SLAVIC STUDIES / スラヴ研究

スラヴ研究 44号

ベルジャーエフにおける宗教哲学の導因と問題

大須賀 史和

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注    釈

 リードはВл.ソロヴィヨフを宗教哲学的に受容したか、詩的霊感の源泉として受容したかによってインテリゲンツィアが二つに分けら れるとしているが、ベルジャーエフやブルガーコフをその中間に位置した例外的存在と位置付けており、ベルジャーエフを規準に当時の歴史的潮流を考えること は不適切であるとしている。単純な分類であるが、大雑把な捉え方として目安になることも確かであり、逆に言えば、この時代のロシアの文化的潮流が極めて多 様だったことを裏付けているとも言える。
Read, c., Religion, revolution and the Russian intetelligentsia 1900-1912. The Vekhi debate and its intellectual background. p. 14
 日本では、根村亮氏の論文「ベルジャーエフとストルーヴェ(1901‐1909)」『スラブ研究』38号、1991年、 129‐153頁、「『道標』について」『スラブ研究』39号、1992年、181‐207頁などがこうした見解を提出している。
 拙稿「ベルジャーエフ哲学の形成期における問題」『ロシア史研究』59号、1996年、54‐70頁を参照。
 Бердяев,Н.А., “Критика исторического материализма”.Mup  божuu.окт.1903стр.1-30(以下「史的唯物論批判」と略記し、引用のページはКим.で示す。以下、他の論文についても同様 に記す。)
 Бердяев,Н.А., “Политического смысл религиозного  брожения в России”.Осβσοжδенuе.1903 No.37стр.218−220,No.38стр. 242−245(本稿では、Sub specie aeternitatis. стр133‐151を使用。以下の引用の頁付けもこちらに従う。 「宗教的発酵」、ПсР.)
 Бердяев,Н.А., “Борьба за идеализм”.Mup божuu.июнь 1901  стр.1-26(「イデア論文」、ПсР.)
 Бердяев,Н.А., “Этическая проблема в свете философии  идеализма”.Проблемыидеализма.М.,1902
(本稿ではSub specie aeternitatis. 1907стр.55-99を使用。「倫理論文」、Эпи.)
 Бердяев,Н.А., “А.С.Хомяков как философ. К столетию дня рождения”Mup божuu.1904стр.17-22
(本稿ではСобрαнuе сочненuu.mом. 3 Тunы релusuозноu мыслu  ε Россuu.стр.60-67を使用。「ホミャーコフ論文」、Хкф.)
 Бердяев,Н.А.,“О  новом идеализме.”Вопросы философии и  психологии.1904 No.75 стр.683-724(「新イデア論文」、Нри.)
10  Бердяев,Н.А., “Кризис рационализма в совремнной философии (В. Видельбанд.Прелюдии.)”.Вопросы жизни.1905 No.6 стр.168-184 (Sub specie aeternitatis. стр.290-304「合理主義の危機」、Крсф.),
11  Бердяев,Н.А.,“О  новом религиозном сознании.(Д.Мережковский)”.Воnросыжцзнц. 1905 No.9 стр.147-188
(本稿では、Н.А.Бердяев о русских классиках.М.1993 стр.224-253を使用。「新宗教意識」、Нрс)
12  Бердяев,Н.А.,“О  реализме”. Sub specie aeternitatis.1907 стр. 2-4(ор.)
13  Бердяев,Н.А., “Декаденство и мистический реализм”.Русскαя  мысль. 1907 No.6(本稿ではДуховныйй кризис интеллигенции.Статьи по  общественной и религиозной психология.1907-1909г.СПб.1910стр.15-27を使用。 「デカダンス論文」、Дмр.)
