SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese )


コミュニズムとコスミズム:

ボグダーノフと建神主義の場合

佐藤正則 (東京大学・院)

Copyright (c) 1996 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.


1.はじめに

 

ロシア思想研究において近年、「ロシア・コスミズム」の名のもとにひとつの精神潮流がいちじるしく注目されるようになってきている。「ロシア・コス ミズム」とは19世紀末から20世紀の前半にかけて見られた潮流で、代表的な思想家としては、フョードロフ、ソロヴィヨフ、ベルジャーエフ、ブルガーコ フ、ツィオルコフスキー、ヴェルナツキーといった人物があげられる。セミョーノヴァによれば、ロシア・コスミズムとはたんに宇宙の全一性、宇宙(コスモ ス)と人間(ミクロコスモス)との連関を主張するにはとどまらない。ロシア・コスミズムの重要な特徴は人間の積極的進化という理念である。ロシア・コスミ ズムの思想家たちは、将来、宇宙の進化は意識的な進化という新しい段階にいたり、そこでは人間の理性が宇宙を変容させる役割を担うだろうと考えた。さらに その際、宇宙を変容させるのは個人ではなく、意識的・感覚的存在の総体、すべての世代を統一させた全人類であるとされる。世代を超越した人類の集団的な肉 体とでもいうべきものが形成され、人間は不死を獲得するのである。そして、そのためには人間のあらゆる知の総体が、宇宙を進化させるための総合科学として 統合されなければならないという*1。

このような「ロシア・コスミズム」という概念を設定することは、ロシア精神の隠された一面を明らかにするばかりではなく、従来のロシア思想研究の枠 組みであった宗教思想と無神論、保守主義と革命思想の二分法を克服して、新しい展望をあたえることを可能にするであろう。

しかし、ロシア・コスミズムが19世紀末から20世紀前半にかけてのロシア精神の重要な特徴とみなされてきているにもかかわらず、やはり同じ時代に ロシアで重要な位置を占めていた精神潮流であるはずのボリシェヴィズム、コミュニズムとの関係の有無については、これまでのところほとんど論じられていな い。せいぜい、フョードロフの思想のある部分がコミュニズムと類似していることが指摘されているにすぎない。とはいえ、ボリシェヴィキの思想の中にロシ ア・コスミズムを想起させる要素があることもまた事実である。筆者は先にボグダーノフの哲学を論じた際に、ロシア・コスミズムとのつながりの可能性につい て示唆しておいた*2。本稿ではコミュニズムとロシア・コスミズムとのつながりについて、ボグダーノフに加えて、ボリ シェヴィキの中でロシア・コスミズム的傾向をもっともはっきりとうちだしたと考えられる建神主義を含めて考察してみたい。

建神主義はかつてはボリシェヴィキ党史における偏向のひとつとして片づけられてきた。しかし、近年になっておもに欧米において、建神主義がボリシェ ヴィキのメンタリティーのある重要な側面を体現したものであること、建神主義的なメンタリティーがソ連期の文化やイデオロギーに受けつがれていることが指 摘されるようになった。つまり、ボリシェヴィズムを精神史的に解きあかすうえで、建神主義はきわめて重要な手がかりとみなされるようになっている。した がって、建神主義のロシア・コスミズム的な側面を分析することは、ロシアのコミュニズムとロシア・コスミズムとの関係について新しい展望をあたえると期待 される。

ただしながら、本稿の目的は、建神主義とロシア・コスミズムとの個々の類似点を詳細に比較分析することではない。また、おのおのの思想家の間の個人 的な影響関係、すなわち建神主義者たちがロシア・コスミズムの思想家の著作や思想をどの程度知っていたかについても検証しない。本稿において明らかにした いことは、ロシアにおいてコミュニズムがロシア・コスミズム的な傾向を帯びたことが、どのような思想的な意味をもったかということである。そのことによっ て、20世紀初頭のロシアにおいて、コミュニズムとロシア・コスミズムとが接触することを可能にした要因を明らかにできると考えられる。


2.建神主義

 

