スラブ研究センターニュース 季刊 2004年秋号 No.99 index

追悼村上隆先生

村上さんのこと

西村可明(一橋大学)
 

村上さんがとうとう逝ってしまった。昨年12月初めに、あと1年以内という事もあり得ると、医者から言われた事を知った時、順調に治療が進行してい ると 思っていたので、それには驚き、そしてやり切れない気持ちにおそわれた。彼にどう語りかけて良いのか迷いに迷った。私が丁度そうして悩んでいた時に、ご本 人から電話を頂戴した。私は慌てたが、彼は深刻な病状をさらっと説明した後、自分は病気と闘い、研究成果を本にまとめ、学者としての仕事をやり遂げたい、 さらに我々の共同プロジェクトの論文も書くんだと言ってくれたので、その前向きな心構えに、ホッとしたのを覚えている。こころなしか声に元気がないように 思ったが、彼は心の動揺を感じさせなかった。

murakami01
2000 年8月、センターでおこなわれた国連大学グローバルセミナーにて。向かって右が村上氏、左がヒンケル国連大学学長

村上さんは気丈な人だ。その時からほとんど入院先の病室で、つらい病状に耐えながら、原稿を書き下ろし、推敲し、自ら校正も行い、半年後には400頁を超 える大著『北樺太石油コンセッション1925-1944』(北海道大学図書刊行会)をまとめ上げ、出版にまで漕ぎ着けたのである。6月13日の出版記念会 の時には、論文の方も書くからと約束してくれていたのだが、きっと熾烈な闘いの疲れがでたのであろう。医者の言った1年までにはまだ5ヵ月近くも余りある というのに、ちょうどひと月後の7月13日に亡くなってしまった。この事は残念でならない。しかしその顔は、何かいい夢を見て笑みを浮かべ、心安らかに 眠っている様に思えた。心からご苦労さんといって労をねぎらい、冥福を祈りたいと思う。

この著書は、北樺太石油会社の成立から終焉までを詳細に分析したものであるが、それは単なる会社史では全くなく、その分析を通じて、ソ連社会主義や日ソ関 係の特徴の一端を新たな視覚から浮き彫りにした労作である。村上さんが本書で博士号を取得したのは当然といえよう。またそこでは、この会社の運命に関わる 出来事や人々が活き活きと描かれており、読み進むうちに何か臨場感が感じられてくる。村上さんのこの様な研究と記述の方法は、村上さん独特のものである が、それはもしかすると、ロシア・東欧貿易会に勤務していた頃に、自然と身につけたものではないか、最近ではそんな気がしている。

村上さんがスラブ研究センターに移られたのは、10年前の事、52歳の時である。それまでは、ロシア・東欧貿易会調査部長として、お役所や企業の委託調 査・研究をやったり、ビジネス界の人々をロシアに連れて行って現地調査をしたり、大活躍であった。将来はロシア・東欧貿易会経済研究所の所長と目されてい たほどである。このように村上さんの場合、ビジネス界とはいっても調査畑から学者の仲間入りしたわけだから、転職は簡単だったと思われるかもしれない。し かし実際には、ビジネス界の調査研究と学問としての研究とは似て非なるもので、お役所や企業の関心に従ってその代わりに調査研究を行うのと自分の関心に基 づいて学問体系を構築するのとでは大いに異なる。ところがこの2つの間では、調査したり研究したりという作業面で似ているところがあるために、かえって頭 を切り替えるのが難しいのである。だから新天地での研究は、村上さんにとって、いわば五十の手習いのような難しい面があったはずである。しかし、この様な 大著を出版できた事は、村上さんがこの転換を見事にやってのけた事を示している。これには、スラブ研究センターという、学問的には厳しく人間的には豊か な、一流の学者集団の中で、研究できたという恵まれた環境のお陰もあると思う。しかし、私には、村上さん自身の学問研究に対する真摯な心、これこそが、大 著の出版と、博士号の取得にまで漕ぎ着けた最大の原動力だと思われるのである。ビジネスの世界から学問の世界に移って来られる方は多いが、職業としての学 問に、村上さんほど真剣に取り組む人は、希有である。


