SLAVIC STUDIES / スラヴ研究

スラヴ研究 44号

ベルジャーエフにおける宗教哲学の導因と問題

大須賀 史和

Copyright (c) 1997 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved.

はじめに
1.宗教の要請 −倫理学と世界観における問題
2.形而上学的人間像の提出
3.哲学的構成における問題
4.宗教哲学の射程
む す び
注 釈
要 約


はじめに

20世紀初頭のロシアの思想的、哲学的状況における一つの特徴として、インテリゲンツィアの間にキリスト教への回帰が見られたことが挙げられる。 ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ベルジャーエフ(1874−1948)もそうした宗教的な思想家の代表者の一人に数えられるが、マルクス主義者として デビューしつつも、19世紀末から徐々に高まりを見せたイデアリズムの潮流に合流し、さらにメレシコーフスキーらに代表される「新しい宗教意識」の運動に も接近するなど、思想の形成過程や内実を評価する上で多くの問題を提起している。従って、リードID<a href=" ohsuga-tyu.html#1="">*1 の示すような 極めて簡単な規準によっても、ベルジャーエフを当時の思想的状況の典型として考えることが不適切であるという判断を下しうるように、当時のインテリゲン ツィアの宗教回帰に単一の導因や傾向を措定することは事実上不可能と言わねばならない。また、既存の研究においては、しばしばC.H.ブルガーコフの論文 集の表題「マルクス主義からイデアリズムへ」がベルジャーエフのほか、П.Б.ストルーヴェやС.Л.フランク、М.О.ゲルシェンゾーンなどいわゆる 「道標派」として一括される知識人集団の思想的な変遷とその特徴を規定する標語とされてきた。しかし、近年つとに指摘されているように*2、こうした影響 関係は決して全面的なものとは言えず、時期や内容についての細かい注記無しには成立させることさえもおぼつかない把握の仕方であると言わざるをえない。こ れは、彼らが何を自分の中心的な問題関心としていたかという極めて基本的なレヴェルですら確認しうるのである。そうした見方に立てば、ベルジャーエフの思 想的な位置を確定する上でも、また当時の宗教的関心をも含むより広範な思想史的展望を得るためにも、個々の思想家の具体的な思索内容を検討する基礎的な作 業の蓄積が改めて要求されていると言える。

 本稿ではこうした問題関心に立って、ベルジャーエフの宗教哲学への展開における内在的な要因の解明を主目的とする。その際、マルクス主義からイデ アリズムへの移行という問題は別に論じているのでここでは割愛し*3、 主として1903年から1907年までのベルジャーエフの歩みを取り上げることにする。この時期のベルジャーエフの活動について概観しておくと、1903 年の春に流刑から帰還した後、二カ月ほどハイデルベルクを訪れ、新カント派の泰斗であったヴィンデルバントの夏学期の講義を受講する一方、チューリッヒで 結成された解放同盟にも参加している。すでに流刑に出発する以前に大学からは追われていたが、流刑後も社会的な解放への志向は変わらず、再び敢えて反体制 的な組織に参加したのである。そして、この年の後半に「史的唯物論批判*4」と、解放同盟の機関誌『解放』に「ロシアにおける宗教的発酵の政治的意味*5」を発表してい る。「史的唯物論批判」では、流刑中に発表された「イデアリズムのための戦い*6」や「哲学的イデアリズムにおける倫理学的問題*7 」などで提起 されたイデアリズムの観点の深化が見られ、そこから全面的なマルクス主義批判が展開されている。表面的に見た場合、ベルジャーエフのマルクス主義との訣別 の論文とも思われるほどであるが、マルクス主義を社会学的な観点として捉える最初期の立場を引き継いでおり、デビュー以来のテーマであるマルクス主義と批 判哲学との関係について、当時としての綜合的な見解を表明したものと言える。「宗教的発酵」は国外で匿名掲載されたため、厳しい専制批判を展開する一方 で、ペテルブルクで行われていた宗教哲学集会を題材に、ロシアにおいて精神文化の領域での自由の要求が政治的な意味を獲得しつつあることを指摘し、精神的 な領域での解放の重要性と民族的な成熟の時代の到来を説いている。この集会ではインテリゲンツィアと教会の接近が見られ、「良心の自由」を巡って新しい政 治的な解放への展望を開きつつあったこともベルジャーエフには一つの可能性と見えたのである。またここでは、Л.トルストイやВл.ソロヴィヨフなどの宗 教的思索に対しても一定の理解を示し、インテリゲンツィアと宗教との間に肯定的な関係が構築されるべきことを訴えている。

ペテルブルクに移った1904年には、宗教哲学集会の事実上の機関誌であった『新しい道』や、『生の諸問題』誌の編集にС.Н.ブルガーコフと共同 で携わっている。そして、この年にホミャコーフ生誕百年を記念して発表された「哲学者としてのGGGUSRAA01″GGGUSRAA02.  GGGUSRAA01`GGGUSRAA02. ホミャコーフ*8 」 や思想の内的な深化と周囲の思想的状況の変化を如実に示した論文「新しいロシアのイデアリズムについて*9 」などによっ て、さらに自らの哲学的な位置を確立させる一方、1905年の「現代の哲学における合理主義の危機*10 」では、 それまで依拠してきた新カント派哲学を批判的に検討し、初めから統一的な運動とは言えなかったイデアリズムから形而上学的な唯心論へと自己規定を変化させ ている。また、同じ年の論文「新しい宗教意識について*11 」 で、メレシコーフスキーやフィロソーホフらの「新しい宗教意識」の運動やローザノフのキリスト教批判など当時のロシアで起こりつつあった思想的、芸術的潮 流からの影響を受容し、本格的な宗教哲学的思索に到達していくことになる。そして、この時期の論文をまとめた1907年の論集『永遠の相の下に』の序文 「リアリズムについて*12 」 では、そうした移行の結果、神秘的リアリズムという用語で自身の立場を規定することになるのである。こうした展開において、イデアリズム的な形而上学の深 化と宗教的な問題の独自な解釈が重ね合わされ、同じ年の論文「デカダンスと神秘的リアリズム*13 」などにおいて、独特な宗教哲学の立場が打ち出されていくのである。

 しかしながら、この時期に関する研究はこれまで最も手薄であり、イデアリズムの立場から神秘的リアリズムへの移行の中で宗教哲学的な思索の基礎が 固められているという素描は多くの論者が一致して提出しているものの、具体的な問題関心や展開を把握する作業はほとんど行われていないと言っても過言では ない。既存の研究では、レスラーがイデアリズムから超越的リアリズムへの変遷に関して若干の言及を行っているが、1902年までの段階の的確な記述に比べ るとやや見劣りがする*14 。 従って、1910年までの段階の全体像は概ね提出されているものの、なぜそうした転換ないし進展が生じたのかという問題は全く論じられていないのである。 本稿では、この時期に「宗教」によって何が問題とされていたのか、またそこからベルジャーエフは哲学的な構成をどのように組み上げているのか、さらにこの 時期の最終的な立場である神秘的リアリズムとは何であったかという三点を主たる検討課題とする。それによって、外面的な変遷の意味合いも自ずから明らかに なり、ベルジャーエフの思想形成過程の全体像を明らかにする作業にも資することができると思われる。


1.「宗教」の要請 −倫理学と世界観における問題

 始めに、この時期の彼の関心の中心にあった倫理学と形而上学の問題を取り上げ、それと宗教的な問題意識との関連に一つの 道筋を与えていくことにす る。イデアリズムの立場から示されたベルジャーエフの倫理学的な立論の大要は、カント的な「理性理念」のあり方を基礎に、日常的な生において不断に追求さ れるべき目的としての理想的理念を構築していく立場として規定できる。カントの理性は人間の感性や悟性に対して超越的なものであり、その働きはあくまでも 「統整的なregulativ*15  (B828)」ものである。そのため、理性が「原因性Kausalitaa"t(B374)」として機能する道徳の領域においては、理性の呼びかけとして の道徳法則は「命法」という抽象的な形で悟性に示される。例えば、『実践理性批判』においては「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的立法の原理と見なさ れ得るように行為せよ*16 」 という形で示されている定言命法の根本方式などがそれである。こうして、カントは人間が感性界だけでなく、叡智界にも属すものであること、人間は手段とす ることのできない自己目的として神聖なものであることを主張するのである(KpV. 95‐96)。ベルジャーエフはこうしたカントの観点を継承し、『社 会哲学における主観主義と個別主義**17 』 では、「倫理学的な観点が自立的価値を持つ(Сиоф.61)」ことや、「道徳法則のア・プリオリな性格(Сиоф.72)」を承認し、理想的目標として 措定する「人間」概念をより積極的に展開していくのである。カントによれば、『実践理性批判』の中心的なテーマの一つである道徳法則は「純粋実践理性の根 本法則」として人間に与えられたものであり*18 、 命法という形を取ってはいるが、人間の感性的な領域に対して叡智的な領域が働きかけを行っていると解釈できる。ベルジャーエフはカントのこうした規定を人 間の理性的本性のあり方へと環流させ、抽象的な道徳律の本質に立脚しつつも、より具体的な指針となる理念をうち立て、それによって道徳法則を具体的に現実 化するための作業を行う立場としてイデアリズムを理解しているのである。

