ITP International Training Program



ITP国際若手ワークショップの組織を終えて


溝上 宏美

(第2期ITPフェロー、派遣先:オックスフォード大学 聖アントニー校ロシア・ユーラシア研究センター)[→プロフィール




2010年12月10日、ITPの企画としてシンポジウム Imperial Past and Migration in East and West: Bridging Japan, Eurasia and Britain を開催し、さらにその翌日、翌々日に行われた新学術領域研究「比較地域大国論」の国際シンポジウム Regional Routs, Regional Roots? Cross-Border Patterns of Human Mobility in Eurasia に参加した。以下はその報告となるが、国際会議の組織自体については、すでに2010年1月にイギリスで開催した際に詳細に報告を行っているので、組織までの流れなどについてはそちらのほうをご参照いただくとして[click]、ここでは、国際シンポジウムの組織や国際会議への参加など、インターナショナル・トレーニング・プログラムの中で経験してきたことを通じて感じたことを述べさせていただきたい。


本筋からはずれるようであるが、私がオックスフォードにいたときに抱いていた焦燥感から話を始めたい。他のITPフェローの方々とは異なり、私にとって、ITPでのオックスフォード派遣は初めての留学経験であった。それだけに、本来はもう少し早い段階で、たとえば大学院時代に留学した際に直面していただろう問題、つまり、日本人である自分が「他者」たる外国の歴史を研究する意義はどこになるのかという問題を改めて鋭く突きつけられることになった。博士学位取得までもっぱら国内で研究活動を行ってきたが、国内に研究者が少ない分野をやっていることもあり、常に海外(特にイギリス)の研究を意識して研究してきたつもりであった。また、海外へ簡単にいけるようになった時代に研究を開始した私の世代では、現地に赴き、未公刊の一次史料を使って論文を書くことは当然のこととなっていた。したがって、現地の研究者と比較すれば依然として大きなハンデがあることは認識しながらも、自分が「他者」の歴史をやっているという自覚は乏しかったように思う。もちろん、これは私自身の認識が浅かったということであり、留学経験がなくとも、このことを自問しながら研究をされている方は多いと思う。


しかし、オックスフォードで周囲が私に求めたのは、当然ながらイギリスについてではなく日本についての情報であり、さらに、なぜ日本人である私がイギリスの歴史やポーランド移民のことをやっているのかということであった。参加したイギリス史のセミナーは非常に面白かったのであるが、「自国史」をやっているという独特の雰囲気があり、アジア系の人間は私一人であった(無論、他のセミナーでは構成員は多様であった)。このような雰囲気のなかで、自分は「他者」であるということを否応なく、痛感させられることになった。国や民族の違いに還元できない人類に普遍的な問題がある、他者であるからこそ見えることもある、とはいえ、欧米の文化や学問、社会を進んだものとし日本のモデルとするというような考えが通用しなくなった時代に研究をしている私の世代の日本人が、イギリスの歴史を研究する意義はどこにあるのかということを改めて自問せざるを得なかった。これまで自分がいたのは、「日本の西洋史」という特殊な空間であったということであり、自分はそこに安住していたということを痛感したのである。オックスフォードで当初陥った自信喪失状態からは、その後イギリスで会議を組織し、イギリス人研究者の前で自分の研究を発表して自分なりに手ごたえを感じることによって抜け出すことができたが、上述の疑問は帰国後も胸に突き刺さったままであった。




今回組織し参加した国際シンポジウムでは地域研究の報告も多く、上述のことを考えざるをえなかった。私は自身を地域研究者であるとは思っていないが、それでも「他者」を研究対象としているという点では同じである。互いに行き来が難しい時代、日本自体の「内なる国際化」が進んでいなかった時代には、国内に向け、その地域のことを紹介し時にその主張を代弁する国内における専門家としての役割が明確にあったであろう。しかし、情報が国境を超えて瞬時に伝わり、現地の人間とすぐに話すことができ、あるいはそのような人がすぐそばにいることすらあるようなグローバル化の時代にあって、地域研究、あるいは「他者」研究の意義とは何なのであろうか。オックスフォードにいたとき、知人が口にした疑問が胸を去来した。


