SLAVIC STUDIES / スラヴ研究

スラヴ研究 45号

戦闘的シュルレアリストの賭け

ヤン・シュヴァンクマイエルの 『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をめぐって


赤 塚 若 樹

Copyright (c) 1998 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.

1. アジプロ作品?
2. 確信犯的企図
3.なにが起こったのか

4.「戦闘的」シュルレアリスト
5.政治と魔術

要約

1. アジプロ作品?

チェコのシュルレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエルが1990年に監督した映画のタイトルは『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』。なん の予備知識ももたずに、このようなタイトルをみれば、きっと1989年にチェコスロヴァキア (1) で起こったビロード革命にまつわるドキュメンタリー映画かなにかを思い浮かべてしまうにちがいない。それくらいこれは歴史的現実に直接的な結びつきをもっ ており、もしかしたら、きわめて政治的な目的のためにつくられた映画なのではないかというふうにさえみることができるのではないか。そのうえ、もしその 「内容」を手短に説明しなければならないなら、おそらく、第二次世界大戦以後にソヴィエト連邦からチェコスロヴァキアに輸入された「スターリン主義」と呼 ばれる政治体制の歴史的変遷をたどっている、というふうにいわざるをえず、こういった表面的な情報はどれも政治的性格を強調するようにはたらいている。芸 術と政治の関係にまつわる問題がきわめて微妙であることは、多少なりともそれを意識したことがある者にとってはあきらかであり、芸術作品に政治的色彩が強 くあらわれていると、それが芸術的な価値にすくなからず影響をあたえてしまうこともたしかなようだ。もちろん芸術作品が政治に題材をもとめることがいけな いわけではないけれど、場合によっては、そのために作品が危険な状況にさらされてしまうことすらあるかもしれない。このような観点からみたとき、シュヴァ ンクマイエルの『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』はどうなのだろうか? 
この映画については、なによりもまず、つぎのような事実を認識しておかなければならない。すなわち、この映画には、政治的な内容を連想させるタイ トルばかりか、「アジプロ芸術作品」という、政治的傾向といえば、もはやそのものずばりとしかいえないようなサブタイトルがつけられているという事実であ る。シュヴァンクマイエルは、芸術作品にとっては致命的ともいえるようなしるしをわざわざ自分の作品につけようとしているのか? あるいは、この映画はは じめから芸術作品であることを放棄しているということなのだろうか? こういった疑問が生じてきてもまったく不自然ではない、このおどろくべき事実をふま えたうえでシュヴァンクマイエルの作品全体を見渡してみれば、この映画がきわめて例外的なものであることがわかる。このことについて、たとえば映画批評家 ジョナサン・ロムニィは「1990年の長い風刺画『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』はべつにして、シュヴァンクマイエルの映画があからさまに政治 的なことはめったになかった」と述べている (2) 。シュヴァンクマイエルといえば、現実と空想を融合させ、日常的事物に魔術的色彩をあたえる独特な美的感覚の持ち主として知られており、モダニズム芸術が 禁止されているスターリン主義の時代にあっては、そのような芸術を志向すること自体が反体制になってしまったが、それでもあからさまに「政治的」な映画を 制作することはなかった。もしそうなら、なおのこと、そのシュヴァンクマイエルがこのような「アジプロ作品」をつくったという事実は見逃すことができない し、それに関連して、この映画が彼にとってどんな意味をもっているのか、という疑問が提出されてもすこしも不思議はない。
つまり、それは、ヤン・シュヴァンクマイエルの美的態度と政治的経験のあいだの微妙な関係にかかわる問題にほかならない。わたしはこれから『ボヘ ミアにおけるスターリン主義の終焉』に寄り添いながら、この問題を具体的に検討していき、「シュルレアリスト」シュヴァンクマイエルの芸術の根底に横た わっている、ある核心的な部分に光を当ててみたいと思う。そこに到るまでの手続きをごく大まかにしめしておくと、最初の目標は、映画のなかに描かれるエピ ソードを書き留めることによって、それに対応し、ともするとすぐに色褪せていってしまう歴史的事実-この映画監督が実際に生きた歴史的現実-を記述するこ とであり、そのさいわたしは、この作品にたいしてシュヴァンクマイエルが抱いている考えもみてみるつもりでいる。つづいて、シュヴァンクマイエルがこのよ うな政治的色彩の強い映画の制作に向かわなければならなかった理由を、彼が身を寄せるシュルレアリスムを通して考察し、そこに浮かび上がってくるこの映画 監督の芸術観をアニメーションを中心にしらべることによって、前述の問題にたいするわたしなりの解答を提出してみたい。もっとも、どのような手順を踏もう と、これから取り上げていかなければならないことがらはどれもみな-シュヴァンクマイエルにしろ、チェコ・シュルレアリスムにしろ、あるいは(ストップ= モーション)アニメーションにしろ-、これまで充分にあつかわれてきたとはいえず、いわば議論の下地がないような状態にある。そのひとつの解決策として、 わたしはここでは、さしあたって、おもにシュヴァンクマイエル自身の言葉を参照し、それを手がかりにして考えを進めていくことにする。(だから、もしかし たら、わたしのこの文章のもっとも大きな目的は、こういった対象を考察するための出発点を提示することにあるというふうにいえるかもしれない。)それで は、そろそろ『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をみていくことにしよう (3)