 道徳法則は言い換えれば超越的な道徳的規範であり、絶対的な参照項として現実に生きる人間に指針を与えるものである。ベルジャーエフはカントの二 世界論的な見方を理想的人間像と現存的な人間像の対立として捉え直し、後者の現状を是とする倫理的退行を許さず、常に理想的なあり方へと導く理念の措定を 目指している。そうした観点から、彼は現象界から断絶した叡智界を措定することを否定しているのである(Сиоф.109)。カントの倫理学は日常守られ るべき道徳的な細則を一つ一つ具体的に規定する作業を本旨とするものではなく、倫理学の原理を示すことに主眼がおかれているが、決して実現されることのな い超越的理想だけでは現実に人間を動かすことができないという批判を招きうる。ベルジャーエフはこうしたジレンマを越え出るような観点を模索していたので ある。

 その上で、彼は人間の道徳的感情が神の現存や魂の不死などを要請することを道徳的必然として認めたカントの姿勢(KpV. 226)に着目し、真 に道徳を可能とするような条件として、道徳的理想を理性的存在者としての神に求める立場を採用したのである。例えば、「倫理論文」において、彼は「道徳法 則は絶対的なものの直接的な啓示であり、それは人間内部での神の声である( 71)」と解釈している。そして、道徳法則の実現は「個別的な「私я*19 」と普遍 的な「私」すなわち神性Божествоとの結合」であり、それが倫理の道の最終段階として目標化されるが、この場合「神性とは最終的な完成という理想 (Эпи.79)」を意味している。従って、当初のベルジャーエフは純粋な倫理学的理想として、人間の理性の超越的な呼びかけを神の声と同一視しているの である。こうした超越論的構造の一般化された観点から、絶対的価値とその価値を等しく持つ存在としての人間の等価性を主張し(Эпи.73)、理想的「人 間」像への個の歴史的到達に精神的価値の勝利を見出すことによって(Би.12)、人間の「精神的発達」と「個*20 」の確立 を「進歩」の概念と接合していくのである。こうした精神的発達としての進歩という捉え方によって、カントが明確にしなかった道徳法則の現実化という課題に 答え、人間の生と歴史との関係に新しい光を投げかけているのである。ここに人間神化という理念の萌芽がある。

 そして、ベルジャーエフは19世紀の利己主義や快楽主義、そしてその裏返しである愛他主義を人間の恣意的な要求に基礎を置く道徳として批判し、人 間の生の意味や目標を自らが理想と定めた超越的な理念、例えば「真・善・美」という理念へ向かう「過程」の内に見出すという形で(Би.11)、カントの 議論を批判的に展開しているのである*21 。 カントにおいて道徳法則は命法という形式で表現されているが、それは単に理性が要請する形式であり、実際に具体的な命令として機能するのではなく、あくま でも人間の主体的で自由な行動を要請する。ベルジャーエフの議論において個人の確立や人間の自由が大きな問題となるのも、こうした倫理学的構造を継承した からであり、そこから行為する人間には最大限の自由が保障され、具体的な精神的存在としての人間が形而上学的な根元を有する「自然的権利(Би.25)」 を持つことが認められなければならないと主張しうるのである。彼が強調するのは、倫理的な要請に自由に答えることが、人間の生に意味を与えるということで あり、倫理学的に措定される人間の絶対的価値はそれ自体で充足するものではないということである。人間の築く精神文化の内容は相対的であるが、絶対的なも のを志向するときに意味を獲得(Би.16)するのであり、進歩を可能にする根元も「人間的個の内的な精神的創造としての自由(Эпи. 95)」なので ある。

 そうした倫理学的志向性から、理想的なキリスト教信仰が「神に近づく人間の理想的な完成」のために「内的な善良さと柔和さ」を教え、そこに「内的 な道徳性の美と魅力」が発揮されることに価値が見出されていく(Эпи.91)。これは彼の目指すような人間中心主義的な倫理学的観点を宗教がより人間的 な形で表現していることを認めたものと言えるが*22 、 こうした形で絶対的なものとの往還運動が行われる中で、初めて相対的な世界における人間の行為や出来事を意味あるものとして捉える基盤が確立されるのであ る。ベルジャーエフのイデアリズムは常に哲学と現実とが緊密な関係を取り結びつつ、超越的な形而上学的観点から現実を捉え返し、現実と理想との間を相互に 往還するダイナミズムに満ちている。こうしたベルジャーエフの宗教的問題に対する観点にも、カントの倫理学や宗教論における神の位置付けが反映されている と言える。カントにおける神とは叡智的存在者であり、認識や倫理の絶対的、究極的な完全さの体現者として措定され、神の現存在やその意志の働きという側面 を問題とするのではなく、限界概念として人間のあり方を規定するために用いられている。つまり、感性的存在者であると同時に、理性的存在者としての側面も 持つ人間の様々な能力を計る絶対的な指標として仮構されているのである。従って、これらの理念が絶対的に抽象的であるという意味で、カントの議論を抽象的 観念論として捉えることも可能である。ベルジャーエフの倫理学において神Богではなく、神性божествоが参照項とされているのはこうした観念性が 投影されているからであり、宗教感情にとって欠くべからざる要件である人格神としてのあり方は超越者の論理的要請を巡る議論からはほぼ完全に捨象されてい る。倫理学と宗教の接点として彼が注目していたのは、人間の理性的側面と絶対的な理性的存在者としての神の持つ性質である神性との合致が人間の理想的な完 成と同義となるという点である。

 「史的唯物論批判」において問題となったのは、こうした倫理学的立論をも包含する全体的な世界観を提出することであった。彼はマルクス主義に対す る批判を行いつつ、世界観と宗教の関係やその成立条件に関する自らの見解を表明していくのである。まず取り上げるべきは、マルクス主義正統の「宗教的不寛 容」とも言える傾向に対するベルジャーエフの議論である。これは単にマルクス主義者の態度を揶揄したものではなく、マルクス主義的な世界観とそれに付随し た「信仰」の問題を照明するものである。マルクス主義の提示する社会理解は実証科学的な社会学的観点の一つであるに留まらず、それを基礎に「あるべき世 界」を実践的に獲得しようとするものであり、そうした能動的な作業を可能とするような精神的志向性としての「信仰」が発動していると見ることができる。例 えば、マルクス主義の正統派が階級的教義の全部を認めないあらゆる科学的、哲学的作業をブルジョア的なものと見なし(Ким.2)、「破門」や「異端審 判」を想起させるような排他性を発揮するのは、マルクス主義の提示する世界観が唯一正当なものであり、それ以外の世界観の可能性を完全に排除できると「信 じている」からである。マルクス主義の教義に反する科学的、哲学的作業への憎悪という事実は、当初のベルジャーエフが感じていたような解放的な文化運動と いう印象を完全に払拭する地点にマルクス主義が到達していたことを表している。そこに、ロシアにおけるマルクス主義の変質の一端があるとも言えるが、こう した傾向自体はマルクス主義者に限らず、ロシアの革命運動全般に見られるものであり、ロシアの思想的な土壌と関連しているのではないかという疑問が提起さ れるのである。

 ベルジャーエフはそうした心理を生み出す原因をロシアのキリスト教会の歴史的現実から把握しようとしており、「宗教的発酵」においてインテリゲン ツィアの精神性の問題を提起している。彼は宗教に対するインテリゲンツィアの無関心とその代替物への熱中の原因を専制体制による正教会の弾圧に帰してい る。ピョートル大帝期以降の正教会は宗務院による監督下に置かれ、ベルジャーエフが皮肉を込めて「皇帝教皇主義」と呼ぶように「告解の官庁」へと変貌し (ПсР.136)、その結果、トルストイの破門のように明らかに思想統制の一環と思われる措置に荷担するなど、真の信仰の拠り所ではなくなってしまっ た。それがドストエフスキーやソロヴィヨフに見られるようなキリスト教国家や神権政の理念からかけ離れていることは誰の目にとっても明らかであり、「キリ ストと専制(ПсР.146)」という二者に仕える正教会はその本来の使命を歪めてしまったのである。そして、「歴史的キリスト教」として理想的なキリス ト教会のあり方と区別されてしまうような教会の現状に対して、キリスト教への関心を取り戻しつつあったインテリゲンツィアからも疑問が提出されていたので ある。宗教哲学集会はそうしたインテリゲンツィアと教会、そして国家権力の代弁者が歴史上初めて一堂に会した場であり、それが政治的な意味合いを獲得して いくことは自明であったとも言えよう。

 ベルジャーエフは宗教に対する専制の抑圧こそが、宗教に対して肯定的でも否定的でもない、インテリゲンツィアの徹底した宗教的無関心を醸成し、革 命を宗教の代替物に変えていったと批判しているが(ПсР.136‐137)、そこから19世紀の急進的革命運動やマルクス主義が宗教運動的な様相を呈し たことも理解できると考えている。彼がマルクス主義正統派に「公平への渇望を生み出す純粋なイデアリズム的な源泉(Ким.2)」があることを認めつつ も、敢えて批判を向けるのは、理想を表現するイデオロギーとして宗教や道徳を選択できないことが彼らを革命的なイデオロギーへ駆り立てているという現状で は、何ら新たな展望を示すことはできないと思われたからである。ベルジャーエフの言うように「宗教的要求が人間の魂から根絶し難く、もしそれが普通に宗教 によって満足させられないときには、何か別な宗教的形態をとるものによって満足させられ、その時に科学や社会闘争が宗教となる(Ким.21)」というこ とが比喩としてではなく、その通りの現実として成立していたのである。