建神主義は1905年革命後にルナチャルスキー、バザーロフ、ゴーリキーらを理論的指導者とし、ボグダーノフの哲学や宇宙観の強い影響の下で生じ た。

建神主義者たちは、現在の人間をまだ不完全なものであるとみなしていた。また、宇宙もいまだ非組織的で盲目的であると考えていた。かれらによれば、 人間はこの盲目的な自然、物質の抵抗との生存闘争をつうじて進化していき、同時に自然にはたらきかけて、それをつくりかえる。そして将来は、人間は全宇 宙、全自然をつくりかえて、宇宙に合理性と合目的性をあたえ、宇宙を理性によって支配するようになる。そのときには人間はより調和のとれた完全な生物とな り、死を克服する。そして人間の理性と宇宙とが調和を獲得するという。建神主義者たちは、このような死を克服し、自然を支配する未来の集団主義的人間を神 と呼んだ。そして、こうした新しい人間の登場を信じる新しい社会主義的宗教をつくらねばならないと考えたのである*3。

このような建神主義の宇宙観や人間観には、あきらかに西欧思想からもロシアの革命思想の伝統からもみちびきだせない特徴がある。まず、自然というも のが死をもたらすものと考えられており、人間社会におけるさまざまな矛盾や人間の思考におけるフェティシズムはすべて、人間が自然の力に服従していること から生じているとされている点。そして、人間が理性の力によって自然に合目的性をもたらし、自然をつくりかえねばならないと考えられていること。人間が将 来、文字どおりの肉体的な不死を獲得することができるとされていること。さらに、人類全体が肉体的な感覚や感情をも共有しうるとする極端な集団主義を唱え ており、しかもその際、集団とは同時代のひとびとだけでなく、祖先や子孫をも含めた超世代的な人類と考えられていることなどである。こうした特徴はロシ ア・コスミズムを想いおこさせる。とりわけフョードロフの思想との間にはあまりにも多くの共通性があるばかりか、用語法にいたるまできわめてよく似てい る。もっともボグダーノフにしても建神主義者たちにしても、ロシア・コスミズムの思想家、たとえばフョードロフに直接言及しているわけではない。しかしな がら、かならずしも個々の思想家の間の直接的な影響関係をあとづけることができないにしても、すくなくとも両者が同じ精神的潮流の中に位置づけられうるこ とは想像にかたくない。


3.建神主義にたいする従来の見かた

 

これまでのロシア革命研究においては、建神主義のこのようなロシア・コスミズム的な側面に積極的な意義があたえられることはなかった。建神主義は 1905年革命後の反動期に失望した社会主義インテリが宗教と神秘主義に逃避した現象にすぎないとみなされていた。

また、建神主義はしばしば、ロシア・マルクス主義がロシアに特有の宗教的・神秘的思想の影響を受けたものとされてきた。たとえばC.Readは、建 神主義を20世紀初頭のいわゆる「新たなる宗教意識」の一部分とみなしている*4。

それとならんで、民衆が宗教的な慣習にとらわれていたロシアでは革命家が宗教的な用語をもちいることで民衆の心をとらえようとしたのだ、という考え かたも根づよかった。

いずれにしても、こうした従来の研究は、建神主義をたんにマルクス主義がロシアの宗教思想に感化されたものとしか説明していない。このような解釈 は、ロシアにおいてはマルクス主義でさえも宗教的色彩を帯びるのであり、そのことがロシアの精神的後進性をあらわしているのだというニュアンスさえともな いかねない。そして、このような解釈にしたがうならば、建神主義のロシア・コスミズム的側面も、ひいてはコミュニズムとロシア・コスミズムとのつながりも ロシア的後進性のあらわれということになってしまう*5。

しかしながら、建神主義にはそのような従来の解釈とはあいいれない側面がある。建神主義を唱えた理論家たちやかれらの哲学的基盤となったボグダーノ フは、ボリシェヴィキの中でももっとも当時の西欧の最先端の哲学の教養を身につけた人物であったのである。

このことは見たところきわめて奇妙な現象に思われる。西欧の最先端の哲学の教養を身につけた理論家たちが、ロシアに特有と考えられるロシア・コスミ ズム的な思考に接近したことになるからである。このことはどのように説明されるべきなのだろうか。たんにたがいに矛盾する要素が混在しているということな のだろうか。それとも、西欧の先端的哲学を見てきたコミュニストたちが、ロシア・コスミズム的な思想になんらかの積極的な意義を見いだしたのだろうか。こ のことを明らかにするためには、建神主義の理論家たちが西欧の哲学や科学にたいしてどのような態度をとっていたのか見ておく必要がある。


4.19世紀西欧哲学にたいする建神主義の批判

 