14  R.レスラーは、1901年の「イデア論文」から1904年の「新イデア論文」頃までをマルクス主義時代に続く第二の時期として、 さらに1905年以降を宗教哲学への転回の時期として区分している。これは彼の思想的なスローガンから全体的な流れを捉えた時代区分であり、ベルジャーエ フの思想展開の大枠を知る上では有効である。だが、ベルジャーエフの基本的な哲学的関心はこの期間を通じて大きな変化を見せているわけではなく、また取り 扱うテーマは論文によって様々であるため、こうした区分を行うこと自体を便宜的なものと考えるべきである。
また、1900年から1902年までのベルジャーエフの論文、著作に関するレスラーの分析は既存の研究の中でも群を抜く明瞭さを発揮しているが、「史的唯 物論批判」に関する十分な言及がないなど、1903年以降は精彩を欠いている。
Roa"ssler, R., Das Weltbild Nikolai Berdlalews. Existenz und objektivation. Goa"ttingen 1956
(『ベルジャーエフの世界像 − 実存と客体化 −』松口春美訳、大盛堂書房1981年)
15 Kant, I., Kritik der reinen Vernunft. 1781‐A;1787‐B(カント『純粋理性 批判』、訳文は理想社版全集を参照。ページはアカデミー版に従う。)
16 Kant, I., Kritik der praktischen Vernunft. 1788 p. 54
(カント『実践理性批判』、訳文は理想社版全集。略号はKpV.、ページはカント原版に付されたものを記す。)
17  Бердяев,Н.А., Субъективизм и нидивидуализм в общественной философии.Критический Этюд о Н.К. Михайловском.СПб.1901(『主観主義と個別主義』、Сиоф.)
18  『実践理性批判』第一節、第一章、七節「純粋実践理性の根本法則」の二番目の系において。KpV, pp. 36-38
19  ロシア語の“я”はここでは「私」と訳すが、他のヨーロッパ語の「私」にあたる語が「自我」とも訳されるように、意味的には“я” も「自我」を表している。
20 カントの用語では人格Personがこ れに該当する。本稿ではロシア語のличностьは 「個」と訳すが、意味的には、「人格」 も表す。後年のベルジャーエフの哲学は人格主義Personalismの哲学の一つとして評価されていくが、それはこうした対応語の問題からでてきたもの である。ちなみにロシア哲学史の一般的な用語でペルソナリズムПерсонализмと 言った場合、コズローフА.Козловなどに 代表される新ライプ ニッツ派の哲学を指すのが通例となっている。後述するように、ベルジャーエフにもコズローフの影響が明らかに認められるとはいえ、この用語の使用には多少 注意が必要である。
21  カントは人間性が我々にとって神聖であること、人間が道徳法則の主体であるとする要請を承認している。KpV. p. 237
22 「倫理論文」における宗教的関心は、カントやニーチェからの影響によって形成されているという点を重視すべきであるように思われる。 ニーチェの影響は逆説 的であるが、これを「歴史的キリスト教」に対する反対と捉えるのがベルジャーエフの立場である。その意味で、レインの言うようにベルジャーエフはニーチェ に宗教的渇望を見出していたのである。
Lane. Ann M., Nietzsche in Russian Thought 1890-1917, The University of Wisconsin-Madison, Ph. D., 1976 p. 304
23  レアーリノスチの問題については前掲拙稿を参照。
24  ヘーゲル哲学の中心概念である「揚棄Aufheben」は「或るもの」をそれとして成立させる「特殊」を「除去し」、「或るもの」 に含まれている普遍性を「保存する」ために機能している。ヘーゲルが「或るもの」すなわち一般的に言えば「存在するもの」の個別性をこうした形で取り扱っ ていることが、「生成」の概念を巡る問題を提起したと言えるが、ベルジャーエフの言う「個別者」を中心とする発想との違いを考える上で極めて興味深い。
また、ヘーゲルにおいては、例えば「向自有(Fua"rsichsein)」の概念に個別(あるいは特殊としての「或るもの」)を普遍的、無限的なものへ 解消する論理的機構が蔵されている。そこでの緻密な論理学的な操作は、ドイツの厳密な哲学への志向の現れと言えるが、そうした手続きに依拠するか否かとい う点で、徐々にヘーゲルとベルジャーエフの哲学の持つ相違も現れていくことになる。