 従って、マルクス主義は現在ある困難な状況から超越し、新しい理想へ向かって進むための信憑として機能しているが、その中でマルクス主義を信奉す る人々の多くが「信仰」の対象であるイデオロギーや教義を神聖不可侵な「聖物」として捉えており(Ким.20‐21)、その根底にある理想への志向を具 体的に表現する活動を抑圧してしまっているのである。マルクス主義においては、階級的イデオロギーが労働者という抑圧された救済されるべき対象を持つこと によって受難の意識へ通ずる回路を獲得し、現世否定的な思想の発露としてブルジョアとの階級闘争へ向かったとすれば、階級的観点は旧約的な選民意識という 狭い宗教的要求としか結合しておらず、普遍的な理想の唱道へと発展しえない限界を抱え込んでいると言わなければならない。「新しい信仰(Ким.3)」の 探求を提起するベルジャーエフのイデアリズムの課題とは、精神的な自由に立脚しつつ、批判的な眼差しを持って自覚的に「信憑」を捉え、それをより良い理想 の構築へと方向付け、真に「信仰」するに値する理想的な世界へ向かう道を示すことにある。

 彼の立場からすれば、マルクス主義の中心的な概念の一つである「階級」は19世紀の社会から借用された歴史的概念(Ким.16)であるとされ る。そうした限定的な状況を背景として成立した「階級的宗教は過渡的な状態であり、代用品」として完全に退けられ、「人間に共通の宗教へ移行」しなければ ならないのである(Ким.21)。マルクス主義を宗教として見た場合、例えば科学的な真理が道徳的な真理や宗教的な真理と無批判に結合され、人間の生き る指針までも決定しかねないような意識を作り出すことなどにその特徴を見ることができよう。ベルジャーエフはこうした意識がマルクス主義の唯物論における 「方法的な問題」にも波及していると考えている。彼は史的唯物論が「歴史の具体的な状況と社会学の捉える抽象的な状況、歴史哲学の形而上学的な理念などを 認識論的に素朴に混合」しており、そこから「一元論を唱道し、進化の理論をうち立て、社会過程に一般哲学的な唯物論の前提を適用し、実質的に純粋な形而上 学的範疇である歴史哲学に踏み込んでいる(Ким.4)」と批判しているのである。もっとも、ある意味では、こうした混乱にマルクス主義の魅力があったと も言えるように思われる。一つの学問領域では完全に取り扱うことのできない総合的な観点を複数の「科学的な」観点から提供し、歴史的な継時的系列へと展開 することで、あたかも哲学的で社会的、かつ歴史的な普遍的観点であるかのように見えるからである。だが、それが本来的に科学的研究であるならば、いかなる 観点がいかなる方法論によって構築され、どのような問題に対して有効に答えうるのかという問題設定が予めなされるべきであることは言うまでもない。マルク ス主義はその課題と対象を拡散させてしまった、あるいは最終点にそうした問題に対する批判的意識を欠如したことによって、科学から宗教へ転化したとも言え るのではないだろうか。

 ベルジャーエフの観点からすれば、科学は世界の多様な現象を区分・整理し、法則として捉えられる現象の系列を抽象することによって成立するが、 「その本質と課題に従い、またその対象の特徴に従い、認識の方法に従って多元論的(Ким2.6)」である。この場合、多元論とは科学的な帰納や演繹に よって推論可能な複数の系が世界の中に見出されることを指していると言い換えることもできる。ベルジャーエフはこうして自らの適用領域を自覚した社会学的 理論の一つとしての意義をマルクス主義に認めているのである。一方、一元論はそうした多様な世界の背後にある単一の原理、唯一的なものを追求する立場であ り、世界の多様性をそこに還元する作業を行うものである。こちらの方は科学的な帰納法ではなく、むしろ世界を単一の観点から「観照」し、そこから同語反復 的な作業としての演繹によって世界を再構築していくものと言えよう。ベルジャーエフが「一元論は形而上学的な基盤の上でのみ満足させられるような人間の精 神の形而上学的な渇望に答えるものである(Ким.9)」としているように、一元論は人間の世界に対する関わり方の表現なのである。

 彼が「歴史哲学」という場合、こうした一元論的な形而上学的傾向としての歴史把握を指している。マルクス主義は社会的な関係性に基づく弁証法的な 運動を措定し、社会進化の観点から具体的な歴史状況を解釈し、革命へ向かうイデオロギーを生み出している。そこでは、社会学的な分析から脱落したものが顧 みられず、分析の網目にかかった極めて僅かなものによって世界像や歴史像が再構成されることになる。ベルジャーエフが史的唯物論の「科学的一元論」を批判 するのは、社会学的課題からの方法的な逸脱が社会学的分析として意味あるものを歪曲し、人間の世界に対する関与の仕方を一面的に規定してしまうからであ る。彼の立場からすれば、こうした理論構築の仕方は全く理に適わないものと見えたのである。そうした不合理は明らかにイデオロギーを批判的に検討できない ことに由来していると考えられるが、それは宗教的な期待の表明に対する外的な抑圧と決して無関係ではなく、心理的な束縛として根底で結合しているのであ る。こうした抑圧構造が全ての精神活動を蝕んでいるという危機感から、ベルジャーエフは「宗教や神秘主義、あらゆるイデアリズムは何よりもまず人間の精神 の権利の承認を、物質的・警察的抑圧から自由な創造を前提(ПсР.147)」するとして、精神的な自由の保証を要求しているのである。宗教的な問題が政 治的な意義を獲得するのは、それが世界と人間のあり方を反映するものだからだとも言えよう。

 本を正せば、精神文化としてのイデオロギーは人間の精神の所産であり、その基盤は人間に共通な理想的本性である。ベルジャーエフはそれを 人間一般общечловекという形で捉え(Ким.27)、マルクス主義が基礎とする「階級」に対置していくのである。彼は歴史的視野の中で捉えられ る人間を「正義を創造する潜在的な可能性を持った理想的な人間一般の本性と、不可避的な限定性や社会的地平の狭窄を伴う集団的社会心理との混合物 (Кин.21)」と捉え、集団的な限定性から理想的な本性を解放することにイデオロギー闘争の真の課題を見ている。すなわち、イデオロギーの素材 материалが社会に実際にあるものの総和や社会集団の相互作用であるとしても(Кин.23)、その源泉が人間精神の理想的本性であるとすれば、イ デオロギーを実際に生み出すのは人間の生きた精神であり、決して社会構造や生産関係が主体的に振る舞うのではない。むしろ、「19世紀の社会において完全 に歪められた人間の容貌обликに立脚(Ким.24)」し、階級を人間性すら規定する絶対的な指標として捉えるマルクス主義は、ベルジャーエフの観点 からすれば、産業社会の非人間的なあり方を反映しているという意味で、「ブルジョア的」な精神性を体現するものと見なさざるをえないのである。彼が「階級 的イデオロギー」を不可能なものと考えるのは、階級的であることによってすでにこの精神性に堕しており、真に解放のためのイデオロギーを構築しようとする ならば、集団的心理に由来する限定性に囚われていることはできないからである。階級闘争ではなく、人間全体の精神的な復興によって、その本源であるブル ジョア精神を克服することが最重要の課題なのである。

 ベルジャーエフは理想的な理念の構築をめぐるイデアリズム的な議論を通じて、人間の精神的な自由の回復を図ろうとしているが、それは自由と信仰と の関連にも独自の関係性を見出すことになる。彼の言う精神的な自由は、当然のことながら宗教的な思索の自由を承認せずにはおかない。それは固定した教条と いうものが不可能であることを含意するが、教条自体の不可能を示すものではない。真、善、美や正義というものはそれ自体としては、目に見える形を持たない 超越的な価値であるが、それを現実において具体的な教条へと構築していく作業が常に行われることによって、価値の超越性と具体的な教条を不断に構築するこ との相対性が同時に確保されるからである。こうした形で「超越的なものの宗教」を志向する立場をベルジャーエフは「形而上学的イデアリズム」として規定 し、カントの認識論と倫理学を直接的に継承する「超越論的イデアリズム」とは区別していくのである(Нри.684)。彼は倫理学や世界観と「宗教」が密 接な関連を持つという観点から、信仰や宗教性が単に慣習や個人の内面的要求であるだけでなく、人間と世界との関係全体に及ぶような、日常的でありつつも、 超越的な要素を伴う精神的な営為として位置付けているのである。そして、この延長上で人間に対する独特な形而上学的観点を提起していくのである。


2.形而上学的人間像の提出

 「史的唯物論批判」におけるマルクス主義批判のもう一つの狙いは、理想的な人間像を構築する上での具体的な要件を明確にすることであり、その展開 がそれ以後の論文の中心的な問題意識を形成していくことになる。この過程で彼が重視したのは進歩、自由、個別性という三つの理念であり、これらはそれぞれ が互いに他の理念を補完し合い、全体として人間の道徳的完成という倫理学的理想を体現し、形而上学的な人間像に具体的な形象を与えていくのである。

