戦闘的シュルレアリストの賭け
ヤン・シュヴァンクマイエルの
『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をめぐって

赤 塚 若 樹


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1. アジプロ作品?

チェコのシュルレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエルが1990年に監督した映画のタイトルは『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』。なんの予備知識ももたずに、このようなタイトルをみれば、きっと1989年にチェコスロヴァキア (1) で起こったビロード革命にまつわるドキュメンタリー映画かなにかを思い浮かべてしまうにちがいない。それくらいこれは歴史的現実に直接的な結びつきをもっており、もしかしたら、きわめて政治的な目的のためにつくられた映画なのではないかというふうにさえみることができるのではないか。そのうえ、もしその「内容」を手短に説明しなければならないなら、おそらく、第二次世界大戦以後にソヴィエト連邦からチェコスロヴァキアに輸入された「スターリン主義」と呼ばれる政治体制の歴史的変遷をたどっている、というふうにいわざるをえず、こういった表面的な情報はどれも政治的性格を強調するようにはたらいている。芸術と政治の関係にまつわる問題がきわめて微妙であることは、多少なりともそれを意識したことがある者にとってはあきらかであり、芸術作品に政治的色彩が強くあらわれていると、それが芸術的な価値にすくなからず影響をあたえてしまうこともたしかなようだ。もちろん芸術作品が政治に題材をもとめることがいけないわけではないけれど、場合によっては、そのために作品が危険な状況にさらされてしまうことすらあるかもしれない。このような観点からみたとき、シュヴァンクマイエルの『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』はどうなのだろうか? 
この映画については、なによりもまず、つぎのような事実を認識しておかなければならない。すなわち、この映画には、政治的な内容を連想させるタイトルばかりか、「アジプロ芸術作品」という、政治的傾向といえば、もはやそのものずばりとしかいえないようなサブタイトルがつけられているという事実である。シュヴァンクマイエルは、芸術作品にとっては致命的ともいえるようなしるしをわざわざ自分の作品につけようとしているのか? あるいは、この映画ははじめから芸術作品であることを放棄しているということなのだろうか? こういった疑問が生じてきてもまったく不自然ではない、このおどろくべき事実をふまえたうえでシュヴァンクマイエルの作品全体を見渡してみれば、この映画がきわめて例外的なものであることがわかる。このことについて、たとえば映画批評家ジョナサン・ロムニィは「1990年の長い風刺画『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』はべつにして、シュヴァンクマイエルの映画があからさまに政治的なことはめったになかった」と述べている (2) 。シュヴァンクマイエルといえば、現実と空想を融合させ、日常的事物に魔術的色彩をあたえる独特な美的感覚の持ち主として知られており、モダニズム芸術が禁止されているスターリン主義の時代にあっては、そのような芸術を志向すること自体が反体制になってしまったが、それでもあからさまに「政治的」な映画を制作することはなかった。もしそうなら、なおのこと、そのシュヴァンクマイエルがこのような「アジプロ作品」をつくったという事実は見逃すことができないし、それに関連して、この映画が彼にとってどんな意味をもっているのか、という疑問が提出されてもすこしも不思議はない。
つまり、それは、ヤン・シュヴァンクマイエルの美的態度と政治的経験のあいだの微妙な関係にかかわる問題にほかならない。わたしはこれから『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』に寄り添いながら、この問題を具体的に検討していき、「シュルレアリスト」シュヴァンクマイエルの芸術の根底に横たわっている、ある核心的な部分に光を当ててみたいと思う。そこに到るまでの手続きをごく大まかにしめしておくと、最初の目標は、映画のなかに描かれるエピソードを書き留めることによって、それに対応し、ともするとすぐに色褪せていってしまう歴史的事実-この映画監督が実際に生きた歴史的現実-を記述することであり、そのさいわたしは、この作品にたいしてシュヴァンクマイエルが抱いている考えもみてみるつもりでいる。つづいて、シュヴァンクマイエルがこのような政治的色彩の強い映画の制作に向かわなければならなかった理由を、彼が身を寄せるシュルレアリスムを通して考察し、そこに浮かび上がってくるこの映画監督の芸術観をアニメーションを中心にしらべることによって、前述の問題にたいするわたしなりの解答を提出してみたい。もっとも、どのような手順を踏もうと、これから取り上げていかなければならないことがらはどれもみな-シュヴァンクマイエルにしろ、チェコ・シュルレアリスムにしろ、あるいは(ストップ=モーション)アニメーションにしろ-、これまで充分にあつかわれてきたとはいえず、いわば議論の下地がないような状態にある。そのひとつの解決策として、わたしはここでは、さしあたって、おもにシュヴァンクマイエル自身の言葉を参照し、それを手がかりにして考えを進めていくことにする。(だから、もしかしたら、わたしのこの文章のもっとも大きな目的は、こういった対象を考察するための出発点を提示することにあるというふうにいえるかもしれない。)それでは、そろそろ『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』をみていくことにしよう (3)