ボグダーノフや建神主義者たちの西欧の哲学にたいする態度においてまず注目すべきことは、19世紀の半ばまでの西欧の哲学や科学を批判していること である。とりわけ攻撃の対象となったのは唯物論と決定論である。

かれらは、唯物論や決定論にしたがうならば、すべては変更することのできない必然となってしまうと考えた。人間には外部に積極的にはたらきかける能 力などはなく、必然をただ受動的に受けいれるしかない。人間の存在や生、思考にはなんの意味もなく、すべては死とともに終わってしまうことになる*6。

かれらは、このような唯物論や決定論の根底には物心二元論があると考えた。物質がわれわれの外部にそれ自体として存在し、われわれはそれを知覚する だけの存在となってしまうからだ。また、決定論批判と関連して、ニュートン的な機械的宇宙観も批判の対象とされている*7。

つまり、ボグダーノフや建神主義者たちは、19世紀までの西欧の哲学と科学の主流であったデカルト的物心二元論と唯物論、決定論、そしてニュートン 的な機械的宇宙観を批判して、新しい哲学をつくりだそうとしていた。

もちろん、唯物論や決定論にたいする批判は以前からロシアの思想家にはまま見られた現象ではあるし、19世紀末にはロシアの知識人の関心は、無神 論、唯物論、実証主義から、宗教、カント主義、観念論、象徴主義へと移っていた。しかし、ボグダーノフや建神主義者たちは唯物論や決定論をただ批判しただ けではない。こうした19世紀までの西欧哲学が西欧においても完全に危機におちいっていることを見てとっていた*8。

実際、19世紀末から20世紀初頭にかけて、西欧ではこれまでとは異なる新しい精神潮流が生じていた。それはデカルト的な物心二元論とニュートン的 な決定論的、機械的宇宙観にたいする反発であり、「実証主義への反逆」(スチュアート・ヒューズ)であった。建神主義者たちはこのような西欧における思想 的転換を敏感に感じとり、19世紀末から20世紀初頭に生じた新しい哲学潮流をさかんに取りいれていたのである*9。


5.西欧の近代的自我にたいする建神主義の批判

 

建神主義者たちが西欧思想を批判する際のもうひとつの対象は個人主義である。このとき、そもそも個人の自我そのものがたんなる幻想にほかならないと される。

たとえば、ボグダーノフは、個人という観念は人間の分裂を意味するものであると考えた。かれの考えによれば、人間が支配者と被支配者に分裂し、また 労働の専門化、分業によって分裂することで、個人という観念と個人的自我が生まれた。ボグダーノフは、個人主義が生じた結果、世界は個人の経験を超越した ものとなってしまったと考えた。また、ゴーリキーは、個人主義者はこの世界に自分と自分の目の前にある死のほかにはなにも知覚することができないと批判し た。このように、かれらは個人という観念の誕生が受動的決定論と機械的宇宙観を生みだしたと考えている*10。

また、ボグダーノフは物心二元論の源泉をも支配者と被支配者との分裂に見いだしている。つまり物心二元論も個人という観念とともに生まれたというの である*11。

このように、かれらの考えでは、個人的自我という観念が唯物論に特有の受動的決定論と機械的宇宙観、その根底にある物心二元論を生みだしたのであ り、したがって個人主義が19世紀末の哲学や科学の危機をもたらしたのである。同時に、哲学や科学の危機は個人主義にとっての危機でもあるとされる。

このように建神主義者たちにとっての課題は、人間の生を無意味にし人間を抑圧する唯物論と決定論、物心二元論、機械的宇宙論、そしてそれと分かちが たく結びついている近代的自我を克服することであった。


6.建神主義による新しい西欧哲学の受容

 

こうした課題を解決する手がかりとして、ボグダーノフや建神主義者は西欧の新しい哲学に目を向けた。先ほども述べたように西欧ではこれまでとは大き く異なる新しい哲学が生じていた。たとえば、マッハやアヴェナリウスは物質と精神をともに感覚的要素に帰着させることで物心二元論を克服しようとした。 マッハの哲学はアインシュタインに影響をあたえ、またフッサールの現象学へと受けつがれていく。また、動物学者E.ヘッケルは生物(有機物)と無生物(無 機物)との間に根本的な相違はないと主張し、無生物と生物とを同じ連続的進化の一環としてとらえようとした。また、ベルグソンもこのような精神潮流に位置 づけられる。こうした西欧哲学の転換は、ボグダーノフや建神主義者たちにとっては、一元論的で有機体的な宇宙論への志向、決定論の克服と人間の創造性の高 揚のこころみを意味するものであった。ボグダーノフがマッハやアヴェナリウスの経験批判論を取りいれたことはよく知られているが、かれはそのほかヘッケル やオストワルドといった哲学者にも強く感化されている。そして、こうした哲学をルナチャルスキーやバザーロフといった建神主義者たちも共通して取りいれて いたのである。