 まず、進歩の問題についてであるが、これは進化論とは完全に区別された上で、彼の歴史哲学の基礎に置かれているものである。自然界において生命が 外的環境に適応する過程を理解するものとしての進化論は、専ら類的な生命のあり方を見る観点であり、人間の精神的な発達を意味付けることはない。進化する 生命はあたかも自動運動する自然の一部として、何らの「主体性」も付与されないまま世代を経てゆき、外的な環境により適応した生命へ進化するという見取り 図のみが提示される。従って、進化する生命が自ら「より良いもの」へ発達していくための「内的な契機(Ким.10)」を持つことは本来的にありえず、進 化という発想自体が倫理学的な意味を持たない。その限りでは、進化とは類的に捉えられた生命ないし遺伝子の単なる生き残りゲームでしかないとも言える。ベ ルジャーエフは進化の「主体」は何かという一見奇妙な問題を提起することによって(Там же)、個々の人間の道徳的な成長を尺度として「より良いも の」へ発達していることを明らかにする観点が社会進化論に存在しているかを問うているのである。それによって、倫理学的な発達としての「進歩」が「進化」 とは全く異質な議論であることを強調しているのである。

 ベルジャーエフはイデオロギーの問題を扱う中で、社会の中で生きる人間を主体とする観点を確立しようとしていたが、歴史哲学においても「発達とい う事実は人間の生や世界の生の最も重要な、最も偉大な事実である(Там же)」と述べているように、人間がより良いものへ変貌していく様を捉える観点 を中心に置こうとしている。彼は自らの示した「歴史的人間」像を基礎として、倫理学的な発達の本源である「人間精神の根本的な質」が開示・展開されていく ことを「発達」と捉え、それを「発達の理論теория развития」として提起するのである。すなわち、「集団的な社会心理」などを含む「流動的 な心理層」や、その外在化した形態である社会や文化などのいわゆる精神文化の全てを、一次的な本源である精神的な質の具体的な発現として捉え(Ким. 11)、それによって、物質を実質とする自然の体系とは異なる相を提起しようとしているのである。

 マルクス主義は物質的な社会の組織化や社会関係の変化が人間の心理に一定の影響を及ぼしていることを明らかにした。その意味では、史的唯物論は有 意義な社会学的観点である。だが、「イデオロギー」が「下部構造」によって制約されているとしても、それが個々の人間の行為とどのように関連付けられるの か、またその行為における人間の主体性をどのように保証することができるのかという問題がある。社会は一つの物質的な機構的体系として完結させるには、あ まりにも個々人の心理や思想という精神的要素を多く抱え込む世界であり、こうした世界を捉える視点は、個々人の精神的なあり方をも視野に入れなければ実際 には成り立たないはずである。ベルジャーエフの歴史哲学はそうした具体的な人間の生の意味を成立させるものとして要請されており、人間の物質的な生のあり 方と精神的な生のあり方、「イデオロギー」や精神文化と総称されるものとの関係をどのように架橋するかという点で唯物論的な主張を退け、独自の精神的な観 点を展開していくのである。

 まず、彼は精神духを「神性の似姿(Ким.19)」と明確に規定することで、その絶対的な権利と全き完成へ向かう志向を正当化し、精神が具体 的に外化していくことの意味を倫理学的にも、宗教的にも確保していこうとする。そして、人間の精神を物質への還元を拒否する発達の「実質субстрат (Ким.11)」として定位し、それを一元論的な原理として捉え、形而上学的な世界理解と歴史哲学を構築していくのである。この「実質」は唯物論が世界 の材料として措定する「マテーリアматерия」に対置される概念であり、ベルジャーエフは倫理学や認識論において論理的要請から導出された諸概念を空 虚な仮構として排除する唯物論的な議論に対して、物質的な領域から超越的な形而上学において精神的発達を議論する際に、その主体となる精神を実質として措 定することができるという観点を提示しているのである。

 彼は唯物論者の信奉する機構的な社会進化論は物質的、量的なものから質的、精神的なものを生み出す「実証的錬金術」であり、「奇跡の中の奇跡」で あるとして批判し(Ким.10)、精神と物質の直接的関係性やその制約性という問題を排除している。そこでは、カント的な批判哲学の手法を踏襲して、立 証の困難、あるいは不可能な精神と物質の関係性を不問に付したのである。ここでの「実質」概念は精神的な領域に関する議論の中での「担い手」であるため、 そこに物質性を付与することが根本的な誤りを導くことは自明であり、質と量は明確に区別されなければならない。彼が「理念的なもの идеальное」と「物質的なものматериалное」は経験論的に同じようにリアルだとしているのは(Ким.15)、こうした議論を下地とし ているからであり、いわゆる心身二元論的な精神と身体の分割に由来する素朴な二項対立を無効とし、人間の精神的なあり方と身体的なあり方に対して新たな視 座を置こうとしているのである。

 だが、精神が全ての個人に内包された神性の似姿であるということから、人間の行動規範としての当為の重要性を確保することができるとしても、現実 においてその全き実現を見ていないように、それを具体的にどのように実現していくかはあくまでも個々人の「自由」に任されていると言わなければならない。 精神文化の任意性はこの具体的な個人に委ねられた自由に由来するものと考える必要がある。ベルジャーエフの歴史哲学において、個別性と自由が進歩と並ぶ中 心的な問題となるのはそのためである。精神文化を生み出す精神の自由は、精神そのものにとって根元的なものであり、同時に「人間的個において個別的で自立 的なものは自由の中にのみある(Нри.698)」とされているように、精神的な本質を開示する力としての自由がなければ、人間の「個」を成立させること もない。つまり、自由は具体的な人間を成立させる「実体的な力であり、自分から未来を作り出す精神的存在の創造的な力(Нри.719)」でもある。ここ から「自由は神であり、神は存在するものとしての絶対的自由である(Нри.718)」という神と自由の同一視も導かれるのである。自由に対するいかなる 侵害も本来的に許されないという主張は、ここに確実な基礎を置くことができ、それを承認したときに初めて他の諸々の自由が根拠を獲得する。自由によって人 間はその志向を試されるのであり、宗教的に表現すれば自由な行為の中で神と直接的に触れ合ってもいるのである。彼は「自由は宗教的・形而上学的理念であ り、社会的・政治的理念でもある(Там же)」として、この世界の全てのものにおいて神と触れ合う機会があることを示している。そして、「真の哲学」 が「解放の哲学」であると言うとき(Там же)、こうした接触を忘却させる日常性からの解放が含意されていると捉えることができる。こうした意味で、 形而上学的レヴェルと具体的な日常レヴェルでの自由は相互依存的に関連し合っているのである。「自由は何ものからも導き出されず、個別的に分解できない、 その内奥から創造的エネルギーを発達させる精神的実体の承認と緊密に結びついている(Нри.719)」のであり、そこから本体としての人間が宗教や形而 上学において、単なる理念としてではなく、まさしく「実体的に」確立されなければならないのである。

 それと同時に、「自由は非合理な力であり、善も悪も、理性的なものも非理性的なものも創造することができる(Там же)」ことも事実である。 人間の苦しみに満ちた善への歩みが正当化されるのは、こうした不合理な自由を善へと行使する行為が極めて能動的なものだからであり、「自由な善のみが、す なわち全ての世界の悲劇を通過し、自由な堕落と否定を通過して、神の王国に到達する善のみが最高の価値と認められうる(Нри.720)」のである。歴史 過程の持つ悲劇性の源泉はこうした自由の不合理さに起因するが、それを克服する行為も自由の内にある。ベルジャーエフは「神を世界によって正当化してはな らず、反対に、我々が悪や苦しみを伴う世界を神によって正当化しようと欲し、最高のものの内に意味と世界の悲劇からの出口を見出そうと欲している (Нри.711)」と述べているように、神との共同作業によって根源的な自由を持つ人間が自らの自由を正当化することの意義を強調している。倫理学的に 見れば、これは神的な人間精神の理想的本性の開示・展開であり、宗教はそれを神という外在化した形象との対話、交流という形で表しているのである。こうし て、神という形象をめぐって人間の能動的な行為と受動的な感覚が一致するような構造が確立されているのである。

 換言すれば、人間の精神的な営為を捉えた場合、個別的存在者としての人間の中には本来的に個別性を超越する普遍性が内在されているということであ る。人間一般общечеловекという概念はこうした人間構造における普遍性の表現であり、歴史の一時期に規定された人間像に対して、理想的なあるべ き人間を対置することを可能とし、またこの構造を進歩・発達の問題に応用することで、精神的な人間が歴史において主体となりうる道をも開くものである。そ して、超越的で普遍的な精神に主体性を認めることによって、世代を越えて理想的な人間像へ向かう歴史的行程を個々の人間にとっても、人類全体にとっても意 味あるものとすることができる。そこで個々人の道徳的発達と人類の道徳的発達を共通の基盤から導くことが可能となり、真、善、美という超越的な価値が現象 界での出来事と関連し、顕現しているという構造が示されていくのである。こうした歴史哲学の構成には明らかにドイツ観念論哲学の影響が認められるが、ベル ジャーエフ自身がマルクスの社会学的見地とフィヒテやヘーゲルの歴史哲学を綜合する必要を説いているように(Ким.9)、それを単に受容するだけではな く、批判的な哲学史的展望の下で再考する姿勢も垣間みせているのである。

 精神の具体的な現実化としての個人は歴史の一時期にのみ存在するが、普遍的な理想的本性を担う精神は本質的に超時間的なものと見なされなければな らない。従って、個人にもこうした超時間的な本性が内包されており、歴史哲学はそれを捉えて「絶対精神」などとして表現するのである。無論、それは経験的 な領域で見出されるものではなく、超越的な形而上学的観点から把握されるものである。それと同時に、精神の一つの現れとして具体的な個人が存在している。 言うまでもなく、具体的な個人と普遍的な精神は分裂した二つの別々の存在であるのではなく、相互的に依存し合う人間のあり方の断面を形象化したものであ る。精神は身体を纏うようにして顕現していると同時に、物質的な肉体の中に、超越的で超時間的な精神が内在しているのである。

