SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese )


ミクロデータから見た企業間取引 *1

吉井昌彦(神戸大)

Copyright (c) 1996 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.


はじめに

1992年の市場経済への移行開始後、ロシア企業は生き残りをかけた変遷を遂げてきた。本稿では、重点領域研究B01山村班が1994〜95年にか けて行ったロシア製造業企業経営者への対面インタビュー、1995年に行った企業実態調査、及び1996年のフォローアップ調査により得られた企業財務 データを利用することにより、ロシア企業の企業間取引がどのように変化してきたのかを検討する。なお、分析は、データの制約上、市場経済への移行開始後、 最も大きな苦境を経験してきた部門の一つである製造業企業に限定されることをお断りしておく。

苦境に落ちたロシア製造業企業

第1表は、1994年9月から95年5月にかけてロシア製造業企業45社の経営者に行った対面インタビューから得られたデータのうち、本報告に関連 した部分のみを抜粋したものである *2

第1-1表から明らかなように、ロシア製造業企業は、若干の例外を除き総生産量が大幅に減少している。移行開始直後の92年末でデータの得られた 27企業の平均で25.1%生産量は減少し、その後も生産量の減少は止まることなく、データの得られた32企業の平均で1994年生産水準は1990年と 比較すると平均で41.3%であり、生産量が増加した2企業を除くと平均は36.0%となり、およそ3分の1の水準へ生産量が落ち込んでいることが分か る。

このような生産量の大幅な低下は、当然、企業財務結果の悪化をもたらしている。まず、1990年の売上が得られた企業についてのみ1990年に対す る各年の売上の伸び率を見ると、1992年13.8倍、1993年105.0倍、1994年316.2倍とこの間の物価上昇率を下回るものであり、実質的 な売上の減少となっていることが分かる。とくに、売上が例外的に著しく伸びた21番の"DALREMVASH"を除いて売上の伸び率を計算すると1992 年10.2倍、1993年77.3倍、1994年253.7倍と売上の伸び率は益々低い水準にとどまっていることが分かる。

同様に、1990年に対する利潤の伸び率を計算すると1992年20.7倍、1993年132.0倍、1994年425.6倍であるが、これも利潤 の伸び率が例外的に高い4番の"MSZ"を除いてやると、1992年16.7倍、1993年90.9倍とさらに低い伸び率にとどまることが分かる。

このような企業財務状況の悪化が各企業の支払不能問題を引き起こし、企業間不良債務(未払)問題を引き起こしたことはよく知られている。1-2表か ら明らかなように、1992年以降、多くの企業で不良債務問題が発生している *3 。 そして、その問題は1995年になっても解決されていない。各企業は、このような企業間の不良債務問題を、連邦政府の勧告もあり、前払いあるいはバーター 取引を採用することにより乗り切ろうとしてきた。ほぼすべての企業で前払いが適用されており、しかも多くの企業で売上の100%あるいはほぼそれに近い率 で前払いが適用されている。バーター取引については前払いほどはその採用率は高くないものの、やはり多くの企業で採用されていることが分かる。したがっ て、1992年以降の売上高の減少に伴う企業間不良債務問題の発生は、ロシアにおける企業間の取引形態を前払いあるいはバーター取引という極めて原始的な 形態に押し止めてしまったことが分かる。

次に、1-3表によりCIS諸国との取引関係を見てみよう。まず明らかなことは、調査企業45社のほとんどが製品をCIS諸国を含め外国へは輸出し ていない、すなわち、製品はロシア企業向けに製造されているということである。部品の調達率については次のようなことが言える。

1)ほとんどの企業において部品の多くは内部調達されており(1990年で内部調達率は平均52%)、この傾向は1992年以後もほとんど変 化がない。
2)およそ半数の企業がCIS諸国から部品を調達しているが、その調達率は若干の例外を除き、1992年以後もあまり変化がない。このこと は、調査企業が外部から調達している部品の仕様は特殊であり、CIS諸国の独立により外部からの部品調達が困難になったとしても、ロシア国内に代替調達企 業を探すのは困難であり、従来の部品調達関係を続けざるを得ない、ということを意味している *4

