ITP International Training Program



ワシントン滞在報告


花松 泰倫

(ITP第3期フェロー、派遣先:ジョージ・ワシントン大学エリオットスクール欧州ロシアユーラシア研究所)[→プロフィール




2010年8月上旬から2011年5月上旬までの約9ヶ月間、北海道大学スラブ研究センターが実施するインターナショナル・トレーニング・プログラム(ITPプログラム)より支援を受けて、米国ジョージ・ワシントン大学エリオットスクール欧州ロシアユーラシア研究所(IERES)で在外研究を行った。IERESは、主にロシア、東欧および中央アジア地域を研究対象とする組織で、政治学、歴史学、文学、国際関係論などの社会科学系の分野で活躍する研究者が多く集まっている。北東アジア地域を法学、政治学の視点で研究する自分にとってはこの上ない環境であり、かつ今まで触れたことのない隣接地域の研究に触れることができたのは、大変よい機会であった。




ITPフェローとして派遣されることが決まったのは3月下旬であったが、準備に関して自分から何をどこまでやればよいのかまったくわからないまま、1ヶ月ほど無為に過ごしてしまった。実際には、派遣先とのコンタクト、ビザの手配、住居の確保、渡航準備など、すべてを自分のペースで自らやらなければならなかったわけで、このことに気づいていればもう少し早く渡米することは可能だったように思う。結果的に、7月下旬に日本でシンポジウム報告の仕事があった関係で、渡米時期は8月にずれ込まざるを得なかった。


ビザの取得には手を焼いて、最終的に2ヶ月ほど要した。ゼロから情報を収集して試行錯誤しながら手続きを進めていったわけで、やはりこれぐらいの時間はかかってしまうものだと思う。住居に関しても、渡米前になんとか住むところを決めて行こうと思い、インターネットなどで情報を収集するのに膨大な時間を要した。ワシントンDCの中心部に単身で住もうと思うと、月1500ドルは下らない。ルームシェアにしてもそう安くはならない。そうすると、DCではなく近隣のヴァージニア州かメリーランド州の郊外に住むことになるのだが、米国はクルマ社会であり、食料や物資の調達を含めた日々の生活を車なしで問題なく過ごすことはかなり難しい。私は渡米後に車を手配する覚悟で(最終的には、友人の車に同乗させてもらいながら、車なしで生活したが)ヴァージニア州の郊外にあるタウンハウスで住むことにした。少なくともワシントンDCでは、日本のように不動産屋経由で住居を決めるよりも、インターネットで個人売買のような形で賃貸契約するほうが一般的である。いくつか候補を決めて家主とメールでコンタクトを取り、光熱費込みで月650ドルという破格のタウンハウスに決めた。地下鉄の終着駅のすぐ近くで、大学まで1時間ほどかかったが、限られた予算の中ではしかたのない選択だった。これが出発直前の7月下旬である。




私が渡米した8月は夏期休暇期間であり、学生だけでなく教員も大学内には少なかった。米国での生活環境を整えるのに1ヶ月ほどを要しながら、ITPプログラムの任務として義務づけられた研究セミナーの企画・発表を円滑に遂行するために、拙い英語力を短期間で向上させるべく、9月に入ってからESL(English as Second Language、英語を母国語としない人のための英語学校)に通い始めた。前任者と同様、私が就いた客員研究員という身分では大学内での英語のクラスを受講することはできなかったので、大学外で探さざるを得なかった。毎日4時間のクラスは大変であったが、英語に対する自信をある程度は獲得できたと思う。


10月になると、年度内に行うことを義務づけられた研究セミナーの企画と運営のために、研究室でひたすら資料を読みあさることがほとんどであった。ジョージ・ワシントン大学の図書館に所蔵されている書籍や資料の充実度は申し分なく、また、ない場合には近隣の大学との協定によって短期間で他大学から取り寄せることもできたので、非常に重宝した。本館のゲルマン図書館もさることながら、派遣者の専門の関係からロースクールにある図書館にも幾度となく訪れ、随分とお世話になった。