 こうしたベルジャーエフの人間概念は、デカルト的な「コギト」に見られる主観性の閉塞と、カントの「統覚」における論理学的抽象性から解き放つ可 能性を獲得しているように思われる。心理的な内省に基礎を置くコギトに対して、意識するしないに関わらず、すでに「私я」が対象と関わっているという事実 が認識の問題において現れており、「私」の概念を心理的領域のものとしてのみ論ずることの限界が明らかとなっている。カントはそれを統覚という形で捉えた が、それは専ら認識論を成立させるための論理的な装置として機能しているにすぎない。このような超越的な構図の中にある「私」に主体性を認めるならば、そ れはカント的な意味での「超越的主体」とでも呼ぶべきものになる。だが、ベルジャーエフの発達の理論においては超越的でありながら、まさしく能動的な主体 としての人間やその精神のあり方が問題化されている。彼は主客の相関性として提起したレアーリノスチの概念*23を、心理的 な「私」が何かを意識する以前に、あるいはカント的な感性のア・プリオリに従って現象を表象し、経験を成立させる以前に、「私」が他なるものとの関わりの 中に置かれているという根源的、超越的な位相を照明するものとして展開するのである。ベルジャーエフの歴史哲学に通底して現れる「主体」はこうした超越論 的主体をめぐる哲学史的な議論の上で成立しているのである。

 無論、ここには大きな相違もある。ベルジャーエフの言う個личностьは、その内実からすれば、ヘーゲルが論理学において示した個別性の概念 と極めて近しいものであるが、ヘーゲルが極めて煩雑な論理的操作によって普遍と特殊の統一としての個別性を導き出しているのに比べると*24、ベル ジャーエフは個別的な「私」と普遍的な「私」という形で示しているように、その統合がほかならぬ「この私」の内にあることを重視している。また、カントが 継時的に持続する「私」の連続性の保証として「統覚」を要請し、純粋に論理学的なもの*25 として「超越的主体」を捉えたのに対して、ベルジャーエフは超越的な領域と経 験的な領域の交差を「生きた主体」としての人間の中に見出している。言葉を換えて言えば、一般的に理性や概念という形で合理化されて捉えられている人間の 普遍的、超越的な精神を、個別者である「この私」の中で活動する精神的実体の実存的なあり方として捉えているのである。彼は主体である「私」の領域を拡大 することによって、歴史の意味を人間の行為の意味と交差させ、歴史の多様な展開の可能性と人間の裁量権を保証するのである。こうした志向性の差が、後の彼 の哲学的展開をも特徴付けていくことになるのである。

 さらに、普遍的なものと個別的なものの不可分の個体として成立する人間像はライプニッツのモナドの概念に近しいものであることが自覚されており、 ベルジャーエフは自らの立場を「唯心論的モナド論(Ким.11)」として規定し、形而上学的には「一元・多元論моно−люрализм.9)」を要 請している。ここには、A.コズローフを介したライプニッツ哲学の間接的受容があるが、それと同時に、ロシア語の「個личность」という語に反映さ れた人間理解も背景にあるように思われる。「顔лицо」という肉体的にも、精神的にも「私」の個性を代表するもの、それを分割してしまえば、残るのは死 せる断片でしかないもの、そうした全一性や統体性において人間を捉える立場をモナド論において表現しようとしたように思われる。従って、この場合の多元論 は、「世界を様々な範疇の精神的存在の多数性から構成されているものとして理解する」ための観点であり、科学的な多元論に対して「形而上学的多元論」と呼 ばれている(Нри.709)。言わば、具体的に存在している個々の人間が同一の地平に立ちつつも、それぞれに多様なあり方をしていることを形而上学的に 確保していこうとしているのである。ベルジャーエフの形而上学の特徴は普遍的なものと個別的なものを具体的に存在する人間の中で統合する観点を取り入れた 点にあると言えるが、そこではヨーロッパ哲学の伝統とロシア語的な感覚が融合されているのである。


3.哲学的構成における問題

 一元論と多元論を個別的存在者の中で調停する観点を提起したベルジャーエフは、「世界の生мировая жизньや社会的な生 социальая жизньという質的に独立した全ての系列は、科学にとっては意味のない世界実体мировая субстанцияという形而上 学的概念においてのみ統一へ導かれる(Ким.12)」として、世界を一つの有機的な実体として捉える観点をも示している。一般的に見れば、こうした包括 的概念を足掛かりとして、彼の哲学が体系化の意志を表明しているとも読める部分である。しかし、彼は哲学体系の誤りとして、「普遍的で一元論的な傾向 (Нри.700)」が強いことを挙げており、そこに合理主義の陥罪があると見ている。言わば、何らかの形で概念間の連関を図る際に、普遍的なものを重視 し、最終的に世界を平準化する一元論的傾向に対して異議を唱えているのである。

 こうした展開の中で大きな影響を与えているのはホミャコーフのヘーゲル批判である。カントの超越論的な議論は、超越的なものの実体性が希薄である という点で、抽象的な観念論への道を開いている。その延長上にあるカント以降のドイツ観念論において、「存在するものсущее」を等閑視し、抽象的な観 念論を限界まで押し進めたというのが、ベルジャーエフがホミャコーフから引き継いだ観点である。それによれば、ヘーゲル論理学は「概念」が全てのものをそ の内部から復活させる構成であり(Хкф.61)、抽象化された存在の「内人格化воодуховление(Хкф.62)」として捉えられている。な るほどヘーゲル哲学が「存在するもの」から「生成」へとその重心を移していることは今日でも指摘されていることである*26。しかし、 概念が抽象的な思惟の産物ではなく、逆に具体的な内実に満ちた存在であり、生命であることにヘーゲル哲学の本質を見るとすれば、ホミャコーフの批判には疑 問もある。従って、こうした批判をそのまま継承した場合、ヘーゲル哲学の理解に混乱を持ち込む危険も否定できない。これはこの時期のベルジャーエフのヘー ゲル観を規定しているという意味で極めて重要な問題であるが、彼が「我々は実質を、存在するものを求めている(Хкф.66)」としていることからすれ ば、ヘーゲルの哲学的方針に否定的に対した理由の一端は明らかになるだろう。そこには、思惟において「存在」や「生」を論理的に分解し、概念化すること一 般を合理主義として批判する態度がある。そうした観点から、ベルジャーエフはヘーゲルの哲学を「認識論的観念論と存在論的観念論(Нри.686)」の結 合した体系として、カント以来の合理主義哲学の系譜の終端に位置付けているのである。

 そして、存在するものの排除が「実質」なき世界を確立するというホミャコーフの主張を受けて、ヘーゲル哲学が究極的に「絶対的な無」を導く道であ ると言うとき(Нри.63)、それはすでに見たような個別的存在者を実体とする世界を合理化された概念の体系へ移しかえることとしての汎論理主義に対す る批判として展開されている。ホミャコーフはこの汎論理主義によって実質を失った世界像が確立されたことに対する反動として、欠如した「実質」を物質に求 め、それを再び世界の中に持ち込む試みとして、マルクス的な唯物論が成立したと捉えている。ベルジャーエフは汎論理主義を前提とする弁証法を唯物論と結合 した結果、物が論理化されるという転倒が起こり、唯物論が観念論に変貌するという矛盾が生じたとして自らの議論に接続している(Хкф.64)。これは端 的に言って、唯物論の形而上学への傾斜を指すものであり、哲学的構成としての唯物論を根底から否定する見方である。この問題はより詳細な検討を要すると思 われるのでここでは結論を急がないことにするが、ヘーゲル的汎論理主義からマルクス主義的な唯物論への移行というホミャコーフの議論に触れたことで、合理 主義的な論理を軸に構成される哲学が存在を疎外したことによって、その反動として極めて素朴な唯物論への回帰が可能となるというヨーロッパ19世紀の哲学 に対する一つの視線を獲得していくのである。こうした観点から、ヨーロッパの合理主義的な哲学の一連の流れを一つの哲学的な試みの歴史として相対化し、合 理主義の枠内では不可能な、本来的に非合理で、非論理的なものとしての存在を把握する哲学への展開が目指されていくことになるのである。

 ここで先程示した一元・多元論という構成の意味が明らかとなる。ベルジャーエフは「経験論的な多様性」を「単一の精神的レアーリノスチの可視的な 現象として理解する」立場を示し(Ким.9)、一元論的要素と多元論的要素を異なるレヴェルで保持しようとしている。ここから、彼は多元論的な要素を保 存しつつ普遍的なものにアプローチする立場を確立し、新たな哲学の見取り図を示していくのである。この「精神的レアーリノスチ」は最初期の彼の認識論的観 点を応用したものであるが、ここでは精神的存在としての「私」と「何か」の相関性として、「私」にとって「何か」が可能的かつ必然的に現象している事態を 指している。卑近な例を考えるとすれば、思想や芸術の中に真理があるとか、美があるというような形で「ある」と言う場合、真理や美という理念は物質的に存 在するわけではないが、「私」にとっては明らかに現れていると言える。そうした精神的レアーリノスチをもたらす「私」と「何か」との関係性が存在認識の中 心的な問題として取り上げられていくのである。これは真・善・美や正義という超越論的な概念を現象の本源として捉える観点とも言えるが、それによって論理 学的な要請として仮構されてきた超越論的な領域を具体的な経験的世界との密接な連関の下で捉え返そうとしているのである。

