セッション会場のようす |
初日のビアパーティ |
1 月 29 日から 2 月 1 日にわたって、センター冬期国際シンポジウム 「20 世紀初頭のロシア、東アジア、日本: 日露戦争の再検討」 が開催されました。
今年 (2003 年) は日露戦争の 100 周年に少し足りませんが、戦争の勃発 (1904 年 2 月) と終結 (1905 年 9 月) から近く 1 世紀を迎える機会に、現代の観点から 20 世紀初頭の日露双方における戦争の国際的・国内的諸要因を再検討するとともに、両交戦国のみならず、争奪の対象となった東アジア諸国 を含む世界の諸地域にもたらされたその影響、日露戦争の世界史的意義を学際的・多角的に検証することが今回のシンポジウムの目的でした。
日程は、初日の特別講演とそれに続く 6 つのセッションからなり、合計 15 名の報告者によるプレゼンテーションをめぐって討論が展開されました。 「日露戦争の起源」 「日露戦争と中国」 「日露戦争中の反政府運動」 「内政の争点としての日露戦争」 「アルヒーフ資料によるサハリン史の書き換え」 「歴史的パースペクティブにおける日露戦争」 が各セッションのテーマで、報告者の内訳は外国からのゲスト 7、国内に滞在中の外国人 3、日本人 5、報告は英語によるもの 12、ロシア語によるもの 3、各セッション 2 名からなる予定討論者の内訳は外国人 3、日本人 9 でした。 また全国から外国人を含む 100 名ほどの参加者があり、報告を熱心に聞くと同時に、その後の討論にも活発に加わっていました。 現在、各報告を収録した英文報告集の編集を進めています。
日本における日露戦争史研究は、日本近代史研究の最も基本的なテーマの一つとして常に注目され、とくに近年目覚ましく前進を遂げてきたのは確かですが、その一方で一国史の枠を越える側面に十分な光を当てて来なかったのも事実です。 国外における研究動向への関心も、国内における研究蓄積の対外発信も不十分という状況が長く続いてきました。 国際的な歴史認識の共有、その前提をなす学問的なレベルの意見交換はようやく緒についたばかりです。 その意味で、日露戦争の学際的・多角的な再検討というすぐれて現代的な課題に答えるべく企画された今回のシンポジウムは、国内外の研究者にとって知的刺激に満ちた意見交換の場となりましたし、国内外で今後に予定されている国際会議の開催や論文集の刊行など数ある 100 周年記念企画の中で今回のシンポジウムは先駆的な役割を果たすことができたと自負しています。
写真・資料展の準備スタッフ (全員ではありません) |
このシンポジウムにちなんで、写真・資料展「捕虜となったロシア軍将兵」がセンター小会議室で開催されました。 日露戦争中、日本各地に設置された 29 か所の捕虜収容所に 7 万人を越えるロシア軍将兵が収容されていたことは研究者も含めて外国ではあまり知られていません。 展示の内容は、それら捕虜が日本で送った生活のさまざまな側面に関する写真資料、収容所関係文書、関連出版物から構成し、日本語と英語の解説文をつけました。 資料の収集・選定、解説文の作成など、編集作業には文学研究科スラブ社会文化論専修の大学院生有志が積極的に参加しました。 こちらも評判は上々でした。 [原]
今年度のセンターの夏期国際シンポジウムは、「スラブ・ユーラシアの世界経済・国際社会との統合」 をテーマに、 7 月 16 日 (水) から 19 日 (土) まで開催されます。 このシンポジウムでは、スラブ・ユーラシア地域で進行している体制転換とグローバル化が織りなす複雑な諸現象について、学際的な検討を行うことが目標とされます。 7 月 19 日 (土) の予定などは未確定ですが、現時点でのプログラムは次頁のとおりです。 なお、今後、小さな変更は多々あることが見込まれます。 シンポジウムのプログラムは、センターのホームページで適時更新されますので、そちらでご確認下さい。 本シンポジウムに関するお問い合わせは、センターの田畑または岩下までお願いします。 [田畑]