 村上さんがロシア東欧貿易会におられた頃、役所関係の研究会でご一緒する事が多く、私が村上さんを他の委員の方に紹介したり、村上さんが私を紹介したり という事が度々あった。そういう時、私は村上さんを、ソ連・ロシア経済の「生き字引」と紹介したものである。それは、よく精通していて、聞けば直ぐに教え てもらえるという意味であるが、実はもう一つのニュアンスが込められていた。「生き字引」は、英語に直すと“Walking Dictionary”である事から連想して、村上さんの知識は「自分の足で歩いて獲得したものなのだ」という点を付け加えたかったのである。1990年 代前半にそうした確かな知識を持つ人は少なく貴重な存在であったからだ。この本を読んでみて思う事であるが、村上さんはビジネス界に身を置いて、日ソ両国 の官庁や企業の中で人々が行う発言や交渉を現場でつぶさに観察し、それを客観的な目で分析して理解する機会に恵まれ、その過程で獲得した思考様式がスラブ 研究センターに移ってからの研究にも役立ったのではないだろうか。そうだとすれば、村上さんはビジネス界の調査研究で得た経験を学問研究に創造的に役立て た貴重な事例であるといえよう。

村上さんはいわば旅が仕事で、旅の小道具も好きであった。またその分野では新しい物好きであった。私は、どこの国のコンセントにも使える旅行用プラグも、 彼に教えられて買った。私がフロッピー・ディスクを持ち歩いていると、USBメモリーがあると教えてくれたのも彼であった。村上さんが札幌に移ってから は、東京に住んでいる私にとって、彼の存在を確認するのは、何か彼を思い出すきっかけのある時だけだったから、今も普段は村上さんが亡くなったという気が しない。折に触れて気がつくだけである。先日も、USBメモリーを買う事になって、村上さんが、こんなに小さくて便利だよ、と言った言葉まで思い出した次 第である。旅を共にし、酒を酌み交わす事も多く、思い出が沢山ある村上さんの事、彼はこのような仕方で、私の心の中でいつまでも生き続けるのだと思う。




村上さんを偲んで

田畑伸一郎(センター)
 

昨年12月2日、午後1時過ぎだったと思います。村上さんが奥さんと一緒に私の研究室に来られて、その日午前中に担当の医師から告げられた検査結果 につい て話し始めました。何か普段とは様子が違っていて、話が始まる前から緊張感を覚えました。癌が広がってしまったために、1年持たないと告げられたと言われ ました。この1年ほど前から、村上さんはすい臓癌の疑いがあるということで、検査を繰り返し受けていましたが、それまでは何も発見されず、最後にこんな結 果が待っているとは思いもしませんでした。実際、村上さんはこの前月の11月後半から奥さんを連れて東欧に出張される予定で、同僚の林さんがプラハでの宿 の手配をしていたくらいでした。この衝撃的な話を聞いた後、私は言葉が見つからなかったのですが、村上さんは、今後は部分的な治療を受けながら、残された 仕事をしたいと淡々と言われました。

私が村上さんに初めてお会いしたのは、1979年頃でした。当時のソ東貿(ソ連東欧貿易会)の小川和男さんが駒場で授業をされていて、小川さんに勧められ てソ東貿に資料を探しに行った折に紹介されました。その後、一橋の大学院に通った5年間を含めて、私は計6年間ソ東貿でアルバイトをさせてもらい、その間 に村上さんには公私ともに大変お世話になりました。ソ連の統計集の数字がどうして食い違っているのかと何時間もあるいは何日間も苦悶したり、ソ連の新聞や 雑誌の小さな記事に至るまで丹念にスクラップしたり、どこかに求めていた資料があると聞くと時間や手間を厭わず取りに行ったり、村上さんの調査・研究の姿 勢からいろいろなことを学んだ気がします。時間に正確であったり、仕事の時間とそれ以外の時間を厳格に区別したり、そうした面でも感化されました。昼休み にはいつも話の輪の中心になり、同僚の引越しの際には軽トラックの運転手として仕切るなど、まわりの人から本当に慕われていました。

murakami02
2000 年8月、当時センター長だった村上氏が、鈴川基金奨学生と非常勤研究員の計6名をご自宅に招いて開かれた、手巻き寿司パーティでの1コマ。向かって右から 3人目が村上氏