2. 確信犯的企図

この映画は大きなビルが爆発して崩れ落ちていくシーンとともにはじまり、そこに短く挿入される『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』というタ イトルと「アジプロ作品」というサブタイトルによって、みずからの名前の性格をあきらかにする。そのあとすぐに場面はかわり、銃弾が撃ち込まれていく壁が 映しだされ、カメラがその銃弾の跡を追っていくと、やがてスターリンの写真とソヴィエト国旗からなるコラージュがあらわれ、そこに記された1945年5月 9日という日付がアップになる。映画の本編はまさにここから、つまりチェコスロヴァキアがナチス・ドイツから解放されたときからはじまって、この国の第二 次世界大戦以後の歴史にあって節目となるような大きな出来事をたどっていく (4) 。ビルの爆破解体による暗示はともかく、銃弾にせよ、スターリンの写真にせよ、あるいは「ファシズムからの解放の日」にせよ、はじめからたいへん生々しい 政治がらみの題材がもちいられており、このあとさらに、ゲシュタポに捕らえられ、ナチスの牢獄から『絞首台からのレポート』 (5) を書き送った国民的英雄ユリウス・フチークの写真を、「人民よ、目覚めよ」という言葉とともに映しだしてから、映画は、その“生々しさ”を決定的なものに するかのように、スターリンの体内からクレメント・ゴットヴァルトが取り出されるシーンを提示している。-スターリンの白い石像があらわれ、ゆっくりと前 進していく。すぐに場面はこの石像が手術台に横たわり、手術を待っているところにかわる。半透明の薄いゴム手袋をはめた医師の手がメスを握り、スターリン の石像の顔をまっすぐ縦に切り裂くと、真っ赤な内臓があらわれる。医師が手をそのなかに突っ込んで、血にまみれた上半身の石像を取り出し、ちょうど子供が 産まれたときのように体内からつづく臍の緒のような器官を切断する。血が洗い落とされた石像の顔は、チェコスロヴァキアでスターリン主義の時代を確立する クレメント・ゴットヴァルト。この石像は医師に叩かれると、揺れながら赤ん坊の産声をあげる。-このように、この映画のなかではゴットヴァルトが文字どお りスターリンのなかから生まれ、これにつづくエピソードの内容を、いいかえればチェコスロヴァキアの戦後の歴史を決定する。
『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』が制作され、公開される1年前の1989年にいわゆる東欧革命が起こり、チェコスロヴァキアではビロー ド革命とともに、「スターリン主義」と呼ばれる政治体制は完全に終焉を迎えた。したがって、映画のタイトルがしめす出来事がこの「ビロード革命」にあたる ことはまちがいないが、チェコスロヴァキアの歴史にあって、「ファシズムからの解放」および「ゴットヴァルト誕生」からこの革命までをつなげる線を考えて みれば、おそらく「二月事件」、「雪解け」、「プラハの春」とその後の「正常化」などといった政治的な出来事がすぐに思い浮かぶはずで、実際に映画のなか ではそういった出来事にもとづくエピソードがつづいていく。それがどのように描かれているのかをみていくまえに、ヤン・シュヴァンクマイエルがこういった 時期的にきわめて近い歴史上の題材をもちいて、あからさまに政治的な映画をつくったことについて、彼自身どのような見解を抱いているのかをしらべておくの がよいかもしれない。なにしろ、これはこの映画監督の作品にあっては例外的な映画なのだから。

*     *     *

「私の映画はいくつかの意味を持っているので、それを観て刺激を受けたら、自分自身の主観的な象徴のとらえ方を通じて解釈して欲しいと思います。 精神分析においてそうであるように、いつも秘密がないといけません。秘密がないと、芸術もないのです」 (6) 。シュヴァンクマイエルは1988年に行なわれたあるインタビューのなかで、自分の映画全体についてこのように述べているが、この種の見解は芸術家が作品 の受容者にさしだすメッセージとしてはごく一般的でなもので、とくにかわったところはない。ところが、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』について はまったく事情がちがっていて、シュヴァンクマイエルはこの作品がきわめてかぎられたパースペクティヴのもとで観られることを望んでいるらしく、イギリス のBBCテレビがこの映画にあわせて作成したドキュメンタリー番組 (7) が終わろうとするとき、その気持ちを端的にあらわすつぎのような言葉をこの映画監督は語っている。
私にとってこの映画はある種のカタルシスとなっています。スターリン主義のもとで人生を40年間も送ってきたために、自分の なかに蓄積されてしまった緊張を取り除きたいと思いました。そのようにして、この映画は観られるべきですし……理解されるべきなのです。
芸術家が作品についてつくり手として意図の表明を行ない、それにどのようなメッセージをともなわせていようとも、受容する私たちのほうには、それ を無視する権利がある、というよりもむしろ、それをうけいれなければならない義務はない。しかしながら、この作品についてはそのことを確認したうえで、あ えて作者の意図を汲むようなかたちで観ていってはどうだろう? というのも、さきほど引用された言葉からもわかるように、ふつうなら受け手に自由な解釈を すすめるシュヴァンクマイエルなのに、この映画にかぎっては、つくり手の側から、これほどまでに狭いパースペクティヴを受け手のほうにさしだして、しかも そのさいに自分の“感情のあり方”を隠していないからである。この映画にかんしては、創作の動機がほかでもない自分の感情にあるということを彼は率直にし めしているということだ。このときに見落とすことができないのは、これからあきらかになるように、シュヴァンクマイエルが、作品が歴史的事実に密接にかか わっていることから不可避的に生じてくる、作品にとってのデメリット、ないしはネガティヴな要素を自覚し、うけいれているという点であり、その意味におい て『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、まさに彼の確信犯的な企図以外のなにものでもない。