2. 確信犯的企図

この映画は大きなビルが爆発して崩れ落ちていくシーンとともにはじまり、そこに短く挿入される『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』というタイトルと「アジプロ作品」というサブタイトルによって、みずからの名前の性格をあきらかにする。そのあとすぐに場面はかわり、銃弾が撃ち込まれていく壁が映しだされ、カメラがその銃弾の跡を追っていくと、やがてスターリンの写真とソヴィエト国旗からなるコラージュがあらわれ、そこに記された1945年5月9日という日付がアップになる。映画の本編はまさにここから、つまりチェコスロヴァキアがナチス・ドイツから解放されたときからはじまって、この国の第二次世界大戦以後の歴史にあって節目となるような大きな出来事をたどっていく (4) 。ビルの爆破解体による暗示はともかく、銃弾にせよ、スターリンの写真にせよ、あるいは「ファシズムからの解放の日」にせよ、はじめからたいへん生々しい政治がらみの題材がもちいられており、このあとさらに、ゲシュタポに捕らえられ、ナチスの牢獄から『絞首台からのレポート』 (5) を書き送った国民的英雄ユリウス・フチークの写真を、「人民よ、目覚めよ」という言葉とともに映しだしてから、映画は、その“生々しさ”を決定的なものにするかのように、スターリンの体内からクレメント・ゴットヴァルトが取り出されるシーンを提示している。-スターリンの白い石像があらわれ、ゆっくりと前進していく。すぐに場面はこの石像が手術台に横たわり、手術を待っているところにかわる。半透明の薄いゴム手袋をはめた医師の手がメスを握り、スターリンの石像の顔をまっすぐ縦に切り裂くと、真っ赤な内臓があらわれる。医師が手をそのなかに突っ込んで、血にまみれた上半身の石像を取り出し、ちょうど子供が産まれたときのように体内からつづく臍の緒のような器官を切断する。血が洗い落とされた石像の顔は、チェコスロヴァキアでスターリン主義の時代を確立するクレメント・ゴットヴァルト。この石像は医師に叩かれると、揺れながら赤ん坊の産声をあげる。-このように、この映画のなかではゴットヴァルトが文字どおりスターリンのなかから生まれ、これにつづくエピソードの内容を、いいかえればチェコスロヴァキアの戦後の歴史を決定する。
『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』が制作され、公開される1年前の1989年にいわゆる東欧革命が起こり、チェコスロヴァキアではビロード革命とともに、「スターリン主義」と呼ばれる政治体制は完全に終焉を迎えた。したがって、映画のタイトルがしめす出来事がこの「ビロード革命」にあたることはまちがいないが、チェコスロヴァキアの歴史にあって、「ファシズムからの解放」および「ゴットヴァルト誕生」からこの革命までをつなげる線を考えてみれば、おそらく「二月事件」、「雪解け」、「プラハの春」とその後の「正常化」などといった政治的な出来事がすぐに思い浮かぶはずで、実際に映画のなかではそういった出来事にもとづくエピソードがつづいていく。それがどのように描かれているのかをみていくまえに、ヤン・シュヴァンクマイエルがこういった時期的にきわめて近い歴史上の題材をもちいて、あからさまに政治的な映画をつくったことについて、彼自身どのような見解を抱いているのかをしらべておくのがよいかもしれない。なにしろ、これはこの映画監督の作品にあっては例外的な映画なのだから。