しかしながら、ボグダーノフや建神主義者たちはけっして当時の流行をただ無批判に受容していたわけではない。かれらは西欧の先端的な哲学にたいして も批判の目を向けている。

たとえば、ルナチャルスキーは、マッハやアヴェナリウスは物質と心理の断絶を克服することには成功したけれども、必然と自由との断絶を克服するには いたらなかったと批判している。また、ボグダーノフは、マッハの哲学においては物理的なものと心理的なものとを二分する二元論が完全には克服されていない し、経験の要素がそれ自体として人間の外部に存在していると批判した*12。

総じてボグダーノフや建神主義者たちが20世紀初頭の最先端の西欧哲学にたいしてもっていた不満は、人間の創造性の重視が不十分であることと、個人 主義が克服されていない点であるといえる。かれらは20世紀初頭の西欧の哲学が19世紀の精神の克服をめざしていることは評価しながらも、まだそれが不十 分であると考えている。ボグダーノフは経験一元論やテクトロギアといった独自の体系的な哲学を構築しようとし、建神主義者たちは独自の一元的な宇宙観をう ちたてようとしたが、このことは20世紀初頭の西欧の哲学の不十分さを補おうとするこころみであり、20世紀初頭の哲学がめざしていた新しい世界観を実現 しようとするこころみであったと考えられる。


7.ボグダーノフ、建神主義による独自の哲学の形成とロシア・コスミズム

 

では、ボグダーノフや建神主義者たちは、どのようにして20世紀初頭の西欧の哲学を補おうとしたのだろうか。これについては2つの点があげられる。 ひとつは人間の創造性を強調したことであり、もうひとつは集団を重視したことである。

人間の創造性の重視の一例としては、ボグダーノフが経験の要素を人間の社会的労働の産物とみなしたことがあげられる。さらにボグダーノフはあらゆる 現象を人間の労働の結果とみなす「労働因果律」を唱えた。また、ゴーリキーも人間の存在と創造とは同一のものであると主張した*13。

他方、集団の重視としてあげられることは、ボグダーノフが心理的なものを個人的経験、物理的なものを社会的な経験とみなすことで、客観的世界をひと びとの社会的な協働の産物としてとらえたことである。また、ゴーリキーは創造の能力をもっているのは集団だけであると述べた。さらにゴーリキーは芸術作品 を芸術家個人の創造物とみなすことにさえ反対した。芸術家は集団が創造した形象をただ表現しているにすぎないという14。

このように世界をひとびとの社会的な創造物とみなす考えかたがどこからみちびきだされたものであるのかについては、ボグダーノフも建神主義者たちも 明言しておらず、あたかもア・プリオリな前提であるかのように主張しているのみである。では、この考えはどこからみちびかれたものだと考えればよいのだろ うか。

ここで注目したいことは、このような人間の創造性の強調、世界の発展とひとびとの社会的協働とを結びつける考えかた、また個人ではなく集団のみに創 造の能力を認める考えが、ロシア・コスミズムの特徴と一致することである。こうした考えかたこそがボグダーノフや建神主義のロシア・コスミズム的な側面を 形成しているといえる。

つまり、19世紀の西欧の精神の克服と新しい世界観の構築を目的として、20世紀初頭の西欧の新しい哲学をとりいれた際に、その不十分さを補充する ためにロシア・コスミズム的な思考が導入されているのである。そして、ボグダーノフや建神主義者たちの思想において、ロシア・コスミズム的な要素は20世 紀初頭の最新の哲学の要素とはけっして矛盾しておらず、むしろたがいに補いあってひとつの体系をなしている。かれらにとっては20世紀初頭の西欧哲学とロ シア・コスミズム的な思考とはたがいに調和するものだったのである。

