スラブ・ ユーラシアの今を読む-第3回


コーカサス研究の立場から

前 田弘毅  


今回の紛争で、再びコーカサスは大規模な流血の舞台となった。様々な文明圏のフロンティ アに位置するコーカサスは、民族と国家の関係という、古くて新しい人類の抱える悩みが現在もっとも切実に反映されている場である。コーカサスの紛争という と、民族の怨念として古代史に遡ったり、国際紛争としてこの10年ほどの動きで限定して考えがちである。しかし、ここでは、タイムスパンを長すぎず、短 すぎず、100年程度に限って、何が問題の背景にあるのか探ってみたい。

紛争の歴史的背景
帝政ロシアは皇帝を頂く文字通りの帝国 であった。その崩壊後にロシアに興った共産主義を掲げるソビエト連邦は、よく知られているように、国家名に地名や民族名が掲げられていないある種の実験国 家であった。一方、矛盾するかのように、国家の中に民族を基にして疑似国家を行政単位として設定していった。地域によって様々な曲折があるが、1936年のスターリン憲法制定 時までには、グルジア社会主義共和国の中にアチャラ(アジャリア)自治共和国、アブハジア自治共和国、南オセチア自治州の3つの自治単位が設けられたので あった。アブハジアと南オセチアの場合は、それぞれ共和国の主要構成民族であるグルジア人と異なるアブハズ人とオセット人が存在したし、アチャラについて は、グルジア人イスラーム教徒が多数派であるという事情があった。
ソ連期には、これも紆余曲折を経るが、設定された共和国・自治共和国などの枠組みは中央 の強い影響下に置かれながらも次第に自立的な動きを整えていき、その枠内で各地で民族的な言説が発展していったことは識者の一致するところであろう。当初 グルジア人は多くの有力共産党幹部を輩出したが、スターリン批判とこれに反発したトビリシ暴動以降、グルジアはとりわけモスクワから自立的な傾向を強め た。一方、グルジア人がその民族的言説を強めていく中で、特にアブハズ人など少数民族との不和は深まっていった。大きなロシアに小さなグルジアが反発して 起こした行動が、より小さなアブハジアやオセットにとって脅威になるという、玉突きの構図が完成してしまった。
このような不幸な連鎖が頂点に達したのがソ連末期であり、大規模な戦闘が発生した。アブ ハジアと南オセチアは事実上グルジアの国造りに参加せずに、自らの独立を宣言した。特にアブハジアでは十万程度のアブハズ人がチェチェン兵の加勢なども あって最終的に一方的な勝利を収め、地域人口の半数近かったグルジア人二十万人以上が難民になって郷里を追われ、その多くが今日も帰還できていない。グル ジア側は、人口規模で、自らの
40分の一程度の人口であるアブハズ人やオセット人への敗北自体をロシアの陰謀とみなしてき た。90年 代初頭はロシア自体が大混乱していたが、いずれにしてもグルジア人に恨みの多く残る展開となり、今回の事態の伏線ともなった。

