< !-- Google Tag Manager (noscript) --> 20世紀のロシア、ソヴィエト哲学をめぐって

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  1. 桑野隆・貝沢哉の対談「ロシア・イデオロギー」『現代思想』1997年4月号、50-79頁。

  2. Основы марксистической философии. М., 1958. С. 1. (簡略表示はОМФ.)(森宏一・寺沢恒信訳『哲学教程』合同出版、1959年、1頁。)

  3. 20年代後半から30年代初頭にかけて、ソヴィエト哲学の動向をパリから注視していたベルジャーエフはデボーリン批判の問題点を早くから指摘している。特に、「ソヴィエト哲学の一般路線と戦闘的無神論」などでは厳しい評価が展開されている。Бердяев Н. А. Генеральная линия советской философии и воинствующий атеизм // Путь. Июль 1932, 34. Прило-жение. С. 4, 12-14.(峠尚武訳「ソヴィエト哲学の一般路線と戦闘的無神論」『キリスト教と共産主義』ベルジャーエフ著作集第6巻、行路社、1994年、243、262-265頁。)

  4. 山田宗睦「レーニン以降」『講座現代の哲学III マルクス主義』山崎正一編、有斐閣、1958年、133-171頁。

  5. Введенский А. И. Судьбы философии в России // Вопросы философии и психологии. 1898, 42.С. 314-354. Его же. Философские очерки. СПб., 1901; Прага, 1924. (реп. // Русская философия: Очерки истории. Сост. Б. В. Емельянова, К. Н. Любутина. Свердловск: Изд-во уральского уни-верситета, 1991.С.26-66.)(尚、引用は1924年版と1991年リプリントの双方の頁付を示す。)