このように見てくると、ボグダーノフや建神主義においてコミュニズムがロシア・コスミズム的な側面を帯びたことは、かならずしもロシア的な後進性の みを意味するものではないことが明らかになる。かれらの思想において20世紀初頭の西欧の先端的な哲学とロシア・コスミズム的な思考がともに見られること は、たんにあいいれない矛盾した要素の混在を意味しているのではない。かれらにとって、20世紀に西欧で生じつつあった新しい哲学の流れをとりいれ発展さ せることと、ロシア・コスミズム的な思考を導入することとはどちらも、19世紀の近代西欧を超克して、新しい世界観と哲学を構築するためのものであり、同 じ意味をもつものであった。

20世紀初頭の西欧哲学の特徴は唯物論や決定論、機械的宇宙観にたいする反発、一元的で有機的な宇宙観の構築のこころみであった。この特徴はロシ ア・コスミズムの特徴と奇妙に一致する。ボグダーノフや建神主義はこのような一致を体現していると考えられる。


8.おわりに

 

本稿では、ボグダーノフや建神主義を事例にとって、ロシアにおけるコミュニズムとロシア・コスミズムとの関係について考察してきた。この考察をつう じて明らかになったように、20世紀初頭のロシアにおけるコミュニズムとロシア・コスミズムとのつながりは、ロシアのコミュニズムの後進性を意味するもの ではない。コミュニズムにとって、ロシア・コスミズムは西欧近代の克服というコミュニズムの課題と一致するものであった。そして、20世紀初頭の新しい西 欧哲学を取りいれることと、ロシア・コスミズムに接近することとはけっして矛盾することではなかった。つまり、西欧において20世紀初頭に生じた哲学の大 転換の方向が、ロシア・コスミズムのもつ傾向や志向と一致していたのである。

ロシアは19世紀の末にいたるまで、西欧の近代合理主義や近代科学の精神からは取りのこされていた。ロシア思想においては、物質と精神とを区別する 物心二元論さえ厳密な意味では根づかなかった。ロシア・コスミズムもそうしたロシアの精神に根ざしていると考えられる。

しかしながら、20世紀初頭に西欧において19世紀までの近代哲学が批判され、それとは異なる新しい精神潮流が登場した。そのとき、近代西欧の哲学 や科学を批判して生じた西欧の新しい精神と、近代哲学や科学とは異質のロシア的な精神とが、たがいに似かよった特徴や傾向をもつという現象が生じたと考え られる。そしてボグダーノフや建神主義は、このような西欧哲学とロシア思想との一致を体現していたのである。

ここで、ボグダーノフの宇宙観や建神主義のメンタリティーがボリシェヴィズムにおいて重要な要素となったことを考えあわせるならば、ボリシェヴィズ ム、ロシアのコミュニズムのある本質的な部分が、20世紀初頭の西欧の哲学とロシア・コスミズム的な精神との一致のうえに構築されたと考えられるのではな いか。

このようにコミュニズムとロシア・コスミズムとのつながりをさらに検討することによって、コミュニズム、ロシア・コスミズム双方にたいして新しい視 点を得ることができるようになるであろう。


ー注ー


  1. S. G. Semenova, "Russkii Kosmizm," Russkii Kosmizm: Antologiia filosofskoi mysli, Moskva., 1993, pp.3-33.

  2. 拙稿「世界を創造する協働--A.A.ボグダーノフの思想における宇宙と人間の進化」『ロシア語ロシア文学研究』第28号、1996年、33 −47頁、とりわけ42−43頁。また、ボグダーノフの思想にかんしては拙稿「A.A.ボグダーノフの宇宙観と人間観--協働による集団的肉体の創造」 『ロシア史研究』第58号、1996年、60−68頁も参照。

  3. 建神主義者たちは宗教的熱狂こそが、大衆を団結させ、積極的な行動へと駆り立てるもっとも有効な手段と考えていた。つまり、建神主義者たち は、人間の理性よりも感性を重視し、宗教とか神といったシンボルや儀礼をもちいることで大衆の感情や感性に訴えようとしている。こうした理念は、のちのプ ロレトクリトの運動や社会主義儀礼の実験へと受けつがれていくものである。このことは20世紀初頭の西欧思想との関係において重要な意味をもつ。こうした 大衆の感性に訴える政治思想は、西欧において19世紀末から20世紀初頭にかけて生まれたものであり、ル・ボンの群衆論やソレルの社会的神話、パレートの エリート理論に代表されるもので、ファシズムへも受けつがれた。建神主義者とりわけルナチャルスキーはソレルやパレートの思想を積極的に取りいれていた。 この点にも、一見ロシア的な宗教性とみなされるものと、20世紀初頭の西欧の精神との一致が見られる。

  4. C. Read, Religion,  Revolution  and  the  Russian Intelligentsia, 1900-1912: The Vekhi Debate and its Intellectual Background, London, Macmillan, 1979.

