スラブ研究センターのもとになる組織は、1953年6月に官制によらない北海道大学学内共同研究機関「スラヴ研究室」として誕生し、2年後の1955年 7月に、国立学校設置法に基づく同法学部附属「スラブ研究所」として正式に発足しました。 この組織は後に「スラブ研究室」さらに「スラブ研究施設」と改称され、1978年に北海道大学学内共同教育研究施設に改組されるとともに、「スラブ研究セ ンター」と命名されました。1990年には全国共同利用施設へと改組されて現在に至っています。今1995年は、センターの制度化以来40年目にあたるこ とになります。
フルシチョフ時代から社会主義ソ連・東欧諸国の終焉後までを含むこの40年間に、世界の政治、経済、テクノロジー、 コミュニケーション、学問、 思想などのあり方が大きく変化し、日本のスラブ研究もまた変化を遂げました。 これを機にセンターの歴史を振り返ることは、戦後のわが国における外国研究の推移を知るうえでも一定の意味を持つと思われます。
しかしその意味で残念なことに、センターは最近十年ほどの間に頻繁な専任研究貝の交替を経験しており、現在の研究部門には創立期の事情はおろか80年 代前半の雰囲気をじかに知る者も存在しません。したがって以下略述しようとするセンターの経緯も、その多くの部分が間接資料に基づくものとならざるを得ま せん。
幸いセンター史に関心を持つ者のためには豊富な資料が残されています。学内共同教育研究施設「スラブ研究センター」が発足する78年までの経緯につい ては鳥山成人、岩間徹、外川継男各氏による複数の歴史的な記述や回想(1)があり、また70 年代の施設のパンフレットや紀 要『スラヴ研究』などによって、そ の活動 の概要を知ることができます。 それ以降の経緯についてはまとまった歴史記述は存在しませんが、センターへの改組と同時に発行され始めた『スラブ研究センターニュース』、『スラブ研究センター研究報告シリーズ』な どの出版物が、活動の内容を かなり詳細に伝えています。
このエッセイは以上のような資料を踏まえてのセンター略史ですが、前半20余年に関しては上記の諸先輩による詳しい記述が本誌にも収録されていますの
で、筆者としては主として施設の設立期に関する重要事項を整理するにとどめ、80年代以降の出来事に重点をおくこととします。また組織としてのセンターの
経緯を語るという性格上、研究活動の具体的な内容、成果や、個々の研究員のプロフィールといった事柄には立ち入らないことにします。
なお1955年度に発足して77年度まで存続した組織は、
前述のように2度改称されていますが、今日では62年以降適用された「スラブ研究施設」という名称が一般化し、外川継男さんの記録も大学の記録もそのよう
に統一されていますので、以下の文章においてもそのように総称することにいたします。