では、このことについて、シュヴァンクマイエルはどのような見解を抱いているのだろうか? まず最初にイギリスの映画批評家マイケル・オプレイが この映画について述べている言葉をみながら、問題の所在を確認しておいたほうがいいかもしれない。オプレイは、シュヴァンクマイエルの作品にたいへん好意 的な批評を寄せ、イギリスで - というよりも「西側」で - この映画監督が知られようになるのに貢献してきたが、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』の映画評では、チェコスロヴァキアの第二次世界大戦後の歴 史にふれてからつぎのようないくぶん否定的な意見を述べている。「こういった歴史をよく知らないひとや、ゴットヴァルトがだれだかわからないひと - 西欧のほとんどの人びと、とも考えられるだろう - にとってみれば、この映画はときとして理解するのがむずかしくなる」 (8) 。当然のことながら、映画の「内容」の理解は、観る者の知識の量に大きく左右され、ここでいわれるように題材がきわめてローカルなものであれば、その題材 の具体性がマイナスに作用してしまうこともある。しかも、この作品はスターリン主義という歴史的現実に深くかかわっているために、全体にわたって政治的色 彩が色濃くでてしまっている。見方をかえれば、だからこそ、シュヴァンクマイエルはこれに「アジプロ作品」というサブタイトルをつけることができたともい えるわけで、そこにみてとることができる潔さにも、この試みにたいする彼の考えがはっきりとしめされているのではないか。
シュヴァンクマイエルは、1992年から1993年にかけて行なわれたあるインタビューのなかでこの映画にまつわる興味深い逸話にふれてつぎのよ うに語っている。「『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、私の作品全体のコンテクストのなかでは、例外的であると同時に、例外的でない映画となっ ています(例外的とは、質にかんしてのことです)。BBCの方が会いに来て、ボヘミアでいま起こっていることについて映画をつくるつもりがあるかどうか、 私にたずねたときは、お断わりしました。できるとは思えなかったのです。でも、(ほかの多くの計画がそうだったように)それはひとりでにはじまりました。 この映画も私のほかのすべての映画と同じ想像力の経路を通ってできあがってきましたが、それがプロパガンダ以上のものだとは一度もいってはいません。です から、これはほかのどんな映画よりも急速に古くなっていく映画だと思います」 (9) 。おどろくべきことに、シュヴァンクマイエルは映画の性格をふまえたうえで、その寿命の短さを意識しているが、まさにこの点に彼の確信犯的企図の特徴をみ ることができる。「私の新作はプロパガンダ映画です。アジプロ作品です。この作品は最新の状況に合致しているという強みと、どんな種類のプロパガンダ映画 にもある弱みをもっています」。シュヴァンクマイエルはさきほどのBBCのドキュメンタリーのなかで『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』についてこ のように語ってから、その内容を「第二次世界大戦以後のチェコの歴史を短いながらも想像力を活かして概観するもの」と規定し、その政治的性格を強調する。 「この映画は明白なものです。それは直接的な政治行動です。もっとも、そこにはある程度の象徴もふくまれていますが。けれども、それは、私が過去30年間 に制作してきたほかのどの映画のなかにみられるものよりも、ずっと直接的な象徴です」。だからこそ、シュヴァンクマイエルはこの映画についてつぎのような 見解をもつことになる。「この映画は50年か100年もたてばまったく理解できなくなるかもしれません。そこではこの時代や、この国で起きたばかりの出来 事と密接に結びついている特定の人物が利用されているからです。映画にでてくる顔の多くは、100年もたてば、なにも意味しなくなるでしょう」 (10) 。『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、ほかでもないスターリン主義という歴史的現実がもたらすアクチュアリティを前面に押し出すことを第一の目 的としている以上、このような「弱み」が生じてきてしまうことは避けられない。それゆえに、ある意味でこの映画は、逆説的に「アジプロ芸術作品」と呼ばれ なければならなかったというふうに考えることもできる。いずれにしても、スターリン主義にまつわる好ましくないアクチュアリティを強調することがこういっ た弱さを招き寄せてしまうことを知りながらも、シュヴァンクマイエルがこの作品をつくらなければならなかったという事実には充分に留意しておかなければな らない。そのスターリン主義について、この映画監督は同じドキュメンタリーのなかでつぎのような見解を表明している。「40年間スターリン主義がここにあ りました。スターリン主義は私たちの国全体に浸透していきました。スターリン主義はソヴィエト連邦からの輸入品で、まさしく最初から反対されました。けれ どもファシズムのように、そしてあらゆる全体主義的イデオロギーのように、スターリン主義は人間のもっとも深いところにある本能に訴えかけてきますし、そ れはいつも、すくなくとも国家のある部分には都合のいいものなのです」。シュヴァンクマイエルがこのように「スターリン主義」という歴史的現実を通して人 間のより本質的な部分に眼を向けていることをおさえたうえで、そろそろ映画にもどらなければならないが、さしあたっては、その内容をよりよく理解すること を目標にしていこう。