  6. Там же. С. 7 (1924); 26 (1991).(以下同様に、1924年版の頁数、1991年版の頁数の順で記す。)
  7. Там же. С. 9; 28. なお、ラドロフはこうしたヴヴェジェンスキーの観点に対して「哲学と大学での哲学講義を同一視する根拠はない」という批判を加えている。Радлов Э.Л. Очерк истории русской философии // Русская философия: Очерки истории. С. 100.
  8. Зеньковский В. В. История русской философии. Paris, 1948 (реп., 1991 в 4-х томах). Т. 1, ч. 1. Гл. II,С. 55-81.
  9. Левицкий С. А. Очерки по истории русской философии. Сочинения. Т. 2. М., 1996. С.28-47.(高野雅之訳『ロシア精神史』早稲田大学出版部、1994年、25〜50頁。)
  10. レヴィツキーはヴォルテール主義の肯定的側面であるフマニスムや寛容よりも、ヴォルテールの示した「懐疑」の方がロシアでは熱狂的に受け入れられ、無神論が流行したとしている。Левицкий. Указ. соч. С. 32.(訳書、30頁。)
  11. Введенский. С. 10; 29-30.
  12. Введенский, там же;Левицкий, указ. соч., там же.
  13. ここではコゼリスキーが例として挙げられ、理論哲学においてはヴォルフ学派のバウマイスターが、実践哲学ではモンテスキューやエルヴェシウス、ルソーの影響が指摘されている。 Введенский, там же.
  14. Введенский. С. 11-12; 30-31.
  15. 特に、1816年にキエフ大学教授シャドが追放された事件を皮切りとして、ペテルブルグ大学やカザン大学などに哲学迫害が起こり、後の発展に大きな障害が生じたことが弾劾されている。Введенский. С. 21-23; 41-43.
  16. Там же. С. 13-14; 32-33.
  17. Там же. С. 14; 33.
  18. Введенский А. И. Судьба веры в Бога в борьбе с атеизмом // Мысль. 1922. 2. (реп. Александр Иванович Введенский. Статьи по философии. СПб., 1996. С. 191-210.)
  19. Там же. С. 192.
  20. ヘーゲルの自然哲学は、18世紀後半から19世紀初頭に発展した有機生命体に関する科学的知見に立脚している。従って、その後の科学の発展に哲学が追いつかなかったということも一方では言いうるが、反面では哲学的な自然観が科学研究の場に十分フィードバックされていなかったとも言えよう。これは急速に発展する特定の科学分野の成果をどのように理解するかという問題であり、現代においても示唆するところは大きいように思われる。
  21. Введенский. Судьба философии. С. 36; 57.
  22. それぞれ出典は以下の通りである。Введенский А. И. О пределах и признаках одушевления: Новый психо-физиологический закон в связи с вопросом о возможности метафизики // Журнал министерства народного просвещения. Ч. 281. Май 1892. Отд. II. С. 73-112; Июнь 1892. С. 227-256; Ч. 282. Июль 1892. Отд. II. С. 81-129. Его же. Опыт построения теории на принципах критической философии. Ч. I. Элементарный очерк критической философии, исторический обзор важнейших учений о материи, учение о силах. СПб., 1888. Его же. О видах веры в ее отношении к знанию // Вопросы философии и психологии. 1893. Кн. 20. С. 158-203;1894. Кн. 21. С. 55-80.
  23. このヴヴェジェンスキーの論文をめぐってモスクワの心理学協会で討議が行われ、П.Е.フの報告がなされている。それに対するヴヴェジェンスキーの見解をまとめた論文も1893年に発表されている。彼の言う「形而上学的感覚 метафизическое чувство通感覚論で、「人格化 одушевление」として捉えられている他我構成の問題に立脚している。簡略に言えば、他人の意識を想像する場合、自分自身の意識を一つの手本として考えることができるのは、同じ構造を両者が持っているからだとするものである。こうした他我構成の仕方は今世紀の解釈学などにも見られる考え方であり、「人格化」概念の詳細とあわせて別の機会に検討してみたい。 Его же, Вторичный вызов на спор о законе одуше-вления и ответ противникам // Вопросы философии и психологии. 1893. Кн. 18. С. 120-149.
  24. Абрамов А. И. О русском кантианстве и неокантианстве в журнале Логос // Кант и фило-софия в России. 1994. С. 227-9.
  25. Бердяев Н. А.Философская истина и интеллигентская правда // Вехи. Сборник статей о русской интеллигенции.М. 1909. С. 21. 学の真理とインテリゲンツィアの正義」『ロシヤ革命批判論文集1 道標』、長縄光男・御子柴道夫監訳、現代企画室、1991年、234頁。)
  26. 管見の限りでは、ヴヴェジェンスキーの個人的な見解がいかなるものであったかを示す資料や研究がないため、確たる結論は出せない。