Hegel, G. W. F., Enzyklopp"die der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse. Erster Teil Die Wissenschaft der Logik Mit den mua"ndlich en Zusaa"tzen. 1830
(ヘーゲル『小論理学(エンツュクロペディー第一部)』95節、岩波文庫1978年、慣例に従い節番号のみを記す。)
25  例えば、有福はカントの超越論的主体を「認識能力の働きとしての受容性と自発性からなるものとして捉えている。有福孝岳『カントの 超越論的主体性の哲学』理想社 1990年、27頁。
26  岡本賢吾「ヘーゲル論理学の方法 -「存在するもの」の思考から「生成」の思考へ」『ヘーゲル読本』加藤尚武編、法政大学出版会、 1987年、198‐209頁。
岡本の指摘はヘーゲル論理学のあり方を知る上で極めて興味深い問題を提起している。すなわち、伝統的な形而上学的思考の根底にある「存在するもの」の「始 原的単純性・自立的存続性・直接的現前性」としての「無媒介性」の持つ困難がヘーゲルを「存在するもの」の思考から「生成」の思考へ誘っているとする。こ うした無媒介的なものは、ヘーゲル論理学においては「或るもの」として語られているが、「或るもの」の抽象性や未規定性はそれ自体が「或るもの」を規定す る条件である。しかし、そのことによって「一個の「或るもの」と他のそれとが「同じもの」であるとは、文字通りそれらが唯一同一の存在の帰着することを意 味する」ことになり、同時に「他方において、「或るもの」は依然としてその各々が互いから区別された存立を保持する」ことを要求するのである(204 頁)。こうした逆説から「存在するもの」が「対他存在」であることが示され、ヘーゲルの「カテゴリー変様」の企てへと接続されたとしている。まさにヘーゲ ルの論理的一貫性が「存在するもの」の持つ不合理を暴いたわけだが、それを論理的に展開する中でヘーゲルは「存在するもの」を「生成」へと組み替えること によって、汎論理主義による存在の合理化を遂行してしまったとも言えよう。
27  『自己認識』では、彼の最終的に到着した立場は既存の存在論とは異なる存在論的立場だとしているが、その萌芽をここに認めることが 可能である。СОфа.332-333
28  ベルジャーエフはコズローフの次の著書を典拠としている。
Козлов.А.А.,Сβοе1888-1898
29  ロスキーによれば、コズローフは意識内において意識に与えられたものが、同じように意識にある他のものとの比較を通じて知識が構成 されると捉えている。
Лосский,Н.O.,История  руссской философии.М.,1994 изд.Прогресс.стр.172 (впервые на аиглийском 1950И.Y.)
30 これと同じ時期に、ロスキーが直観主義という形でこうした問題にアプローチしている。ベルジャーエフの思想との関連については機会を 改めて検討する。
Лоссий,Н.О., “Обоснование мистического Эмпиризма.”Воnросы фцлософц  цnсофu.1904 кн.2-5,1905кн.2-4(Обоснование интуитивизма.СПб.,1906, 1908:Berlin 1923)
31 これは一般的に言えば「存在」の無規定性(ヘーゲル『小論理学』86節等)ということになる。後にベーメの「無底Ungrund」概 念をベルジャーエフが高く評価する伏線がここにあると言えよう。
32  正確に言えば、カントの場合、対象認識は感性と悟性が必ず共働しているという原則を主張し、いずれが欠けても本来の認識とはならな いということを述べている(B75)。従って、表象を持つこととその対象の現実性Wirklichkeitを直接的に意識することは直結しているが、だか らといってその表象に対応する外的な実在があることにはならないとしている(A371‐372)。ベルジャーエフのレアーリノスチも外的実在を問題にしな いという点では同じ見方の延長上にあり、レアーリノスチを持つものがそれ自体として客観的に存在していることを認めるのではなく、私にとって顕現している という構造を認識論的に承認しているのである。