 その上で、ベルジャーエフは「一元論は存在論的教説である(Там же)」として、精神的なレヴェルでの存在との相関性を存在論的に捉え返すこ とで新たな一元論的構造を提示している。すなわち、彼は精神的な「実質」を精神的な作用を説明するための単なる概念装置としてではなく、一つの存在として 確立し、「精神的存在」を原理とする一元論を提起しているのである。彼は物質的な世界を主とし、精神的な世界を従とする唯物論的な観点を完全に転倒し、明 らかに物質的存在の有無とは異なる精神的「存在」を問題とする地平で思考し始めているのである*27。こうして、人間の理想探求の源泉となる超越的な理念が精神的なレアーリノスチ として顕現すると捉えることによって、超越的な領域が人間の精神に内在しているという議論を具体化しているのである。これを最初期のベルジャーエフの議論 に見られた区分と関連づけて捉え返すならば、彼の形而上学的一元論は「経験論的なもの」、「心理的なもの」に対する論理学的要請としての「超越論的なも の」、「論理学的なもの」という観点を転倒させ、「精神的なもの」が全ての「経験論的なもの」へと現れ出ていく構造を一般化していると言うことができる。

 こうしたベルジャーエフの議論は認識論に極めて大きな転換をもたらすことになる。彼は「あらゆる存在бытиеは意識であり、生きた個別的なも の、すなわちあらゆる存在は具体的な精神であり、生きた個別的な実体субсанцияである(Нри.703)」というように、認識論において現れる対 象の構造そのものを転倒させていくのである。一般的な用語法からすれば、この「存在」は「実存」と呼ぶべきであるとも思われるが、世界の存在の全てを精神 的なレアーリノスチとして捉える観点からすれば、全ての存在は実存する個別的な精神的存在者でしかありえない。「存在」とは「ある」ということだが、それ は「存在するもの」が「ある」という根源的な規定であり、「何かがありうる」という論理的な概念ではないのである。この「存在するもの」の範型をなすのは 具体的な個別的存在者としての人間であり、それが世界に存在するものの基本モデルとして定位されている。そして、そのような存在者を「実体」として認めよ うというのである。従って、具体的な個々の存在者が最も本源的であり、それが普遍的なものをも現出させていく本体として捉えられることになるのである。こ こでのベルジャーエフの「存在」の構成に示唆を与えているのがA.コズローフであり、「実体性субстанциональность」の理念や「無時間 的、無空間的存在としての精神的実体духовная субстанция」を認識論的に正当化しうるという主張(Нри.696)*28、そして 「意識」と「知識」の区別(Нри.702)*29  などの議論を評価しながら、ベルジャーエフは個別的存在者を実体として捉える観点を明確にしていくのである。

 興味深いのは、こうした実体を認識する構造として、精神的レアーリノスチとして現れる「存在」認識の範型が自己認識に求められていることである。 彼は「我々は自らを直接的に意識しсознаем、その後に存在として、精神的実体として、分割できず、「自然」から導くことのできない、一なる、唯一の 私として自らを認識する(Нри.707)」として、「私я」にとって「私」が根源的な同一性を持つ精神的存在であることに立脚して認識論を構築しようと していくのである。従って、この認識論は合理化以前の直観構造によって「私」が精神的実体であるのと同じ精神的実体として対象が存在し、相互認識する可能 性を認めることになる。そこから、「主体と客体の分裂のない認識、自らの対象を仮想的で死んだものとしない認識、換言すれば、主体と客体の絶対的同一性が 与えられる認識、従って我々が世界の真の存在と触れ合う認識」の可能性を探っていくのである(Крсф.296)。

 こうした展開にもカントとそれ以降のドイツ観念論に見られた議論の反映を見出すことができる。カントの自己認識に関する議論においては、「自己」 を完全に認識することの不可能性が主張され、「私の意識」と「私の認識」を区別するという形で(B154)自己認識においても主客の分離の原則が維持され ているが、フィヒテの提出した自我論やシェリングの同一哲学、ヘーゲルにおける主客の存在論的統一など、様々な形で批判的継承とも言うべき議論を引き起こ してきた。ベルジャーエフはそれらを踏まえた上で、主客の分離という前提そのものを疑問視することによって、異なる認識論の枠組みを獲得しようとしている のである。このような認識をベルジャーエフは「神秘的認識」と呼んで合理主義的な認識に対置していくが、「私」が対象と同じ「存在」であり、共に世界の中 に置かれているという根源的な事実を汲み取る必要性から、精神的なレアーリノスチの一元論を主張しているのである。そして、彼は「存在の概念は直接的で生 きた合理化されない意識において与えられた素材материалыから形成されている(Крсф.297)」としており、このレアーリノスチに立脚する 「認識論的神秘主義」こそが真の「リアリズム」であるという立場を明確にしていくのである(Крсф.296)。

 存在は思惟によっては十全に把握されないものであるが、それはカントの物自体のように人間の認識能力の及ばない外部にあるわけではない。原理的に 見れば、カント的な経験やヘーゲルにおける概念のように合理化される以前、未だ内省に入る以前に主客の出会いがあるということ、すなわち対象が何であるか という具体的属性による見分けに晒される以前に、それが端的に「私」に対する「汝」として現れていることを認めることはできる。そして、内省によってそれ が石や樹や動物や人間であるという知識に達するとき、初発の精神的実体に経験論的な諸属性が付与され、合理化以前の一次的な意識にあったものが「現象」や 「概念」などに合理化されたことになる。

 これは時間的な順序の問題としてではなく、直観と思惟に新たな区別を設けることによって、合理的な認識構造とは異なる意識や感性の可能性を追求し たものである。ベルジャーエフにとって、概念化とは存在と触れ合っている「生きた経験」を合理化し、抽象化すること、すなわち生命であるモナド〓存在する ものを分解し、切り刻むことと同義である。そうした意味で、汎論理主義においては「存在への超越трансцензус(Нри.686)」がありえず、 合理主義の枠組みを超えるような認識のあり方を模索せざるをえないと考えられていくのである。そこに、存在を存在として、十全なまま分割することなく認識 できるのではないかという問題意識があり、議論の材料という点でドイツ観念論哲学の示した試行の一部を利用してはいるものの、全く異なる展開を行っている のである。すなわち、ア・プリオリなカテゴリーによる直観が直観構造の一つにすぎず、時間や空間という網目によって対象をすくいとる構成の持つ限定性を免 れている無制限な直観、これは対象との自他の区別のない同一における直観とも言いうるが、そうした直観構造がより本源的なものとされているのである*30。ベル ジャーエフがカントの枠組みを逸脱するのは、こうした直観構造に見られる超越性をカントの合理的な経験構造に対する疑義へと応用していくからである。ベル ジャーエフの観点からすれば、実証主義や経験主義なども含めた大枠での「合理主義」は、レアーリノスチや存在бытие、存在するものсущееを理念や カテゴリーに還元し、生きた精神的存在の持つ「存在の無底性бездонность*31」を追放し、「主語無しに語られる哲学(Нри.686)」を構築していると思 われたのである。彼はこうした傾向全般が最終的に存在を論理的な仮構物という幻に変貌させる状況を指して「幻影主義иллюзионизм(Нри. 685)」と呼んで批判するのである。

 一次的な意識における認識とは新たな形で直接的な知覚の問題を提起するものと言えるが、これはカントに限らず、一般に合理主義的な観念論では回避 されているものであり、必ず上級の認識能力である悟性や理性の介在の下で処理されることが要求されている*32。例えば、 カントにおいては思惟の作用は推論的なものであり、直観に与えられたものを概念によって統一し、構造化された客観へと作り変えることによって成立してい る。純粋悟性概念であるカテゴリーは理解のための規則であり、それを適用することで初めて認識において世界を作り上げているとも言いうる*33。こうした 作用を介在しているため、思惟が直覚的に世界を把握することはないとされるのである。また、ヘーゲルの場合は、「外的な事物の存在に関する直接知は迷妄で あり誤謬であって、感性的なものそれ自身の内にはなんらの真理もなく、このような外的事物の存在は、偶然的で一時的な存在、一口で言えば仮象に過ぎない」 として完全に退けられている*34。 しかし、ベルジャーエフは「形而上学の源泉であるのは理性ばかりでなく、感性、あるいは超理性的感性としての感性的理性でもある(Крсф.296)」と して、敢えて「観念論から神秘主義への道(Крсф.298)」を歩み、直接的な知覚の有効性を主張する認識論的な立場を構築しようとしているのである。 従って、この時点で認識を主観的な能力として捉えるのではなく、存在という事態に内包された何らかの力として捉えるという転換の萌芽が現れていると言え る。そして、このような存在認識を哲学的に根拠付けていく道を選んだことから彼の哲学の新たな方向性が示されていくのである。1903年のハイデルベルク 留学時に漠然と抱かれていた「合理化以前に、意識による加工以前に、原レアーリノスチперворееалностьの認識の可能性を正当化しつつ、カン トの思想をさらに発展させ、また克服すること(СОфа.111)」という問題意識は、こうした形で明確化されていったのである。