3. なにが起こったのか

スターリンの石像の顔から生まれたゴットヴァルトの上半身の石像は、手術室(あるいは分娩室?)のなかで演説をはじめるが、画面では、そのときよ ろこびの表情を浮かべる人びとの映像が重なってくる。つづいて1948年2月25日という日付が記されたコラージュ - さきほどのファシズムからの解放のときと同じようなコラージュ - があらわれて、この出来事が、ゴットヴァルトが率いる共産党が政権を奪取した二月事件であることをしめし、このあとゴットヴァルトの肖像のほかに、全会一 致の会議の模様、行進する人びと、合唱団、民族舞踊の踊り子、労働者などといった社会主義の発展を好意的に表現する写真が何枚も連続して画面にでてくる。 チェコスロヴァキアにあっては1948年2月以後ソ連型の社会主義の導入がはじまり、それにともなってスターリン主義の時代が訪れることになる。したがっ て、ここにきてようやく『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』の最大のテーマが提示されたことになる。
スターリン主義といえば、そのもっとも大きな犯罪的行為のひとつに粛清があり、この映画のなかでもそれがたいへん印象的な方法で描かれている。社 会主義の建設をよろこぶ人びとの写真のあと、突然ひとりの憂い顔の男の写真が映しだされる。それは、ゴットヴァルトにつぐ共産党書記長という地位にあった にもかかわらず、国家への反逆という罪で逮捕され、処刑されたルドルフ・スラーンスキーであり、1952年に行なわれたその裁判は、スターリン主義時代の 粛清裁判を代表するものと考えられている。この映画のなかでは、スラーンスキーの肖像写真のあと、絞首刑用の輪になったロープが大写しにされ、それにつづ いて、カメラは流れ作業方式で粘土の人形がつくられていくプロセスをとらえている。指先が外にでる黒い手袋をはめた作業員が、バケツから粘土を取って型の なかにいれ、人間の両脚をつくってからベルトコンベアのうえに載せる。この両脚に、同様のやり方でつくられ、運ばれた両腕と胴体がつなぎあわされて粘土の 人形に仕上げられる。作業員は物差しで人形の長さを計り、ベルトコンベアに載せるが、そこには同じかたちの人形がいくつも並べられており、横たわったまま 運ばれていく。ベルトコンベアからテーブルか作業台のようなところに落とされた人形は、なんとテーブルの端のほうに向かってひとりで歩きはじめる。そこに はべつの作業員が控えていて、人形の首を絞首刑用のロープにかけ、人形の背中を指ではじいて絞首刑に処する。作業員がナイフを手に取り、人形を吊している ロープを切ると、人形はその下におかれたバケツのなかに消えていく。人形はひとつ、またひとつと絞首刑にされては、バケツのなかにいれられ、バケツが粘土 で一杯になると、同じプロセスが永遠に引き続くことをしめすかのように、ふたたび流れ作業で人形をつくる作業員のもとに運ばれていく。スターリン主義の時 代にあっては画一化された人間が大量生産され、誰もが容易に粛清の対象になりえたという事実が、こういった場面によって表現されていることはいうまでもな い。
『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、そのあと「計画の遂行」という標題のあるグラフの線が右上がりに伸びていくシーンとなり、それにつ づいて笑顔を浮かべる人びとの顔の絵が何枚か連続してでてきてから、スターリンの顔写真が大写しにされる。それを打ち破るようにしてドクロがあらわれ、ス ターリンの顔をむさぼり喰ってその場所に居座ってしまう。そのあとすぐにゴットヴァルトの顔写真が大写しにされるが、同じようにドクロがその顔に取って代 わってしまう。ドクロはどうやら死を意味しているらしい。というのも、歴史的事実をたどってみると、スターリンはスラーンスキー裁判の翌年の1953年3 月に亡くなり、その直後にゴットヴァルトも亡くなっているからで、映画のなかではそれを裏打ちするかのように、1956年にスターリン批判を行なったフル シチョフの顔が画面いっぱいに映しだされる。レーニン廟の中央壇上から手を振るフルシチョフを遠景から収めた写真のあとで、ふたたびその顔がアップになっ て、「雪解け」ないしは「非スターリン化」が暗示されるが、その直後にフルシチョフの写真はくしゃくしゃに丸められてしまい、今度はブレジネフの顔があら われてくる。どうやらこれは1964年のフルシチョフの失脚を表現しているらしい。
映画は歴史的事実に忠実にプラハの春に向かっていき、実際にそのあとで「1968年プラハの春」という文字とアレクサンデル・ドプチェクの写真を 収めた額縁が映しだされるが、そのを予告するかのように、すぐに画面はブレジネフの顔写真にかわり、しかもブレジネフの鼻のしたにはスターリンのような髭 が生えてくる。やはり、そのあとには、あきらかにワルシャワ条約機構軍のチェコスロヴァキア侵攻を象徴していると考えられる場面がつづいている。粘土の人 形のシーンと同じ黒い手袋をはめた作業員らしき人物があらわれ、抽き出しからめん棒を何本も取りだして坂道のうえにおくと、めん棒は空き缶を押しつぶし、 石をけちらしながら転がり落ちていく。ドプチェクの写真が何枚もめくり取られたあと、冒頭の場面と同じように、壁に撃ち込まれていく銃弾をカメラが追って いくと、「1968年8月21日」という日付の記されたコラージュがあらわれ、ブレジネフや暗い表情のドプチェクの写真が貼り付けられている。
チェコスロヴァキアではこの事件のあとグスターフ・フサークによる正常化がはじまるが、映画のなかではすこしばかり時代が前後しており、ちょうど スターリンとゴットヴァルトのときと同じように、ブレジネフの写真を打ち破るようにしてドクロがあらわれ、その死が最初に暗示される。そのあとでカメラが とらえるのが、フサークの写真と「現実的な社会主義」という文字などからなるコラージュ。それにつづいて、フサークの写真の口のところからパンが数本でて きて食卓の皿のなかに落ちていくという場面、それにピルスナー・ビールのラベルが映しだされてから、アンドロポフ、チェルネンコ、そしてゴルバチョフとい うブレジネフ以後のソ連の指導者たちの顔が大写しにされる。このあと、マルキ・ド・サドの『ジュスチーヌ』と『ジュリエット』のオリジナルのイラストや チェコスロヴァキアの全国的な体育大会〈スパルタキアーダ〉の写真をちりばめて映像を構成したり (11) 、いろいろな種類の紙幣の図柄などが連続してでてきたあとで、カメラは鍵の束をとらえ、すぐに、その鍵の束が数人の手で揺すられる場面にかわる。そして、 政治指導者たちの写真がくしゃくしゃに丸められ、坂道を転げ落ちていくシーンのあとに、チェコスロヴァキアの国旗を振りかざす群衆を遠くから収めた映像が 提示される。どうやらそれは1989年に起こったビロード革命のひとコマのようだ。