丁度10年前の1994年10月、村上さんがセンターに赴任しました。センターにとって日ソ関係・日ロ関係の研究は常に特別な意義をもっているわけです が、それを担当していた教員が相次いで転出・退職となり、白羽の矢を立てたのが村上さんでした。村上さんは、1980年代後半からのペレストロイカ、ソ連 崩壊、体制転換のなかで、研究面だけでなく、日本政府の対ソ支援・対ロ支援においても大活躍されていたのでした。奥さんが小樽出身ということもあって、村 上さんが北海道に愛着を持っていてくれたこともセンターにとって幸いでした。

センターでの10年間の研究生活のなかで、村上さんはとくに次の2つの大きな研究を成し遂げました。第1は、1998~2000年度科学研究費補助金国際 学術研究「サハリン大陸棚石油・天然ガスの『開発と環境』に関する学際的研究」の研究代表者として推進した研究で、北大の文系と理系の研究者によるまさに 文理融合型の研究が実現されました。このなかで、とくに、サハリン大陸棚の石油・ガス開発が環境にどのような影響を及ぼすかについて研究がなされました。 これは、サハリン大陸棚開発により発生が危惧されたオホーツク海汚染事故に関連して、極めて現実的な意義を有するものでした。実際、村上さんは、この研究 成果を地域社会に還元することに熱意をもっていて、1999~2002年に紋別市、網走市、稚内市などで公開セミナーや市民講座などを組織し、オホーツク 海汚染対策の遅れに対して警鐘をならしました。社会貢献を強く意識したこの研究は、民間から来られた村上さんならではのものだったと思います。この研究 は、村上さんを編著者とする『サハリン大陸棚石油・ガス開発と環境保全』(北海道大学図書刊行会、2003年)にまとめられました。

第2は、北樺太石油コンセッションに関する歴史・経済研究です。この研究の大きな契機となったのは、一橋大学経済研究所の西村可明教授を中心に始められた モスクワの国立経済文書館の史料利用に関する共同プロジェクトでした。村上さんは、退職数年前という時期から、歴史研究という新しい分野に挑戦したのでし た。昨年12月の時点で、「残された仕事」と言っていたのが、この研究のことでした。その時点では、この研究をまとめた『北樺太石油コンセッション  1925-1944』は、来年の2月頃、北海道大学図書刊行会から出版される予定でした。しかし、村上さんは何が何でもこの本を完成させると言われて病床 でこの本の仕上げに取り組み、6月13日に見事に上梓したのでした。ニュース前号でお伝えしたように、6月30日にこの研究により北海道大学から博士号 (学術)を授与されました。


センターに対する村上さんの貢献は、こうした研究面だけに留まりませんでした。村上さんは、2000年4月にセンター長に就任し、2年間務めました。セン ターは2002年4月に部門の全面的な改組と客員教授などの定員増加を実現したのですが、これを中心となって準備したのは、村上さんでした。

私が村上さんと最後に言葉を交わしたのは、7月12日、月曜日の午前中でした。センター長室に、病院から電話がかかってきました。少し声がかすれていまし たが、「14日の挨拶だけど、もう準備ができないから岩下さんと荒井さんにお願いします」というのがその内容でした。14日の挨拶とは、センターの夏期国 際シンポジウムの冒頭における組織委員長としての挨拶のことでした。今年の夏期国際シンポジウムのテーマはシベリアとロシア極東でしたが、この準備が始め られた昨年夏に村上さんが組織委員長に指名されていたのでした。実際には、病状の進行により準備は他の者が行ったのですが、冒頭挨拶の責任だけは果たすつ もりだったのでした。村上さんが亡くなられたのは、翌7月13日の夜、国際シンポジウム開始の前日でした。 私は、今までのいろいろな面での恩返しの気持ちを込めて、センター長として来年3月に村上さんの退職記念パーティを開くことを楽しみにしていたのですが、 それができなくなってしまったことが何よりも残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます。



