ITP International Training Program



4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesに参加しての所感

本田 晃子

(北海道大学スラブ研究センター非常勤研究員)



 国際学会というと、イギリスの作家で英文学の教授でもあるデイヴィッド・ロッジの小説、『小さな世界』(Small World, 1984)を思い出す。読んだのはもう10年以上前になるだろうか。同書によって、国際学会とは中世の巡礼の旅に比すべきものであり、贖罪的行為(ペーパー提出、研究発表)を果たしながらも、旅のあらゆる楽しみに耽ることができ、ついでに謎の学会狂の美女とも知り合えるものと教えられ、以来恐れだか憧れだかよく分からないものを抱き続けてきた。そんな私にとって、今回のインドはコルカタに於ける4th East Asian Conference on Slavic and Eurasian Studiesは、そのような国際学会に生まれて初めて参加する機会となった。既に学会の日程やパネル構成のあらましについては高橋さんが報告されているため、ここでは私の主観的な感想などを、あまり脈絡もなく書き連ねさせていただきたいと思う。ちなみに先に結論を述べるならば、謎の美女(美青年)との出会いはなかった。


アブストラクト提出
 まずはアブストラクトの作成に関してだが、今回は実にたくさんの反省点が残った。
 というのも、前年度中は博論にかかり切りだったこともあり、その反動で、今回の報告ではとりあえず何か新しいテーマで発表したいという衝動のままにアブストラクトを作ってしまい、当然ながらアブストラクト提出後数ヶ月かけてペーパーの内容を煮詰めていくうちに、アブストラクトとペーパーとの間には埋めることのできない溝が。そもそもタイトルからして致命的に内容から乖離しているという体たらくになってしまった。
 結局、タイトルもアブストラクトも、ペーパー提出と同時に変更させてはいただけないかと、主催側のMAKAIAS(Maulana Abul Kalam Azad Institute of Asian Studies)のSuchandana教授に恐る恐るメールで問い合わせることに。教授は快く変更を許してくださったが、もっと大規模かつシステマティックな学会ではこうはいかないかもしれない。ちなみにこのようなイレギュラーなやりとりを含め、報告当日までの事務連絡は全体的にとてもスムーズで、問い合わせ等にも非常に迅速に対応していただいた。


ペーパー作成とプレゼンテーションの練習
 前回の北京大会では、ロシア語報告者も相当数いたと聞いたが、私の場合は英語での雑誌投稿を前提に、ペーパーもアブストラクト同様英語で準備した。ペーパー自体は、夏のスラ研合宿で報告した内容を翻訳する形だったので、比較的スムーズに完成できたように思う(もっとも、最終校正を押しつけたJさんには、違う意見があるかもしれない)。
 修士時代より、私は20世紀前半に生じた建築のマスメディア化、すなわちマスメディア上を流通しはじめた建築イメージが、実際の建築空間以上に社会的な影響力を有していく過程に注目してきた。そのような観点から、今回の報告では長らく論じたいと考えていた「映画の中の建築」というテーマを取りあげることにした。具体的な分析対象としたのは、スターリン期を代表する映画監督、グリゴリー・アレクサンドロフのミュージカル・コメディ作品『輝ける道』で、そこに登場する虚実混淆の建築空間を、ソヴィエト建築論と映画論を総合しつつ論じることを試みた。要は、実在する農業博覧会(現在は全ロシア展覧会センターと呼ばれている)の空間に、実現されることのなかったソヴィエト宮殿のイメージを接合したどうにも異様なシーンがあって、これを論じずにはいられなかったのである。1930年代後半~50年代に建設された多くのモニュメンタルな建築には、イデオロギーを大衆に向けて分かりやすく伝達する、"物語る建築"であることが要請されたわけだが、今回の報告は、建築それ自体よりも映画という物語を介してこそ、建築に求められていたコミュニケーション機能を浮き彫りにできるのではないか、という私自身の仮説の論証を目指すものとなった。
 ただしペーパーの作成では、ソヴィエト映画史・映画論に関する専門家の参加はおそらく少数、ソヴィエト建築に関してはゼロだろうという予測の下、抽象的な議論や既存の建築論・映画論への言及は最小限に留めることにした。予備知識を必要とする議論よりも、いくつかのショットを抜き出してそれを具体的に分析するという、分かり易さを前面に押し出すことを心がけた。
 ペーパーを書き上げたあとは、ネイティヴ・スピーカーを交えて何度かプレゼンテーションの予行練習を行った。英語に関しては、日頃よりBBCのLittle BritainやTop Gear等の番組に親しんで意識的に鍛えているつもりなのだが、今日に至るまでなぜかアカデミックな場面や日常生活でも、一向に英語が上達したという実感がない。激しい質疑応答になれば、馬脚が現れてしまうのは明らか。けれども数ヶ月の準備期間は、英語力のプレゼン能力を向上させることよりも、むしろ悟り(諦め?)の境地に至るために費やされてしまった気がする。
 またプレゼン訓練では、オーディエンスの理解の速度に合わせてゆっくり話すことを繰り返し指導され、25分を目処にペーパーを作成していたのだが、速度を落とすためにかなりの分量を削ることになった。さらに何らかの理由で突然発表時間が短縮された場合に備えて、スキップする場所もあらかじめ決めておいた。当日司会から言い渡された持ち時間は20分で、これはやっておいて良かった下準備だったようである。ただ、報告時間はやはりペーパーの募集時点で明記しておくべきではないかと思う。