  5. なお、G. Kline は建神主義の起源として次の3つをあげている。1.19世紀ロシアのラディカリズム、2.フォイエルバッハによる、神学の哲学的人間学へのヘーゲル左派的 転化、3.ニーチェの「超人」の教義 (G.L. Kline, Religious and Anti-religious Thought in Russia, Chicago, The University of Chicago Press, 1968, p.103.)。しかしながら、Kline はニーチェの影響には言及しているものの、建神主義が20世紀初頭の哲学や政治思想を積極的に取りいれることによって生じたものであることを十分にとらえ ているとはいいがたい。

  6. たとえば、A.V. Lunacharskii, "Ateizm," Ocherk po filosofii marksizma, Sankt-Peterburg., 1908, pp.110-116.

  7. たとえば、ボグダーノフのニュートン批判にかんしては、拙稿「世界を創造する協働」34頁。

  8. A.A. Bogdanov, "Filosofiia sovremennogo estestvoispytatelia," Ocherki filosofii kollektivizma, Sankt-Peterburg., 1909, p.37; V.A. Bazarov, "Bogoiskatel'stvo i bogostroitel'stvo," Vershiny, Sankt-Peterburg., 1909, pp.349-350.

  9. スチュアート・ヒューズ『意識と社会ヨーロッパ社会思想1890ー1930』生松敬三、荒川幾男訳、みすず書房、1970年。もっとも、ロシ アでは現在でもマッハやボグダーノフの哲学を「実証主義」ととらえる考えかたが主流である (Russkii pozitivizm: Lesevich, Iushkevich, Bogdanov, Sankt-peterburg., 1995; H.H. Nikitina, Filosofiia kul'tury russkogo pozitivizma nachala veka, Moskva., 1996.)。たしかにボグダーノフや建神主義者たちには「実証主義」を擁護しようとする発言もしばしば見られる。しかし、たとえばボグダーノフは「実証 主義」に積極的な定義づけをおこなってはおらず、「正確な知への志向」、「フェティシズム、神秘主義、盲目的信仰にたいする敵対」という程度の意味でもち いているにすぎない (A.A. Bogdanov, "Filosofiia sovremennogo estestvoispytatelia," p.43.)。 そのうえボグダーノフも建神主義者も、ヒューズが「実証主義」の特徴とみなしている「唯物論」「機械論」「自然主義」などをきびしく批判している。また、 マッハやボグダーノフの哲学には、実証主義をさらに発展させたと考えられる一面もないわけではない。しかしながら、かれらは19世紀の西欧の実証主義の産 物を否定し、それを克服して新しい世界観をうちたてようとしていたのであり、この側面をみのがしてはならない。木田元、野家啓一らはマッハ哲学をむしろ 「実証主義」を克服するこころみとみなしている(木田元「身体・感覚・精神」新・岩波講座哲学9『身体感覚精神』、岩波書店、1986年、1−36頁、野 家啓一「マッハ科学論の現代的位相」岩波講座現代思想10『科学論』、岩波書店、1994年、3−34頁)。

  10. A.A. Bogdanov, O proletarskoi kul'ture, 1904-24, Moskva-Leningrad., 1925, pp.24-25; M. Gor'kii, "Razrushenie lichnosti," Ocherki filosofii kollektivizma, pp.362-363.

  11. A.A. Bogdanov, O proletarskoi kul'ture, 1904-24, pp.20-21.

  12. A.V. Lunacharskii, "Ateizm," p.148; A.A. Bogdanov, Empiriomonizm, book ・, Sankt-Peterburg., 1906,p.XXXI; A.A. Bogdanov,"Filosofiia sovremennogo estestvoispytatelia," pp.104-105.

  13. 拙稿「A.A.ボグダーノフの宇宙観と人間観」61−62頁。M. Gorユkii, "Razrushenie lichnosti," p.358.

  14. 拙稿「A.A.ボグダーノフの宇宙観と人間観」62頁。M. Gor'kii,"Razrushenie lichnosti," pp. 360-361.

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