ヘーゲルも基本的にはカントと類似の見方を示しているが、直接知とは感性的意識でしかなく、感性的なものの内になんらの真理もないとしている(『小論理 学』76節)。また、「感覚的意識は普通最も具体的な、従ってまた最も豊かな意識と考えられているが、それは素材から言ってのみそうであるにすぎず、思想 内容から言えば、最も貧しく抽象的な意識である(同85節補遺)」としている。ヘーゲルの場合、感覚的意識の能力に対する不信が根底にあると言えるが、そ れは理念を神の自己意識とするような哲学の構成全体とも関連している。ベルジャーエフとヘーゲルを比較した場合、理念に至る道をどのようなものと考えるか によって、合理主義と反合理主義という区別が生じていると言えよう。
33 Hoa"ffe, o., Immanuel kant. 1983
(ヘッフェ『イマヌエル・カント』薮木栄夫訳、法政大学出版局 1991、84〜85頁。)
34  ヘーゲル『小論理学』、76節。
ただし、その材料という点では最も豊かだという含みのある表現が85節補遺に見られる。
35 ホミャコーフのヘーゲル批判は、「ホ ミャコーフ論文」で引用されている箇所を見る限り、「汎論理主義」や抽象的な「概念」が「存 在」を消去しているという点をついたものでしかなく、批判の材料としてはそれほど傑出しているようには見えない。そのため、ロスキーはホミャコーフのヘー ゲル批判に関して、「ホミャコーフは他の多くのヨーロッパの哲学者やロシアの哲学者と同様に、ヘーゲルの体系を抽象的汎論理主義として不正確に解釈した。 ヘーゲルの哲学は具体的な観念―実在論Идеал− реализмである」とやや否定的に扱っている。
しかしその一方で、「ヘーゲルの用語法は彼が具体的な原理を十分に自覚していないことを証拠立てており、その結果、力として、また個別的で超時間的な個的 存在としての存在の側面が過小評価されている」としている。従って、ロスキーの場合も、存在の問題に対するヘーゲルのアプローチが十分なものとは考えてい ないことが分かる。上で言及したロスキーの「直観主義」がベルジャーエフと似通った問題関心の上で成立していたとすれば、「ロシア哲学」が「存在」の問題 に強い関心を持っていたというベルジャーエフの主張が決して独りよがりなものではなかったということの一つの証左となろう。
Лосский,1994 стр.421,37
36  ベルジャーエフの「メシアニズム」という問題を考える際には、こうした文脈を見ておかないと大きな誤解を生む原因となる。ロシア思 想史における「メシアニズム」の系譜についての通史的な概論をまとめた高野氏の記述においても、そうした問題が影響していると思われる箇所がある。高野氏 はベルジャーエフが国益第一主義のナショナリズムに対して厳しい批判を展開したことを指摘した上で、ロシアに特別な使命が与えられているという考え方その ものの絶対性が揺るがないことに対して、トルベツコーイ公の批判を援用しつつ疑問を呈している。しかし、ベルジャーエフの言う「ロシアの使命」とはまさに 「ロシアの」使命であるがゆえに「ロシアのみ」が遂行しうる課題として捉えられるものである。それを他の民族が行いえないのは、ここで見たような個別性と して「民族的なもの」が把握されているからである。また、ロシアにのみロシアの使命が与えられていると言うことも、他の民族が何の召命も受けていないこと を意味するのではなく、他の民族にはその民族の個性に対応した使命があることを含意するものである。実際、ベルジャーエフはゲルマン、ラテンの両民族が世 界史的に独自の役割を果たしてきたことを『創造の意味』などにおいて論じており、「一国メシアニズム」的な議論を展開しているわけではないのである。
高野雅之『ロシア思想史 メシアニズムの系譜』早稲田大学出版部 1989年、379‐389頁。
Бердяев,Н.А.,Смысл  творчества.М.,1914Глава XIV.
37  これは、ローザノフやメレシコーフスキーのテーマであるが、すでに「宗教的発酵」において宗教哲学集会でこの問題が取り上げられて いたことに言及がある(ПсР.149)。ベル ジャーエフの議論はそれに哲学的なアプローチを試みたものである。
38  クレマンはソロヴィヨフやブルガーコフらの神人論的系統のキリスト教思想を「カルケドン派」と呼んでいる。これは451年のカルケ ドン公会議で単性論が退けられ、キリストの二性論が公認されたことを受けたものである。その意味では、ソロヴィヨフ以来のロシア・キリスト教思想はキリス ト教信仰の本道を行く正当なキリスト教神秘学の一つの試みとして位置付けられる。だが、キリスト論を取り巻く様々な問題においては大きな意見の対立を引き 起こしているものもあり、個々の思想家の具体的な検討によってロシア宗教哲学の多様性をより明確に規定する作業が必要になると思われる。
Clea'ment, O., Berdiaev. Un philosophe russe en France. 1991p.25


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