村上隆氏著書・論文一覧

【著書】
  1. 『ソ連の農業問題と農畜産物貿易』教育社,1979(小川和男と共著)

  2. 『めざめるソ連極東』日本経済評論社,1991(小川和男と共著)

  3. 『ソ連崩壊:どうなるエネルギー戦略』PHP,1992(最首公司と共著)

  4. 『戦前期日露貿易の統計的分析』一橋大学経済研究所,1998

  5. 『旧ソ連アジア部におけるエネルギー生産の統計的分析 1860-1961年』法政大学比較経済研究所,2000

  6. 『サハリン大陸棚石油・ガス開発と環境保全』北海道大学図書刊行会,2003(編著)

  7. 『北樺太石油コンセッション 1925-1944』北海道大学図書刊行会,2004

【論文】
  1. ソ連の石炭増産動向と炭田事情『ソ連の第10次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1976,111-136

  2. ソ連自動車工業の発展と増産計画『ソ連の第10次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1976,177-207

  3. ソ連のエネルギー政策の展望『季刊世界政経』1979,10月号,24-33

  4. ソ連のエネルギー需給と見通し『公明』1979,11月号,46-55

  5. ソ連の鉄鋼業配置と鉄鋼生産『シベリア開発の諸問題』1980,43-65

  6. シベリア・極東の人口動態と労働力移動『シベリア開発の諸問題』1980,130-147

  7. 電力の生産動向と原子力重視『ソ連の第11次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1981,41-57

  8. ソ連の天然ガス増産と西部シベリア『ソ連の第11次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1981,72-89

  9. ソ連の石炭不振と増産計画『ソ連の第11次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1981,90-104

  10. ソ連鉄鋼業の不振と鉄鋼増産計画『ソ連の第11次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1981,105-119

  11. ソ連の新5カ年計画と対ソ機械輸出『日機連月報』(日本機械工業連合会),1981,5月号,2-11

  12. ソ連の鋼材輸入の現状と展望『鉄鋼界』(日本鉄鋼連盟),1981,6月号,9-17

  13. 機械・鉄鋼部門にみる対ソ輸出への期待『海外市場』(日本貿易振興会),1981,7月号,20-28

  14. 昏迷のソ連経済と日ソ貿易『通産ジャーナル』(通商産業調査会),1981,8月号,86-92

  15. 転機を迎えるソ連向け機械輸出『日機連月報』(日本機械工業連合会),1982,9月号,1-9

  16. 東欧諸国のエネルギー需要逼迫と西側からの機械輸入力の低下『日機連月報』(日本機械工業連合会),1983,2月号,11-20

  17. 日ソ貿易の現状と対ソ機械輸出市場性『日機連月報』(日本機械工業連合会),1983,11月号,1-8

  18. いま、東欧で何が起こっているか『日機連月報』(日本機械工業連合会),1984,8月号,19-27;9月号,14-22;10月号,32 -41

  19. 歴史的西欧化の継承と技術導入 金森久雄・小川和男編著『ゴルバチョフ改革』時事通信社,1986,87-110

  20. 石油生産の困難と1980年代後半の増産計画『ソ連の第12次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1986,59-74

  21. 1980年代前半のソ連の出炭動向と1990年までの計画『ソ連の第12次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1986,92-100