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「私の映画はいくつかの意味を持っているので、それを観て刺激を受けたら、自分自身の主観的な象徴のとらえ方を通じて解釈して欲しいと思います。精神分析においてそうであるように、いつも秘密がないといけません。秘密がないと、芸術もないのです」 (6) 。シュヴァンクマイエルは1988年に行なわれたあるインタビューのなかで、自分の映画全体についてこのように述べているが、この種の見解は芸術家が作品の受容者にさしだすメッセージとしてはごく一般的でなもので、とくにかわったところはない。ところが、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』についてはまったく事情がちがっていて、シュヴァンクマイエルはこの作品がきわめてかぎられたパースペクティヴのもとで観られることを望んでいるらしく、イギリスのBBCテレビがこの映画にあわせて作成したドキュメンタリー番組 (7) が終わろうとするとき、その気持ちを端的にあらわすつぎのような言葉をこの映画監督は語っている。
私にとってこの映画はある種のカタルシスとなっています。スターリン主義のもとで人生を40年間も送ってきたために、自分のなかに蓄積されてしまった緊張を取り除きたいと思いました。そのようにして、この映画は観られるべきですし……理解されるべきなのです。
芸術家が作品についてつくり手として意図の表明を行ない、それにどのようなメッセージをともなわせていようとも、受容する私たちのほうには、それを無視する権利がある、というよりもむしろ、それをうけいれなければならない義務はない。しかしながら、この作品についてはそのことを確認したうえで、あえて作者の意図を汲むようなかたちで観ていってはどうだろう? というのも、さきほど引用された言葉からもわかるように、ふつうなら受け手に自由な解釈をすすめるシュヴァンクマイエルなのに、この映画にかぎっては、つくり手の側から、これほどまでに狭いパースペクティヴを受け手のほうにさしだして、しかもそのさいに自分の“感情のあり方”を隠していないからである。この映画にかんしては、創作の動機がほかでもない自分の感情にあるということを彼は率直にしめしているということだ。このときに見落とすことができないのは、これからあきらかになるように、シュヴァンクマイエルが、作品が歴史的事実に密接にかかわっていることから不可避的に生じてくる、作品にとってのデメリット、ないしはネガティヴな要素を自覚し、うけいれているという点であり、その意味において『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、まさに彼の確信犯的な企図以外のなにものでもない。
では、このことについて、シュヴァンクマイエルはどのような見解を抱いているのだろうか? まず最初にイギリスの映画批評家マイケル・オプレイがこの映画について述べている言葉をみながら、問題の所在を確認しておいたほうがいいかもしれない。オプレイは、シュヴァンクマイエルの作品にたいへん好意的な批評を寄せ、イギリスで - というよりも「西側」で - この映画監督が知られようになるのに貢献してきたが、『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』の映画評では、チェコスロヴァキアの第二次世界大戦後の歴史にふれてからつぎのようないくぶん否定的な意見を述べている。「こういった歴史をよく知らないひとや、ゴットヴァルトがだれだかわからないひと - 西欧のほとんどの人びと、とも考えられるだろう - にとってみれば、この映画はときとして理解するのがむずかしくなる」 (8) 。当然のことながら、映画の「内容」の理解は、観る者の知識の量に大きく左右され、ここでいわれるように題材がきわめてローカルなものであれば、その題材の具体性がマイナスに作用してしまうこともある。しかも、この作品はスターリン主義という歴史的現実に深くかかわっているために、全体にわたって政治的色彩が色濃くでてしまっている。見方をかえれば、だからこそ、シュヴァンクマイエルはこれに「アジプロ作品」というサブタイトルをつけることができたともいえるわけで、そこにみてとることができる潔さにも、この試みにたいする彼の考えがはっきりとしめされているのではないか。