もしそれが正しければ、第二次世界大戦以後のチェコスロヴァキアの歴史をスターリン主義というパースペクティヴから概観するこの映画は、あきらか に終わりに近付いていることになる。では、いったい「ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉」はどのようなかたちを取るのだろうか? おもしろいことに、 そこでまたあらわれるのが、指先がでる黒い手袋をはめた作業員で、今度はくず鉄置き場か自動車の解体作業場のようなところで、最初は灯油缶、つづいて水差 し、さらにタイヤやスコップなどに、青、赤、白のペンキを、手当たり次第にといった感じで塗ってチェコスロヴァキアの国旗を描いていく。そのうちにカメラ が古新聞につつまれた何かをとらえ、作業員がそれを開けると、映画のはじめにでてきたスターリンの石像の顔があらわれる。作業員が軽くブラシをかけてか ら、その顔のうえにも同じように青、赤、白のペンキを塗ってチェコスロヴァキアの国旗の模様を描く。すると、顔が三色に塗られたスターリンの石像がゆっく りと歩いている場面にかわる。映画は、ちょうどはじめの部分をくり返すように進行しており、やはりつぎは手術室のシーンとなる。薄いゴムの手袋をはめた医 師が、手術台に横たわったスターリンの石像の、チェコスロヴァキアの国旗の模様に塗られた顔をメスをつかってまっすぐ縦に切り裂くと、真っ赤な内臓があら われる。ここまでははじめの部分と同じだが、今度は医師がそのなかに手を入れて探ってみても何もみつけられず、内臓のなかでいたずらに手を動かしている、 というところで画面が暗くなり、白い文字で『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』というタイトルと「アジプロ作品」というサブタイトルがあらわれ、そ れとともに赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。このあと映画のスタッフのクレジットが提示されてから映画は完全に幕を閉じる。
ヤン・シュヴァンクマイエルが1990年に制作した『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』の内容をゆっくりたどってみると以上のようになり、 そのエピソードのひとつひとつが歴史的事実にほぼ忠実に対応しているということが確認できたし、それによって物語内容のレベルで映画をよりよく理解すると いう当面の目標にも到達することができた。すでにふれられているように、シュヴァンクマイエルはこの作品に「カタルシス」をもとめているという。しかしな がら、本当にそれだけのために彼はこういった歴史の出来事を描かなければならなかったのだろうか? そのとき芸術的価値はかえりみられていないのだろう か? 映画の内容をふまえたうえで考えていかなければならないのは、まさにこの芸術的価値にかかわる問題だが、それをあつかうには、いまのうちに、シュ ヴァンクマイエルがどのようなかたちでチェコスロヴァキアの当局側と対立してきたのか、という点をおさえておいたほうがよいかもしれない。
そこでまず、あらためて第二次世界大戦後のチェコスロヴァキアの歴史を確認するために、映画のエピソードをつかって簡単な年譜をつくるとするとつ ぎのようになる-
1945 ファシズムからの解放
1948 二月事件[スターリン主義の時代の到来]
1952 スラーンスキー裁判
1953 ゴットヴァルト(およびスターリン)死去
(1956 フルシチョフのスターリン批判[雪解け=非スターリン化])
1968 プラハの春/ワルシャワ条約機構軍の侵攻
1969 正常化
1989 ビロード革命
つづいてシュヴァンクマイエルがたどってきた経歴を、とくに政治的な側面に注目して、年譜にするとつぎのようになる (12)
1934 プラハに生まれる。
1950-1954 プラハの工芸大学で学ぶ。
1954-1958 プラハの演劇映画アカデミーで人形劇を専攻。
1957-1964 さまざまな劇場で人形劇の仕事にたずさわる。
1964 最初の映画『シュヴァルツヴァルト氏とエトガル氏の最後のトリック』。
1970 〈チェコスロヴァキアのシュルレアリスト・グループ〉に参加。映画『納骨堂』をめぐって当局側とトラブルが起こり、サウンド トラックの一部が差し替えられる。
1973-1979 映画『レオナルドの日記』をめぐる論争の結果、映画の制作を禁止される。映画スタジオで特殊効果の考案などを手がけ、さまざ まな造形芸術の分野で創作活動を行なう。
1979 古典文学の翻案にかぎって映画制作が認められ、ウォルポールの『オトラント城奇譚』を制作。
1982 映画『対話の可能性』が国際的な映画祭で賞をとるが、チェコスロヴァキアでは上映禁止となる。チェコスロヴァキア共産党中央 委員会イデオロギー委員会で敬遠すべきものの見本として上映される。
1990 ビロード革命ののちに、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』を制作。シュヴァンクマイエルにとってチェコスロヴァキア で最初に一般公開された映画となる。
このように70年代から80年代にかけてシュヴァンクマイエルは当局側から厳しい措置をとられ、映画制作という、彼にとってもっとも重要な活動が かなり制限されていた。そのような政治的抑圧から解放された1990年になって、この映画監督が『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をつくったのだ から、そこに、それまで蓄積されてきた「スターリン主義」への反発を読み取ることは充分に可能だし、すでにふれられているように、実際に、シュヴァンクマ イエル自身もそのような創作上の動機を認めている。しかしながら、そういった衝動からこの映画が制作されたという事実については、いまのところ確認さえし ておけばよい。なにしろ、創作者個人の内的な選択にかんしては、これ以上何かを推し量ったとしても、たんなる憶測にしかなりえないし、また、シュヴァンク マイエルがきわめて直接的に「カタルシス」という言葉をもちいて、この映画の制作の理由を説明している以上、その個人的体験のなんらかの反映をそこにもと めても、それが映画の理解の助けになるとは考えられないからだ。そのような作業は、結局は創作者の同語反復以外のものにはつながっていかない。ここでは、 むしろこういった情緒的動因とはべつの創作上の動機について考えてみなければならない。いいかえれば、もうすこし美的な観点からこの映画についてしらべて みる必要があるということだ。