また、IERESでは平均して週に1,2回ほどセミナーが行われており、またIERESが入るエリオットスクールでも毎日のように様々なテーマでセミナーやシンポジウムが行われていたので、時間を見つけて興味のあるものに参加した。学生の参加も多く彼らからの質問が大変活発であり、刺激になるものであった。お昼頃に開催されるものはランチがサーブされるので、それを期待して出席することもあった。さらに、ワシントンDCは米国で中心的な役割を果たすシンクタンク、また国際関係やユーラシア研究に強い研究機関が大学近くに多数あるので、メーリングリストに登録し、興味のあるものに参加したりもした。Brookings InstitutionやEast West Centerを初め、ジョンズホプキンズ大学高等国際問題研究大学院(SAIS)やジョージタウン大学などの研究機関で開かれるセミナーに参加し、意見交換を行った。さらに、ジョージ・ワシントン大学だけでなくジョージタウン大学の研究員や院生との交流もあり、多様なディッシプリンでの議論に触れる機会を多く持てたのは幸運であった。


11月に日本での国際会議で発表するため一時帰国したり、12月のEast West Center(ワシントンDC)のセミナーで報告を行ったりと、多忙なスケジュールをこなしながら、3月にジョージ・ワシントン大学で企画および運営した研究セミナーのための発表準備と招聘手続きが滞在中の主な活動であった。それについては別の形で報告したが(→[click])、必ずしもスラブユーラシア地域研究という枠に精通していない派遣者にとって、その準備と企画遂行は大変ハードなものであった。しかし、だからこそ、今後の研究生活にとって大変役に立つようなすばらしい機会だったと思う。今までまったくつながりのなかった米国の研究コミュニティとコネクションが持てたことは、これからの研究において重要なものになると考えている。




米国滞在は時間的にも予算的にも厳しいものだったため、ワシントンDCの外に出かけるということはあまりなかった。休日は基本的に家で過ごし、タウンハウスの他のアメリカ人の住人と夕食を楽しんだり、DCにいる日本人の友人たちとサッカーなどをして休日を過ごした。日本では土日も研究室に出る習慣があったが、休日を研究以外のことに使うことによって海外生活のストレスを上手くコントロールできたのは、個人的に大変良かったと思っている。また余談だが、アメリカ人のサッカーチームでもプレーして、彼らのプレーを見たり、会話したりする中で、彼らがもつ文化と日本の文化との違いを痛感することが多々あったし、試合中にあからさまな人種差別待遇を受けることもあった。研究にはまったく関係ないが、このような経験ができたことは研究活動と同じぐらい私にとって貴重なものとなった。




セミナー終了後から帰国までの2ヶ月間は、投稿済み英語論文の修正や、セミナーで扱わなかった主題についての資料収集に費やした。セミナーが終わった次の週の週末に東日本大震災が発生し、修正論文の提出期限が迫っていたにもかかわらず、2週間ほど研究室にも行かず自宅でCNNニュースとインターネットで流れる日本のニュース映像を同時に観ながら、日本の行く末を考えたりもした。当初6月末までの滞在予定であったが、就職の関係で急遽5月上旬に帰国することになり、少しやり残したことが出たのは残念であった。最後も帰国準備と各所への挨拶に忙殺され、あっという間に帰国となってしまった。しかし、9ヶ月という短い期間ではあったが、様々な人との出会い、交流などを通して、研究の視野を広げることができたことは非常に大きかった。この滞在経験を生かし、多様なディッシプリンや視点を研究に取り入れ、今後の研究の方向性を豊かなものにしていきたい。


最後に、ITP派遣でお世話になった北大スラブ研究センターの越野さんと阿部さん、それにITP責任者の松里先生、そしてIERESでご指導頂いたHenry Hale先生と事務員のCaitlinさんに心から感謝申し上げます。




(Update:2011.08.23)





Copyright ©2008-2011 Slavic Research Center   |  e-mail: src@slav.hokudai.ac.jp