シュヴァンクマイエルは、1992年から1993年にかけて行なわれたあるインタビューのなかでこの映画にまつわる興味深い逸話にふれてつぎのように語っている。「『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、私の作品全体のコンテクストのなかでは、例外的であると同時に、例外的でない映画となっています(例外的とは、質にかんしてのことです)。BBCの方が会いに来て、ボヘミアでいま起こっていることについて映画をつくるつもりがあるかどうか、私にたずねたときは、お断わりしました。できるとは思えなかったのです。でも、(ほかの多くの計画がそうだったように)それはひとりでにはじまりました。この映画も私のほかのすべての映画と同じ想像力の経路を通ってできあがってきましたが、それがプロパガンダ以上のものだとは一度もいってはいません。ですから、これはほかのどんな映画よりも急速に古くなっていく映画だと思います」 (9) 。おどろくべきことに、シュヴァンクマイエルは映画の性格をふまえたうえで、その寿命の短さを意識しているが、まさにこの点に彼の確信犯的企図の特徴をみることができる。「私の新作はプロパガンダ映画です。アジプロ作品です。この作品は最新の状況に合致しているという強みと、どんな種類のプロパガンダ映画にもある弱みをもっています」。シュヴァンクマイエルはさきほどのBBCのドキュメンタリーのなかで『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』についてこのように語ってから、その内容を「第二次世界大戦以後のチェコの歴史を短いながらも想像力を活かして概観するもの」と規定し、その政治的性格を強調する。「この映画は明白なものです。それは直接的な政治行動です。もっとも、そこにはある程度の象徴もふくまれていますが。けれども、それは、私が過去30年間に制作してきたほかのどの映画のなかにみられるものよりも、ずっと直接的な象徴です」。だからこそ、シュヴァンクマイエルはこの映画についてつぎのような見解をもつことになる。「この映画は50年か100年もたてばまったく理解できなくなるかもしれません。そこではこの時代や、この国で起きたばかりの出来事と密接に結びついている特定の人物が利用されているからです。映画にでてくる顔の多くは、100年もたてば、なにも意味しなくなるでしょう」 (10) 。『ボヘミアにおけるスターリン主義の終焉』は、ほかでもないスターリン主義という歴史的現実がもたらすアクチュアリティを前面に押し出すことを第一の目的としている以上、このような「弱み」が生じてきてしまうことは避けられない。それゆえに、ある意味でこの映画は、逆説的に「アジプロ芸術作品」と呼ばれなければならなかったというふうに考えることもできる。いずれにしても、スターリン主義にまつわる好ましくないアクチュアリティを強調することがこういった弱さを招き寄せてしまうことを知りながらも、シュヴァンクマイエルがこの作品をつくらなければならなかったという事実には充分に留意しておかなければならない。そのスターリン主義について、この映画監督は同じドキュメンタリーのなかでつぎのような見解を表明している。「40年間スターリン主義がここにありました。スターリン主義は私たちの国全体に浸透していきました。スターリン主義はソヴィエト連邦からの輸入品で、まさしく最初から反対されました。けれどもファシズムのように、そしてあらゆる全体主義的イデオロギーのように、スターリン主義は人間のもっとも深いところにある本能に訴えかけてきますし、それはいつも、すくなくとも国家のある部分には都合のいいものなのです」。シュヴァンクマイエルがこのように「スターリン主義」という歴史的現実を通して人間のより本質的な部分に眼を向けていることをおさえたうえで、そろそろ映画にもどらなければならないが、さしあたっては、その内容をよりよく理解することを目標にしていこう。


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