さらに、「地区党委員会的心理」、「以前の実践の反映」と無関係とは考えられないのが、生産管理局党委員会が実際には農村における農業以外の分野での地区党委員会の職務も引き継いでいたことである。1964年7月22日付のカザフ共和国クスタナイ州ウリツコエ生産管理局党委員会の活動に関する報告によれば、同党委員会はウリツコエ地区党委員会を基礎として、同じ建物に、ごくわずかの例外を除いて同じ職員によって組織された。同党委員会は活動当初に書記と書記代理の間の職責分担を以下のように決定した。
党委員会書記(前地区党委員会第一書記):農業、統計セクター;
組織活動担当書記代理(前地区ソヴェト執行委員会議長代理):労働組合、コムソモール、
建設、裁判所、民警、検察、公共サービス総合企業、穀物調達、同志裁判所、村ソヴェト;
イデオロギー活動担当書記代理(前地区党委員会宣伝担当書記):商業、保健、国民教育、文化部、映画館の普及、クラブ、図書館。
こうした職責分担は、地区党委員会当時の書記たちの分担と変わっておらず、ウリツコエ生産管理局党委員会書記と代理たちは地区党委員会の活動内容と方法を身につけており、生産管理局党委員会の役割についての必要不可欠な理解を欠いていると指摘された
(99)
。ウリツコエ生産管理局党委員会の指導部は地区党委員会の伝統に熱心に従っており、その活動内容は「かつてのウリツコエ地区党委員会の活動内容とほとんど変わるところがない」こと、「ほとんど同様の状況が[同州の]ボロフスコエ生産管理局党委員会にもある」ことも指摘された
(100)
。農村において地区党委員会の果たしていた職務を引き継ぐ党機関は、生産管理局党委員会の他には存在しなかった以上、こうした状況は至るところに存在したであろう。
そして、この報告でも指摘されているが、生産管理局党委員会は、具体的な経済・商業・財務・調達・交通・司法その他の問題解決に向けた方策をとるようにとの膨大な数の書面、口頭での指示を上級機関から受け取っていた。ウリツコエ生産管理局党委員会の場合では、この種の指示はカザフ共産党中央委員会、処女地地方党委員会、クスタナイ州党委員会などから発せられており、電話による口頭の指示の大部分も経済問題に関わるものであった。州、地方、共和国の党機関の活動の実際は、「これらがすべてかつての地区党委員会に対するように生産管理局党委員会に対していることを裏書きしている」のであった
(101)
。モルダヴィアに関する党機関部宛て報告でも、共和国のいくつかの省庁が、管轄下の組織が現地で取り組むべき様々な問題の解決へ介入するよう求めた多数の電信、手紙を送りつけることによって、生産管理局党委員会を純粋に経済的な問題の解決へとしばしば押しやっていること、モルダヴィア共産党中央委員会でさえ生産管理局党委員会に対して具体的で純粋に経済的な問題の解決へと介入するよう要求していることが指摘されている
(102)
。
これまで見てきたことからは、生産管理局党委員会という組織のあり方自体に少なからぬ問題が根差していることがわかる。生産管理局が、地区ソヴェト執行委員会から独立した形で、農業生産の管理だけをおこなう専門機関として設立されていたのに対して、生産管理局党委員会は、言わば地区党委員会農業部を拡大発展させた組織としての性格を持ちながら、しかし地区党委員会から分かれたものではなく、地区党委員会そのものが再編されたものであった。こうした生産管理局党委員会のあり方は、生産管理局との分業関係をつくりあげる妨げとなり、また活動の性格を地区党委員会と異なるものとすることも難しくした。生産管理局党委員会自体に「地区党委員会的心理」がある一方で、上級の党機関には生産管理局党委員会を地区党委員会と同様に見なし、扱う意識が根強く存在したからである。
しかし農業の「管理」は農業機関に委ねるという方針は維持された。生産管理局党委員会、監督=党組織活動員に対しては指導と批判が繰り返しおこなわれ
(103)
、他方で以下に見るように、こちらも様々な欠点を抱えていた生産管理局の活動改善、カードルの質的強化の方策が採られていったのである。
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