1994年点検評価(抜粋)

自己評価 - 課題と将来構想 -
第三者による評価
「スラブ研究センターを研究する」
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川端香男里(東京大 学)
西村可明 (一橋 大学)

第 三者による評価:川端香男里(東京大学)


 スラブ研究センターは1953年にスラブ研究室として設置されて以来、40年の歴史をみつ日本で唯一の学際的で総合的なスラブ地域(旧ソ連・東欧地域を 含む)の研究期間として機能して来た。創立期のつつましい存在を熟知している評価者にとって、特に1990年、全国共同利用施設となってからのこの組織の めざましい発展ぶりには瞠目すべきものがある。
 このような発展の基礎になったのは、1980年代から、スラブ研究センターのメンバーを中心に行われた一連の「スラブ研究推進」のための全国的な検討会 であったと思う。スラブ研究センター(特に中心になったのは伊東孝之、長谷川毅氏等であるが)は日本におけるスラブ研究の遅れの最大の原因が教育・研究制 度にあることをことあるごとに訴え、日本のスラブ研究発展のための提案を精力的に行ってきた。その提案の多くはスラブ研究センターのスタッフの努力、学問 外の研究者の支持、文部省のバックアップによって実現している。ことに、日本におけるスラブ研究の遅れの最大の原因であった「包括的で効率的なスラブ研究 組織の欠如」という欠陥が本センターの充実によって著しく改善されたと考えてよい。情報収集体制、国際交流の遅れという問題もスラブ研究センターの努力に よって面目を一新したと言える。
 とは言え、スラブ研究センターが将来どのような形であるべきかということに関しては数多くの問題点が残されている。そのうちの若干の問題をいくつか指摘 しておきたい。

 1.  スラブ研究センターには現在5部門が設置され、将来的には7つの部門によって学際的総合研究がより一層行いやすくなることになっているが、部門 別の分化はある意味では、総合化と相容れない場合もあるということに心すべきであろう。少数スタッフで運営されている時は、一人一人がグローバリストにな らざるを得ないわけで、従来のスラブ研究センターはそのような特質をかなりのスタッフが保持していたように思うが、専門化と総合化の関係には留意すべきと ころがある。

 2.  発足の当初より、本センターはヨーロッパ研究の一分野としてのスラブ研究という考えと、北海道の位置から北方研究への視点が両立していたように 思うが、今後の方向として後者を前者に劣らず重視することが求められるのではないかと思う。その際、満州(東北)、モンゴルを含む地域も対象とされるべき で、中国研究との交流も行われるのが望ましい。歴史的プロセスとしても、シベリア、東北地方はロシアと中国を結ぶ重要な結節点であり、日本との関係も歴史 的に深い。前述の総合化、学際化の道へのひとつの突破口になり得る。

 3.  2.で述べたことと矛盾するようであるが、欧米のスラブ研究の伝統、成果をフォローできる体制を築くことも望ましい。従来からも行われて来た共 同研究員制度を活用することによって多分野の研究者の協力を得る努力をさらに進めること、この分野での基礎的資料の収集をさらに拡大することが望まれる。

 4.  若手研究者の助成・養成に関しては鈴川基金の活用が きわめ て有意義で在ったが、将来的には、日本で他に例を見ない充実したスタッフを利用した大学院な いしはそれと同レベルの教育をめざすべきであろう。現に行われている総合研究大学院大学のような博士課程、ないしはポスト博士課程(他大学で博士号をとっ たもののための研究補完機関)のようなものが望ましいように思う。その前に、現実的に研究生制度の充実とか、北大内部の大学院教育への協力とかいう道もあ るわけである。

 5.  スラブ研究センターが運営上逢着している多くの困難な問題は、日本の行政の考え方と密接にかかわっている。管理職であるセンター長には対外問題 (国際交流も含めて)を処理するセクレタリーがつき、外国人研究者を受け入れる専門職があり、図書管理、整理の人員が十分に与えられるということは、欧米 の常識であるが、日本ではまだ十分な理解が得られないところに問題がある。日本のいわゆる「国際化」の中でも根幹をなすことがらであることを十分に行政側 に理解してもらうための努力をなすべきことはもちろんであるが、可能なところから予算化する可能性をさぐることも必要であろう。その点大学院をもつという ことは、若手研究者の育成のみならず、強力な組織支援者を生み出す意味ももつであろう。