ITP International Training Program



実録・掲載への道(Modern Asian Studies での掲載決定に至るまで)

麻田 雅文

(北海道大学大学院文学研究科博士課程3年)



 先月、投稿論文を出版します、というメールを Modern Asian Studies の編集部から受け取った。ここに至るまでの道のりをまとめて欲しい、という有難すぎて腰が引けるご依頼をITPから頂いていたが、いよいよ逃げる口実も尽きたので、恥ずかしながらその経験を披露してみたい。英語論文を投稿するに当たり、こんな奴でも通るのかと、皆さまの気持ちが軽くなれば幸いです。


 大学院に入ってから親も呆れるほどの時間がたったが、英語で論文を書くことは考えたこともなかった。テストのためだけに暗記を強いられる英語は中高を通じて苦手であり、ロシア語を学ぶうちに英語はすっかり「お留守」になっていたからだ。おまけに、理系と違って文系大学院では英語論文を書くことにインセンティブを見出すことは難しい。労多くして益なし、日本語の論文で数を稼いだほうが賢い、という考えはスラブ研究センターの外では通用する「常識」かもしれない。しかし、ここはスラ研である。国際的な業績をバシバシ発表してゆく指導教員たちに、大学院生たちも刺激されないわけがない。正確にはそうした教員の一人である松里先生にソウルへ「連行」されることになり、学会用に英語論文を書かざるを得なくなった。

 2008年2月の学会の詳細はニューズレター113号に書いたので、そちらを参照して頂きたい[→click]。私のプレゼンは後々夢でうなされる程の失敗だったが、論文自体には多少の自負があったので、何とか形にしたいという希望は持ち続けた。根が貧乏性なもので、苦労した原稿をお蔵入りにするのが惜しかったのもある。ともあれ、次はどこに投稿するかで迷っていた。そこで、5月にスラ研で聞いた以下のコーエンカー先生( Slavic Review 元編集長)の玉言が、大いに参考となった。


「より主観的には、自分が読んでいる雑誌やそれらで自分が読んでいる論文を考慮することです。あなたがどのような仕事仲間を維持したいのか。どのような雑誌に、自分の専門に関する論文がより多く掲載される傾向にあるのか、といったことです」(ダイアン・P・コーエンカー「どうすれば、すばらしい学術論文が書けるのか」)。


 結局、冒頭にある雑誌を選んで、夏の間には掲載論文を暇な時に眺めていた。では、なぜその雑誌にしたのか。私の論文は、中国東北でロシアと中国・日本が『三国志』顔負けの角逐を繰り広げていた20世紀初頭を、各国の軍人たちの視点から描いた地域史である。お気づきの通り跨境史で、中国史やロシア史など一国史だけを対象とする雑誌では不向きだろうな、と考えていた。その点、選んだ雑誌は「学際的で比較手法を用いた」投稿を募集中、と掲げていたのが魅力的だった。また中国東北を扱った論文も数度掲載され、日本人の論文がちらほら見えるのも背中を押してくれた。どんな論文にもそれにふさわしい雑誌がある、ということはここで声を大にして言っておきたい。

 ただ、投稿してからの雑誌側のケアの良し悪しは、経験者にしか分からない。残念ながらこの雑誌に投稿した知人はおらず、その後は編集部の対応にきりきり舞いをさせられた。原稿をEMSで送ったのは9月中頃で、およそ2週後に査読者にまわします、というメールはもらえた。編集部という第一関門は通過したものも、11月5日に来たメールでは、査読者にまわした結果として、「結論部分はもっと発展させて、論文全体をもう一度校閲にまわしたら歓迎します」というアドバイスしかなく、原稿は提出した形で突き返されてきた。もっと具体的な情報が欲しくて問い合わせたが、同じような答えが返ってくるだけで要領を得ない。割り切れない気持ちで再提出に備えた。なるべく早く修正版が欲しいとも書いてあったので、12月8日には校閲を済ませて再提出する精一杯の早業である。雑誌から出版の通知が来たのは翌年1月7日。ただ、そこには査読者の「参考意見」なるものも付されていた。普通なら11月に添付されてくるべきものだろう、とその時は怒りよりも振り回される疲れを感じた。

 しかし、冷静になって思い返せば、私の論文はボツになっていてもおかしくなかったのだ。この雑誌は掲載を拒否する場合は返答しないことを明言している。それでも、査読者の意見をつけずに11月に返送してきたのは、何かが編集部の琴線にふれたからだろう。要するに私は再提出するチャンスを与えられたわけで、本当はその僥倖を喜ばなければいけないのである。というわけで、再度論文を直して最終版を送る準備をしている。


 以上の私のささやかな経験から言えることは、雑誌によって投稿者への対応には違いがあり、素気ない対応も時には理由がある、ということだろう(たぶん)。はっきりと断られるまで、投稿者は前向きな心持で編集部に応対し、誠実にその要求をクリアしてゆくしかない。また英語の論文が掲載されるまでは長い時間がかかるということ。かくいう私も、編集部に論文のストックがたまっているので「掲載は2010年末まで無理」と、1月のメールで言われている。書き始めてからおよそ3年後の出版になりそうだが、悲観はしていない。編集者も人間である。同情して前倒ししてくれるかもしれない。また千里の道も一歩から。最初は自信のある日本語の論文を使いまわすくらいのことはしてでも投稿して、同じ苦労と喜びを分かち合っていただければ、と挑戦者にはエールを送っておきたい。なお、論文の校閲費用の一部には北海道大学「共生の人文学」プロジェクトの支援を頂けた(http://www.hokudai.ac.jp/letters/offering/news3.html)。ここに厚く御礼申し上げる。

[Update 09.02.09]




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