センターではこの 4 月から、下記の 139 名の方々に共同研究員をお願いすることになりました。 (任期: 2003 年 4 月 1 日 ~ 2005 年 3 月 31 日) (敬称略、五十音順)。 [家田]
かつてロシア帝国の首都であり、現在もモスクワに次いでロシア連邦の文化・学術・政治・経済・対外関係に屈指の地位を占めるサンクト・ペテルブルグは、今年 (2003 年) 開基 300 周年を迎えます。 今回の公開講座は、サンクト・ペテルブルグ開基 300 年にちなんで、たぐいまれなロシアの都市サンクト・ペテルブルグに焦点をあて、3 世紀にわたる歴史の歩みとそこに開花した文化の諸相を平易な解説によって立体的に再構成する意欲的な試みです。 皆様の積極的なご参加をお待ちしています。 開講日程は下記の通りで、時間は各回午後 6 時 30 分から午後 8 時 30 分までです。 申し込みはセンター事務掛で受け付けています。 [原]
第 1 回 | 5 月 12 日 (月) | サンクト・ペテルブルグの誕生 | 栗生沢猛夫 (北大文学研究科) |
第 2 回 | 5 月 15 日 (木) | 幻想都市の文学: 過去と現在 | 望月哲男 (センター) |
第 3 回 | 5 月 19 日 (月) | 科学研究都市としてのサンクト・ペテルブルグ: 帝政期を中心に | 梶雅範 (東京工業大) |
第 4 回 | 5 月 22 日 (木) | 劇的空間としてのサンクト・ペテルブルグ: 目で見る都市散策 | 楯岡求美 (神戸大) |
第 5 回 | 5 月 26 日 (月) | 石と水の詩:聖都の 20 世紀詩人たち | 鈴木正美 (稚内北星学園大) |
第 6 回 | 5 月 29 日 (木) | 英雄都市レニングラード: 900 日の攻防戦とその後 | 原暉之 (センター) |
第 7 回 | 6 月 2 日 (月) | サンクト・ペテルブルグと日本の文化交流 | 土肥睦子 (ピアニスト) |
3 月 31 日に 2004 年度の外国人研究員の募集が締め切られました。 応募総数は 68 件で昨年に比べ 9 件増えました。 地域別・国別のうちわけをみると、ロシアが 26 件と全体の 4 割弱を占めており、中・東欧諸国 (バルト諸国を含む) が 16 件、北米・西欧が 9 件、ウクライナが 7 件、中央アジア・コーカサス諸国が 7 件と続いています。 分野別でみると、歴史が16件、文学・文化・言語が 15 件、経済が 13 件、民族関係が 13 件、政治・国際関係が 10 件、となっており、例年に比べ特定分野に偏らずに分散する傾向が現れています。
審査は 2 ヵ月以上にわたって慎重におこなわれ、7 月までに候補者 3 名が決定される予定です。
なお、今年度の外国人研究員は、ニュース 91 号でもお伝えしました通り、以下の三氏で、現在受け入れの最終準備がおこなわれています。 [山村]
日本学術振興会科学研究費補助金 「オホーツク海の流出油防除対策の総合的研究」 (研究代表者・村上隆) によるワークショップを 2003 年 2 月 24 日 (月) に紋別市文化会館で開催しました。 サハリン大陸棚での石油開発が本格化すれば、オホーツク海で油流出による海洋汚染が起きた場合、北海道のオホーツク海沿岸地域は大きな被害を受ける可能性が想定されます。 そこで本研究チームは防災に熱心で、沿岸の中核的な都市である紋別において同時に開催された国際シンポジウムに併せてワークショップを行いました。 本研究チームが報告の中心となってこれまでの研究で何が明らかになったか、その結果どこに問題があるのか、今後どうすれば流出油を防除できるのかといった問題を議論しました。
漁業者からは実際の対応方法についての矛盾点が指摘され、また環境保護団体と防除の中核的な担い手となる官庁との間では緊迫したやりとりが展開されました。 紋別市長が、今後沿岸地方自治体と協議して具体的な流出油防除対策に取り組むことを約束してくれたことはひとつの成果であると思います。 参加者 54 名。 [村上]