4. 「戦闘的」シュルレアリスト

さきほどのふたつの年譜を見比べると、シュヴァンクマイエルと当局側の対立が、いわゆる正常化の時代のあと、とりわけ1970年に彼が〈チェコス ロヴァキアのシュルレアリスト・グループ〉に参加してから起こっていることがわかる。これについては、当然のことながら、この映画監督が創作活動を活発に 行なえる時期が、年齢的にみて、たまたまその70年代から80年代の時代に重なっていたにすぎないと指摘することもできるだろうし、また、自由化・民主化 をもとめる精神という点で、その時代と、プラハの春を迎えようとしている時代を同列におくことができるかどうかについても疑問の余地がある。しかしなが ら、シュヴァンクマイエルが1969年にシュルレアリスム・グループの指導者エフェンベルゲルに出会い、その翌年にグループに参加したことについてつぎの ように述べているのを知れば、それが彼の創作活動にあってきわめて重要な役割をはたしていることがわかるし、さらには、その見地からの考察が不可欠である とさえ考えられる。「シュルレアリスム・グループに参加したことによって、私の人生のひとつの段階が終わり、べつの段階になりました。もちろん私は自分が シュルレアリストだと思っていました - それ以前でさえもそう思っていました - が、ヴラチスラフ・エフェンベルゲルと出会い、グループの活動に出会ってはじめて、シュルレアリスムについて自分が実際に抱いていた考えがどれほど表面的 なものであるのか理解しました」 (13) 。それが反体制とみなされてしまうような政治的な活動に直接結びついていくかどうかはともかくとして、シュルレアリスムが70年代以後の彼の姿勢や態度、 あるいは創作活動の方向をかなりの程度決定づけていることはまちがいないようだ。シュヴァンクマイエルに大きな影響をあたえているシュルレアリスム。この ことを念頭におきながら、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』の美的側面について検討していくことにしよう。
そのようなパースペクティヴから考察するなら、まずはじめにシュヴァンクマイエルが創作者としてどのような態度をとっているのかという点を確認し ておかなければならないが、そのさい、ペトル・クラール (14) が1985年に行なったインタビューがたいへん興味深い。シュヴァンクマイエルはそこでクラールに「あなたは映画制作者ですか、それとも芸術家ですか?  それともなにかべつのものですか?」と問いかけられて、つぎのように答えている。
重要なのは創造者が自分のなかにもっている「蓄え」の内的な力です。自己表現手段は取り替えることができますからね。専門家 の「分業」は、最後には不毛な思考と空虚な「人工主義」に行き着いてしまうので認めません。私がさがしもとめているのは、表現の普遍性なのです。この意味 において私の態度は、「戦闘的」シュルレアリストの態度です。 (15)
この発言を手がかりに今後は議論をすすめていくと、わかりやすくなるかもしれない。
創作者が自分のなかにもっている「蓄え」の内的な力。シュヴァンクマイエルはこれをなによりも重視している。すでに引用されているように、BBC のドキュメンタリーのなかでシュヴァンクマイエルは、「スターリン主義のもとで人生を40年間も送ってきたために、自分のなかに蓄積されてしまった緊張を 取り除きたいと思いました」と語っており、作品の総体についてはともかく、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』にかんするかぎりは、この「緊張」を 取り除こうとする意志がその「内的な力」を呼び起こしている、と理解してよいのではないか。だからこそ、この映画はシュヴァンクマイエルにとっては「カタ ルシス」としてはたらいているわけで、彼がこのようなことを創作者の立場から語っていることを考えれば、その政治的性格そのものが、この映画の芸術という 側面においてきわめて重要な役割をになっているとみなすことができる。つまり、この映画にあっては政治と芸術が対立しているのではなく、むしろその政治的 性格が芸術を成り立たせる主要な条件のひとつになっているということだ。これをふまえたうえで、つづけて考えていかなければならないのは、そのような動因 によって創作に向かったシュヴァンクマイエルがどのような態度を取っているか、という点、要するに、彼のいう「戦闘的」シュルレアリストの態度とはどのよ うなものか、という点以外にはないが、この場合、すべてはシュヴァンクマイエルにとってシュルレアリスムはなにかという問題に帰着することになる。
シュルレアリストが百人いれば、百通りのシュルレアリスムがあるといってよいほど、この「シュルレアリスム」という概念は変幻自在で、それを規定 するのはむずかしい。だから、ここではあくまでもシュヴァンクマイエルのシュルレアリスムに話を限定していくことにしよう。シュヴァンクマイエルはBBC のドキュメンタリーのなかでシュルレアリスムにふれてつぎのように語っている。「人びとはシュルレアリスムがキュビズムや印象主義、あるいはほかのアヴァ ンギャルド芸術の運動に似た運動だと思っています。シュルレアリスムは両大戦間の時代 - 1924年から1938年までの年月 - にかぎられていると信じています。そして、その後は、美術史家もあまり関心をもっていません。けれども、私やチェコスロヴァキアのシュルレアリスム・グ ループの友人にとって、シュルレアリスムは生命体なのです。シュルレアリスムは美学ではないのです」 (16) 。ひとつの芸術運動、ないしは美的傾向以上のものとして理解されるシュルレアリスム。シュヴァンクマイエルはべつのところでも同様に、シュルレアリスムが たんに美的なものではないと述べてから、そのことについてこんなふうに説明している。「シュルレアリスムはほかのすべてです - 世界観、哲学、イデオロギー、魔術なのです。(…)シュルレアリスムにあって永遠に活動する要素は、世界にたいする態度、生にたいする態度なのです」 (17) 。シュヴァンクマイエルはシュルレアリスムをこのように世界観、世界にたいする態度、および生にたいする態度としてとらえており、このような考え方にした がえば、この映画監督が『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をつくらなければならなかった理由もそのシュルレアリスムという「態度」にみいだすこと ができるにちがいない。これはつまり、この映画がもっている政治的性格も、前述のようなシュルレアリスト的態度のあらわれとして理解するということであ る。
シュヴァンクマイエルによれば、スターリン主義の時代にシュルレアリスムはいつもチェコ文化の「胃のなかの潰瘍」だったという (18) 。“社会主義リアリズム”という束縛を思い出すまでもなく、この時代にモダニズム的傾向をもつ芸術は当局側に許容されてはおらず、シュルレアリストたちが 活動をつづけるには地下に潜り、体制にたいしてある程度「戦闘的」な態度を取らざるをえなかった。スターリン主義の時代にあっては、このように芸術的志向 が政治的性格を帯びてしまうことが、いわば社会的要請としてあった。シュヴァンクマイエルがシュルレアリスム・グループのリーダー、ヴラチスラフ・エフェ ンベルゲルと出会い、決定的な影響をうけたのは、このような状況のもとでのことだったが、彼はそのころのエフェンベルゲルを振り返ってつぎのように語って いる。「エフェンベルゲルは、スターリン主義に隷属した世界にあって揺るぎない道徳的信念をもち、彼が敵対的な態度をみせた人びとすべてから憎まれていま した。彼の一貫した考え方とグループの考え方は、あらゆる種類の折衷主義者からは独断主義として斥けられました」 (19) 。シュヴァンクマイエルがエフェンベルゲルのこういった態度、スターリン主義の時代のシュルレアリストのこういった態度を共有しているのであれば、作品に 政治的色彩が強くあらわれたとしても、それほどの不思議はない。だから、見方によっては、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』という作品には、ス ターリン主義体制のチェコスロヴァキアにおいてシュヴァンクマイエルがシュルレアリストとして活動してきたその体験が反映されているとさえいえるかもしれ ない。