  22. ソ連鉄鋼業の諸困難と増産対策『ソ連の第12次5カ年計画』ソ連東欧貿易会,1986,101-114

  23. ソ連の新5ヵ年計画と日ソ経済関係の進展『日機連月報』(日本機械工業連合会),1986,6月号,6-13

  24. 燃料・エネルギー部門の協力『コメコン経済統合の再評価』ソ連東欧貿易会,1987,48-64

  25. コメコン域内の技術移転『コメコン経済統合の再評価』ソ連東欧貿易会,1987,80-96

  26. 米ソ貿易・経済関係の修復とその行方『レイキャビク後の米ソ経済関係』ソ連東欧貿易会,1987,5-18

  27. ソ連の対外貿易『ソ連経済の中長期分析』総合研究開発機構,1987,161-173

  28. ソ連極東の経済力とその発展方向『ソ連東欧貿易調査月報』,1987,6月号,1-23

  29. ゴルバチョフ政権の改革と進む対外経済開放政策『日機連月報』(日本機械工業連合会),1987,6月号,1-8

  30. ソ連の乗用車生産事情『ソ連東欧貿易調査月報』,1987,10月号,26-51

  31. 悪化する日ソ貿易の環境『日機連月報』(日本機械工業連合会),1987,10月号,6-16

  32. 日ソ貿易の歩んだ道 望月喜市,V.P.チチカノフ,R.A.ミナキル編著『太平洋新時代の日ソ経済』北海道新聞社,1988,122- 146

  33. ソ連の自動車産業の技術力『ソ連経済の現状と展望』日本経済調査会,1988,156-175

  34. 米ソ・エネルギー開発協力の可能性『米ソ・エネルギー開発協力の可能性』ソ連東欧貿易会,1988,7-16

  35. 超資源国ソ連のエネルギー政策とその開発状況『ソ連・東欧のエネルギー政策と東西経済関係』ソ連東欧貿易会,1988,13-39

  36. ゴルバチョフ・ソ連のエネルギー問題『ソ連の極東開発とエネルギー問題』エネルギー問題調査会,1988,267-322

  37. ソ連『ソ連・東欧諸国の自動車産業』ソ連東欧貿易会,1988,1-60

  38. ソ連の対外貿易政策『NIRA政策研究』(総合研究開発機構),1988,1巻3号,28-31

  39. ゴルバチョフ政権下の好調なエネルギー生産『ソ連東欧貿易調査月報』,1988,3月号,1-27

  40. ゴルバチョフ政権のエネルギー政策と西側協力『化学経済』(化学経済研究所),1988,6月号,8-15

  41. ゴルバチョフ政権下のソ連経済『鉄鋼界』(日本鉄鋼連盟),1988,7月号,2-7

  42. ソ連極東地域の石炭資源とその開発状況『ソ連東欧貿易調査月報』,1988,10月号,1-22

  43. ハンガリーの外貨事情と観光収入『コメコンの外貨事情と観光収入』ソ連東欧貿易会,1989,44-59

  44. ペレストロイカ下における日ソ経済関係『日機連月報』(日本機械工業連合会),1989,3月号,8-17

  45. ソ連極東経済の実情と長期極東総合計画の問題点『ソ連東欧貿易調査月報』,1989,3月号,39-52

  46. ソ連経済の現状分析 河野光雄,香西泰編『欧州新秩序と日本の選択』PHP,1990,154-167

  47. 対外経済政策の転換『ソ連における対外経済関係の展望』総合研究開発機構,1990,11-19

  48. 合弁企業の進捗状況と経済特区構想『ソ連における対外経済関係の展望』総合研究開発機構,1990,20-28