以上述べてきたように、1992年の市場経済への移行開始以後、1)財務務状況の悪化に伴う企業間未払問題により、企業間の取引形態が前払いあるい はバーター取引といった極めて原始的な形態に押し止められている、2)CIS諸国の独立により部品調達の条件は大きく変化してきているにもかかわらず、旧 来の取引関係が続いている、あるいは続けざるをえない、ということが分かる。

企業財務データから見た企業間取引関係

次に、個別企業の財務データを利用し、企業間取引関係を見ることとしよう *5 。 ここで利用される企業財務データはモスクワ「コンプレッサー」社(インタビュー調査表の13番)とハバロフスク「ダーリエネネルゴマシュ」社(同19番) である。

まず、コンプレッサー社についてみると、第2-1表 から生産高が大きく落ち込んでいることが分かる。1990年までは毎年おおむね5,000台以上の冷却用設備が生産されていたが、1991年以降生産高が 低下し初め、1992年以降減少割合は大きくなり、1994年にはたった399台しか生産されなかった。1995年1〜9月の生産台数も240台であり、 1994年の数値を割り込んでいる。

このような生産高の減少は、当然のことながら、売上の減少を招き、利潤の低下、さらには赤字への転落をもたらすはずである。2-22-32-4表によりバランス利潤を見ると、1990年のバランス 利潤は1,532万ルーブルであり、生産台数が17分の1に落ち込んだ94年のバランス利潤は58億8,372万ルーブルへと384倍も増大している。ま た、1995年のバランス利潤も109億4,925万ルーブルとなっている。これほど生産高が落ち目込めば利潤は損失となるはずであるのに、なぜ利益が出 るのだろうか。その理由としては次の3点が考えられる。

1)ロシアでは、各製品毎にマークアップ率が決められており、需要が減少したとしても価格を(インフレ下では相対的に)引き下げて売上を確保 するよりも、マークアップ率を維持して価格を引き上げ、利益を確保しようとする行動が一般的である。
2)売上について現金主義による売上計上が認められているため、生産物を出荷すれば現金が手許に入ってくるかどうかにかかわらず売上として計 上される。
3)インフレが発生しているにもかかわらず、原価計算において先入先出法が利用されているため、製造原価が低く評価され、その分利益が過大評 価される。

いずれにしても、コンプレッサー社及びコンプレッサー社との取引関係を持つ企業の売上の減少に伴い、コンプレッサー社も企業間未払問題に悩むことに なる。2-4表は各年度のバランス表から未払金と未収金 をまとめたものであるが、1991年末のコンプレッサー社の対企業未払金は164万ルーブルで、対企業未収金は634万ルーブルであり *6 、この額が1992年末には、それぞれ、2億2,994万ルーブル、2 億9,020万ルーブルへ急増したことが分かる。したがって、コンプレッサー社は1992年に深刻な企業間未払問題を抱えるようになったことが分かる。

その後も対企業未払を含む未払問題は続いている。未払合計額は、1993年34億1,782万ルーブル、94年86億9,221億ルーブル、95年 210億215万ルーブルと毎年2.5〜6.2倍の早さで増加している。しかし、その構成比率を見ると大きな変化が起きている。対企業の未払金、未収金 は、1993年末にはそれぞれ6億5,218万ルーブル、9億1,951万ルーブルであり、物価上昇率を考えれば、低い伸びしか示しておらず、企業間未払 問題は峠を越したように思える。これは、上述の前払いの適用によるものである。しかし、第2-3表の付表から明らかなように、多額の未払を起こしている企業は全額3ヶ月以上の未払となっており、不良債務の 長期化傾向はやはり解消されていないことが分かる *7

とは言え、未払問題の中心は対予算、対予算外フォンド、対保険を合わせた対国家債務へと動いてきたのである。まず、1993年に対予算外フォンドの 未払が前年の2,011倍へ急増した。また、対予算の未払も34倍に急増し、対企業未払額を上回るようになった。また、1994年からは対保険未払も急増 している。このように、コンプレッサー社の未払問題は対企業から対政府へとその重心が移っているのである。