5. 政治と魔術

したがって、みずからを「シュルレアリスト」と呼ぶヤン・シュヴァンクマイエルにとっては、ほかでもないそのシュルレアリスムという態度のため に、スターリン主義との対立ないしは闘争がいわば必然的な、あるいは不可避なものとなっていた、というふうに考えられるにちがいない。この段階で確認しな ければならないのは、シュヴァンクマイエルがスターリン主義を政治的側面だけで考えているわけではない、という点である。すでにふれられているように、こ の映画監督はスターリン主義が「人間のもっとも深いところにある本能」に訴えかけてくると理解し、それを人間のより本質的な部分にかかわる問題としてとら えている。だからこそ、シュヴァンクマイエルは、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』を制作したあとでも、「スターリン主義にたいする戦いはまだは じまってはいない」という見解を抱き、これからその戦いが「人びとの心のなか」で起こっていくと考えている (20) 。シュヴァンクマイエルの見方によれば、スターリン主義のような全体主義の問題は、政治制度に表面的にかかわっているだけではなく、「文明」そのものに根 ざしているらしい。「以前の制度といまの制度のちがいが誇張されています。全体主義と民主主義は同じ文明のなかで場所をかえるだけです。文明がこのような 制度を育むことができたとすれば、文明自体が病んでいるのです。私は、この社会を成り立たせている事物に浸食していく、ずっと深いところにある根をいつも 攻撃しようとしてしてきました」 (21) 。ジョナサン・ロムニィとのインタビューでこのように述べるシュヴァンクマイエルは、アメリカ出身の映画監督テリー・ギリアムとの対話のなかでも同じよう に「文明」と「芸術」の関係についてつぎのように語っている。「多くの芸術家とちがって、私は、チェコの政治体制の変化とともに、芸術の諸分野に大きな変 化がもたらされるとは思っていません。全体主義のシステムも商業のシステムも同じ文明から生まれてきたものです。芸術が標的にしなければらないのは、その 文明が支えているシステムというよりも、むしろその文明の根なのです」 (22) 。以上の言葉からあきらかなように、シュヴァンクマイエルにとって攻撃すべき敵となり、芸術の標的となるのは、「文明」そのものの基礎に潜んでいる人間の 愚かさ - 文明を築いている人間の愚かさ - にほかならない。そして、その具体的なあらわれのひとつ - 政治体制というかたちをとった、おそろしい表出のひとつの形式 - がスターリン主義と呼ばれているのだ。
このようにスターリン主義は人間の愚かさのひとつのあらわれ以外のなにものでもないが、これについて「たんにひとつの」という言葉をもちいること はできない。というのも、スターリン主義のもとではあまりにも多くのものが犠牲にされていったし、また、そのようにいってしまっては、ほかでもないスター リン主義の歴史的現実 - この映画がかかわっているのはチェコスロヴァキアにおけるスターリン主義の歴史的現実だけれども - を見落としてしまうおそれがでてきてしまうからである。この見地に立つとき、マイケル・オプレイが『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』の映画評のな かで鋭く指摘しているつぎのような問題はどんなふうに考えればいいのだろうか? 「BBCの番組のなかで述べたシュヴァンクマイエルのひとつの言葉 - 全体主義は「もっとも深いところにある本能に訴えかけくる」といった趣旨の言葉 - が、映画をとおして響きわたっているが、充分にうけとめられているわけではない。これはシュルレアリスムそのものの核心に横たわる洞察であり、これによっ て、そのような本能ときわめて有害な政治的イデオロギーとの関係のみならず、二十世紀の芸術的実践のいくつかの形式との関係にかかわる問題が提出されてい る」 (23) 。この言葉についてなによりも注目に値するのは、シュルレアリスムの洞察がこの人間の愚かさを理解する手がかりになりえるとオプレイがみている点であり、 そのような観点からこの作品を考えるには、やはりスターリン主義というひとつの具体的なテーマをシュヴァンクマイエルがシュルレアリストとしてどのように 表現しているかをしらべてみなければならない。もちろん、それは『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をシュルレアリスムというジャンルないしはカテ ゴリーに属する映画として理解するということにはつながっていくわけではない。検討すべきことは、この映画をとおしてシュヴァンクマイエルがシュルレアリ ストと してスターリン主義にどのような態度を取っているのか、という点、いいかえれば、美的志向でもあるシュルレアリスムがこの映画になにをもたらしているの か、という点である。すでにあつかわれているように、シュヴァンクマイエルにとってシュルレアリスムは世界観、ないしは世界にたいする態度になっており、 それゆえに創作上のポイントは個々の表現形式ではなく、ペトル・クラールとのインタビューのなかでシュヴァンクマイエルがもちいている言葉でいえば「思考 の連続性」 (24) にある。しかしながら、この問題をあつかうには、たとえシュヴァンクマイエルがそれを二次的なものとみなしているとしても、やはり作品の表面にあらわれる 表現形式、ないしは作品のなかでもちいられている表現手段をしらべる以外に方法はなく、そこにシュヴァンクマイエルの考える「シュルレアリスム」、シュル レアリスム的手法をみいだしていかなければならない。
そのとき『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』にあって注目しなければならないのは、ほかでもない、シュヴァンクマイエルに特有のアニメー ションの手法であり、じつは、それによってこの作品は、たんなる政治的メッセージ、たんなる「アジプロ」になることから救われているとさえいえるかもしれ ない。シュヴァンクマイエルは、その映像が独特な美的感覚によって支えられ、不可思議な印象をあたえているということだけではなく、ルドルフ2世が錬金術 を追究した街プラハを活動の拠点にしているということもあって、しばしば映画の「錬金術師」と呼ばれることがあるが、テリー・ギリアムはこの錬金術師にた いして、その作品の魔術的特徴についてつぎのように語っている。「無生物が動きはじめると、世界はとてもつかみどころのない不確実な場所になります。あな たの作品は魔術的です。現実を神秘的なものにするのですから」。もちろん、ここで話題にされているのはアニメーションにほかならない。興味深いことに、ギ リアムはそこに「魔術的」な要素をみており、また、シュヴァンクマイエルもアニメーションを「魔術の現代的なかたち」と呼んでいる (25) 。しかしながら、アニメーションのさまざまな技法を駆使しているとはいえ、シュヴァンクマイエルが重視しているのは、それによってもたらされる魔術的効果 のほうであり、これについて彼はつぎのように述べている。「私は自分をアニメーション映画作家と呼ぶことはけっ してありません。というのも、私にとって興味深いのは、アニメーションの技術でも完全な幻影をつくりだすことでもなく、日常的な事物に生をもたらすことな のですから。シュルレアリスムは現実のなかにあるのであって、現実のかたわらにあるのではないのです」 (26) 。ここで見落としてはならないのは、シュヴァンクマイエルが、事物に生をさずけるというアニメーションの「魔術的」効果をシュルレアリスムと関連づけて考 えている点であり、このことをふまえれば、やはり『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』でもちいられているいろいろな表現方法のなかでも、とくにアニ メーションによる映像に着目することが、そのシュルレアリスム的傾向を理解することにつながっていくと考えられるにちがいない。ここで、シュヴァンクマイ エルがこの作品のなかでもアニメーションを意識的に利用していることを記憶に留めておいてよいかもしれない。「この映画の表現手段にかんしていえば、いま までいつももちいてきたのと、だいたい同じ方法をもちいています。ほかのすべての映画と同じように、私は現実の物体をアニメーション化しています」 (27)