2003 年 1 月から 4 月にかけて専任研究員セミナーが 6 件開催されました。
毛利報告は、ウラジミール・ナボコフの作品と映画との関連を、アメリカに渡る以前の 1920 年代、1930 年代に焦点をあてて論じたものです。
林報告では、1994 年選挙から 2002 年選挙までのスロヴァキア内政の展開が EU 加盟問題との関連で検討され、特に、第 3 次メチアル政権期の議会運営の問題と第一次ズリンダ政権期の地方行政改革の問題が中心的に論じられました。
井上報告は、B. ピウスツキの日露戦争前後の活動を扱い、当時のサハリン軍務知事から委託され起草した原住民アイヌの行政管理に関する提言とピウスツキー自身が熱心に関わったアイヌ人学校の二つの問題を軸に考察したものです。
原報告は、ストルイピン期=ウンデルベルゲル期の極東地域政策をテーマとしたもので、アムール鉄道敷設問題や自由港制の廃止問題などについて、帝政ロシア大臣評議会の特別議事録、第三国会の議事速記録、「極東拓殖委員会」の議事録といった中央機関の基礎資料に基づき論じたものです。
山村報告は、ウズベキスタンの数地域にわたるフィールド調査とアンケート調査に基づいて、1990 年代後半から現在までの農業構造の動態と農業政策の特徴・問題点について詳しく分析したものです。
家田報告は、ハンガリーのフィデス政権の下での地位法制定問題を素材として、EU 統合と国民統合の間で揺れるハンガリーの国民形成の問題を扱ったものです。 また、この報告はスラブ・ユーラシア地域の中の「中域圏」比較分析の方法論を模索する試論的なものとして位置付けられていました。 [山村]
ニュース 92 号以降の北海道スラブ研究会およびセンター研究会の活動は以下の通りです。 [大須賀]
2 月 17 日 | T. レオンチエヴァ (トヴェリ国立大 / ロシア) 「正教信仰とロシアの改革: 改革失敗の諸要因 (19 世紀後半 ~ 20 世紀初頭) (露語)」 (センター研究会) |
3 月 10 日 | 岩下明裕 (センター) 「タジキスタンで考えたこと」 (昼食懇談会) |
3 月 31 日 | 池田嘉郎 (東京大・院) 「内戦期ロシアにおける党と行政」; 河本和子 (東京大・院) 「ソ連における政治と家族: 連邦家族基本法制定過程 (1948-1968) から解釈を試みる」 (センター研究会) |
センターは 5 月 1 日付で、荒井信雄氏をシベリア・極東部門の専任研究員として迎えました。 荒井氏は 1947 年生まれ。 1972 年に東京大学文学部を卒業した後、1975~79 年にモスクワ大学歴史学部に留学。 1987 年に北海道地域総合研究所の設立に参画し、主任研究員、専務理事を歴任した後、1997 年に同研究所理事長に就任。 1999 年から札幌国際大学人文・社会学部助教授。 荒井氏は、北海道庁あるいは道知事の対ロシア外交のブレーン役としても活躍し、サハリン州をはじめとするロシア極東の政財界に厚い人脈をもちます。 専門は、ロシア極東の経済と日ロ関係。 とりわけ、ロシア極東の経済発展、同地域の財政問題、極東と北海道の漁業問題、極東と北海道の関係を中心とする日ロ関係、北方四島に関する調査などの分野で、現地調査や聞き取り調査に基づく緻密な研究を発表してきました。 その成果は海外にも知れ渡っていて、日ロ関係に関心を有する外国の研究者で、北海道に来て荒井氏に会わずに帰る人はいないようです。 センターでも、こうした分野の研究を全面的に開花させることが期待されています。 [田畑]
応募者のなかから慎重な審査をおこなった結果、本年度は次の 6 名の方々に客員教授をお願いすることになりました。 [編集部]
応募者の中から慎重な審査をおこなった結果、次の 2 名の方々が本年度の非常勤研究員に採用されました。 [編集部]
センターでは今年度から 3 年間、次の方を学振特別研究員として受け入れます。 受入担当教官は家田です。 [編集部]