コーカサスにおける「国造り」の難しさ
ただし、こうした経緯や憎悪感情は別に して、このアブハジアと南オセチアの独立問題は実 は世界的にもかなり厄介な問題を抱えている。端的に述べれば、世界は誰ないしどの主体に「主権」をあたえうるのか。民族の自決権とは誰がどのようにして認 めるものなのか。そして、民主主義と、国民の平等、民族の平等はどのような関係にあるべきなのか。ソ連成立から100年近くを経て、民族と国家 の問題はコーカサスで今も緊張の火種である。以下、グルジア、アブハジア・南オセチア、ロシア三者の姿勢も観察しながら、「国の形」にまつわる諸問題につ いて簡単にふれたい。
グルジア中央政府は、一貫してアブハジアと南オセチアがグルジアの領土であることを主張 し、グルジアと国交を持つ国でこれを否定する国はない。ちなみにロシアも建前とはいえグルジアの領土一体性は認めてきた。すなわち国際法上アブハジアと南 オセチアがグルジア領であることは現時点では確定している。一方、グルジアが両地域を譲れないのは、単に国際的に認められた領土であるというだけではな く、歴史的経緯や経済的利権も含めて、それがまさに「国の形」にまつわる象徴的問題だからである。
ごく簡単に触れれば、グルジア人にとってアブハジアは「グルジア人の歴史的居住地」であ り、南オセチアもグルジア人領主の支配してきた土地であるという歴史的経緯がある。そして、経済的にはグルジア領黒海沿岸の
3分の2を占め、観光地としても名高い アブハジアと、(それに比べれば格段に落ちるが)ロシアに抜ける道も通る南オセチアの戦略性も重要である。また、グルジアが多民族国家である点もグルジア 人にとって常に気にかかっている点である。
ここで注意するべきは、ソ連当初、自治単位が設定された時、決して人間の数の大小で自治 単位が与えられたわけではないということである。グルジアでは昔から人口で第二位はアルメニア人であった。現在もグルジア南部のジャヴァヘティではアルメ ニア人の人口が
9割を超える地域がある。アゼルバイジャン人の人口もアブハズ人やオセット人よりはるかに 多い。しかし、アルメニア人やアゼルバイジャン人は隣国にそれぞれの民族の名前を持つソビエト共和国が認められていたという事情もあり、「自治国」は付与 されなかった。
グルジアは、民族的に強硬とされる現サアカシュヴィリ政権でも、アブハズ人とオセット人 に副大統領や国会副議長の割り当てなど、特別な扱いをすることを何度も約束している。サアカシュヴィリはオセット語で演説をしたこともあり、多民族国家グ ルジアの建設を訴えてきた。グルジア人からみれば、他の国内の民族には認めていないような特権をアブハズとオセット人に約束しているというぎりぎりの交渉 をしているつもりである。なお、民族的に複雑なコーカサスでは、連邦制の設定自体が際限のない分裂と独立の玉突きになりかねない。しかし、この点はまさに ロシアに跳ね返る問題である点が長期的な見通しを考える上で重要である。
さて、アブハズ人やオセット人にとっての強みと弱みは何であろうか。強みは
90年代初頭の民族紛争で勝ち 取った事実上の独立であろう。しかし、十万ないしそれに満たない人口で独立国家は維持できるだろうか。アブハジアに関しては、グルジア人を追放してもな お、アブハズ人は人口の半数に満たないと考えられる。アブハズ人内部の民主主義がアブハジア全体の民主主義といいにくいところにも、国家と称することの難 しさが存在する。また、グルジアに頼らなければロシアを頼るしかない。しかし、本当にロシアに吸収されてしまっては、ロシア連邦内の他の北コーカサスの国 のように、大統領を選ぶ権利もなくなるだろう。ちなみにアブハジアではプーチンの支持する大統領候補が、2004年に落選した。こうした 意思表示も難しくなっていくかもしれない。南オセチアに至っては特に産業もない山岳部の過疎地域であり、この数年の一連の動きで、政治的にもロシアとの一 体性が強まっている。今回の紛争では全面的にロシア軍に依存し、これからの復興でもロシアに資金を頼るしかない。こうした状況は、また、グルジア人を苛立 たせると同時に、民族自決問題ではなく、ロシアの陰謀によるグルジア領土の併合という主張に論拠を与えている。