同様の財務諸表がダーリエネルゴマシュ社についても得られているが、ここでは煩雑さを避けるため、未払金・未収金をまとめた3-2表を利用して、ダーリエネルゴマシュ社の未払問題を見 ることとしよう。対企業の未払金は1992年に1269倍に増加したが、その後は2〜3倍の増加にとどまっており、1993年以後、企業間(商品・作業・ サービス)未払問題はかなりの程度解消されている。他方、1993年では対予算未払が、1994年では対予算外フォンド未払が、1995年では再び対予算 未払が最も高い伸びを示していることから、ダーリエネルゴマシュ社においても1993年以降未払問題は対企業から対政府へとその重心が移った、と言える。

さらに、対予算未払の納入状況を詳しく見てみることとしよう。第3-3表は、ダーリエネルゴマシュ社の1995年の税金納入状況である。これを見ると同じ税金であっても納入率が大 きく異なることが分かる。最高は個人所得税の116%であるが、これはおそらく1994年以前の未払分を支払ったためであろう。他方、最低は利潤税(法人 税)の19%である。このように、ロシア企業は同じ税金といっても税目毎に優先順位を付けて納入していることが分かる。さらに注目すべき点は、経済制裁、 すなわち税の未払に対するペナルティーは100%納入していることである。これは、未払に対するペナルティーは1日7%という高率であり、これの納入を怠 ると雪だるま式に税の未払額が増加するためである。


まとめ

以上見てきたように、ロシア製造業企業の企業間取引関係は1992年以降極めて悪化しており、それは財務的には企業間未払問題をもたらした。各企業 はこれに対して前払いあるいはバーター取引という極めて原始的な取引関係に戻ることにより企業間関係を維持してきた。政府は企業間の決済制度を近代化する ことによりこの問題の解決を図ろうという意図も見せているが、2-4表 から明らかなように、未収金のうち受取手形によるものは1995年になり初めて現れ、まだその額は少額である、すなわち、ロシアにおける決済ではまだ手形 の利用は進んでおらず、決済制度の近代化はまだまだである、と言える。また、未払問題は、企業間未払問題から対政府未払問題へとその内容を変えてきた。し かも、同額の未払があるときには、企業は国家権力の前に対政府未払の納入を優先させている。しかし、このような態度は、企業の手許流動性を引き下げること になり、生き残りを益々困難にさせている。ロシア製造業企業の生産拡大、生き残りへの道は企業自身の努力によるだけでなく、政府の努力にも大きく依存して いるのである。


−注−
  1. 本稿の作成に当たっては、ラウンドテーブルでの他の報告者である田畑伸一郎先生(スラブ研究センター)と岩 崎一郎先生(一橋大学)の報告ならびに大津定美先生(神戸大学)と西村可明先生(一橋大学)からのコメントから貴重な示唆を受けた。記して感謝申し上げ る。もちろんありうる誤謬は筆者の責任である。
  2. 45社以外に極東地域において別途インタビュー調査が行われているが、本稿では取り上げない。
  3. 拙稿「ロシアにおける企業間未払問題とマクロ経済安定化」『国民経済雑誌』、第171巻第3号、1995年 3月、「ロシア企業の財務問題とマクロ経済」『重点領域研究成果報告書』、近刊を参照されたい。

  4. この部分は、研究会における山村理人先生(スラブ研究センター)の追加説明に負う。
  5. 個別企業の 財務データ問題については上述「ロシア企業の財務問題とマクロ経済」を参照されたい。
  6. ここで未払金(kreditorskaya zadoldjennost')と未収金(debitorskaya zadoldjennost')は、バランス表における未収金、未払金を示しており、支払期限内の未払金・未収金と支払期限超過の未払金・未収金の合計額 を意味している。
  7. 政府は、企業の財務報告書の中で企業間未払問題がより明確に示されるよう、財務報告書の内容を毎年変更して おり、1995年度分からは未払総額の内容、多額の未払を起こしている企業の名前をリストアップするようにバランス表の付表の内容を変更している。

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