  27. ストルーヴェの観点については次の論文を参照。根村亮「ストルーヴェとベルジャーエフ」『スラヴ研究』1991年、129-153頁。
  28. 新カント派哲学の影響下から出発した哲学者の一部がナショナルな方向性を示した現象については、別の機会に日本の哲学者の事例などとの比較を交えて検討したい。
  29. Введенский. Судьва философии. С. 8; 27.
  30. ベルジャーエフの『始源と終末』の翻訳に付された峠尚武氏の「訳者あとがき」は、日本におけるベルジャーエフ受容の問題とあわせて、彼の思想の分かりにくさを論じており興味深いが、現在絶版になっているようである。峠尚武・的場哲朗訳『始源と終末』行路社、1985年、383-408頁。
  31. Бердяев Н.А. Самопознание. Опыт философской автобиографии. Paris, 1989. С. 115.(志波一富・重原淳郎訳『わが生涯 哲学的自叙伝の試み』白水社ベルジャーエフ著作集8巻、1961年、138頁。)
  32. ちなみに、宗教的要素の持ち込みという点では、倫理学的な関心の方が認識論的な論議に明らかに先行しており、当初は理神論的なヴヴェジェンスキーに近い観点を採用している。それはカントの言う合目的論的な志向を導く経験的な問題としての神信仰の有用性に着目したからであり、宗教的な思考が一つの論理としていかなる意味を持ちうるかという問題がほとんど顧慮されていなかったからである。こうした初期の問題については以下を参照されたい。拙稿「ベルジャーエフ哲学の形成期における問題」『ロシア史研究』1996年、第59号、54-70頁。同「ベルジャーエフにおける宗教哲学の導因と問題」『スラヴ研究』1997年、第44号、65-95頁。
  33. Бердяев Н.А. Гносеологическая проблема. (К критике критицизма) // Философия свобода. Приложение к журналу ォВопросы философииサ. М., 1989. С.74.
  34. カントの規定では「理性はア・プリオリな認識の原理を与える能力」とされている。Kant, Kritik der reinen Vernunft. B24f.
  35. この論議の原型は『自由の哲学』や『創造の意味』においてすでに確立されており、その後、特に1934年の『我と客体の世界』における「客体化」概念によってさらに独自の発展を遂げ、晩年の『終末論的形而上学の試み』において、一つの完成形が提示されている。Бердяев Н. А. Я и мир объектов. Paris, 1934. Его же. Опыт эсхотологической метафизики. Творчестово и объективация. Paris, 1947. (реп. Н. А. Бердяев. Царство духа и царство кесаря. М.,1995. С. 164-286.) 拙稿「世界とリアリティ」東京外国語大学総合文化研究所『総合文化研究』1998年、37-45頁。
  36. Флоренский П.А. Столп и утверждение истины. М., 1914. (реп. Сочинения в 3-х томах. т. 1. ч.1-2, М., 1990.)
  37. Флоренский, указ. соч. гл. VII. Письмо шестое: Противоречие. (реп. С. 143-165)
  38. これはカントの『純粋理性批判』の第二部「超越論的弁証論」第二篇「純粋理性の弁証的推理について」の第二章「純粋理性のアンチノミー」で詳論されている。Kant, Op. cit. B432ff.
  39. Флоренский, указ. соч. С.148-150. さらにこの後には、−p≡qであるようなqを設定し、(−q→q)→qの式についても計算している。これは{−(−p)→(−p)}→(−p)であるから{p→(−p)}→(−p)となり、肯定命題が否定命題を導くとも読める。
  40. 量化すれば、(∃x)[{(−Fx)→(Fx)}→(Fx)]なので、通常はx=φであろう。
  41. Флоренский, указ. соч. С. 153.
  42. Там же. С. 163.
  43. Булгаков С. Н. Свет невечерный. М., 1917.(реп. М., 1994. С. 89.)
  44. 1911年にモスクワ大学に入学したローセフは、当時の数多くの宗教哲学者と親交を結んでいる。その中にはフロレンスキーも含まれており、明らかに影響関係が見出せる。Тахо-Годи А.А. Лосев, Жизнь замечательных людей. М., 1997. С. 71-77.
  45. Лосев А.Ф. Античный космос и современная наука // Бытие, Имя, Космос. М., 1993. С. 64.
  46. ちなみに、この『物と名』には執筆段階でいくつかのヴァリアントが存在したことが確認されている。そのうち、1929年2月14日の日付のある序文では、当時行われていた機械論派と弁証論派の論争について触れられているが、彼自身はこうした論争そのものに積極的な意義を認めていない。また、「「機械論者」には、どのようにマテーリアがイデアを規定できるのか、まだ同時にイデアがマテリアルでないもののままであることができるのか分かるまい」と述べて、機械論的な観点を揶揄している。Лосев А.Ф. Вещь и имя // Имя. М., 1997. С. 168.
  47. See, Aristotelis qui ferebantur librorum fragmenta. ed. V. Rose. Stuttgart: Teubner, 1966. p. 75. ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』(下)加来彰俊訳、岩波文庫、1994年、115頁。
  48. 例えば、『神学綱要』などがそうである。田中美知太郎編『世界の名著・続2 プロティノス ポルピュリオス プロクロス』中央公論社、1976年、443-586頁。
  49. また、ローセフの同時代の状況が彼の思索に大きな影響を及ぼしていることも強調する必要がある。これについては、1998年度のロシア史研究会大会における「1920年代におけるインテリゲンツィアの運命」と題するセッションの中で概略を報告した。これを元に、20世紀初頭の哲学的状況に関する別稿を準備中なので、興味のある方は参照されたい。拙稿「ローセフの背景ム20世紀初頭の哲学的状況をめぐってム(仮題)」『ロシア史研究』1999年刊行予定。