  49. 中ソ経済関係『ソ連における対外経済関係の展望』総合研究開発機構,1990,46-54

  50. エネルギー『ソ連における対外経済関係の展望』総合研究開発機構,1990,105-115

  51. ソ連と中東諸国との経済関係『米ソの中東政策と日本の課題』総合研究開発機構,1990,51-61

  52. ソ連の石油需給と中東石油『米ソの中東政策と日本の課題』総合研究開発機構,1990,68-76

  53. 緩和に動くココム規制『ブッシュ政権と東西相互依存』ソ連東欧貿易会,1990,44-49

  54. 激変するソ連・東欧と東西経済関係『ソ連東欧貿易調査月報』,1990,1月号,1-17

  55. 東欧・企業進出の意義と意図『経済往来』(経済往来社),1990,3月号,100-107

  56. ソ連・東欧情勢『貿易と産業』(通商政策研究会)1990,3月号,12-17

  57. 日ソ貿易の現状と展望『ESP』(経済企画庁),1990,4月号,40-44

  58. ソ連の石油情勢と今後の問題点『現代中東研究』(中東経済研究所),1990,8月号,2-13

  59. ゴルバチョフ大統領来日と日ソ経済関係『ソ連東欧貿易調査月報』,1990,12月号,1-10

  60. 凍土に眠る天然資源:ソ連極東地域小川和男・小牧輝夫編著『環日本海経済圏』日本経済新聞社,1991,26-61

  61. ソ連とコメコン・ヨーロッパ諸国との貿易『東欧・ソ連における経済改革の現状と今後の展望』国際金融情報センター,1991,57-68

  62. ソ連経済の混乱と減産に直面する石油生産『国際石油市場におけるソ連のプレゼンス』ソ連東欧経済研究所,1991,1-18

  63. ソ連の石油輸出入動向『国際石油市場におけるソ連のプレゼンス』ソ連東欧経済研究所,1991,29-36

  64. ソ連のエネルギー生産不振と石油輸出入『ソ連東欧貿易調査月報』,1991,3月号,50-70

  65. 開かれるソ連極東地域:環日本海経済圏への期待『ESP』(経済企画庁),1991,10月号,44-47

  66. ソ連における石油供給力の低下とその影響『エネルギー・資源』(エネルギー・資源学会),1991,11月号,1-6

  67. 最新のソ連事情『北陸経済研究』(北陸経済研究所),1991,12月号,1-13

  68. 旧ソ連のエネルギー開発困難と克服課題『ロシア研究』,1992,15号,24-39

  69. 日本と旧ソ連との経済関係の展望『ソ連東欧学会年報』,1992,20号,8-16

  70. 旧ソ連・東欧諸国の市場経済化 渡辺福太郎,松永嘉夫編『新国際経済教室』有斐閣,1992,92-112

  71. 日本と旧ソ連との経済関係『ソ連の崩壊とCIS(独立国家共同体)の行方』国際金融情報センター,1992,58-67

  72. 旧ソ連のエネルギー事情『ロシア東欧貿易調査月報』ロシア東欧貿易会,1992,4月号,22-53

  73. (With T. Akaha) Soviet/Russian-Japanese Economic Relations, in T. Hasegawa, J. Haslam and A.C. Kuchins eds., Russia and Japan: An Unresolved Dilemma between Distant Neighbors, 1993, 161-186