報告パネルについて
 私の報告はCulture and the Regionと題されたパネル(第12パネル)に組み込まれており、学会2日目(9月5日)の最後のパネル、学会全体としても最終パネルだった。基本的に映画・メディア論に関するテーマでまとめられており、驚いたことにディスカッサントとして招聘されていたのは、インドのドキュメンタリー映画を代表するGautam Ghosh監督。映像系パネルに映画監督を招くとは、なんだか心憎い演出である。
 私以外の報告者からは、カザフの現代映画、中央アジアの芸術運動、キルギスのマスメディアにおける大統領選の報道動向を扱った報告等が行われたが、最終パネルと言うこともあり、オーディエンスの数は他のパネルに比較して多く、中規模の教室が7割方埋まっていたと記憶している。私自身の報告に関して言えば、残念ながらオーディエンスからのレスポンスは今ひとつだったように感じた。
 欧米では、アレクサンドロフやプィリエフといったスターリン期のミュージカル映画に関しては、現在もジェンダー論やラカン派精神分析などの切り口から活発な議論が行われているが、ディスカッサントのGhosh監督によれば、ソ連期の社会主義リアリズム映画という分野自体、インドではあまりポピュラーな研究対象ではないとのこと。今回扱った『輝ける道』も、ソヴィエト映画研究の中では多くの先行研究のあるメジャーな作品なのだが、インドで同作品を見ることは(特にロシア語を解さない場合は)難しいとのことだった。また映像を用いた報告につきもののジレンマだが、ペーパーを読み上げる時間を確保するために、静止画のみで動画をほとんど用いなかったのも、オーディエンスの注意を誘導できなかった一因であるように思う。Ghosh監督ご自身はエイゼンシテインなどソヴィエト・ロシアの映画作品・映画理論に興味を持たれているそうで、コメンタリーの中では私が報告内では端折ってしまったアレクサンドロフの制作環境や時代背景等の情報を補足していただいた他、改めてこの時代の映画作品を分析することの重要性を指摘していただいた。
 パネル自体は、発表者が当日になって2人増えたこともあり、すべての報告が終わった時には予定時刻を1時間以上オーバーしていた。最後のパネルゆえにできた力業、と言うべきなのだろうか。ただそのような大幅なスケジュールの遅れによりほとんど質疑応答の時間はなく、多少肩透かしを食らった感は否めない。また私の場合は20分という制限時間内になんとか収めたが、高橋さんのレポートでも指摘されているように、タイムマネジメントに関しては比較的ルーズで、司会者と報告者の親密度(?)によって、持ち時間を少々オーバーしても許容されるような雰囲気があった。


全体を振り返って
 全体の組織・運営に関しては、小規模な学会ゆえに小回りが効くメリットと、それゆえに実際の場では個々人の言動が運営システムに優先されがちなデメリットの両面を強く感じた。また人文系のパネルに関しては、パネルあたりの報告者の数が多く、特に第9パネルAspects of Eurasian Literature and Societyでは、各報告者が10分強の制限時間内に高速でペーパーを読み上げなければならなくなるなど、スケジューリングに疑問を感じる場面が多かった。国際的な報告の場を設けることは確かにそれだけで有意義であるのかも知れないが、報告の場自体の質を高めなければ、報告者のモチベーションを維持するのは難しいのではないか。
 私個人に関しては、もともと語学にも学会報告に苦手意識があったのだが、今回の経験で多少の度胸はついたような気がする。質疑応答をこなしていないので、多分に根拠のない自信なのだが。プレゼンのスタイルについては事前に様々な方面から助言をいただき、こちらは非常に実になる部分が多かった。ペーパーの校正やプレゼン訓練でお世話になった方々には、本当に感謝している。この場を借りて謝辞を捧げたい。
 旅についての所感も少し。主催側に招待していただいたガンジス河クルーズは、とても印象的だった。インド=自分探しのための場所、という固定観念があったのだが、実際にはインドという国の迫力を前にして、むしろロシア研究者としての私のアイデンティティーがガンジス河を漂流しそうになった。食事に関しては、元々インド料理は好物なので、実に至福の日々を送ることができた。コルカタ後そのままモスクワに移動してしばらく滞在していたのだが、スパイシーな料理への禁断症状に苦しめられることに。なお、松里先生からの貴重な情報によれば、インドで学会発表後にビールを痛飲したい場合は、空港の免税店で買って、宿泊先に持ち込むのが良いとのこと(できれば事前にメーリングリストで周知していただきたかった)。次のインド訪問の機会に活かしたいと思う。




[Update 12.10.02]




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