それでは、実際に、この映画のなかではアニメーションの技法がいったいどのようなかたちでもちいられているというのか? また、それによってどの ような効果がもたらされているというのか? この映画のなかではアニメーションの技法が全面的に駆使されており、そのすべてを拾い上げていけば、映画の全 体を細かく説明することになってしまう。さきほどわたしたちは、シュヴァンクマイエルが芸術的価値を危険にさらしてまで描いた歴史的出来事を映画にそくし て書き留めてみたが、そのときなされた記述と描写のすべてにアニメーションの技法がかかわっているといってもさしつかえないほどだ。そのうち目立った個所 をいくつかあげてみると、たとえばスターリンの石像が歩くシーン、そのスターリンの石像が手術台に横たわるまえに眼を開き、その眼であたりを見回す場面、 ゴットヴァルトの石像が口を動かしながら演説をするシーン、ドクロがスターリンとゴットヴァルトとブレジネフの写真をむさぼり食べるシーン、ブレジネフに スターリンのような髭が生える場面、政治指導者たちの写真がひとりでにくしゃくしゃに丸まってしまうシーンなどがある。さらにいえば、粛清がテーマになっ ているときには、粘土の人形が自分で絞首台に向かって歩いていく場面があり、ワルシャワ条約機構軍の侵攻が表現されるときにも、めん棒が空き缶を踏みつぶ し、石をけちらすシーンがあるが、そういった情景が描かれるときにもアニメーションが全面的に駆使されている。こういった場面でもちいられているアニメー ションは映画になにをもたらしているのだろうか? 
シュヴァンクマイエルも認めるように、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は歴史的現実がもたらすアクチュアリティを前面に押し出すことを 第一の目的にしているが、このような観点からみれば、そのアクチュアリティが時間の経過とともに失われていくにつれて、映画も古くなっていってしまうこと は否定できない。そのようなかたちで映画が現実にとらわれていれば、そのぶん想像力にゆだねられる部分が相対的にすくなくなると考えられるかもしれない が、この作品はたんなるドキュメンタリー映画ともちがっている。ここでわざわざ異化なりデフォルメなりの言葉をもちださなくても、この映画のそういった特 徴について考えるには、シュヴァンクマイエルの「直接的な象徴」という表現を思い出しさえすればよい。それを提示するためのもっとも重要な手法としてアニ メーションがもちいられているが、いま注目しなければならないのは、それによってあるときは不思議な、あるときは奇妙な、またあるときは滑稽でおかしな感 覚が映画のなかにもたらされているという事実である。アニメーションのこういった効果を、シュヴァンクマイエルが「魔術」と呼んでいることを思い出してか ら、この映画監督が芸術について述べているつぎのような言葉をみれば、この作品の美的側面においてシュルレアリスムがはたしている役割をより的確に把握で きるのではないか。「私には魔術的な側面のない自分の作品など想像できませんでした。(…)魔術とは、“生にたいする積極的な関係の仕方”なのです。けれ ども、問題となるのは生を支配することではなくて、生を変化させることです。変形は、あらゆる魔術的はたらきの基礎となっています。すくなくとも、それが 想像力とともに実行されるときには、ですね。かつて芸術と魔術は溶け合って、さまざまな儀式の分けることのできない一部分となっていました(…)。その 後、芸術は魔術からは距離をおきはじめて、みずから図像学上の機能、美的機能、再現の機能などといった、ほかの機能を獲得し、とうとう全体主義体制のイデ オロギーのしもべになりはてたり、あるいは美術市場のためにつくられる品物という悲惨な役割を引き受けるようになりました。シュルレアリスムはいつも芸術 にその“魔術的威厳”を取りもどそうとしていました。そして、それがあるから、私はそのシュルレアリスムにつよい関心を抱いているのです」 (28) 。つまり、シュヴァンクマイエルにあっては、「シュルレアリスムとは、魔術的な側面を芸術にもどしてやる試みなのです。魔術とのこのような対応がない芸術 は、何の役にも立ちません」 (29) 。シュヴァンクマイエルとってその「魔術的威厳」を取りもどす第一の手段となっているのがアニメーションであることはもはやくり返す必要はないはずだ。 『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』にかんしていえば、「シュルレアリスト」シュヴァンクマイエルは、まさにそのアニメーション技法をもちいてこの 映画に魔術的性格を付与し、そうすることによって、これをたんなるドキュメンタリーとはことなり、独特な美的感覚が横溢する芸術作品にしていると考えるこ とができる。これは、べつの見方をすれば、シュヴァンクマイエルのシュルレアリスム的態度にともなう政治的色彩が、そのシュルレアリスム的美学によって相 対化されていると理解することもでき、芸術作品という見地からすると、この映画はすべてがこの点にかかっているとさえいえるかもしれない。『ボヘミアにお けるスターリン主義の終焉』では、このようにスターリン主義をめぐるテーマ的側面においても、アニメーションという表現手段にかかわる美的側面において も、「シュルレアリスム」の傾向がつよくあらわれており、その意味において、この映画は“戦闘的シュルレアリスト”シュヴァンクマイエルの性格がきわめて 顕著にあらわれた作品になっているとみなすことができる。
ところで、シュヴァンクマイエルはあるインタビューのなかで『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』を境に内容やメッセージに変化があったかと 問われたとき、つぎのように答えて、それを否定している。「私は、自分の映画がすべて政治にとても深くかかわっていると考えている、と申し上げておきたい と思います。けれども、たとえば反体制芸術家がそうするように、全体主義体制に絞っているというわけではけっしてありません。文明には、ファシズムやス ターリン主義のように病んだものが誕生したり、あるいは存在したりする余地があることがわかったのですから、文明全体こそがとても病んでいるのですし、何 かがまちがっているのです。私はいつもこの問題の核心を理解したいと思っていました。うわべだけの政治活動に集中したいとは思っていませんでした。それ で、私の映画は普遍的なものとなり、チェコ共和国以外の観客にも意思を伝えることができます。ですから、政治状況がチェコスロヴァキアで変化したからと いって、世界や文明がそのときに変化したということにはなりません。私にかんするかぎり、自分の敵をかえる理由はありませんでした。これからもずっとかわ ることがないでしょう」 (30) 。どうやらシュヴァンクマイエルは永遠に「“戦闘的”シュルレアリスト」でありつづけていくつもりらしい。

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