ロシアの立場
最後にロシアはどのような立場にあるだ ろうか。ロシアの姿勢は今回の軍事行動でよりはっきりとした。コーカサスはロシアにとって特別な場所ということである。しかし、常に軍事的な面でこの主張 が繰り返されるのは嘆かわしいことである。
また、ロシアはコーカサスの中小民族の保護者をうたっている。裏を返せば、コーカサスの大民族が誤った行動をとらないように、監督するというのだ。その意 味でグルジア人やチェチェン人といったこの地域の大きな民族が「誤った行為」を行えば罰を与えるという態度は一貫している。しかし、人口数万人の国家の独 立に向けた動きを庇護する一方、百万の人口規模をもった国内共和国の独立派を武力で粉砕した。 こうした強引さは心理的に負の連鎖をもたらしかねない。ロシアは紛争の被害者の側面ももちろんあるが、一方明らかに煽っている部分もある。今回のグルジア における伝えられる軍の動きは、「誠実な仲介者」を疑わせる行動であり、グルジア人の心に残した傷跡は深い。
さらに、主権国家として国際社会に認められたグルジアに対する行動は、まさに現状の国際社会システムを破壊しかねない。ロシアは欧米がイラクやアフガニス タンで行っていることを逆手にとり、コソボ問題等での溜まった不満を爆発させているかのようだが、サアカシュヴィリ政権をここまで追い込んだ責任の一端を ロシアは負っている。グルジアは、チェチェン問題で、非協力的姿勢(ロシア軍をグルジア領内に受け入れなかったこと)を理由にロシアからCIS加盟国では 唯一ビザの取得が課せられ(出稼ぎに大きな打撃を与えた)、たびたび爆撃などを受けた。その後も、ワインやミネラルウォーターの禁輸、ガスの値上げなど、 次々にグルジアを締め付 けてきた。グルジアを対等な外交交渉の相手としてみなさない態度は、今回もほぼ一 貫している。グルジア側はこうしたロシアの態度に全く納得しないであろう。国民国家システムの溶解に触れるまでもなく、現在の国際秩序は原理的にも危機に 瀕しつつある (もっとも全世界を国民国家システムが覆ったようにみえた時代は事実上半世紀に満たなかったわけであるが)。
人口の大小や民族を越えてコーカサスの地域住民が平和の中で一体性を感じるような動きにロシアは手を貸すべきである。それが自他ともに認める地域大国とし ての責任であろう。少なくともロシア領北コーカサスに関しては、ロシアは2014年のソチ冬季オリンピックをそのシンボルに考えているようだ。しかし、ソ チの街の歴史自体を考えれば、明るい展望が開けるか非常に心もとない。そして、なにより、国際的信用と巨額の経済的コストを、コーカサスにおけるロシアの 威信保持にどれだけ犠牲にするつもりであろうか。ロシアの内部も今回の軍事介入には様々な意見がある と聞く。ロシアは再びコーカサスの地で進む道の岐路に立っているともいえるだろう。
結局のところ、今回の紛争は、ソ連崩壊から20年近くを経てなお、ソ連時代の負の遺産が実態としても人々の心のなかにも生き続けていることをまざまざと世 界に見せつけた。短期的にはサアカシュヴィリ政権をロシアが追い詰める動きが焦点になろう。むろん欧米はグルジアが再びロシアの直接の影響下にはいること に強く抵抗するだろう。また、グルジア人の反ロシア感情は新しい世代にも受け継がれていくであろう。 その成り行きによっては地域秩序が再び大きく揺らぐ可能性もある。暴力の負の連鎖をどこかで断ち切らなければ、コーカサスが残念な形で国際社会の注目を浴 びる時期は続くであろう。

(8 月20日記)


前田 弘毅(まえだ ひろたけ)

北海道大 学スラブ研究センター客員准教授

東京大学 文学部卒業。日本学術振興会特別研究員、北海道大学スラブ研究センター専任講師などを経て、2008年4月から現職。博士(文学、東京大学)。専門は歴史 学(中東イスラーム史)・コーカサス地域研究。主著に『コーカサスを知るための60章』(編著、明石書店)、『多様性と可能性のコーカサス~民族紛争を超 えて』(編著、北海道大学出版会、近刊)など。

*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、 筆者個人の見解です。

●グルジアのシンボル、ジュヴァリ(十字架)教会。ユーラシアの桃源郷は再び戦火に包まれた
(前 田弘毅撮影)

ジュヴァリ(十字架)教会

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