4. 宗教哲学の射程 

 ベルジャーエフは自身の哲学的立場を新たに確立していくに従い、それまで依拠してきたイデアリズムの立場が抱えていた問題点を指摘し、批判的に検 討し直す作業を行っている。彼の標榜したイデアリズムはカントから多くを得てはいるが、その後の展開においてはドイツの観念論的潮流とは異なる方向性を示 すことになった。初期のベルジャーエフが意欲的に摂取してきた新カント派や内在学派の哲学も、その根本的な志向性においてドイツ観念論に見られる「幻影主 義」を決して克服するものではなく、彼の目指したような個別的存在者としての人間を主体とする哲学に向かうものではないことが明確になりつつあった。ま た、ロシアにおけるイデアリズム運動にしても、革命思想の抱える問題を相対化し、知識人の役割に新たな可能性を開いたことは確かであるが、運動を規定する ような世界観や信仰が確立されていたわけではなく、「探求すること、実証主義の制限性に対する否定的な関係、認識する精神の不満(Нри.684)」など に共通性が見られただけであった。しかも、「宗教的発酵」において、イデアリストを自称する知識人が極めて実証主義的、功利主義的な論証によって良心の自 由を擁護する例(ПсР.141)に疑問が呈されていたように、イデアリズムは時代の流行の中でその意味を完全に拡散させてしまったのである。こうして、 ベルジャーエフは「イデアリズムはかけられた期待には応えず、我々を存在の深みに結びつけず、最終的に分断(Крсф.298)」したと断じ、観念論〓イ デアリズムの枠内で本来的に不合理なものとしての存在を把握する哲学が不可能であるという一つの確信に基づいて、その立場からの離脱を宣言していくのであ る。

 こうした流れから考えた場合には、ベルジャーエフにとってのホミャコーフのヘーゲル批判の意義とは、ヘーゲル哲学内部の問題に対する批判の鋭さに あるというより*35、 哲学を作り上げていく際の根本的な志向性において、ロシア的な思惟がドイツ的な思惟とは異なるものを求めていたことにあると考えた方が正当であるかもしれ ない。ベルジャーエフはロシアにおけるイデアリズムの淵源を「深遠な哲学的、宗教的渇望を秘めた(Нри.689)」ロシア文学に見出し、それが「形而上 学的リアリズム、具体的唯心論、存在するものが直接的に与えられる全一的経験の再興(Нри.687)」を要請する独自な志向性を持つものとして捉えてい る。そこから、ホミャコーフやコズローフ、そしてВл.ソロヴィヨフ、さらにチチェーリン、ロパーチンなど、過去のロシアの哲学者の業績を評価し (Нри.693)、ロシアの哲学的営為がドイツのそれとは異なる「民族的な」哲学的伝統の上に立つことを認め、コズローフの議論を継承した認識論的立場 に見られたように、積極的にそれらの立場を継承することによって、新たな可能性を見出していこうとするのである。ヘーゲル以後に行き詰まったドイツの哲学 的営為において、すでにその可能性の「全てが使い果された(Нри.688)」とすれば、ロシア哲学はどのような道を選択すべきかという岐路に立たされて いる(Хкф.67)という意識があったのである。

 ロシアの哲学的伝統は、1840年代にホミャコーフやキレーエフスキーらによってようやく最初の開花を見たと言っても過言ではないが、その後ロシ ア思想史の表舞台に立った革命運動の影で、ドイツ観念論哲学を一つの滋養としながらも、そこでは等閑視された存在の問題にロシアの哲学者たちが強い関心を 示し、独自の問題提起を行っていたことをベルジャーエフは「再発見」したのである。そして、20世紀初頭のロシアにおける新たな哲学的潮流が、活力を失い つつあったドイツの哲学的状況を凌駕しうるのではないかという期待を抱かせるほどの活況を呈していた時代状況もあり(Нри.695)、ロシアの「民族的 な哲学」が世界史的な意義を持つ可能性を秘めているという意識を明確にしていくのである。

 しかし、ベルジャーエフが「民族的な哲学」として捉えようとしているものがロシア固有の伝統のみに立脚した哲学ではないことは明らかである。19 世紀以来の若いロシア哲学も、他のヨーロッパの哲学的な思索と同様、ギリシア以来の伝統の上に立脚し、カントやヘーゲルなどの遺産を受け継いでいるという 意味で普遍的たりえたのである。個別的なあり方としては、ソロヴィヨフやドストエフスキーなどが提起した哲学的モチーフが、新カント派的な認識論や内在 論、あるいは経験主義や実証主義等、当時のヨーロッパで一般的であった問題意識とは異なり、宗教的な色彩の濃い観点に立っていたということがある。従っ て、ベルジャーエフが「民族は精神的概念(Нри.697)」であるとしているように、「民族的」という言葉で名指そうとしているのは、哲学的な思索の根 底に見出される志向性など、精神文化を生み出す基層にある精神的傾向性なのである。その際、彼はニーチェにスラヴ的な精神性である熱狂的な宗教的渇望の発 現を見るなど(Нри.691)、人種や宗派等を指標とする通俗的な「民族」観とは異なる立場を積極的に示していこうとしているのである。

 彼はスラヴ派の理想主義的な幻想が19世紀末にはカトコーフ主義という専制の道具になったというロシア史の教訓を踏まえた上で、現実的な政治的・ 社会的課題としては「社会制度全てのヨーロッパ化(Нри.697)」の必要を訴えつつ、普遍的な基盤に立脚し、新しい精神的な伝統を生み出す個別性とし ての「民族」を、俗悪化した古い民族主義の概念に対置しているのである。それがいわゆる政治的な自民族中心主義としての民族主義でありえないことは明白で ある。ベルジャーエフの「民族」は、世界を捉える感覚や、その上に築かれた思想の伝統における「民族的なもの」の発露のように、外的な規定によって明確に 定義することは難しいが、それにも関わらずそこから出てきた創作物が限られた民族的な特性を越えて他の民族的特性を持つ人間の心にも働きかける普遍性を獲 得するもの、すなわち個別的な存在と普遍的な存在を取り結ぶものとして構想されている*36。こうした見方が当時のロシアの文化的な状況とも相俟って、彼のロシア・ルネサ ンスに対する見方をも規定していくのである。その中でも彼が多大な関心を寄せていたのは、メレシコーフスキーらの主張した「新しい宗教意識」である。彼ら の芸術的潮流は「頽廃主義」や「デカダン主義」と呼ばれていたが、ベルジャーエフはそこに偉大な普遍文化の子孫として文化的活動を行う「未来のルネサンス の先駆(Нрс.226)」の姿を認めたのである。

 彼は過去のヨーロッパ文化の伝統がロシアにおいて新たな形で復興しつつある状況を指して「新しいルネサンス」の到来を唱道しているが、この「新し いルネサンスの本質的な特徴は二重的(Там же)」であるとしているように、当時のロシアの文化が過去の歴史的な文化の多様な要素を抱え込んでいたと いうだけではなく、その独自な融合の中で普遍性と個別性を共に発揮していたことに注目している。すなわち、ギリシアやラテン的中世、西欧のルネサンスなど 世界史的観点での普遍的な伝統が20世紀初頭のロシアで発酵状態に達し、独自の「ロシア・ルネサンス」として復興されようとしていたのである。これは単に ロシア文化が国際化し、普遍的なものと出会ったというだけではなく、地域的、民族的な要素から出発しつつも、普遍的な文化へ鍛造された過去の偉大な文化を 範型として、ロシア文化にも同じように地域的、民族的なものから普遍的文化へと発展していく可能性が予感されていたということである。

 従って、ベルジャーエフにとって「新しい宗教意識」は単に歴史的なロシアのキリスト教のあり方に対するアンチテーゼとしてだけでなく、より広範な 思想的問題と関連するものである。特に、「新しい宗教意識」の本質を異教とキリスト教の「ジンテーゼ(Нрс.227)」として引き継いだ点にそれが最も 明瞭に示されている。その一例を「肉体плоть」に対する宗教の関係という問題に見ることができる*37。これは生 理的な身体を問題とするものではなく、人間の精神が「肉化」されたものとしての文化や社会、感覚、性など(Нрс.233‐234)、精神が纏うものとし ての「肉体」を捉える視点である。ベルジャーエフは「メレシコーフスキーの世界理解の根底にあるのは、「精神」だけでなく「肉体」の、「天上」だけでなく 「地上」の本体性нуменαльнοmьや、形而上学的本源性という最深の理念であり、それらの宗教的等価性という理念(Нрс. 235)」であるとしており、「「肉体」は、「精神」すなわち本体нуменや本質сущностьに対立する現象феноменではなく、その中には何 か本体的な、形而上学的に本源的なものがある(Нрс.233)」と述べている。ベルジャーエフは「肉体」の措定によって、精神ではないものを全て仮象と して排除するのではなく、逆にその核として精神が常に内在されており、精神のみを取り出すことが不可能であることを主張しているのである。ここから肉体の 滅びと魂の救済という対比を強調する歴史的なキリスト教において、「天と地、精神と肉体の二元論は生を害し、世界を全面的に罪あるものに変えた( Нрс.231)」として、心身二元論的な発想に対する批判を展開していくのである。

