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お知らせ

 望月恒子先生のご逝去

     4月22日にロシア文学者で本学名誉教授の望月恒子先生が亡くなられました(センターに勤められた夫の望月哲男先生と区別するために,生前も恒子先生,恒子さんと呼ぶことが多かったので,以下でも恒子先生と書かせていただきます)。恒子先生は,1995年に本学文学部・大学院文学研究科の教員となられ,本学のロシア語やロシア文学の教育・研究に多大な貢献をされました。
     ご専門のロシア文学では,十月革命後の数年間にロシアを離れた亡命者たちによる第一次亡命ロシア文学の研究者として知られていました。中でもブーニンの研究と紹介に力を注がれ,その成果の一端は群像社から刊行された5巻の『ブーニン作品集』に結実しています。2009~2012年度にかけて主宰された研究プロジェクト「辺境と異境―非中心におけるロシア文化の比較研究」の名前によく表れているように,恒子先生のご研究は小さな声によく気が付き,耳を傾けるものでした。ブーニンやチェーホフ,亡命文学の「見落とされた世代」に属し,日本でほとんど紹介がなかったガズダーノフの研究はそのような面からも理解できるでしょう。また,中国のハルビンや上海に集まって文学活動を行った「在外ロシアの東方の枝」を取り上げ,プラハ,ベルリン,パリなどヨーロッパ地域が中心であった亡命ロシア文学研究の視野を,アジア地域の研究によって広げました。ウリツカヤを中心に現代ロシアの女性作家を考察した論考もあり,これらすべてが,先生のお人柄とあいまって,続く世代の研究者たちに深い影響を与え,その活動に受け継がれています。ご所属の日本ロシア文学会では,2013~2015年度に北海道支部長を務められたほか,2016年度には本学で開催された全国大会を大会実行委員長として成功に導くなど,北海道と全国をつなぐ役割を果たしてくださいました。
     2008~2009年度には文学研究科長を務められましたが,本学で初めての女性部局長として話題になりました。センター教員は文学研究科(現在は文学院)のなかで大学院教育に携わっているので,研究科長としての恒子先生のお世話になることになりました。2014~2016年度にはセンターの協議員を務めていただき,研究活動だけでなく,センターの運営にも直接的に関わっていただきました。
     同じ2014~2016年度に恒子先生は本学の副学長に任命され,人材育成,女性研究者支援,図書館など本学の様々な活動に貢献されました。なかでもロシアの極東5大学との教育交流プログラムであるRJE3プログラムについては,本学の代表として率いることになりました。モスクワで開かれた日露学長会議において流暢なロシア語で報告を行い,ロシアの大学関係者からも一目置かれたことを思い出します。
     この追悼文の筆者の1人である田畑は,1988~1989年にモスクワに滞在した際,同じアパートに住んでいた望月家と家族ぐるみの交流をしたことが忘れられません。ロシア人の先生について一緒にロシア語を勉強したり,夕食後にトランプに興じたりして,厳冬のモスクワを暖かい思いで過ごすことができました。研究科長や副学長を務めるようになっても,それまでと全く変わらない穏やかな話しぶりや心づかいでまわりの方と接しておられたことも思い出します。68歳という早すぎるご逝去でしたが,今は安らかに眠られることを祈るばかりです。

    2022年5月9日
    田畑伸一郎・安達大輔


    RJE3 国際運営委員会(2016年8月)より

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