こう書けば、私が国際シンポジウムの間中、ニヒリズムに終始していたように思われるかもしれないが、実際にはそうではない。「日本の○○研究」というものを超え、様々な国出身の「他者」である研究者と現地の研究者が議論を戦い合わせる場にいて、前述の知人の疑問に対する解答を見つけたとはいわないまでも、その手掛かりを見つけたようには感じていたからである。実際、自身が組織したシンポジウムのセッションでは、図らずも、スラブ研究センターや新学術領域研究に関わっている研究者の方々の協力も得て、欧米の研究者の報告のコメンテーターを現地の研究者にお願いすることができ、そのセッションは今風にいえば「炎上」することになった。欧米の研究者の報告をはなから否定するような現地研究者のコメントに組織者としてはハラハラするところもあったが、結果的にセッションそのものは刺激的で面白いものとなった。頻繁に国際会議などで交流している欧米の研究者のほうも、そのような反応には慣れている様子であった。他方、新学術領域のシンポジウムのほうでは、逆に現地の研究者が、「他者」から、「当事者」であるが故の偏りや認識の限界に関わる指摘がなされる場面もあった。そのような場面では、上述の私の自問がナイーブに思えるような知的に刺激的な状況が生まれていたのである。


むろん、現地の研究者と、「他者」たる様々な国籍の研究者が一堂に会するだけで、何かが生まれることを期待できるわけではない。このような場が有意義なものになるためには、参加する研究者に互いに相手に刺激を与えることができるだけの力量が求められるであろう。つまり、「他者」も現地研究者も、ある地域の「事情通」であるだけでは価値を持つことはできない。知識を持ったうえで、何を提示するのかということが、厳しく問われるようになると思う。互いに対する批判に耐えうるだけの、知識と知性と、コミュニケーション力が不可欠となるであろう。




ただし、アカデミックな世界は、特に人文系においては、完全にフラットで平等な条件で競争が行われる世界ではなく、よくも悪くも欧米の学界を頂点とするヒエラルキーを前提とした世界であるということも事実である。英語が国際公用語になる状況は、英語を母語とする人々、あるいは英語圏にアクセスしやすい環境にある人々に確実に有利に傾く。この現実は、私のような欧米を研究対象とするものに対して殊更厳しく立ちはだかることになる。私も含めグローバル化が進展する時代に研究活動を展開する若手にとって、これに屈することなく、それぞれに異なる視点や関心が交錯する場で日本人研究者、あるいは東アジアの研究者として何を提示できるのかということこそが、今後の研究活動の課題となるであろう。今回のプログラムで私が感じたのは、異論もあるかとは思うが、特に文化と密接な関わりを持つ人文・社会学系の研究において、「国際」的に活動するということは、無国籍のコスモポリタンな活動をするということではないということである。世界には、真にコスモポリタンな人々、家族関係においても本人の育ちにおいても、どこかの国や地域に自分のアイデンティティを見出すのが難しい人々が確かに存在する。実際、派遣先のセントアントニーズ・カレッジであった研究者の中には、正確には覚えていないが「父はナイジェリア人、母はスイス人、本人はカナダ国籍で、フランスで教育を受けた」というような人もいた。しかし、彼らはその来歴によってコスモポリタンなのであり、そうでない私のような人間が彼らを同じ価値観、世界観を獲得することは、そもそも不自然で必要のないことであろう。自らの世界観に閉じこもるべきだというのではなく、それぞれ異なる世界観を持つ人々とぶつかりあい、その中で、互いに理解を深めつつ、自らの議論を提示していくことが国際的に研究活動を行うということなのだと思う。インターナショナル・トレーニング・プログラムは、そのための入り口として、まず海外に発信できるように訓練を受ける機会を私に与えてくれた。恥ずかしながら、特に質疑応答など、未だに英語で自分の考えを表現するという点において、まだまだ努力すべきところは残っているのであるが、この課題を胸に今後の研究活動を続けたいと思っている。




最後に、今回のITPシンポジウムの組織に当たり、北大スラブ研究センターの方々を初め、お世話になった多くの方々にこの場を借りてお礼を申し上げたい。実は、このITPシンポジウムの企画の話を持ちかけられたのは、開催まで4カ月を切った8月の半ばであり、引き受けはしたものの、当初は果たして実現できるかはなはだ不安であった。報告を依頼した海外研究者にはすでに予定のある人も多く、何人かの研究者からお断りの返事をいただいた。したがって、オックスフォードでたまたま出席した学会で報告を聞いて是非お話を伺いたいと思っていたJeff Sahadeo, Sebastien Peypouseの両氏に報告を快諾していただけたのは非常に幸運であった。その後、残りの報告者を国際公募し、何とか報告者とコメンテーターを決めたが、その過程での事務的な手続きなどに関して、スラブ研究センターの方々は最大限バックアップをしてくださった。お陰さまで、当初は難しく思えた短期間でのシンポジウム開催を無事成し遂げることができた。このシンポジウムを通じて得た知己を今度どのように生かすかは私次第であるが、この貴重な機会をいただいたことに対して感謝申し上げる。

(Update:2011.01.04)





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