繰り返した挙句、ソ連国内では 引受け手がなくなり、最後は米ソ文化協定の学術交流で、アメリカに安住の地を見つけたと いう流れが見えてきます(好奇心で色々見てみると、最初の蔵書印が帝政時代という雑誌も ちらほらありました)。払い下げにならない貴重な雑誌は、レーニン図書館からマイクロ化し て取り寄せています。初めはそんなことに気づかず、珍しい雑誌を持っていることにただ感 謝していたのですが、ある時、雑誌の表紙に書き 込まれた整理番号やマイクロリーダーの画面の印 象から、これはレーニン図書館でつくったマイク ロだと気づいて、疑問はすべて氷解しました。米 ソ間には文化協定があって、研究者の交流があっ たというのは紙の上の知識として知っていまし た。ですが、図書館の蔵書という具体的な形でそ の事実を示されると、なるほど、こういうところ が研究の基礎体力の違いになっているのだなと改 めて痛感させられました。

研究室の表札
研究室の表札

10 月に入って翻訳の仕事に目鼻がつくと、次 は、11 月下旬のAAASS での発表の準備です。「第一次大戦とロシア」というパネルで、シ ベリア出兵に関する日本の史学史を話すことにしたので、情報収集のために一時帰国。ロシ ア史研究会の年次大会(10 月11 日、於:愛知県立大学)に顔を出し、共通論題「シベリア 出兵再考」で大いに勉強させてもらいました。アメリカに戻ると、まずは本の総入れ替えです。 貸出冊数が無制限なのをいいことに、調べものの度に借り出してそのまま机の周りに積み上 げてあったソ連史がらみの本の山を一掃すると、今度はシベリア出兵に関する日本語の本を 大量に仕入れてきました。書庫をうろついて、めぼしい本を片っ端から背中のリュックに詰 め込んでいくと、これまた山のような量になり、貸出手続きの際、司書の人に驚かれました。

この問題は全くの初心者なので、ロシア史研大会で配布された原暉之先生作成の「日本語 文献リスト(1990 年代以降)」を文献探索の手がかりにしたのですが、挙げられていた30 点 弱の文献のほとんどが、燕京図書館(Yenchen Library)であっけなく見つかりました。燕京 図書館は、日中韓を中心とするアジア地域研究の拠点です。ざっと見たかぎりでも、日本語 の蔵書は、生半可な日本の大学図書館では及びもつかぬほど充実しています。件の文献リス トの本で見つからなかったのは極東共和国の関連本に集中していたのですが、これは英語や ロシア語の本の方がずっと詳細・正確で、わざわざ二番煎じの日本語の本を購入する必要は ないと判断しているからでしょう。少なくとも、日本語がその分野の最先端であるような本 は、ほぼ間違いなく購入しているようです。たとえば、参謀本部が作成した公式戦史『西伯 利出兵史』は、シベリア出兵の基本史料の一つです。戦前は極秘扱い、戦後も長らく幻の書だっ たのですが、1972 年に出た復刻版の「限定300 部のうち49」を、燕京図書館は発行から3 ヵ 月後に購入しています。ちなみに、この本には「1970 年大阪万博記念基金により購入」とい うシールが貼ってありました(こちらの蔵書には、この手の個人や団体の名を冠した購入基 金の情報シールがよく貼ってあります)。アポロ月の石で儲けたお金の山分け基金でしょうか。

燕京図書館には、研究を離れた息抜きの本もお世話になっています。最新の新刊書や娯楽 色の強い本は無理ですが、ぶらぶら棚から棚へ歩いていると面白そうな本が次々見つかりま す。また日本政府が力を入れているクールジャパンではないですが、研究資料としてマンガ も購入しています。蔵書印を見ると、収集が始まったのはここ10 年くらいらしいです。多く は郊外別置の書庫保管のため、全貌は分かりませんが、手塚治虫全集だとか中公文庫になっ たのやら、評価の定まった「古典」を中心に収集しているようです。

AAASS での発表を終えて戻った翌日、早速また半日ほどかけて、研究室の机や本棚に山と 積んでいたシベリア出兵がらみの本を一掃しました。留学の残る期間、こうした本の山をつ くっては崩しの作業を、まだ何回も繰り返すことでしょう。

(2008 年11 月27 日 Thanksgiving Day の祝日に記す)

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