  74. ロシア・中央アジアのエネルギー資源事情と生産見通し『ペトロテック』(石油学会)1993,16巻11号,20-24

  75. ロシア:極東地域の経済開発構想『環日本海地域間経済交流の発展と北部九州の役割』国際東アジア研究センター,1993,7-13

  76. 中ロ国境貿易の現状と問題点『環日本海地域間経済交流の発展と北部九州の役割』国際東アジア研究センター,1993,49-60

  77. ロシアのエネルギー事情『旧ソ連における市場経済化の新局面』国際金融情報センター,1993,54-63

  78. 旧ソ連の電力事情と原子力発電『ロシア・東欧の電力事情と原子力発電』ロシア東欧経済研究所,1993,1-18

  79. 旧ソ連・東欧経済の現状と課題『鉄鋼界』1993,9月号,2-8

  80. 旧ソ連,ロシア,カザフスタン『ペトロテック』(石油学会)1994,17巻9号,44-47

  81. ロシア極東における産業インフラの現状と課題『スラブ研究センター研究報告シリーズ』1994,52号,134-138

  82. ロシア極東経済とアジア太平洋『ロシアにおける市場化と民主化の新動向』国際金融情報センター,1994,89-98

  83. 極東地域開発の可能性を探る『ロシア極東への視座』北海道開発問題研究調査会,1994,45-59

  84. 対外経済関係 望月喜市,田畑伸一郎,山村理人編『スラブの経済』弘文堂,1995,373-397

  85. 自然・人的環境 木村汎編『もっと知りたいロシア』弘文堂,1995,19-45

  86. ロシア極東地域の経済開発構想 小川雄平,木幡信二編『環日本海経済・最前線』日本評論社,1995,21-28

  87. 中ロ国境貿易の現状と問題点 小川雄平,木幡信二編『環日本海経済・最前線』日本評論社,1995,97-109

  88. ロシア石油産業の生産組織の再編成過程『混迷続くロシア』国際金融情報センター,1995,68-77

  89. ロシアにおける資源エネルギー生産の動向『旧ソ連諸国の国際商品市場におけるプレゼンス』ロシア東欧経済研究所,1996,55-97

  90. カスピ海の石油・キャビア戦争『中央アジアの世界』北海道開発問題研究調査会,1996,50-65

  91. ロシア極東地域の私有化状況『転機を迎えたロシア』国際金融情報センター,1996,72-79

  92. The Present Situation and Future Problems of Energy Production in the Russian Far East, in T. Akaha ed., Politics and Economics in the Russian Far East, 1997, 110-119

  93. ハバロフスク地方および沿海地方における機械工業企業の動態分析『スラヴ研究』,1997,44巻,147-179

  94. ロシアの石油・ガス産業の私有化過程『比較経済体制学会会報』,1997,34巻,49-57

  95. ロシア、中央アジア、アゼルバイジャンの石油・天然ガス開発事情『ペトロテック』(石油学会),1997,20巻7号,535-540

  96. ロシアのエネルギー部門にみる市場圏の形成『スラブ・ユーラシアの変動領域研究報告輯』1997,49号,45-68

  97. 極東経済の市場化の発展『ロシア・CIS諸国の市場化と民主化の到達点』国際金融情報センター,1997,82-89

  98. サハリン大陸棚の石油・天然ガス開発の現況『スラブ研究センター研究報告シリーズ』1998,62号,1-20

  99. ロシアの中央と地方との関係:沿海地方およびサハリン州のエネルギー部門のケース『ロシア・CIS諸国における市場経済化の進展と実態経済』 国際金融情報センター,1998,56-66

  100. ロシアの石油・天然ガス産業への外国投資『スラブ研究センター研究報告シリーズ』1999,69号,67-90

  101. エネルギー問題とロシア経済『脆弱さが懸念されるロシア経済』国際金融情報センター,1999,67-76

  102. ロシア石油・天然ガス輸出市場の形成 西村可明編著『旧ソ連・東欧における国際経済関係の新展開』日本評論社,2000,259-292

  103. シベリア・極東の発展可能性『アジア周辺諸国経済の現状と今後の課題』財政金融研究所,2000,155-168

  104. サハリン石油・ガスプロジェクトの現状と展望『ペトロテック』(石油学会),2000,23巻10号,831-836

  105. サハリン大陸棚石油・ガス開発にともなう環境問題『ロシア研究』,2001,33号,5-18

  106. 東シベリア・極東地域の国際エネルギー・プロジェクト『ロシア極東地域情勢研究』日本国際問題研究所,2001,94-111

  107. 石油流出に関する危機管理体制の国際比較『スラブ研究センター研究報告シリーズ』2001,77号,1-26

  108. ロシア極東地域のエネルギー開発計画とその問題点『ロシア極東地域情勢の研究』日本国際問題研究所,2002,80-95 

  109. サハリン・プロジェクトの流出油による海洋汚染対策『スラブ研究センター研究報告シリーズ』2003,90号,1-15


[page top]
→続きを読む
スラブ研究センターニュース 季刊 2004年秋号 No.99 index