 その上で、ベルジャーエフは「確立されなければならないのは精神や身体ではなく、存在の十全さと独自さの中にある個であり、「肉化された精神」と 「精神的肉体」である超越的個別性である(Нрс.238)」として、不可分的なモナドとしての個別的存在者を捉える観点と肉体の問題を交差させていくの である。そこから精神と肉体の問題が存在論的にも提起されうる(Нрс.233)という主張や、「生の意味を究明し、死を克服することに見切りをつけた (Нрс.230)」19世紀の実証主義が人間存在を最終的に滅びゆく運命にあるものと認め、世界の全てを無常なものと捉える「非存在の宗教(Нрс. 303)」を体現するものであったという批判も展開されていく。それは死んで腐敗する「肉体」を人間の肉体の唯一のあり方として捉えたからであり、その意 味では歴史的なキリスト教の心身二元論的な発想から一歩も出ていないと言うことができる。ベルジャーエフはこうした身体観に対して「永遠で十全な存在への 渇望(Нрс.229)」を満足させる新しい身体観として「肉体」の問題を展開しているのである。そして、「一次的な、合理化されない、神秘的経験におい てのみ、我々に真なる存在、リアルに存在するものсущее、世界の形而上学的な「精神」と形而上学的な「肉体」が開示され、我々の神秘的な「魂」だけで なく、我々の神秘的な「体」も開示される(Нрс.234)」と主張するのである。ここから本体的本質の世界に対する直接的関係として「リアリズム」が宗 教的、神秘的な問題としても提起されるのである。

 従って、「肉体の聖別(Нрс.226)」という問題は、人間の営みの全体を宗教的に是認できるかという問題提起であると同時に、精神のみを、あ るいは魂のみを救済するという伝統的なキリスト教の救済観を完全に覆すものとなる。こうしてベルジャーエフはキリスト教における人間認識のあり方そのもの を更新し、神人であるキリストに対する二性論的観点という伝統的な教義の深化へ向かうのである*38。子なる神の籍身とは神が「肉体」を纏って「地上」に出現したということであ り、ここにおいて、神的な原理と人間的な原理、あるいは被造物の原理が結合されたのである。初期キリスト教における最大の神学的テーマの一つであるキリス トの本性を巡る問題は、神性と人性の二つを認めることによって、その神秘的な意味を明確にしたのである。

 キリストは人として、地上の罪深い肉体を持つものとして十字架にかけられたが、それによって肉体に刻印された罪が罰せられ、罪は贖われた。復活し たキリストは、この死んで腐敗する肉体ではなく、新しい変容した肉体を纏ったのであり、それによって、「新しい天と新しい地(Нри.717)」がもたら される可能性が開かれたのである。それが神と人との接点としての神人キリストの復活の奇跡の神秘的な意味である。こうした神人的過程を範型とすることに よって、理想的完成を目指す人間の生の意味が宗教的にも確立されることになる。ベルジャーエフは、「「私я」は時間的・空間的な相対的存在、すなわち「大 地の息子」としても、また同時に無条件的な存在、外時間的、外空間的精神、「天上の息子」としても自らを自覚する(Крсф.297)」として、神人論を 倫理学や形而上学の議論において展開した人間の持つ二性的な側面に延長していくのである。そして、この神人的な変容の過程が理想的完成によって終わりに至 るとき、いわゆる終末が訪れることになるが、その場合、「終末の理念とは、それが同時に始まりの理念、死の始まりではなく、永遠の生の始まりの理念 (Нрс.246)」なのである。

 だが、こうした議論がキリスト教の教条の単なる焼き直しでないことは、ベルジャーエフが新しい宗教意識を「継続している啓示(Нрс.227)」 として、神と人との交流をリアルなものとして捉えていることから示すことができる。啓示は、かつての預言者が神から与えられた言葉を記録として書き記した から今もあるのではなく、神との不断の相互交流の中で直接的に与えられているものであり、その中から言語化された啓示が生み出されるのである。この後、彼 が終末論や黙示録的意識を強調するのはこうした議論を基礎としているからである。そして、「もし、宗教一般が可能であり、必要であるなら、神の啓示を見る ように、人間と神性の私的な相互作用を見るように、世界と歴史の全ての過程を見る必要がある(Там же)」として、超越的でありながらも、本質的に人 間に内在している神が常に人間と共にあるというリアルな感覚があること、従って世界や歴史過程においても、それが人間の心理を外在化したものである限り、 神の働きかけが作用していると考えなければならないことを主張していくのである。この神の超越的内在という事態こそが神人的過程の本質であり、それが啓示 をもたらすのである。従って、「啓示があったのなら、それは今も未来にもあり続けているに違いない」のであり、「十全な宗教的真理は、全ての歴史的過程の 延長の中でのみ獲得され、この過程は神人的でなければならない(Нрс.228)」ことが理解されるのである。道徳法則を神性の直接的啓示としたベル ジャーエフの倫理学と宗教の結合というモメントは、「宗教経験と至高の哲学的知識の結合によってのみ、真のグノーシスが生み出され」、「十全な神秘的神認 識への道が敷かれる(Там же)」という確信に到達したのである。

 ベルジャーエフの議論は哲学的営為としての形而上学の延長線上で宗教的問題に新たな光を当てることによって宗教哲学の新たな可能性の中に踏み込ん でおり、そこで単に合理的に可能な解釈を与えるのではなく、宗教に対する感情的な関係性を重視する姿勢を示している。信仰という行為は抽象的な形式を与え られることを拒むものであり、またいかにしてその精髄を余すところなく形象化しようとしても、依然として汲み尽くせない領域が残される。それは、身の周り の世界が揺るがし難い事実であると思われるのに、それを完全に明証的に記述したり、論理的に説明することが極めて難しいのと似ている。彼が「一度神秘的レ アーリノスチの感覚と意識が現れると、実証主義や観念論、ロマン主義の幻影主義の王国が終わり、新しい時代が始まる(ор.2)」としているように、信仰 する者にとって揺るがし難い世界が宗教体験の中で立ち現れるところに信仰の本質がある。そこでは、「真理はまとわりつくもの、強制し、強迫するもの (Дмр.20)」であり、日常世界と同じような「リアルさ」を宗教的な存在が獲得するのである。こうした立場を彼は「神秘的リアリズム」という用語に よって規定し、哲学的な議論と宗教的な感情が有機的に結合された世界観として提起するのである。

 そうした地点から考えれば、ベルジャーエフが「宗教は全てであり、宗教は全てのものの中にある、あるいは、宗教は無ничтоである(Дмр. 26)」と語っていることの意味も理解できる。そして、こうした精神性における「リアルなもの」を客観的に説明せず、むしろ「リアリズムが訪れるのは、経 験や主観的体験が対象の中心へ、存在するモナドへ帰されるとき(Дмр.19)」であるとして、そこから哲学的な議論を展開していく姿勢を示している以 上、彼の哲学はもはや宗教哲学でしかありえないのである。これは人文科学を含む全ての分野で「科学的な」探求のみを研究とする今日の我々の持つ精神性に対 する批判ともなりうるが、ベルジャーエフの場合、そうした一見非客観的な地点に身を置くことによって、形而上学的な議論に宗教的な感覚の持つ生命を吹き込 んでいるのである。彼がキリストの復活を「神秘的な事実」として認めるのは、過去の「出来事」に対するリアルな感覚を単なる蒙昧として退けることを拒否し たことに由来している。

 彼は「言の籍身が単に象徴的になされたのではなく、神秘的にリアルに行われたとする者、言のリアルな復活を信じる者は、神秘的にのみリアリストで あり、新たな存在を志向することができ、彼らにとっては、天上をめぐる憂愁は生の新たなリアルな肉体への渇望へと変わる(Дмр.27)」と述べている。 こうした態度には、ドイツ観念論において三位一体の問題が単純に論理的な誤謬として退けられることなく、むしろ積極的に学的原理として昇華されていたのと 同じような傾向を認めることもできよう。また、カントが感性や悟性では神を認識することができず、理性の要請によって神を措定するとしたのは、超越的な精 神のあり方を通常の心理的な意識とは明らかに区別するという意味で極めて大きな功績であった。だが、これを道徳法則という形で合理化したのに比べると「人 格」神としての神は、言(Logos,Слово)によって語りかける具体性を纏っている。日常的な感覚によって超越的なものを捉える仕方として、こうし た姿を取ることはプリミティヴであるというより、「自然な感覚」なのではないだろうか。ドイツ哲学は学という形式を打ち立てることに固執しており、その動 機に宗教的感情があったとしても、最終的に宗教を成立させたのではなかった。これに対して、ベルジャーエフは「人間の精神的・肉体的存在の生きた全一性, целостностьの再興」によって、「人間が自分自身、他なる人間、生きた神に出会う(Крсф.297‐298)」ことを可能とするために、全一 的経験や一次的な意識において人間存在の十全さを実感させられるような精神の営みとして、哲学を作り替えていこうとしていたのである。


む  す  び

 ベルジャーエフの思想的展開には、ここで指摘した以外にも多くの要素があるが、宗教哲学への歩みの中で函養された思想が政治的、社会的な関心にも 延長され、1905年革命の評価の基礎をなすと同時に、同時代の様々な文化や芸術を見る観点をも規定している。また、後の彼の思想的、哲学的展開において も、ここで取り上げた問題が根底にあると思われるものは少なくない。その意味では、1910年までの時期に関する研究をさらに充実させ、その延長上で、そ れ以後の思索の意味を検討していく必要を感じる。その際、20世紀の思想的営為の一つとしての意義を明らかにするために、ロシアだけでなく、ヨーロッパや 日本の思想との比較なども要請されていくと思われる。また、ベルジャーエフ以外にも取り上げるべき同時代の思想家は枚挙に暇がない。20世紀初頭のロシア 思想の持っていた可能性の全貌を示すためには、まだまだ多くの課題が山積しており、今後の研究に多くを期待しなければならないと言えよう。


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