  50. Лосев А.Ф. Философия имени // Бытие, Имя, Космос. М., 1993. С. 618.
  51. Там же. С. 619-620.
  52. Там же. С. 621.
  53. Там же. С. 624.
  54. Там же. С. 621.
  55. Там же. С. 624.
  56. Лосев. Указ. соч. С.618.
  57. Лосев А.Ф., Вещь и имя // Бытие, Имя, Космос. М., 1993. С. 803-804.
  58. Лосев. Вещь и имя.1997, С. 168.
  59. Там же. С. 169.
  60. ウラジーミル・マラーホフ「ロシアに哲学は存在するのか -ソヴィエト・マルクス主義から現代の「新しい波」まで」島崎隆訳『ロシア・ユーラシア経済調査資料』1994年6月号、14頁。
  61. イリンコフの経歴については、以下を参照した。Новохатько А.Г., Об Э.В.Ильенкове // Э.В. Ильенков, Диалектика абстрактого и конкретного в научно-теоретическом мышлении. М., 1997. С. 3-10; Философы России XIX-XX столетий. Биографии, Идеи, Труды. М.,1995. 2-е изд. С. 228-229.
  62. Ильенков Э.В., О диалектике абстрактного и конкретного в научно-теоретическом познании // Вопросы Философии. 1955. 1. С. 42-56.
  63. Ильенков Э.В.,Диалектика абстрактного и конкретного в 《Капитале》 К. Маркса. М., 1960.
  64. Ильенков Э.В.Диалектика абстрактного и конкретного в научно-теоретическом мышлении. М., 1997.
  65. Там же.С. 25.
  66. Zapata R., La Philosophie Russe et Sovietique. Collection QUE SAIS-JE? No. 2414. Press Universitaires de France, Paris. 1988.(邦訳『ロシア・ソヴィエト哲学史』原田佳彦訳、白水社、文庫クセジュ789、1997年、139頁。)
  67. 邦訳『資本論の弁証法』花崎皋平訳、合同出版、1972年。
  68. Ильенков. Указ.соч. С. 19-22.
  69. Там же. С. 35-42.
  70. Ленин В.И. Сочинения. 4-е изд. Т. 38. С. 315.
  71. この問題が30年代にどのように取り扱われたかについては、十分な検討材料が揃わなかったので他日を期すことにする。
  72. 寺沢恒信「弁証法・認識論・論理学の統一」『講座 マルクス主義哲学1 マルクス主義哲学の根本問題』青木書店、1969年、41〜87頁。
  73. マラーホフ前掲、14〜15頁。
  74. Ильенков. Указ. соч. С. 43.
  75. Там же. С. 44.
  76. Там же. С.45.
  77. Там же. С. 47.
  78. イリエンコフの引用文中に見えているように、ソヴィエト哲学の唯物論においては「出来事событие」や「事実факт」などの「リアリティреальность」も「物вещь」として扱われる。だが、それらが思惟過程の産物ではなく、自体的に存在するものであることを証明しきれるのか、また「意識」が社会的リアリティであるとイリエンコフの規定するが、これが「物」のリアリティと別次元のものであるとすれば、これらのリアリティの区別がいかなる根拠によって成立するのかなど、多くの疑問点が解消されないまま残ることになる。
  79. M. Merleau-Ponty, Les adventures de la dialectique. Paris. 1955. (邦訳『弁証法の冒険』滝浦静雄・木田元・田島節夫・市川浩訳、みすず書房、1972年。)
  80. Ibid. p. 84. (訳書83頁)
  81. Ibid. (訳書83-84頁)
  82. Ibid. p. 89-90. (訳書89-90頁)
  83. ここでは、「感覚器の所与は我々の知識の基礎をなすものであるが、その建物の全てではない。思惟は、直接的に感覚には許されていない現象の運動法則の知識に達しながら、さらに客観的真理の道を歩む。思惟は感覚と結合しているが、同時に質的に異なっている」として、認識における思惟の役割が感覚と「質的に異なる」ことが認められている。これは反映論の基本的な見解と抵触する可能性もある。ОМФ.С. 313.
  84. Merleau-Ponty, op. cit., p. 84. (訳書83-84頁)
  85. これについては以下を参照されたい。ミハイル・エプシュテイン「ポストモダニズムとコミュニズム」望月哲男訳『現代思想』前掲号、80-102頁。望月哲男「ロシア文化は「ポストモダン」か?」北海道大学スラブ研究センター公開講座『ロシア文化の新しい世界』社団法人北海道開発問題研究調査会刊、1997年、5-20頁。
  86. クーノー・フィッシャー『ヘーゲルの哲学史』玉井茂・堀場正治・篠田暢之訳、勁草書房、1988年、4頁。
  87. ちなみに、日本でも彼の著書『弁証法的論理学のカテゴリーとしての矛盾』が翻訳されている。バチシチェフ『矛盾と弁証法』武井勇四郎訳、合同出版、1969年。
  88. Шердаков В.Н. Г. С. Батищев: в поиске истины пути и жизни // Введение в диалектику твор-чества. СПб., 1997. С. 446-460.
  89. マラーホフ前掲、15頁。

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